夜の森をディズィーは一人歩いていた。

 二つに結った長い青の髪もその身を包む黒衣も闇に溶け込んだ中、乳白色の肌と黄色いリボンとが僅かに差し込む月の光でほの白く浮かび上がっている。

「誰も、いない……よね」

 闇を駈ける獣などは怖くない。

「こんな夜なんだから、もう皆家に帰って……」

 するりと、長いスカートの下から黒い尾が現れる。しかしそれは少女のあどけない顔つきからはイメージされる愛らしいものではなく、爬虫類を思わせる先細りのものだった。背から生えてきた翼も色違いのちぐはぐで、少女の異形を強調する。

 少女は人間ではない。兵器なのだと、彼女を殺そうとした者達から幾度となく聞かされてきた。

 人間を殺す為に生まれてきた兵器であり、今はそうでなくともいつかは内なる衝動に従い血を求めて殺戮を行うのだと。

 だから、彼女はこの森に潜んでいる。

 村の決定を受け入れられず自分を逃がしてくれた両親の為に。

 そして、彼女を否定した人々の言を覆す為に。己が己である為に。

「皆帰って、誰も……いない」

 そう、誰もいない。ここには彼女を殺そうとする者もいなければ、慈しみ守ろうとする者も存在しない。

「…………っ」

 深く息を吐いて、胸に手を当てる。

 泣いたりなんかしない。

 だって、ほら。

「ありがとう、ウンディーネ。ネクロも」

 白い翼がぐにゃりと歪んで女の形をとると、ディズィーを背後から抱き締めた。負けじと対の翼が同じくフードを被った男の姿へ変わり、少女の頭をぐりぐり撫でる。

 ――私にはこの子達がいるもの。

 しかし、この二人ですら自分の一部でしかないことを思うと、胸が押し潰されそうになる。

 このまま一人で森に潜む意味は。

 何の為に生き続けようとするのか、この命の価値は。

「お母さん……お父さん」

 二人が最後にここへ様子を見に来てくれたのはいつだったのだろう。もう覚えてもいないけれど。

 ぼんやり月を見上げるディズィーだったが、明かりが近づいてくるのに気づき身を強張らせる。

 ――油断していた。

 深夜の危険な森に足を踏み入れる者はそういない。だが、数が少ないだけで必ずしもいないとは言い切れないのだ。

 急いで翼と尾を隠すと、木蔭から様子を窺う。

 ランタンを提げ歩んでくるのは、一組の若い男女だった。手をつなぎ、時折顔を見合わせて互いにはにかむ姿が二人の仲を説明している。

 そこでようやくディズィーは、無意識に自分が人里近くまで出てきてしまったことに思い当たった。

 二人がこちらへ気づく前に早く帰らなくては。

 そう思ったのに、体が動かなかった。

 二人とも優しそうに見えた。

「あ」

 一瞬、出て行きそうになって首を振る。

 優しそうに見えたところで、ギアに優しくしてくれるはずがない。第一、二人の時間の邪魔だ。

 未だに人恋しさが抜けきらない、自分の諦めの悪さに情けなくなる。

 それでも動くことができずに、ディズィーは木蔭に座り込んだままだった。

 二人は叢に並んで座り、仲睦まじく語らい続けている。どうやら行商から帰ってきた恋人との久しぶりの逢瀬らしい。

 青年が今回は持って行った野菜が高値で捌けたと自慢げに語るのを、女性は自分のことのように嬉しそうに聞いている。

 そして青年が懐から小さな箱を取り出し、開けようとすると中身を察したのか女性は目を潤ませ恋人の胸へ頭を預けた。

 顔を上げて青年の頬を両手でそっと包み、優しく、次第に深く口づけていくと彼もそれに応えて彼女の腰を抱き寄せ、空いた手で胸をまさぐり始める。

「――――――――!」

 実際に生きてきた年月も人間社会にいた日々も短かったが、行為の意味が理解できないほど子供ではない。ディズィーが狼狽していることなど全く気づくはずもなく、恋人達の行為はエスカレートしていく。

 草むらに横たえられた体に男の逞しい体が覆い被さっていくと、押し潰される草の青い匂いがギアの嗅覚を刺激する。露わになった白い胸に青年が唇を寄せると、女性と同調したようにディズィーは小さく息を吐いた。

 赤子のように胸へむしゃぶりつく恋人の頭を、心底愛おしそうに彼女は撫で回す。その手が体の線をなぞりながら次第に下へと下がっていった時、ディズィーは口元を押さえた。

 体が重なっていて見えないが、その手はおそらく恋人の牡を愛撫しているのだろう。青年の方も彼女の乳房を味わいながら、既に音を立てるほどになった彼女の秘部に指を挿し入れている。

 知らず知らず、二人の行為を見ているディズィーの息も次第に荒くなってきていた。

 今すぐここを離れなければと思っているのに、体が動かず目を逸らすこともできない。

 兵器の視覚は、夜の闇の中で睦み合う恋人達の痴態を余すことなくディズィーの網膜に焼きつける。耳や首まで赤くなっているのが自分でも分かった。

「ぁ…っ」

 思わず声を上げてしまい、口元を押さえた姿勢で草の上に伏せる。お互いの姿しか見えていない二人に聞こえるはずもない。

 青年がズボンの前をくつろげ、怒張を取り出した。待ちきれない様子で女性が両腕を伸ばすと、応えて彼女の腰を抱き一気に奥まで挿入する。

「やあぁ……っ!」

 荒い息とすすり泣くような喘ぎと、ぐちゅぐちゅと粘液の擦り合わされる音と肉の打ちつけ合う乾いた音とが、耳を塞いでも聞こえてくる。姿勢を変えて再び繋がった時、柔らかな肉が男を根元まで呑み込む光景がディズィーの居場所からもはっきり見えた。

 他人の情事を覗き見た羞恥より惨めさが先立った。

 ディズィーには、あのように彼女を求めてくれる者は存在しない。求めても受け入れてくれる者がいない。ああして優しく耳元で愛を囁いてくれる者もなければ、抱き締めてくれる者もいない。

 ディズィーは草の上に突っ伏し、堪え切れず涙を流し始めた。それでも二人は気づかない。

 やがて少女が泣き止み顔を上げると、二人の姿は消えていた。

 先ほどまでの狂騒が嘘のように森は静まり返っている。

「帰らないと……」

 立ち上がり、草を払う。その時ショーツが僅かに濡れていることに気づき、嫌悪感に顔をしかめる。

 嫉妬と羨望の混ぜ合わさった今の顔はさぞかし醜いことだろう。

 再度惨めさに打ちのめされそうになるディズィーだったが、背後からネクロとウンディーネが心配そうに覗き込むので笑顔を作ろうと試みた。

 つもりだった。

「ずる、い」

 何が、とは二人とも訊ねなかった。

 ディズィーにも分からないのだから、二人が理解できるはずもない。

「ひどい……っ」

 別に先ほどの男女が彼女に何かした訳ではない。だが、ディズィーが寂しいと思っていることは理解できた。

 だから。


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言い訳

 某所へ保守代わりに投下する予定の代物。

 実用度は低いと自負。

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