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ともしび         早川 京


 風もなく、静かな夜。
 ほの暗い灯火の下で、ひとつに重なり合った二つの人影がゆれている。
 「あ……」
 影の動きに合わせて時折、かすれるような女の声が聞こえてくる。
 女の上に重なっている男の唇は、女の白いうなじをゆっくりと這っていく。
 そして、文官であるために華奢なように思えるが意外に骨ばった、力強いその男の手が、露になっている女の柔らかなふくらみを弄ぶ。
 壊れ物に触れるようにそっと手を頂きへ滑らせ、先端をつまむと、女の体が微かに震えた。
 男の動きは激しくはないが、確実に女を高みへと導こうとしている。
 女の白い肌の吸い付くような柔らかな感触を楽しむかのように、男の手はゆっくりと胸元から脇腹へと動き、そして時折、真っ白な肌に唇を這わせる。
 その度に、女の息が少しずつ乱れていく。
 女は徐々に体の芯が熱くなっていくのを感じながら、閉じていたその蒼い瞳を薄く開いた。
 そのとき、男の指が彼女の最奥にたどり着いた。
 「あ…っ…」
 喉の奥でかすれたような声を上げて、女の体がぴくりとしなる。
 その拍子に見開かれた女の目と、男の黒い目が合った。
 男は軽く女の唇に自分の唇を重ねると、女の中にある自分の指を、さらに奥へと進める。
 「ぁん…っ…」
 思わず漏れた声に、女は内心驚いていた。
 何故、自分はこんな反応をしてしまうのか。
 自分の意思とは無関係に、体がこの男の愛撫に応えていく。
 今まで、こんなことはなかった。
 昔から何度も、色々な男に体をゆだねてきた。生きていく糧を得るために。そして、自分を拾ってくれた一族の首領が求めるままに、抱かれたこともあった。
 しかし誰の腕の中にいても、感じるのはうつろな肌寒さと、時によっては嫌悪感だった。
 なのにこの男の場合、感じるのは男から与えられる熱だけ。
 男が自分に触れるたび、そこが熱くうずき、体の中から熱と快感が湧き出してくる。
 自分の体のあまりに素直な反応は、自分がまるで男を知らない生娘に戻ったような気さえしてしまう。
 ―――――何故だろう……。
 だが女が考えている間にも、男の指が彼女の中を執拗に探り、次第に潤ってくる秘所から微かな音が聞こえてくる。
 「あぁ…」
 快感に飲み込まれていく女の思考は、徐々に形を失っていく。
 そして、ぼんやりとした視線で見上げてくる女の唇に、再び男が自分のそれを重ねる。
 一度軽く重なった唇を男が離すと、女は自分から男の首に腕を回して男の唇を求めた。
 男はそれに応えて、さらに深く彼女を貪っていった。
 
 
 日も暮れて薄暗くなった部屋の中で、シリンは鬼の一族の服装に着替え、鏡の前に置いてある紅を手に取った。
 鬼の一族と龍神の神子との最後の戦いの最中、アクラムが黒龍に飲み込まれていくのを見た衝撃で倒れてしまった彼女は、龍神の神子に仕える八葉のひとりである藤原鷹通の屋敷に引き取られていた。
 自分を屋敷に置いている男は、自分がここで過ごすために派手ではないものの、一通りの調度を用意してくれている。
 一通りといっても貴族の生活を基準としたものなので、彼女にとってはかなり贅沢の部類に入る調度品である。手に取った紅も、アクラムに拾われるまではめったに手に入れられなかった品だ。
 そんな物を、敵であった自分のために用意した男の真意を未だ測りかねているので、それを使うことは多少気後れがするのだが、必要な品であったためシリンはその紅を使うことにした。
 自分のまとう着物の柄にある薔薇の花のように紅く唇を彩ると、彼女は御簾をかき上げて外の簀子から庭に下りた。
 「出て行くのですか」
 外へ向かおうと歩き出したシリンの背中に、声がかけられた。
 「ああ。世話になったよ」
 肩越しに振り向いて、彼女は男の言葉に応える。
 「借りは、必ず返すからね」
 そう言って、きびすを返そうとする彼女を引き止めるように、鷹通は再び声をかけた。
 「行くあては、あるのですか」
 シリンはそのまま立ち止まった。
 「別に、これといってある訳じゃないけどね。ここに、これ以上いるいわれもないから」
 「これから、どうするつもりなのですか」
 さらに問いかける男のほうを、シリンは振り返る。
 「さあね。あたしは誰かに養ってもらわなきゃならないようなお姫様じゃないからねえ。女ひとり、どうにでもして生きていけるさ」
 そして、静かに自分を見ている鷹通のほうを見て、くすりと笑った。
 「まあ、鬼の女がひとりでどうやって生きていくかなんて、いくらお坊ちゃんのお前でも、想像くらいはつくだろうがね」
 「……春を、売るというのですか」
 眉根を寄せて、口を開いた男を皮肉気に見ながらシリンは応える。
 「元々そうやって生きてきたんだ。お前が気にすることじゃないよ」
 少しの沈黙の後、眉間にしわを寄せたまま鷹通は言った。
 「そうですか……」
 低くつぶやかれた声を聞くと、シリンはくるりときびすを返し歩き始める。
 「シリン!」
 女の名を呼び、簀子から駆け下りてきた男の手に腕をつかまれて、彼女は立ち止まった。
 普段の穏やかな顔からは想像も出来なかった鷹通の剣幕に、シリンは一瞬身を強張らせる。
 「それならば、私が今夜の客です」
 鷹通は、驚くシリンの目を見据えて言った。
 「……何だい」
 怪訝な顔のシリンに、鷹通はもう一度言った。
 「ですから、今夜は私があなたを買うと言ったんです」
 鷹通は、シリンから目をそらそうともしない。
 シリンはしばらく、訝しげに目を細めて鷹通を見ていた。
 沈黙の後、彼女はゆっくりと口を開く。
 「…本当に妙な男だね」
 そして、大きくため息をついて言った。
 「まあいいさ、早いとこお客が見つかるに越したことはない。好きにしな」
 
 
 ―――――この感情は何なのだろう。
 自分の腕の中で切なげな吐息を吐きながら身を捩る女を、さらに高みへと押し上げるべく、鷹通は愛撫を続けていく。
 自分から唇を求めてくる女に応えて舌を絡め、唇を貪る。
 唇を離すと、軽くあいた女の口からは苦しげな息が漏れた。
 それを合図としたように、鷹通は女の中に自分を進めていく。
 「あっ…ぁあっ…」
 女の口から漏れる声に、鷹通の欲望が刺激される。
 もっと、彼女が欲しい。彼女を感じていたい。
 欲求のままに、さらに激しく女の体を求める。
 こんなに激しい感情が自分の中にあったことに、鷹通は驚いていた。
 確かにいつからか、彼女に惹かれていた。
 自分の感情の赴くままに行動し、それを後悔しない強さに圧倒された。自分にない輝きを持つ者だと思った。
 そして、その強さの中に隠されていた孤独に怯える彼女を知ったとき、その危うさに、彼女から目が離せなくなった。
 だが、彼女に対する気持ちがこんなに激しいものであったとは。
 出て行こうとする彼女を見たとき、自分の気持ちに歯止めが利かなくなった。彼女を屋敷に引き取っても、惹かれている相手なのに、向こうから誘いをかけてくるまで彼女に何をする気にもなれなかった自分を訝しんだくらいである。
 恋とは、もっと穏やかな気持ちで相手を思うことが出来るものだという気がしていた。
 ならば、自分のこの感情は何なのだろう。恋と呼ぶには激しく、かといって愛情というには何かが足りないような気がする。
 もしかしたら、自分も彼女が蔑んできた男たちと同じことをしているのかもしれない。
 シリンは、「傷つけたくない」などと言いながらも彼女を抱く自分を、軽蔑するかもしれない。
 だが、それでも構わない。
 こうすることで、彼女を自分に少しでも繋ぎとめることが出来るのなら。
 これは自分の自己満足に過ぎないのかもしれない。それでも、彼女が欲しい。
 たとえ、彼女が次の朝屋敷を出て行ったとしても、何度でも会いに行く。
 何度でも、彼女を買いに行く。だから。
 「……明日もあさっても、何度でも、あなたの客になります」
 自分の下で息を荒げている女の目を見つめながら、鷹通はつぶやいた。
 「あなたが、欲しい」
 
 
 体の奥に伝えられる熱に翻弄されながら、シリンは自分に重なっている男を見上げた。
 「何度でも、あなたの客になります」
 そうつぶやいた男の視線が、自分を射抜いてくる。
 ―――――また、あの目だ。
 一見して静かなようで、実は奥底に熱さを秘めた視線。
 八葉として自分と戦っていたとき、鷹通を誘った自分に「怖いのか」と尋ねたとき、そして、出て行こうとする自分を引き止めたとき。
 鷹通は、この眼差しを自分に向けてきた。
 その視線が求めているのは、服従でも支配でもないようだ。
 ただ、男が自分を見つめる眼差しは、不快なものではなかった。
 今まで見たことのない眼差し。では、この男が求めているのは何なのだろう?
 シリンは、目の前の男に興味を覚えた。
 そして男はつぶやく。
 「あなたが、欲しい」
 彼女は、男の目を見つめ返した。
 ―――――もしかしたら。
 もう少しこの男の側にいてみれば、分かるかもしれない。
 この男が何を求めているのか。そして、何故自分はこの男にだけ今までと違った反応をしてしまうのか。
 それが分かるまで、このお坊ちゃんに付き合っても良いかもしれない。
 ―――――まあ、いいさ。客がつくことにはかわりないんだ。
 そう、自分を納得させておく。
 そしてシリンは、言った。
 「……好きにしな」
 
 
 揺れる灯火の下、2人の体がもう一度ぴたりと重なり合う。
 もう一度、お互いの熱を求め合い、絡み合っていく。
 2人の吐く荒い息づかいが聞こえてきた頃、油の切れた明かり皿の火が大きく揺らめいて消えた。
 
 
 
 2000.12.24UP


何て言うか鷹通君、シリンちゃんにベタ惚れのようです(笑)

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