――もしも貴方が、私に触れていたのなら。

 喪服の女は、風に翻るスカートを押さえて墓前を後にした。肩の上で揃えられた金糸の髪が揺れる。

「…下らない」

 吐き捨てるように呟いて、空を見上げた。どのくらいの時間ここにいたのだろうか、既に雲が赤く染まっている。

 この地に眠っているのは、彼女の師にして組織の長。育ての親であり初めて心を寄せた男であり、そして誰よりも憎んでいた相手でもある。

「…全く、下らない」

 幼い頃の自分に禁呪を施し、暗殺術を叩き込んだ男。人の命を奪う事に嫌悪を示し組織の中で浮いていた自分を庇い、目にかけていた男。

「もう私とお前には何もないのに」




 女は塒に帰ると、無造作に喪服を脱ぎ捨てていった。少々狭いがここ最近住んでみた家の中では、結構気に入っている方だ。

 彼女は暗殺組織を脱け出し逃亡生活を送っていた頃の癖で、数ヶ月ごとに住みかを変えている。男の死後、組織を建て直すのに忙しいのか追っ手は来なくなっていたのだが、一年前から彼女を一方的に慕う青年が現れたせいで、当分直りそうもない。

 傷一つない、白い肌が露になる。子供の頃に施された術の為か、どれだけ重傷を負った所でその回復速度は人並でも、傷痕が残ることはなかった。

「……」

 細い指が滑らかに肌の上を滑っていく。女はあまり自分の性を考えたことはないが、身だしなみとして体の手入れを怠った事はない。

 ――馬鹿みたい――

 見て欲しい相手は光を失ったばかりか、自分まで失った挙句に彼女の手の届かぬ場所へ逝ってしまったのに。

 指の通り過ぎた所が少しずつ熱を帯び始めて、吐息が僅かに震える。シャワーに打たれながら、彼女は座り込んだままその豊かな胸を爪が食い込むほどに掴んで男の名を呼んだ。




 微かに零れる甘い声を、シャワーの音がかき消していく。その場に座り込んだ女は、指の赴くままに自らを慰めていた。

「ん――」

 先ほど鷲掴みにした乳房から血が滲んでいる。その痛みすら熱に変わる。彼女はつんと立った赤い実をそっと指に挟み、擦り上げた。

 ――あの人はどんな風に私に触れただろう?

 男は通常裏社会で女に求められるような事を一切彼女にはさせなかったし、自分も彼女に手を出すような事はしなかった。

『お前はただ、この花と同じであればいい』

 彼女がそれを尋ねる度に男はいつもそう言って、白く香りの強い花を与えるのだった。

 女にはそれが許せなかった。

「…っは…ぁ――」

 残る手で胸から下のラインを滑り落ちる。柔らかな茂みの奥を探ると、湯とは違う温かな何かが指に絡みついた。湯でそれが洗い流されぬように身を屈めて更に指を奥へと進ませる。

 男の長い指が彼女の中へ沈むのを想像しながら、ゆっくり掻き回し始める。背後から回された腕が彼女を束縛し、耳元に卑猥な言葉で囁きかけるのを思い、白い尻を突き出すような格好でタイルに頭をつけた。

「あぁあ…ぁ…っ」

 シャワーの音に紛れて、彼女の泉からの水音が聞こえ始める。湯では一度に流し切れないほどになったそれが、太腿を伝い落ちる。

「…だめ…、足りない……」

 自分の指では中を探るのは限度がある。無意識の内に髪が彼女の望みを察して伸び始める。その内の一房が背筋を辿って女の中へと潜り込んだ。

「…っ、あ、ああ……」

 不思議と恥ずかしさはなかった。ただ虚しいとだけ感じた。

「どうして……」

 ――私に触れてくれなかった?

 最期の時、男は穏やかな顔を見せていた。すっきりした顔で、彼女がどんなに問うても答えずに冷たくなっていった。

「――私は…っ、…あ、ぁあ…っ…あぁああ……!!」

 背を仰け反らせて、女はタイルの上に倒れ込んだ。


 ――花なんかじゃなかったのに。




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