22

 必死で耐えるうちにようよう疼きは薄れていった。
 何度も深呼吸して、なんとか平常の状態に戻ることができた。
「ハァ。これからどうしよう……」
 カイトはずぶずぶと椅子に沈むようにして物思いに耽った。
 どうしようと考えても、どうするアテもありはしない。
 再びムラタの手に落ちるのがイヤならば、この家でメイドとして働く覚悟をしないといけないのだ。
 昨夜の脱出劇が思い出される。
 浩司は、あれからどうなっただろうか。
 理由はどうあれ、浩司のおかげでカイトはあの地獄から抜け出すことができた。
 その恩人ともいえる浩司のことが気に掛からないといえば嘘だった。
 そして、葵。
 葵のことを考えるとわずかに胸の鼓動が早くなるような気がした。
(お人好しな女だよな。オレなんかのことを気に掛けて……)
 葵は自分のことを探してくれるだろうか……。
 葵の存在に救いを求める自分がいる一方で、そんな甘い考えを冷笑する皮肉めいた気持ちもあった。
(葵がオレに気があったとしてもだ。いまのオレは女で、男の『カイト』が別にいやがる。葵が『カイト』よりオレを選ぶ道理なんざねぇよな……)
 メイド服を着せられた自分の姿を見下ろして、カイトは自嘲気味に鼻を鳴らした。
 こんな格好をしていて、生理もきてしまうような「女」に、葵が恋心を抱くと思うほうがどうかしている。
 心の整理がつかないままカイトは顔を洗った。
 それからトイレで用を足そうとして、いつもの習慣で便座を上げてしまいカイトは舌打ちした。
 体の構造に従って便座に腰を下ろすことしかカイトには許されていない。それがどんなに屈辱であっても。
 小用のときについペニスを探してしまう癖は消えつつあった。
 女性器の感覚が身に染みつくにつれ、無意識にそこにペニスをイメージすることはなくなっていた。
 旧校舎のトイレが和式だったため、洋式トイレでの習慣だけはそのまま残っていたというわけである。
 ジョロジョロと短い尿道を通って鼠径部から直接、尿が排泄される感覚も今ではすっかり慣れてしまった。
 ただ、スカートの裾をたくしあげた格好での排尿は初めてのことだった。
 スカートに気を使いながら用を足す姿は我ながらひどく女々しく思えた。けれど、体の構造と服装のせいで、女らしい仕草になってしまうのはどうしようもない。
 女の体を自覚させられるという意味では、一日数度の排尿は毎度拷問のようなものだった。
 それでも、カイトが女として排泄してる様子を見物し囃し立てるクラスメイトたちはここにいない。
(少なくとも、好きなときに顔を洗えてトイレにもいけるだけ、旧校舎に繋がれてたときよりゃマシだな)
 トイレから出て手を洗ってると、ヘルパーの女性がやってきた。
 叔父夫婦が共働きのため、週に三日、ヘルパーがきて掃除洗濯をやってくれるのである。
 カイトの顔を見るなりヘルパーの女性はいった。
「ああ、あんたカイト君の従姉妹さんね」
「……は?」
「お話は伺ってますよぉ。ずっと入院生活だったとでしょ。大変やったねぇ。こっちゃ田舎で空気もキレイじゃけんゆっくり養生してくとよかよ」
 叔父たちはカイトのことを東京からきたカイトの従姉妹として、でっちあげの説明をしていたらしい。
 病弱な少女でリハビリのため田舎に預けられてる、とそういうことになってるようだ。
 女性は大らかな性格なのか、カイトのメイド姿を特別気にする様子もない。
「そんじゃまずは洗濯から始めよっかね。こっち来んね」
「オレに手伝えっていうのか?」
「奥様から聞いちょるよ。あんた、入院生活長かったから、家事を一から勉強したいとでしょ? 女の子なのに家事もできんかったら将来恥ずかしいもんね。私が責任持って、みっちりと教えてあげるけんね」
「マジかよ……」
 それから昼下がりの時間まで、カイトはさんざん慣れない掃除洗濯を手伝わされてぐったりとしてしまった。
 時計を見ると、二時前だった。
 学校では五限の授業の最中だろうか。
 あれほどサボりまくってた学校が懐かしく思えるというのも皮肉な話だった。
 いまごろはもう一人のカイトが何食わぬ顔で授業を受けてるはずだ。
 それに引き換えカイト自身はこうしてメイドの生活だ。
 人生を丸ごと盗まれたにも等しい。
 洗面所の鏡でメイド服を着た自分の姿と対面してカイトはため息をついた。
 そのとき、♂カイトに渡されてた一万円のことを思い出した。
 ♂カイトの帰宅までに買い物をしてこないといけない。
 女の衣類なんぞ買いたくはなかったが、♂カイトの帰宅まであまり時間がない。迷ってる暇はなかった。
「チッ。さっさと用事を済ましちまうか」
 一万円札を握りしめて家を出ようとして、はたとカイトは足を止めた。
「オレ……この格好で外に出るのか?」
 冗談じゃない、とカイトはメイド服を脱ぎ捨てた。
 だが、その下の体操服姿も充分に他人に見られるには恥ずかしい格好である。
 カイトは自分の部屋に駆け上がると、箪笥から適当なTシャツとデニムを引っ張り出して身につけた。
 男物のTシャツはいまのカイトが着るとダブついたサイズになってしまう。
 鏡と向かい合ったカイトは思わず、
「エロぇ……」
 と呟いてしまった。
 Tシャツの襟ぐりが大きすぎて、胸の谷間が堂々と露出している。
 しかもピアスの部分がシャツの布地に浮かび上がって自己主張しまくっている。
 私は女です、どうぞ見て下さいと言わんばかりの姿だ。
「そうだ!」
 カイトは救急箱を探し出すと、包帯を取りだして胸に巻いた。漫画などでよく見るようにサラシで胸を押し潰すことにしたのだ。
(うまくすりゃ、見た目、男に見えるようになるかも……うっ、さすがにだいぶ息苦しいな)
 胸を圧迫されて苦しいのを我慢し、何重にも包帯を巻いて胸を覆い隠した。
 その上からTシャツを着ると、なんとか胸のふくらみが外に出ずに済んだ。
 次に下半身だ。
 デニムをそのまま穿くと、尻の部分はパンパンに張り詰めるほどにきついのに、丈はダブついてしまう。丈に関しては、裾を折ってなんとか対処した。
 さらに首輪を隠すためにバンダナを首に巻いた。
 改めて鏡を見てみて、カイトはううむと唸った。
 鏡に映る姿はカイトの期待に反して、あまり男らしくはなってなかった。
 せいぜい、凛々しい男装の美少女といったところだ。
「くそっ。ま、何もしないよりゃマシか」
 カイトは金をポケットに突っ込んで外に出た。
 外に出ると、ムラタの仲間に見つからないかと途端に心配になった。
 田圃沿いの道から少し広い道に出ると人通りもあって、カイトは用心深くあたりに気を配った。
 行き交う人々がカイトのことを気にも留めず通り過ぎていくので、ようやく肩の力が抜けた。
 考えてみれば、女にされて以来、人通りの中に出るのはこれが初めてだった。
 カイトは歩調を早めてスーパーへ向かった。
 真っ昼間のスーパーは買い物の主婦がまばらに出入りしてるだけで空いていた。
 店内に入ると、すぐに衣料品売り場へ直行した。
(ここらか……)
 下着コーナーで女物のカゴの前に立つと、想像以上のプレッシャーが襲ってきた。
 自分が女物下着を漁る変態に見られてるような気がして、店員の視線が冷たく感じる。
 そもそも女の下着を自分が買おうとしてることが信じられない。
 しばらく売り場でうろうろしてると、店員が近寄ってきた。
「何かお探しでしょうか?」
「その……下着を……」
 しどろもどろになって答えると、店員はにこやかに微笑んでカゴを手で示した。
「こちらの商品はバーゲン品でお得になっておりますよ」
 店員が示したのは女物のカゴだった。
 そのことでカイトは自分が女として認識されてることをはっきりと知った。
 いくら胸を圧迫してても腰の肉付きや手足の華奢さ、声の高さなど全て少女のものでしかないのだ。
 カイトは思いきって店員に尋ねてみた。
「下着を何着か、当分困らないだけ買いたいんだけど」
「はあ……ええと、物によりまして大分お値段のほう、違ってしまいますがどう致しましょうか?」
「一万で釣りがくるくらいがいい」
「左様でございますか。それでしたら……」
 カイトは国産品下着のディスプレイの前に連れてこられた。
 何種類かのブラジャーとパンティが胴体だけのマネキンを使ってディスプレイされてる。
 どれを選ぶかと訊かれてカイトは心底困惑した。買いたい下着などあるわけがない。
 男物のシャツとトランクスだけ適当に買って帰れたらどんなに気が楽だったろう。
「すいません、適当に良さそうなの、お願いします」
「そうですねぇ。最近の人気商品ですと……」
 店員は幾つかパンティを手にとって棚の上に並べて見せた。カイトはそれを全て一着ずつ買うことにした。
「あとはブラですと、こちらのタイプが若いかたには良く売れてますよ。いかがでしょうか?」
 と、マネキンの胸を指した。
(なんでオレがブラジャーなんかを……)
 カイトはろくに商品を見もせずに、頷いた。
 それで全て済んだかと思っていたカイトは、店員にバストのサイズを聞かれて目を白黒させた。
 自分のバストのカップやまして正確なサイズなど知るはずもない。知りたくもない。
 すると店員はメジャーを持ち出してきた。
「それでは失礼してお客様のサイズをお計り致しますね」
「え、あ、うぅ……」
 そのまま試着室へと連れ込まれてしまった。
 店員は戸惑うカイトの胸にメジャーを当ててきた。そこで店員はカイトの胸のサラシに気付いて首を傾げた。
「あのお客様、こちらのサラシを一度ほどいていただいて宜しいでしょうか?」
「い、いや! これは……」
 カイトは口ごもった。サラシを外したりしたら、胸につけられたピアスとチェーンまで見られてしまう。
「ですが、トップとアンダーのサイズをお測りしませんと。着心地にも影響しますし」
「いまコレは外せないんで、適当なサイズでいいよ」
「そうですか……。でも、お客様のだいたいのバストサイズでも分かりませんと……」
「うぅ……このくらいだよ。だいたいこんなもん」
 苦肉の策でカイトは手の平で見えない乳房を包むようにして大きさを伝えた。
「そうですね……それですとE〜Fカップってとこでしょうか」
 店員は先ほどまでカイトに勧めていた寄せて上げるタイプのブラを引っ込め、代わりに大きめのカップサイズのブラを持ってきた。
「いかがでしょう。別なタイプもご覧になります?」
「そ、それでいい」
 顔から火の出るような思いでカイトはブラジャーを受け取った。
 レジでブラとパンティの入った包みを受け取ると、カイトはそそくさと売り場を離れた。
 ほっと一息ついたとき、Tシャツの売り場が目に入ってきた。
(そうか。サイズの合う服が必要だよな。昔の服はもう……)
 売り物のシャツを手にとってみたが、明らかに男物のサイズだった。
 ♂カイトの言葉を思い出して、カイトは渋々女物のコーナーのほうに移動した。
 フェミニンなデザインの物が多い中から、なんとかユニセックスな風合いのシャツを選び出し、レジに運んだ。
 ポケットにはまだ充分な額が残ってる。
 同じようにしてコットンのハーフパンツを一着買ってから衣料品フロアを離れた。
 最後にまだ一つだけ買い物が残ってる。
 日用品売り場でカイトは生理用品の棚を前に固まってしまった。
(こんなもん買いたくねえ……!)
 しかし、生理で股間に血を流した記憶はまだ生々しく残ってる。
 生理用品がなければ日常生活すらままならなくなることは思い知らされたばかりだ。
 肉体が女である以上、それらは必需品である。
 惨めな気持ちになりながらカイトはナプキンとタンポンを一箱ずつ買った。

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