わたしの黒騎士様

エピソード2

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 【1】

 本日、従騎士達に与えられた仕事は大掃除。
 幾つかのグループに分かれ、建物内から周辺の庭に到るまで、敷地内を綺麗にしてまわる。
 近々、他国の貴賓が訪れるそうだ。
 塵一つ雑草一本たりとも見逃すなとの団長の命を受け、誰もが気合を入れてホウキを動かし、雑草を抜き、拭き掃除に勤しんでいる。
 わたしも雑巾と木製のバケツを持って動き、廊下の窓拭きをしていた。
 一応貴族のご令嬢だったので実家ではさせてもらえなかった掃除だけど、街ではよくやってた。
 広場に集まる仲間たちと、一人暮らしのお年寄りの家や、子沢山で手が足りない家などに行って、家事や子守のお手伝いを何度かしたことがある。
 ガラスを拭きながら思い出に浸って微笑する。
 みんな、元気でやってるかな。
 後で手紙を書こう。

「キャロル=フランクリン、手を休めてこちらに来てもらえるか?」

 フルネームで名を呼ばれて、振り向くと、ウォーレス団長が立っていた。
 十代から二十代の人間が多い騎士団内では、三十代半ばの団長は年長者の一人だ。
 融通の利かない頑固な人だと噂される通り、常に表情を険しく引き締めていて気真面目そうな印象を受ける。
 体格はがっしりしていて、身長も高い。
 剣技ももちろんだけど、拳を使った格闘戦でも名を知らしめたほどの猛者だ。団長になってからは公式な試合には出ていないから、その勇姿は噂でしかわからないけど、普段の物腰から想像はできる。
 その団長がわたしを呼んでいる。
 思い当たることはないけど、何か失敗したっけ?

 不安を抱きながら側までいくと、団長は自分の執務室までわたしを連れていった。
 そこで差し出されたのは、一通の大き目の封書。

「これを白騎士団の団長に渡してきてもらいたい。中身は定期的な連絡事項だが、必要な書類だ。確実に届けてくれ、頼んだぞ」

 命じられたのは、白騎士団へのお使い。
 お説教じゃなくて良かった。

「はい、確かにお預かりしました」

 封書を大事に小脇に抱え、一礼して退室する。
 途中でトニーとノエルを見かけたので、団長からお使いを頼まれたことを伝えようと声をかけた。

「白騎士団へのお使いか。どんな感じだったか、後で教えてね」

 トニーは目を輝かせて、未知の領域に踏み込むわたしを羨ましがった。

「気をつけていけよ。白騎士団の人達も悪い人じゃないとは思うけど、一応オレ達、競い合う敵同士なわけだし」

 心配顔でノエルが忠告をくれる。
 彼は面倒見のいいお兄さん的存在だ。
 年も上だし、トニーやわたしのことを何かと気にかけてくれている。

「うん、ありがとう。気をつけていくね」

 にっこり笑顔を向けたら、なぜか目を逸らされてしまった。
 ノエルは気まずそうに宙に視線を彷徨わせたかと思うと、いきなりわたしの方を向いた。

「掃除は俺達がやっとくよ。そのバケツと雑巾貸して」

 気まずさをごまかすみたいに、明るい声を出して、ノエルはわたしからバケツを受け取り、トニーの腕を引っ張った。

「ほら、トニー。さぼってる時間はないぞ!」
「うわっ、ちょっとノエル! 何だよ、急に!」

 小柄なトニーが引きずられていく。
 最近のノエルはちょっと変。
 和やかに話していたかと思えば、さっきみたいに不自然に視線を逸らす。
 それも、わたしに対してだけ。
 嫌われているわけではないみたいだけど、気になるな。




 預かった封書を持って、黒騎士団と白騎士団の敷地を仕切る通用門を越えると、手入れの行き届いた庭園が見えてきた。
 白騎士団には貴族の子弟が多く所属している。
 騎士団は完全実力主義の世界だから、立身出世を望む男性達にチャンスを与える場でもある。
 そのため、どちらの騎士団も、貴族、平民にこだわらずに入団を受け入れているが、自然に白騎士団は貴族が多く、黒騎士団は庶民が多くなっていったらしい。
 貴族の騎士団員の影響かどうかはわからないけど、敷地内には優雅な雰囲気が漂っていた。遠目に見えた庭園には天幕が張ってあり、お茶会が行われているようだ。
 馴染みがないわけじゃないけど、苦手意識が湧いてくる。
 上流階級の人達を見ると、嫌な過去を思い出してしまうから。
 早くお使いをすませて帰ろう。

 建物は左右対称だから、団長のいる執務室はこっちかな。
 黒騎士団の敷地内の配置を思い浮かべて見当をつける。
 だけど、内装が違うためか、わたしはしっかり迷ってしまった。

「どうしよう、この建物じゃなかったのかな?」

 廊下を行ったり来たりして人を探す。
 こんな時に限って誰も通らない。
 先ほど見かけた天幕のことを思い出し、いっそ庭園まで戻ろうかと考えた。

「君、どうしたの?」

 後ろから声をかけられて振り向くと、白の制服を着た男性がこちらに近づいてくることに気づいた。
 階級章の星は四つ、一級騎士だ。
 プラチナブロンドの長い髪を背中で一くくりに束ねていて、瞳は綺麗な青。表情は穏やかで、警戒心を緩めてしまいそうな安心感を抱いた。
 彼は歩み寄ってくると、わたしの顔を覗き込んだ。
 そのまま彼の目線は下へと動き、階級章を確認している。

「階級章は一つ星か。黒騎士団の従騎士さんだね。何か御用を言付かって来たのかな?」

 子供をあやすような口調に、ちょっとムッとする。
 でも、相手は一級騎士だし、ここは我慢。

「こちらの団長殿にお届け物があるんです。それで執務室を探しているんですが、初めて来たもので迷ってしまって……」

 この人、背が高い。
 レオンと同じぐらいありそう。
 小柄なわたしは見上げないと目が合わない。

「そうか。団長の執務室まで案内してあげるから、ついておいで」

 手招きする彼に安堵して、後ろをついて歩く。
 意外に親切な人だ。
 嫌味な人かと悪印象を持ったけど、悪い人じゃないのかも。

「自己紹介がまだだったね。私はアーサー=メイスンだ。これでも一級騎士だし、名前ぐらいなら知ってるかな?」
「あ、はい。前回の馬上槍試合に出ていらっしゃいましたよね」

 この人だったんだ。
 レオンの宿命のライバルと言われている、白騎士団最強の騎士。

「出たと言っても負けてしまったので、自慢できないのが残念だ。レオンは強い、年々腕を上げてきている。まあ、彼には私に負けられない理由があるからね」

 アーサー=メイスンはくすくすと笑い声を立てて、口元を押さえた。
 レオンのことを話す彼の表情は温かく、まるで親しい友人の話をしているみたい。
 ライバルだと認めている相手だからなのかな。
 少なくとも彼からは敵意の類は感じられない。

「さて、今度は君の名前を教えてくれるかな?」
「キャロル=フランクリンです」

 打ち解けた空気を感じていたわたしは、抵抗なく自分の名前を口にしていた。

「キャロルか、かわいい名前だ。私のことはアーサーと呼んでくれ。我々は競い合う仲ではあるが、共に国を守る騎士でもあるんだ」
「はい」

 わたしはすっかりアーサー様に気を許してしまっていた。
 それが間違いだったことに気づいたのは、帰る間際のことだった。




 白騎士団団長アドルフ=クラウザー様に、団長から預かってきた封書を無事に渡すことができた。
 クラウザー様から返書を受け取り、戻ってこれを団長に渡せば仕事は終わりだ。
 執務室から廊下に出ると、アーサー様が待っていてくれた。

「用事は済んだ? ついでだから通用門まで送るよ」

 また迷ってしまいそうだったし、正直言って助かった。
 アーサー様と並んで歩く。
 彼は歩調を合わせてくれて、ドアがあればいち早く手を伸ばして開け、わたしを先に通してくれた。
 その行動が男性が女性をエスコートする時の仕草であることに、どうして気づかなかったんだろうか。
 この時のわたしは、女性として扱われていることに違和感を抱かず、良い人だと好感を抱いていた。

 庭に出て通用門が見えてきたので立ち止まり、アーサー様へお礼の意味で頭を下げた。

「親切にしていただいて、ありがとうございます。本当に助かりました」
「いやいや、君の役に立ったなら嬉しい。だけど、このまま別れるのは寂しいことだ」

 アーサー様はわたしの手を取ると、自分の方に引っ張り寄せた。
 驚く間もなく、彼の腕の中に囚われてしまう。
 腰を抱かれて顔が急接近。
 顎に指が添えられて、上を向かされた。

 何?
 何が起こっているの?

「一目見た時から心を奪われたんだ。天から舞い降りた美しく愛らしい天使に」

 天使ってどこにいるの?
 思わず目を凝らして、天使の姿を探す。
 光の輪を頭に乗せて、白い翼を羽ばたかせる、綺麗な天使を。
 でも、わたしには見えない。

「天使なんていないじゃないですか?」
「ここにいるじゃないか。私の目の前に」

 え?
 目の前にって……。

 アーサー様が見ているのは、わたし。
 か、からかわれた!
 彼はおかしそうに笑っている。

「そういう冗談は面白くないです! からかわないでください!」

 離れようと、彼の体を押しのける。

「悪かった。でもね、からかったわけじゃない。君は綺麗だよ、心を奪われたのも本当だ」

 微笑みに真剣さを覗かせて、彼は甘く囁いた。

「恋は突然訪れる。甘く切なく、時に人を不幸にし、幸福をもたらしてくれる。私は君との出会いに運命を感じたんだ」

 頭の中が混乱している。
 恋? 運命?
 この人、何を言ってるの?

「キャロルはかわいいな。これから楽しくなりそうだ」

 ニコニコ笑って、アーサー様が顔を寄せてくる。
 頬に何か触った。
 それが唇だと認識した瞬間、アーサー様を突き飛ばしていた。
 身を翻して、通用門を越える。
 突き飛ばした彼がどうなったかなんて、考えられなかった。
 頬にキスされたことがショックで、声を張り上げていた。

「う……、うわああああんっ!」

 レオン以外の男の人にキスされた。
 気持ち悪くて、吐きそうになる。

 井戸まで走って、水を汲む。
 顔を洗った。
 触れられた頬はすり切れるかと思うほど執拗に洗う。
 感触が消えない。
 アーサー様は冗談でやったのかもしれないけど、嫌悪感が全身を突き抜け、何かに追い立てられているみたいに落ち着かない。

「キャロル!? 何やってるんだ!」

 木製のバケツが転がる音がした。
 誰かが駆け寄ってきて、肩を掴まれる。
 強引に振り向かされて、その人を見たらノエルだった。
 彼は驚いた顔で、わたしの濡れた頬に触れた。

「顔を洗ってるにしては、様子がおかしかったぞ。使いはどうした? 何があった?」

 そうだ。
 わたし、お使いに行ってたんだ。
 返書は近くに落ちていた。
 濡れてはいない、良かった。

 何があったって聞かれても答えられない。
 あんなこと、言えないよ。

 キスされたことが悔しくて、仲良くなれたと思ったのに裏切られたみたいで悲しくて、レオンに知られて嫌われるのが怖くて、色んな感情がまぜこぜになって涙となって流れ落ちる。

「な、泣くなよ。そんな顔されたら、オレ……」

 ノエルは空を見上げると、何かを堪えるように唸り声を発した。
 そして、わたしに向き直ると腕を伸ばしてきた。
 我にかえった時には、ノエルの胸に顔を押し付ける形で抱きしめられていた。

「言いたくないなら言わなくていい、落ち着くまで待ってる。その……、オレ達、同期で仲間だろ? つらい時は遠慮なく頼ってくれ」
「うん、ありがとう」

 頭を撫でてもらっていると、次第に落ち着いてきた。
 ずっと昔、まだ比較も何もされず、両親に好きなだけ甘えていた頃を思い出した。
 お父さんは言いすぎだけど、ノエルは良いお兄さんだね。
 レオンに抱く安心感とはちょっと違うけど、温かい居心地の良さを感じた。

「もう大丈夫。ちょっと嫌なことがあっただけだよ。心配させてごめん」
「そうか? それならいいけど……」

 彼と離れて、落としていた返書を拾う。
 気持ち悪かった頬の感触は薄れていた。
 まだ完全に忘れたわけじゃないけど、取り乱すほどでもない。
 ノエルのおかげで気が紛れたみたい。

「これを団長に届けたら、お使いは終わりなんだ。急いで行ってくる」

 笑顔を作ったわたしに、ノエルは苦笑の混じる微笑みを返してくれた。

「ああ。掃除は終わったから、次は訓練の時間だ。先に行ってるぞ」
「うん!」

 返書を抱えて駆け出した。
 おかしなことで時間を取られてしまった。
 アーサー様のせいだ。
 もう、あの人とは関わらないことにしよう。

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