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蜜月

            早川 京


 夏も盛りを過ぎ、吹く風にも秋の気配が混じるようになってきたその日。
 左近衛府少将橘友雅は、左大臣家の屋敷、土御門殿を訪れていた。
 夕刻を迎えたその日の空は、澄んだ茜色に染まっている。
 今夜は良く晴れるだろう。
 晴れわたる星空を、星の姫君と2人で眺めて夜を過ごすのも悪くない。
 そう思った友雅は、左大臣家の二の姫、星の姫とも呼ばれる藤姫の館を訪ねたのだった。
 対屋から姫の住まいへと続く渡殿を歩いているとき、友雅は前方を見知った人物が自分と同じ方向へ歩いているのに気づいた。
 「おや、頼久じゃないか」
 後ろから声をかけると、気づいた頼久が振り向き、黙って頭を下げた。相変わらず無口な頼久に、友雅はくすりと笑って尋ねた。
 「神子殿はお元気かい?」
 鬼との戦いが終わったのは、もうふた月ほど前のこと。龍神の神子として、八葉たちと共に鬼と戦った元宮あかねは、戦いの後、八葉の一人である源頼久の妻となっていた。
 友雅の問いかけに、頼久の表情が少し動いた。どうやらはにかんでいるらしい様子に、友雅は内心でくすくすと笑っていた。
 「…はい。大変にお元気でいらっしゃいます」
 「それは良かった。いや、ひと月程前は、君も神子殿も、何やら元気がなかったからね」
 そう言って友雅はにっこり笑った。
 「今日はもう帰りなのかい?」
 「はい。藤姫様が、たまには早く帰るようにと仰られて。今日はあかね殿が藤姫様をお訪ねになっているので、お迎えに上がってから退出しようかと参上した次第です」
 あかねと結婚してからも、彼女に対して敬語を使い続ける頼久に、友雅は思わず声に出してくすくすと笑った。
 なぜそこで友雅が笑うのか理解できない頼久が、怪訝そうに自分を見ているのに気づいた友雅は、慌てて袖で口元を覆った。
 「…いや、失礼。君があんまりほほ笑ましいんで、ついね。そうか、神子殿は藤姫のところにおいでか。では、ついでにご挨拶をしていこうか」
 にこにこと友雅は言うと、しかめっ面をしている頼久に向かって手を振った。
 「いやいや、いくら私でも、自分に興味をもってもらえないと分かりきっている女性に手を出すつもりはないから、安心なさい」
 なおも無言で自分をにらんでいる頼久を見ながら、友雅は内心で笑っていた。
 ―――あんまりからかっても、神子殿が怒るだけかな。
 意味ありげな視線を頼久に向けながら、友雅は言った。
 「さて、神子殿が気を悪くされることにならないうちに、私は藤姫のところに行くとしようか」
 そう言って友雅は歩き出した。
 ―――頼久さんで遊んでいいのは、私だけです!!
 以前、頼久をからかう友雅に向かって宣言したあかねの言葉を、もちろん知らない頼久は、首を傾げつつも、友雅の後ろにしたがって歩き始めたのだった。

 ―――眠い。
 藤姫の部屋で、姫と一緒に絵巻物を見ていたあかねは、一人睡魔と戦っていた。
 結婚して以来、頼久の家にいるあかねが藤姫を訪ねるのは久し振りのことなので、あかねのためにと藤姫は心づくしのもてなしをしてくれる。
 今一緒に見ている絵巻物も、姫があかねのために特に取り寄せたものだった。
 しかし。
 ―――眠い。
 自分のために一生懸命説明してくれる藤姫の声を聞きながらも、あかねの意識はともすれば飛びそうになってしまう。
 頬をつねったり、指先に爪を立ててみたりしても、眠気は一向に晴れてくれない。
 ―――だめだよ。藤姫がこんなに一生懸命もてなしてくれてるのに!!
 そう思っても、眠いものは眠いのである。
 それもそのはず。あかねはここのところずっと、まともに眠っていないのだ。
 あかねと頼久の2人がきちんと夫婦になったのは、あかねが頼久の家に入ってからひと月程経ってからのこと。
 愛しい人と、やっと心も体も一つになることが出来て、あかねはこれ以上もないというほど幸せだった。
 最愛の人と誰はばかることなく寄り添い、想いを通わせ合うことが出来る。
 新婚の2人は、それはもう、頼久の家の使用人たちがうらやむほどに仲睦まじかった。
 だが、そんな甘い幸せにあかねがのんびりひたっていられたのは、最初の3日間くらいだった。
 結婚して以来頼久は、宿直の日以外、毎晩のように彼女を求めてくるのだ。
 しかし、頼久の朝は早い。
 夜も明けきらぬ頃に起き出して、剣の稽古をしてから藤姫の館へ出勤するのが彼の日課だ。
 あかねは頼久ほど朝に強くはない。しかも、前の晩彼と愛し合った体は、その分の休息を求めてくる。
 それでも、せめて出かける夫をきちんと送り出したいと思う彼女は、頼久に合わせて眠い体を引きずって起きていた。
 昼は昼で、夫は働いているのだからと思うと昼寝をする気にもなれない。
 そして夜は、頼久と愛を交し合う。
 これでは寝不足になるのもあたりまえである。
 もちろん、頼久の求めを断れば良いだけだと、あかねは充分分かっている。
 しかし、それは出来なかった。
 頼久は、時々自分のことを不安そうに見つめていることがある。もともと無口な人なのでただ見ているだけなのだが、あかねには、自分が元の世界に帰ってしまうのではないかと、頼久が不安に思っているのだと分かっていた。
 そして、彼が自分を求めてくるとき、その不安そうな目ですがるように見つめてくるのだ。
 その目を見ると、どうしてもあかねは彼の求めを断ることが出来ないのだった。
 故にあかねの睡眠不足は解消されないのだ。
 必死で眠気をこらえつつも、あかねの視界はだんだんと狭くなっていった。彼女の意思に反して体の力も抜けていく。
 ―――もう、駄目…。
 「神子様!?」
 藤姫の叫びをどこか遠くに聞きながら、あかねの体は、その場に崩れ落ちた。
 その時丁度、友雅と頼久が藤姫の部屋にたどり着いた。
 「神子殿!!」
 姫の叫びを聞いて血相を変えた頼久が、前にいた友雅を押しのけるようにして部屋に飛びこんできた。
 「神子殿!! お気を確かに! 神子殿!」
 普段から妻に、きちんと彼女の名を呼ぶように言われていたことも忘れて、頼久は抱き起こしたあかねの体を揺さぶった。
 耳元で叫ぶ頼久の声に、あかねはうっすらと目を開いた。
 「ああ、神子殿。ご無事でしたか」
 気づいた彼女を見てほっとしたようにため息をついた夫をぼんやりと視界に入れながら、あかねはぽつりと言った。
 「…眠いの」
 そしてそのまま、頼久の腕の中ですやすやと眠り込んでしまったのだった。
 あっけにとられて妻の寝顔を見つめる頼久と、突然の事に呆然と2人を見つめている藤姫を見ながら、友雅は肩をすくめた。
 「大丈夫のようだよ。どうやら神子殿は大変に寝不足だったご様子だね」
 「本当に大丈夫なのでしょうか…」
 心配そうにあかねをみている藤姫に、友雅はにっこりと微笑んだ。
 「ちゃんと眠ればまたお元気になりますよ。頼久、神子殿を連れて帰ってきちんと寝かせておあげなさい」
 「はい。…では、失礼致します」
 あかねを抱き上げた頼久は、足早に部屋を出て行こうとした。その背中に友雅はくすくすと笑いながら声をかけた。
 「頼久、夜はちゃんと神子殿を寝かせてあげるんだよ」
 その言葉に頼久は一瞬体を硬直させた。そして、いつもに増して不機嫌そうな顔で友雅を見ると、しかし、挨拶もそこそこに急いで帰って行った。
 「友雅殿、頼久は神子様を寝かせてさしあげてはいないのですか…?」
 頼久がいなくなったあと、藤姫は不思議そうに友雅の顔を見上げて言った。
 「まあ、そのようだね」
 友雅はにやりと笑いながら頼久の出て行った方を眺めていた。
 「…どうしてですの?」
 納得がいかないらしい藤姫は、訳が分からないといった表情で問うた。
 友雅は一瞬返答に困った。しかしそこは年の功である。
 「姫もそのうちお分かりになるときが来ますよ」
 そして友雅は、にっこりと微笑んだのだった。

 ―――何ということだ。
 あかねを屋敷につれて帰った頼久は、激しく落ち込んでいた。
 ―――あかね殿がこのようにお疲れであるのに気づかぬとは…!
 結婚してからも、頼久は浮かんでくる不安を拭い去ることが出来ないでいた。
 いつか、あかねが元の世界に帰ってしまうのではないか。
 そう思うと、いてもたってもいられなかった。
 妻の存在を、もっと近くに感じていたい。ずっとそばにいて欲しい。
 どこにも、行かないで欲しい。
 気づくと、毎晩のように彼女を求めていたのだった。
 それが、人前で眠ってしまうほど彼女の体に負担をかけていたとは。
 ―――今日は、ゆっくり休んでいただこう。
 すっかり反省した頼久は、すやすやと眠っているあかねの隣にある灯りを消そうと手を伸ばした。
 そのとき。
 「…頼久さん」
 かすかにあかねの声がして、頼久は振り向いた。
 「あかね殿?」
 起こしてしまったのかと頼久は声をかけるが、あかねは静かに寝息を立てているだけだった。どうやら寝言だったらしい。
 頼久はほっと息をつくと、やわらかく微笑んで妻の顔を覗き込んだ。
 よほど良い夢を見ているのだろう。あかねはうっすらと微笑むような表情で眠っていた。
 かすかに揺れる灯りに照らされた彼女の頬はやわらかい曲線を描き、少しだけ開かれた口唇は赤く艶やかに光っていた。
 頼久は、我知らずその寝顔をじっと見つめていた。
 実は、結婚してから彼は妻の寝顔を見たことが無い。
 ―――あかね殿は、寝顔も美しい…。
 頼久は、初めて見る妻の寝顔に見ほれていた。
 そっと、彼女の頬に手を触れる。
 すると頼久の手の感触が気持ち良いのか、あかねは頬ずりするように身じろぎしてふわりと微笑んだ。
 「あかね殿…」
 その妻のしぐさに愛しさの募る頼久は、呟きながら彼女の口唇を指で静かになぞる。
 そして、ほの暗い灯りに照らされた柔らかな妻の口唇に、頼久は自分のそれをそっと重ねた。
 「…ん…」
 何度も口唇を重ねると、息苦しそうにあかねは寝返りを打った。
 その拍子に彼女の身体にかかっていた布団代わりの衣が滑り落ち、あかねの着ていた寝間着の前が肌蹴て白い肌が露になった。
 ―――しまった…。
 頼久の動きが一瞬止まる。
 だが、揺れる灯りの下に照らされた柔らかな白い膨らみは、頼久の反省を吹き飛ばすのには充分扇情的だった。
 彼の手は思わず双の膨らみへと伸ばされる。
 あかねの寝間着の帯を解きながら、頼久はゆっくりと彼女の胸を愛撫し始める。
 手のひらでそっと膨らみをなぞり、だんだんと固くなってくる頂きを摘む。
 あかねはかすかに身をよじり、彼女の呼吸は少しずつ乱れてくる。
 その反応が面白くて、頼久は更に愛撫を続けた。
 白い胸元に口唇を落とし、紅い痕を散らしていく。胸の蕾を口に含むとあかねは敏感に身体を震わせた。
 頼久のつけた痕が彼女の胸から腹部へと咲き乱れてきた頃、頼久はそっとあかねの下肢へと手を伸ばした。
 滑らかな足をそっとなで上げ、彼女の最も深いところへと指を進ませる。
 「…あっ!!」
 その瞬間、あかねの身体がびくりと動いて声があがった。
 そして声のしたほうを見た彼は、驚いたように自分を見ている妻と目が合ったのだった。
 「より、ひさ、さん?」
 目を見開いて自分を見上げてくる妻の声を聞きながら、頼久は自分の顔から血の気が引いていくのを感じていた。

 何か、良い夢を見ていたようだった。
 ふわりと漂うような感覚のなか、あかねは降るような温かい感触を全身に感じていた。
 それはとても気持ちが良くて、彼女はその感触に身をゆだねていた。
 そしてだんだんと、自分の身体が芯から熱くなってくるのを感じたとき、一際強い刺激を奥に感じて彼女は意識を浮上させた。
 「…あっ!!」
 思わず上げた自分の声に目を覚ますと、自分の上に覆い被さっている夫と目が合った。
 「より、ひさ、さん?」
 思わず声が途切れがちになってしまうほど驚いたのだが、相手のほうも相当に驚いているようだった。自分を見たまま固まってしまっている。
 そのまましばらく固まっていた夫は、慌てて彼女の身体から離れた。
 「…申し訳ありません!! あかね殿がお疲れなのは重々承知していたのですが、その、…つい…」
 真っ赤になって土下座でもしそうな勢いで謝る頼久を、あかねは呆気にとられて見ていた。そして、すっかり一糸まとわぬ姿になっている自分の身体についている紅い痕を見ると大きくため息をついたのだった。
 「頼久さんって、実はむっつりスケベだったんですね…」
 「は…?」
 「だから、頼久さんって意外に堪え性の無い人だったんですね」
 「……!!」
 あかねの言葉に頼久はすっかり落ち込んで、しゅんとうなだれてしまった。
 主人にしかられた犬のようにおとなしくなってしまっている夫の姿に、だがあかねは思わず吹き出してしまった。
 ―――仕方ないなあ…、でも、まあ…ね。
 決して嫌ではなかったのだ。愛しい夫に求められて、嬉しくないわけがない。
 もちろん、寝ているところを起こされたのは少し驚いたのだが、自分が気づいた後の頼久の態度を見ていると怒る気も失せてしまう。
 それに。
 「…本当に申し訳ありません。今宵は別室にて休みますゆえ…」
 肩を震わせているあかねのほうを見もせずに、そう言って部屋を出て行こうとする頼久の寝間着を、あかねは慌ててつかんで引き寄せた。
 「あ、ちょっと、待ってください!」
 あかねは強引に頼久を引き止めてもう一度側に座らせた。
 覗き込むようにして頼久の顔を見ながら言う。
 「このまま、ほっとくつもりなんですか?」
 「あかね殿?」
 「頼久さんのせいで、すっかりその、…もう、言わせないでくださいよ!」
 眠っている間のこととはいえ、結婚してから充分すぎる程頼久に慣らされた身体は、すっかり彼を受け入れる準備を整えてしまっていたのだった。
 あかねが頬を染めながら言うと、頼久はしばらく黙っていたのだが、おもむろに口を開いた。
 「怒って、いらっしゃらないのですか?」
 まだ怖々聞いてくる夫の様子が、あかねには可笑しくてたまらなかった。
 「怒る気も失せました」
 あかねは、くすっと笑って頼久の身体を引き寄せる。
 「ちゃんと、責任とってくださいね」
 そして彼女は、自分の口唇を夫のそれへと押し当てた。
 ―――頼久さんも頼久さんだけど、私も私よね。
 口唇を深く合わせて、絡まるように2人は布団へと倒れ込む。
 長い口づけの後、あかねは頼久の耳元でそっとささやいた。
 「でも、今日は早めに寝かせてくださいね」
 頼久は、頬を少し染めて頷いた。
 「…承知しました」

 揺れる灯火の下で二つの影が重なり合い、互いに互いを求め合う。
 自分を貫く激しい熱を感じながら、あかねは上気した夫の顔を見つめていた。
 口唇を重ね合い、互いの肌にそれを這わせていく。
 何度目かの絶頂の後、自分の中に留まったまま体を預けてくる夫に、あかねは呟くように告げた。
 「私、どこへも行きませんから」
 「あかね殿…?」
 あかねはそっと頼久の口唇に自分の口唇を重ねた。
 「この世界に、あなたの側に留まるって決めたそのときから、私の帰る場所は頼久さんのところだけなんです。だから、私はどこにも行きません。ずっとあなたのところにいますから」
 頼久はしばらくあかねの顔を見つめてから、今度は自分から口唇を重ねた。
 「…はい」
 そして、再び愛しい妻の身体を求めていった。

 次の朝、源家の使用人たちは、いつものように盛大にあくびをするあかねの姿を見たのだった。

 

2000.10.13UP

 


頼×あかバカップル創作というよりあかね×頼久の頼久バカ創作といった方が良いかも…。
頼久の「反省」は13行で終わりました(笑)
頼×あかの裏ってどうしてこんなに恥ずかしいんだろうと、書きながらのたうっておりました。
裏なのに、エロが足らんと反省しております(−−;
頼久のバカに免じて許してください(爆)

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