お嬢様のわんこ

第二章・わんこ、お嬢様への愛を叫ぶ

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 【16】

 城での生活に馴染み、自他ともに認めるほど王子様が板についてきた。
 恰好は整ったとはいえ、今まで王家とは無縁の生活を送っていたわけだから、社交の場には頻繁に出なければならず、近隣諸国との外交にも次代の王になるならばと引っ張りだされていた。
 今回も外交のために、友好国のリオン王国にやってきた。
 リュミエールと一緒に来られれば良かったのだが、お腹に子が宿った彼女に長旅は無理だった。
 寂しいが仕方がない。
 滞在期間の一週間を耐えて、帰ったらたくさん甘えよう。
 国賓として招かれているので、滞在場所は王城近くに建てられた離宮だ。
 今夜は俺達を歓迎する夜会が、この離宮で開かれている。
 惜しげもなく大量に設置された蝋燭が会場を煌々と照らし、贅を尽くした料理が並べられ、招かれた各国の王族や貴族が続々と入場してくる。
 招待客が揃った頃合いを見計らい、リオン王が俺のことを盟友の息子でロー王国の王太子だと紹介して、親睦を深める宴が始まった。

 会場である大広間を歩きまわり、顔も名前も覚えられないほどの人数と挨拶を交わした。
 後ろに控えている補佐役の文官が必要な情報を代わりに記憶していて、会話に詰まりそうになると助け舟を出してくれる。
 他国の王族も補佐役の従者を引き連れているので、この件で侮られるということはなく安堵した。
 広間の一角に楽師や吟遊詩人が待機していて、交代で場を盛り上げる音色や歌声を披露していた。
 この時、流れ始めたのは、吟遊詩人が奏でる俺とリュミールの馴れ初めである『王子と少女の恋物語』だった。
 周囲が若干静かになり、主に女性達が耳を傾けている。
 冒頭の俺が攫われる辺りで、涙ぐんでいる人までいた。ここで泣いていたら、この後も泣きっぱなしになりそうだぞ。
 この話がロー王国で流行している物語で、王太子の身に起こった出来事を題材にした話だと、あちこちで囁きが交わされている。
 二十年間、俺が行方不明だったことは近隣諸国も知っていることだし、帰ってきた経緯をいちいち説明するのも面倒くさいので、詩人に物語を歌わせることで大体の事情を察してもらおうと、リオン王に頼んでこの歌を詩人の演目に加えてもらった。
 場面が進むにつれて、話声が少なくなっていく。
 しまいには、誰もが聞き入ってしまい、会場に響くのは詩人の歌声だけになった。
 少女が命を落とす場面になると、女性達から悲嘆の声が上がり、獣人として復活し、共に城へと帰る結末に拍手喝采が沸き起こった。
 これは本当にあった出来事なのかと質問されたりもしたが、事実を元にして脚色も多く含まれています、と濁しておいた。

 歌のおかげで、再び話題の中心に戻されたものの、すぐに人も散り、個別に会話を交わしていく。
 次の相手は、人族の中年男性だった。

「今宵はお招き頂き、ありがとうございました。私はグラス王国の外交官を務めております、カルムと申します」

 懐かしい国の名を聞いて、相手を観察する。
 カルムと名乗った男は子爵の位を持っていて、王に任命されて外交の使者としてやってきたそうだ。
 グラス王国は獣人の国々とは交流をしていないので、言い方は悪いが様子見に中堅クラスの人材を派遣してきたといった所だろうか。

「こちらは私の妻です。オレリア、ご挨拶を」

 カルム子爵の後ろに控えていた女が、俯きがちに進み出てくる。
 子爵よりも一回りは若い、美しい女だ。
 オレリアという名に、俺は聞き覚えがあった。
 まさか、こんな所で会おうとは。
 相手も同じ気持ちだったらしく、顔色は悪く、驚愕と怯えの感情が混ざった眼差しでこちらを見ていた。
 挨拶をと夫に促されても、一向に口を開かない子爵夫人。
 俺に対して、何を言っていいのかわからないのだろう。
 この場で立場が上なのは、明らかに俺の方。
 どんな態度を取ろうとも、機嫌を損ねるのではないかと怯えているに違いない。
 助けてやる必要など感じないが、俺には旦那様への恩義がある。
 不承不承、社交用の笑顔を張り付けて、夫人へと声をかけた。

「お久しぶりです、奥様。いいえ、今は子爵夫人とお呼びすべきですね」

 カルム子爵の夫人、オレリア。
 彼女はリュミエールの母親だ。
 旦那様――夫ローランの死後、娘を無一文で放り出し、全財産を持って実家に帰ったはずが、迎えに来た男ではなく、別の男の妻となっている辺り、金が尽きた途端、再び売りに出されたか。
 相変わらず、この世の不幸を一身に背負ったような辛気臭い顔をしている。
 挨拶だけをして、後は無視すればいい。
 それでいいはずなのに、お屋敷にいた頃の旦那様とお嬢様のことを思い出すと、このままにして帰るわけにはいかない気がした。




 懐かしい人に会ったので、少し二人だけで話したいとオレリアをテラスへと誘った。
 テラスには俺達以外の者はおらず、閉めたガラス戸の向こうに俺の護衛やカルム子爵がいて、時々ちらちらとこちらの様子を窺っていた。

「奴隷を買ったら王子様だったなんて、世の中には信じられないこともあるものね。それで、あの子は今や狼族のお姫様というわけね。どんな魔法を使ったにせよ、人が獣人になるなんて到底信じられませんけど」

 俺しかいない場で今更取り繕うのは無意味とばかりに、オレリアは投げやりな態度で言った。
 先ほどの歌の内容を聞けば、お屋敷から追い出された後の俺達がどうなったのか、大体のことはわかっただろう。
 人が獣人になるなんて前例がないので、そこは真実なのに脚色かと疑われる箇所ではある。

「私はね、初めの頃はあなたに少しばかり同情していたのよ。お金で買われた、可哀想な境遇の同士だと。ところがあなたは簡単にリュミエールに尻尾を振った。庇護を得るためにみっともなく媚びる姿を見て、所詮は奴隷かと蔑んだわ」

 オレリアは遠くを見る眼差しで、過去を振り返っている。
 あの頃、言葉を交わしたことはなかったが、姿を見かける度に蔑んだ目を向けられれば、どのような感情を持たれているのかは俺も理解していた。
 お屋敷の中にいる、唯一の敵。
 俺にとって、この女はそういう存在だった。

「多額のお金と引き換えに、恋人と引き裂かれ、悪徳商人に売られた可哀想な少女。あの頃の私は、それが真実だと思っていた。家族に、恋人に愛されていた。その幸せを壊したのは、あの男。ずっとそうだと信じていたのに……」

 二度までも裏切られては、さすがに目が覚めたようだ。
 あの恋人とやらには愛人が大勢いたようだし、金がなくなればそれまでの縁だ。
 実家の連中には商才はなく、誰かの援助なしに荘園を経営するのは無理だった。金のなくなった出戻り女を養う余裕があるはずもなく、こいつの容姿が衰える前に実家にも援助をしてくれそうな裕福な求婚者を見つけるために奔走したことだろう。

「ローランは私に綺麗なものしか見せなかった。自分が悪者になっても、娘が嫌われようとも、私の心が傷つかないように醜いものから遠ざけて、愚かな少女が住んでいた夢の世界を守り通したのよ。馬鹿な人、そんなことをして何の得になったっていうの。結局、私はまた売られた。愛する家族や恋人の方がまやかしだったのよ。彼らにとって、私は金の卵を産む鶏でしかなかった。年を経て、容色が衰えれば、唯一の価値も消える、そうなったらも誰も私など必要ないと言うでしょう。恋人だと思っていた人は、私にお金がなくなった途端、妻がいると言ったのよ。私の再婚話を聞いて『次にまた旦那が死んで財産が入ってきたら迎えに行くよ』ですって、もう何も信じられない。私を愛してくれる人なんてどこにもいないんだわ」

 真実を知っても、この女は何も変わらなかったのだろうか。
 常に自分を悲劇の主役に据えて、現実から目を背け、周囲を恨むばかりの愚かな女。
 旦那様は俺を救い、お嬢様に逢わせてくれた恩人で、父親同然に慕っていた人だ。
 あの人は望まないだろうが、俺は我慢がならなかった。
 こいつはどれだけ自分が恵まれていたのか、あの時何を捨てたのか、きちんと知るべきなんだ。

「たとえ旦那様が真実を告げたとしても、あんたは信じなかっただろう。幾らでも、現実を見る機会はあった。目を閉じて、耳を塞いで、拒絶し続けたのはあんただ。今している後悔は旦那様のせいじゃない、自業自得だ」

 オレリアは淀んだ目を俺に向けた。
 怒りも恨みも嘆きも何もない、全てを諦めきった目をしていた。

「旦那様はあんたを愛していた。あんたと結婚したのは、初めて恋をした女が身内に売り払われ、使い捨てられるのを見過ごすことができなかったからだ。あの人は自分の幸せよりも、あんたの心を守ることを選んだ。真実がわかったからといって、今更やり直すことはできない。ただ、少しでも旦那様に向ける感情が変わったというのなら、自分を大事にしろ。あんたがあの人に返せるものがあるとすれば、心から笑い、幸せだと思える人生を送ることだけだ」

 濁った瞳に微かに光が戻る。
 俺の言葉が意外だったのか、驚いているようだ。

「私に幸せになれというの? あなたが? あなたの愛するリュミエールを無慈悲に捨てた私を?」
「俺は昔も今もあんたが嫌いだ。だけど、仕方がないだろう、俺のお嬢様はどんなに酷い母親だろうと不幸になることを望まない、旦那様もお嬢様もお人好し過ぎるんだ。俺は二人が好きだから、代わりに忠告してやっているだけだ」

 ガラス扉の向こうで、カルム子爵が心配そうにこちらを向いている姿が見えた。
 本当に、この女は運が良い。

「あんたは恵まれている。悲劇のヒロインを気取っていないでしっかりと周りを見ろよ、少なくともあんたの亭主になった人はどちらも人を愛せる立派な男だ」

 オレリアがハッとした様子で、室内に目を向けて夫の姿を見つけた。
 子爵は特別美男子でもない、どこにでもいる中年男だ。
 自分が愛されてはいないと悟っているはずだろうに、昔の旦那様と同じように優しい目で妻を見守っている。
 ずっと隣にいるならば、日常の何気ないやりとりでも、愛されていることを実感できるだろう。
 言いたいことは全て告げた。
 この後、どうするのかはこいつ次第だ。

 室内に続く扉を開けかけた時、オレリアが声を上げた。

「待って! リュミエールは、あの子は本当にあの歌の通りに……」
「本当だよ、リュミエールは黒狼族の姫になった。あんたの娘は、もうどこにもいない」

 娘を捨てたことも後悔しているんだろうか。
 そうだといい。
 お嬢様が悲しんだ分だけ苦しめばいいと、俺の中の闇の部分が毒づく。

「そう、そうね……。母親であることを拒否した私には、今更何を言う資格もないわね……」

 打ちひしがれた声に溜飲が下がり、続いて何とも言えない後味の悪さを感じた。
 俺はうまくできたかな。
 これで旦那様とお嬢様が味わった悲しみが、少しでも報われればいいと思う。

「あんたのことは一生好きになれないだろうけど、感謝はしている。あんたが娘を愛する母親だったら、お嬢様は犬を飼いたいなんて言いださなかっただろうからな」

 扉を開けて、室内に戻る。
 待ちかねていた子爵が会釈して、テラスへと出ていった。

 帰ったら、お嬢様にどう話そう。
 自分を殺した男さえ許すような人だから、愚かな母親の目が覚めて良い伴侶に巡り会えたと知ったら、多分喜んで祝福するんだろうな。

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