わたしの黒騎士様

好意の理由

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 【1】

 最近、自分に注がれる視線に気づいた。
 意識をそちらに向けると、いつもあの人がいる。
 始めは偶然だと思っていた。
 でも、それが気のせいではないことにボクは気づいてしまった。




「あ、姫様だ」

 キャロルが声を上げたので、つられてボクもそちらを見る。
 ボクらが修練に励んでいる姿をエミリア姫が見学していた。
 姫様はよく騎士団に立ち寄る。従騎士の稽古を見学して、上級騎士達と話をして帰るのだ。

 姫様には、大抵マーカス様が護衛についている。
 彼が休みの日は他の近衛騎士が護衛をしているけど、姫様を守るのはあの人の役目になっているみたいだ。
 それだけお気に入りなんだろう。
 一級騎士のマーカス様は、その実力の片鱗を間近で見たこともあり、相当な剣の腕を持っていることはわかる。
 でも同じ条件なら、愛想のいい人間の方を選んでしまうのが人情ではないだろうか? 失礼な話であることを承知で言うと、マーカス様のどこを気に入って姫様が傍に置いているのかがボクにはわからない。
 無口で無表情、容姿も悪くはないけど、見目麗しいとまではいかない。表情がないせいで怖いぐらいだ。
 口から生まれたと言われるほどお喋り好きなボクとは正反対の人。
 だから、ボクは少しだけマーカス様が苦手だった。
 それなのに……。




 足腰を鍛えるための走りこみ。
 笛の合図が聞こえると、全力でダッシュした。
 走るのは好き。
 体を動かすことは得意だ。
 ボクはそれで糧を得て生きてきたから。

 何十本と走り、さすがに息が切れてきた頃、またあの視線に気がついた。
 姫様の背後にいるあの人が、じっとボクを見ていた。
 睨まれているのかと思ったけど、表情からは何の感情も読み取れない。
 何なんだろう?
 ボクに言いたいことがあるのかな?

 だけど、相手は一級騎士。
 おまけに王族の護衛を勤める近衛騎士。
 元黒騎士団の先輩とはいえ、こちらから気軽に声をかけられるわけもなく、今日ももやもやした気持ちを抱えて視線を逸らす。

 訓練が終わる頃には、姫様はいなくなっていた。
 あの人も一緒に。
 ホッとしたけど、また同じことがあるかもしれないと思うと憂鬱になった。




 今日も修練と雑用に明け暮れる日常が続く。
 掃除が終わり、休憩時間になると、ボクは体を解して逆立ちをした。片手を横に向け、腕一本での倒立も危なげなくこなせた。
 うん、勘は鈍ってない。

 脚を地に戻して立ち上がると、今度は飛び上がって宙で一回転。
 これも着地を見事に決めた。

「おい、トニー。またやってるのか?」
「すごいね、まるで羽根が生えてるみたい」

 ノエルとキャロルが呆れながらも拍手をくれる。
 嬉しくなって笑った。

「動いておかないと忘れちゃいそうでね。この身のこなしがボクの特技だもん」

 サーカスの一座で鍛えたこの身のこなしは、騎士団でも役に立ってると思う。
 騎士団の面子は力技で押すタイプの人が多いけど、ボクは速さと技を駆使して戦う方法を模索している。
 成長期でもあるし、体はもう少し大きくなるかと期待しているけど、この小柄な体はハンデだな。
 それでもキャロルだって似たような条件だし、悲観する必要はない。
 ボクの得意なものを活かして実力に結び付けていけばいいんだ。

「ん? あそこにいるの、マーカス様じゃないか?」

 ノエルが気づいて声を出す。
 ボクが振り向くと、私服姿のマーカス様がいた。
 こっちを見ている。
 清潔感のある白いシャツを着て、ズボンも濃茶の普通のものだ。
 今日はお休みなんだ。
 通りすがり、だよね。
 うん、そうに違いない。

 ボクらが会釈すると、マーカス様は頷くような仕草をした。
 気づいたことを知らせているのかな?
 そして彼は執務用の棟を目指して歩いていった。

「団長かグレン様に御用なのかな? お休みなのにお忙しそうだね」
「うん」

 キャロルの言葉に同意しながらも、ボクの中で彼に抱く不安の影が大きくなった。




 彼に対して本格的に危機感を抱いたのは、始めての接触を果たしてからだった。

「トニー、危ないって! 降りて来い!」

 下でノエルが怒鳴っている。
 もう、心配性だな。
 せっかく気持ちよく昼寝してたのに。

 ボクは寮の側にある一本の大木に登り、幹に背中を預け、枝に脚を掛けて居眠りをしていた。
 枝は太く、ボクの体重をかけたって折れやしない。
 問題はバランスだけど、これも平気。
 落っこちるなんてドジは踏まない。
 木の上は涼しくて、昼寝には最適なんだよね。
 ノエルに見つかるとやめとけってうるさいから内緒でしてたんだけど、とうとう見つかってしまった。
 さて、そろそろ下りるか。
 これ以上、お説教の種を増やさないように。

 下りようと体勢を変えた時だった。

「マーカス様、どうしてここに?」

 ノエルの声が、別の方向を向いた。
 マーカス様?
 なんであの人がこんなところに?

 びっくりして、バランスが崩れた。
 ぐらりと視界が揺れて、体が下に持っていかれる。
 まずい。

 咄嗟に頭を庇う。
 次に襲ってくるであろう衝撃を覚悟して目を瞑った瞬間、ボクの体は逞しい腕で受け止められていた。
 え?
 誰?

 抱えられた状態できょとんとしていると、顔を覗きこまれる。
 凍りついたように動かない無表情が、ボクの正面に現れた。

「わ、わあっ!」

 驚きすぎて声を上げた。

 マーカス様はボクを見つめた後、「ケガはないな」とぼそりと呟いた。
 そのままゆっくり下ろされて、ボクは半ば呆然としながら地面の上に立った。

「ありがとうございます。ほら、トニーも!」

 ノエルにぐっと頭を押さえられて、止まっていた思考が動き始める。

 助けられたんだ。
 お礼言わなくちゃ。

「あ、ありがとうございました!」

 混乱した頭を整理して、何とか声を張り上げる。
 マーカス様は無言でボクらを見ていたけど、いきなり手を伸ばしてきた。

 え?

 頭に手を置かれて撫でられる。
 な、なんか、これって……、何?

 ノエルも戸惑っているみたいで、声を出すことも忘れて傍観している。
 マーカス様はボクの頭を執拗に撫で回すと、満足したのか離れた。

 そのまま何も言わずに去っていく彼の背中を、ボクとノエルはあ然として見送ってしまった。




「ねえ、昼間のあれ、何だと思う?」

 マーカス様の謎の行動に怯えるボクは、夕食を終えて自室に戻るなり、ノエルに相談した。

「さあ……。でも、悪意はないと思う。しいて言うなら気に入られてるんじゃないのか?」
「無言で頭撫でてくるんだよ? 好意なら口でも言ってくれないと困るよ! 怖いじゃないか!」
「怖がるなよ。あの人、良い人だと思うよ。多分だけど……」

 彼が良い人だっていうのには、ボクも異論はない。だけど、意図がわからないから怖いんだ。
 まさか、なんだけど、もしも向けられている好意が後輩に対するものじゃなかったとしたら?
 考え過ぎだと思いたい。
 ボクは女の子が好きなんだ。
 男の人に恋愛感情をもたれても困るんだよぉ。




 雨続きのある日、ボクは風邪を引いてダウンした。
 熱も上がり、体を動かすこともつらいほどで、朝から部屋で寝ていた。
 時々、ノエルとキャロルが様子を見にきてくれたけど、彼らも自分の用事があるから付きっ切りと言うわけにもいかない。
 それにうつるかもしれないしね。

 スープを夕食にもらって薬を飲み、再びうつうつ眠っている間に、就寝時間になっていたようだ。
 人の気配がしている。
 ノエルと他に何人かの気配を感じた。

「……じゃあ、お願いします」

 ノエルの声が聞こえた。誰かと話しているみたい。
 相手の人の声は聞こえなかった。

 ドアが閉まる。
 誰が出て行ったんだろう?
 さっきの口ぶりだと、ノエルだろうか。

 額に手が置かれた。
 程よい冷たさで気持ちいい。
 人肌って安心するな。
 心細く感じていた気持ちが解れて、閉じた目に、涙がじわりと浮かんだ。

 手が離れたかと思ったら、椅子が動く音がして、大きな気配が近くにくる。
 水音がして、濡れタオルが額に乗せられた。
 すぐそばに温かい気配がある。
 それだけでボクは安堵して、深い眠りに落ちていった。




 目を覚ました時に部屋にいたのはノエルだった。
 ベッドの上で体を起こして座ると、彼は朝食を乗せたトレイを運んできてくれて、ボクの前に置いた。

「ありがとう、昨夜は面倒かけてごめん」
「いや、オレは何もしてないよ。気にするな」
「でも、一晩中ついててくれたんだろ?」

 ボクがそう言うと、ノエルは困った顔をした。

「あー、それはオレじゃないんだ」

 バツが悪そうに頭を掻いて、彼はボクをちらっと見た。

「マーカス様だよ。昨夜、グレン様と一緒に見舞いに来てくださってさ。一晩ついてるって言われて、オレは隣のキャロルのベッドを借りて寝て、明け方に看病を交代した」
「え?」

 何で?
 どうして?

 ぽかんと口を開けて固まっていると、ノエルは心配そうな顔でボクの目の前で手を振った。

「大丈夫か? オレもびっくりしたんだけど、冗談でもなさそうだったんで任せてしまった。グレン様もマーカス様は面倒見がいいからって言われるし、せっかくの申し出だから頼んだんだ」

 面倒見がいいって言っても、ボクとあの人には接点なんて何もない。
 徹夜で看病なんてありえない。

「元気になったらお礼言っとけよ。お前のことすごく心配していたように見えたから」

 ノエルの言葉を疑う気にはなれなかった。
 理由はどうであれ、あの人はボクに親切にしてくれた。
 お礼が言いたい。
 それから、少しあの人のことを知りたいとも思った。




 数日後、回復したボクはマーカス様がお休みと聞いて、王宮にある近衛騎士の寮を訪ねた。
 陛下や姫のおられる宮殿の側に建てられた寮は、しっかりした造りの二階建ての邸宅だ。
 近衛騎士は全員が一級騎士で、従騎士はいないから、彼らの身の回りの世話は専属のメイドさんがやっている。

 寮の清掃をしていたメイドさんに、取次ぎを頼んだ。
 彼女は意外そうな顔をしてボクを見たけど、すぐに笑顔になって呼びに行ってくれた。
 同期の一級騎士以外の訪問は珍しいのだろうか。
 格調高い家具や絵画などの装飾品が置かれたエントランスをぼんやり眺めながら、そんなことを考えていた。

 しばらくして、マーカス様が姿を見せた。
 彼が言葉を発することはない。
 ボクは頭を下げて、用件を切り出した。

「先日はありがとうございました。おかげでこの通り元気になりました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 一気に喋って顔を上げる。
 すると、マーカス様がボクを見つめていた。
 表情で感情がわからないって不便だな。
 これ以上の長居は迷惑かもしれない。
 そう思って、帰ることにした。

「えっと、これ、よろしければどうぞ」

 手土産に持参してきたワインを差し出した。
 マーカス様が受け取ったのを確認して、もう一度頭を下げた。

「じゃあ、ボクこれで。失礼しました」

 くるっと背中を向けて立ち去りかけ、腕を掴まれた。
 後ろにひっくり返りそうになったけど、何とか堪えて振り返る。

「な、何か?」
「時間はあるか?」

 マーカス様の唐突な質問に、ボクはすぐに答えられなかった。
 えっと、時間はある……な。
 今日も休暇をもらっているけど、他に予定はない。

 頷くと、マーカス様はボクの腕を離した。

「ここで待っていろ」

 彼はワインを持って自室に消え、すぐに出てきた。
 手には皮袋を持っている。
 中身はなんだろう?

「行くぞ」
「は、はい!」

 急いで後を追いかける。
 マーカス様は振り返ることなく先へと進む。
 後ろを見なくても、ついてきているかどうかは気配でわかるんだろう。
 ボクが遅れそうになると、彼の足も遅くなる。
 気配りの上手な人だ。

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