束縛

冬樹サイド

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 【1】

 物心がついた時から、オレ達は一緒にいた。
 互いに一人っ子、近所にも年の近い子供はいない。
 だから、いつも二人で遊んでいた。

「冬樹、春香ちゃんが来たよ」

 母さんに呼ばれて、玄関に走る。
 今日は幼稚園のない祭日だ。
 隣の家に住む春香が、母親と一緒にうちに来た。

「冬樹くん、春香と遊んであげてね」
「ふゆきくーん、あそぼ」

 オレと春香をリビングで遊ばせながら、母さん達は台所で料理を始めた。
 隣同士で子供の年も近いことから、何かと助け合っている。子守をしながらの家事だって、二人なら目が届くということだったのだろう。
 オレと春香は四ヶ月違いながら、オレが十二月、春香が四月生まれだから、幼稚園に行くのもオレが一年早かった。
 何で一緒に行けないのと、オレの入園式の日に、二人して泣いて親を困らせた。
 小学校に入る時も、オレが先。
 幼稚園は一年しか一緒に通えない。
 小学校に入れば、もっと長く一緒に通えるといわれたけど、オレはいつでも春香といたかった。
 誰が一番好きって聞かれたら、迷わず「はるちゃん」と答えるほど、彼女が好きだった。

「はるちゃん、ビデオ見よう」

 オレは録画してもらった大好きな幼児番組を春香と一緒に見ようと、テレビとビデオの電源を入れた。
 操作は親がやっているのを見て、完璧に覚えている。
 リモコンを操り、デッキにセットされていたビデオを再生し始める。
 しばらくして画面に映ったのは、歌のお兄さんとお姉さんやかわいい着ぐるみではなくて、裸の男女だった。
 男女はベッドの上で抱き合って横になり、はあはあ荒い息をつきながら、濃厚なキスを何度も交わしていた。二人の下半身の辺りは常にぼやけていて、テレビが壊れたのかと思った。

『あん……、ああんっ!』

 スピーカーから聞こえてくる、女の大仰な喘ぎ声。
 オレと春香は、ぽかんとそれを見つめていた。
 キスをしているのはわかる。
 だが、なぜ彼らが裸なのか、オレにはわからなかった。

「あんた達、何見てるの!」

 母さんが悲鳴を上げて飛んできた。
 勢いよく停止ボタンを押して、テープを取り出す。
 代わりに、別のテープを入れて再生した。
 ぱっと切り替わった画面の中では、何事もなかったかのごとく、お兄さんとお姉さんが子供達をリードして賑やかに童謡を歌っていた。
 春香はすぐに興味をそっちに移して、彼らと一緒に歌い始めた。
 だがオレは母さん……というか、取り出されたテープの方が気になった。
 青い顔をした母さんは、テープを抱えて、よろよろと階段を上っていった。

 しばらくして戻って来た母さんが、台所で春香の母さんに謝っている声が聞こえた。
 おばさんはケラケラ笑いながら、わかってないから大丈夫とか何とか言っていた。
 確かに意味不明なビデオだった。
 だが、あの男女のキスシーンだけは、五歳児だったオレの脳裏に深く刻み込まれていたのだ。




 その晩、夜中に目が覚めると、父さんが母さんに怒られていた。
 階下のリビングから、母さんの怒鳴り声と、父さんの許しを請う声が聞こえてくる。
 どうやらあの変なビデオは、父さんがリビングのデッキに入れて忘れていたらしい。

「あなた! 子供の目につくところには置くなってあれほど言っておいたでしょう!」
「申し訳ありません、冬子さん!」

 ばしいっと、何か痛そうな音がした。
 父さんが叩かれているようだ。
 オレを怒る時、絶対に手を上げたりしない母さんが、父さんを殴っている?

 気になって覗きに行った。
 こそっとドアの隙間から中の様子を覗くと、母さんが皮でできた真っ黒な下着姿で、さらに足には網タイツと黒いロングブーツを履き、これまた黒の帽子を被り、ムチを握り締めているのが見えた。
 父さんはトランクスのパンツ一枚で、母さんの足下に土下座してひれ伏していた。

「おかげで桜沢さんの前で大恥を掻いたじゃない! この役立たずの下僕! 出来の悪い坊やには、どんなお仕置きをしてあげようかしら?」
「ああ、冬子様。どうかこの下僕めの体に、あなたの愛のムチをください!」
「このムチが欲しいの? 本当にお前は変態ね!」

 母さんのムチが床を叩く。
 さっきの音はこれだったのか。
 意味はわからないがひどい言葉で罵られているらしいのに、父さんは恍惚とした表情で母さんを見つめていた。
 どうやら母さんも本当に父さんを殴る気はないみたいだ。
 ホッとしたけど、これは見てはいけないものなんだと子供ながらに思った。
 気づかれない内に、こっそりと部屋に戻って布団にもぐった。
 あのビデオがアダルトビデオで、両親がソフトSMプレイの愛好家であることを知ったのは、それから何年も後のことだった。

「はるちゃん、ちゅーしよう」

 翌日、幼稚園の園庭で、オレはキスをしようと彼女に言った。

「うん、しよぉ」

 春香はにっこり笑って顔を寄せてきた。
 普通なら唇をちょっぴり合わせるだけのキスをする所だが、オレはむちゅうとしつこく唇を重ねた。
 無意識に、ビデオの男女のキスを真似ていたのだ。
 オレと春香のファーストキスは、子供らしからぬディープなキスで終わった。




 オレにとって女と呼ぶべき存在は春香だけだった。
 性別の話ではない。
 異性としての対象の話だ。

 自覚のきっかけは、小学四年の時に友達の家で見た漫画雑誌だった。
 雑誌にはグラビアアイドルの水着姿が掲載されていた。
 際どいビキニを着て、定番のポーズを取っている胸のでかい大人の女の写真を見て、一緒にいた数人の友達が騒ぎ始めた。
 エロいだの、すごいだのと、興奮している友達の横で、オレは何の感想もなくそれを見ていた。
 母さんの水着姿と大差がない。
 何がそんなにすごいんだろう。

「雪城はガキだなぁ」

 一人だけリアクションのないオレを、みんなはそう言って笑った。
 自分達だって子供のくせに。
 ちょっとだけ憤慨したけど言い返すことはせず、その場は流した。
 実は興奮する対象が違っていたのだということは、その後すぐにわかった。

 友達の家から帰ってきて、台所でオヤツを食べていると、春香が遊びにきた。

「冬樹くん、一緒に宿題しよ」

 母さんは買い物に出かけていて、オレと春香の二人だけだ。
 リビングで宿題を広げて黙々とこなしていく。
 終わったら、夕飯の時間まで遊ぶ。
 これがこの当時のオレと春香の日常だった。

「終わったー」

 宿題が終わり、わーいと春香が万歳した。
 そしてトイレに行って来ると言って立ち上がった。

「わっ」

 床に置いていたリモコンに躓き、春香はよろけてうつ伏せにソファの上に倒れこんだ。
 倒れこんだ場所が良くて彼女がケガをすることもなく、オレは安堵した。
 だが、次の瞬間目が釘付けになった。
 春香の尻がこっちを向いていて、スカートがめくれて、白地にクマのでっかいワンポイントが入ったお子様パンツが丸見えになっていた。

「あー、びっくりしたぁ。じゃあ、行ってくるね」

 春香はスカートがめくれていたことには気づかなかったらしく、起き上がるとリビングを出て行った。
 一人取り残されたオレは、なぜかドキドキしていた。
 顔が熱いし、心臓がどくどく音を立てている。
 変な気持ちだ。
 興奮しているのだとはわかったが、どうして春香のパンツを見てこうなったのかは、さっぱりわからなかった。
 それから春香が気になり始めた。
 スカートから出ている生足に目が行き、一緒にプールに行った日には眩しくて直視できないほど興奮した。
 しかも、不思議なことにそれは春香限定で、他の似たような体型の女子を見ても何とも思わなかった。
 思い悩んで父さんに相談すると、それは春香ちゃんが好きだからだよと言われた。
 そう言われて納得した。
 オレは春香が好きなんだ。
 友達とは違う好きを自覚して、その日から春香は特別になった。

 二次性徴が始まりかけた高学年になった時には、オレが春香を見る目は完全に雄のものに変わっていた。
 告白したのもその頃だ。
 春香は少女漫画を読んでいたせいか、彼氏彼女という関係をすぐに受け入れてくれた。

「わたしも冬樹くんが好き。今日からコイビトだね」

 大人っぽい関係に憧れている小学生のオレ達は好奇心でいっぱいだった。
 デートと称して二人だけで映画を見に行ったりもした。
 大人の恋愛映画をカッコつけて見ようとして、ついていけない内容に退屈し、手を繋いだまま上演時間中、二人で爆睡していたのはいい思い出だ。
 行為はキスをするぐらいで、それ以上のことはしていなかった。
 マセてる連中は、誰それがもう経験したとか色々噂していたけど、本当かどうかなんてわからない。
 オレと春香は周囲の噂に惑わされて焦ることもなく、自分達の進み方で仲良くしていた。




 やがて中学校に通い始めたオレは、外では春香と距離を置くことにした。
 小学校の終わりぐらいから、男子と女子の間にはある種の線引きがされていて、女子と仲良くしていたら、からかわれるようになったからだ。友達の中で彼女がいたのはオレだけだったから言い出しにくくて、恋人になってからも友達の前では、春香とはあくまで幼友達というフリをしていた。
 それは春香も同じだったらしく、親しい女友達にも彼氏がいるとは言っていなかったようだ。
 外で仲良くできない分、二人でいられる時間を作ろうと、勉強会を名目に会うことにした。
 オレが教える役で、春香の家に通う。
 集中して勉強したいと言うと、おじさんもおばさんも信用してくれて、勉強会の時間中は二階には上がってこなかった。
 それをいいことに、オレ達は秘め事を繰り返した。
 中学生になって性欲が増したオレは、春香にキス以上の行為を求めるようになった。
 キスをして、裸になって触りあい、オレが中三の夏には、ついにバージンをいただいてしまった。
 春香の愛情に支えられて、受験勉強も順調にはかどり、県内でも有数の進学校だった志望高校にもトップの成績で合格した。
 春香がいれば何でもできる。
 オレにとって、彼女は活力の源でもあった。




 その高校に入った途端、オレの幸せに影が差した。
 全てはクラスメイトの火野灯子に、付き合ってくれと告白された日から始まった。

「悪いけど、気持ちは受け取れない」

 火野の告白を、きっぱりと断った。

「どうしてよ、わたしのどこが気にいらないの?」

 火野は確かに美人だ。
 顔立ちも華やかで、スタイルも抜群。成績も良くて、男子の間ではかなりの人気がある。
 だが、オレには春香がいる。
 気にいる気にいらないの問題ではないのだ。

「彼女がいるんだ。オレにはその子しか考えられない。火野が気にいらないとか、そういうんじゃないんだよ」

 今まで告白してきた子は、こう言えば引き下がってくれた。
 だが、火野は違った。

「彼女って誰? どんな子なの? わたしを振るぐらいなんだから、さぞかし美人で頭の良い子よね?」

 火野の唇に浮かんだ笑みは、背筋が凍るような冷たさを持っていた。
 例えるなら獲物を前にした蛇か。
 小動物のような春香が目をつけられたら、一瞬で食い殺されると思った。

「誰でもいいだろ、火野には関係ない」
「あるわ。普通の女じゃ絶対に認めない。つまらない女だったら、許さないから」

 オレはイライラしてきて、火野を睨んだ。
 普通で何が悪いんだよ。
 確かに春香は飛びぬけて頭がいいわけでもないし、容姿もアイドル似とかじゃなくて、そこらにいる普通の子と変わらない。
 でも、オレは彼女が大好きだし、誰よりもかわいいと思っている。
 一緒に過ごした時間の中で長所も欠点も知り、春香という女の子を好きになったんだ。
 何も知らない他人に、つまらない女呼ばわりされる筋合いはない。

「教えてよ、誰なの?」
「オレがどんな子と付き合おうと、お前にとやかく言われる覚えはない」

 火野を無視して、その場は去った。
 だけど、その後も火野はしつこく絡んできた。
 オレ達のやり取りに気づいた穂高が、二人になった時に何があったのかと尋ねてきた。

「火野と何かあったのか? あいつ、変な噂があるからな、困ってるなら相談しろよ」

 穂高秋斗は中学からのオレの友達。
 親友って言ってもいいぐらい仲が良い。誰にも内緒の春香との仲も、穂高にだけは打ち明けていた。
 成績も、いつもオレと肩を並べてトップクラスだ。
 眼鏡の優等生というと神経質なガリ勉かと思うけど、人当たりの良い明るいヤツで、幼少時から護身のために幾つかの武道を嗜み、体を鍛えていたというだけあって、腕っ節も強く、運動神経だってかなりのものだ。
 テスト結果で名前を張り出される時はオレが一番だったけど、穂高の方が人望があって、進んで生徒会の役員や委員を引き受け、先生達からも信頼されていた。
 学ぶべきところの多い、オレの自慢の親友だ。

 穂高の話によると、別の中学だった火野は、そっちでイジメの首謀者みたいな存在だったそうだ。
 気に入らない子がいると、巧みに周囲を煽って孤立させ、陰湿なイジメに発展させる。自分は大して手を汚さず、何人も転校や登校拒否に追いやったと噂があるらしい。
 やっぱりオレの直感は正しかった。
 あいつはヤバイ。
 絶対に春香の存在を知られてはいけない。

「何でもないよ。いざって時は頼るから、頼むな」

 穂高には言えなかった。
 春香のことを話していても、無関係には違いない。
 下手に迷惑かけられないしな。
 切羽詰った状況ではない今は、オレの力でどうにかする方法を考えよう。

 だけど、いい対処法は浮かばなくて途方に暮れていた。
 楽しいはずの勉強会の時ですら、悩んで浮かない顔をしていたら、春香が心配そうに覗き込んできた。

「冬樹くん、どうしたの? 学校で何かあったの?」

 オレは春香を抱きしめた。
 適度に肉のついた柔らかい体は抱き心地が良くて、髪からはシャンプーのいい香りがする。
 落ち着くなぁ。
 オレにとって、春香は精神安定剤みたいな役割も果たしていた。

「ちょっと困ったことがあってさ。でも、春香が心配するほどでもないよ」

 ベッドの上に連れて行って、服を脱がせる。
 きめの細かい瑞々しい肌に口づけて、指を彼女の秘所に這わせた。
 春香の吐息が、甘く色づく。

「あ…ああ……、はぁ……」

 熱でほんのり赤く染まった肌を舌で舐めて、胸の膨らみを揉みしだき、頂の赤い蕾を口に含んだ。
 体が幾度も反応し、彼女の秘所が潤っていく。
 十分愛液が満たされたのを確かめて、避妊具をつけて入り込んだ。

「あ、あんっ……やぁん……っ!」

 腰を打ち付けるたびに、春香は喘いでしがみついてきた。
 愛しい彼女と触れ合い、繋がりながら、守りたいと切に願った。




 何度目かの火野の追及から逃れたオレに、海藤が声をかけてきた。
 海藤夏子とは、中学が一緒で三年の時はクラスも同じだった。
 特別に仲が良かったわけじゃないけど、言葉をかわすことの多い女子の一人だ。性格もいいし、信用できる人間だってこともわかっている。

「悪いと思ったけど、立ち聞きしちゃった。雪城くん、困ってるんでしょう? 話によっては、協力できると思うんだけど」

 知られたのならと、火野とのことを相談すると、海藤は自分の秘密を打ち明けてくれた。
 付き合ってる相手が、中学の時に教わっていた土倉先生だってことには驚いた。
 それじゃあ、隠さないとしょうがない。
 オレ達は目くらましのために、偽の恋人を演じることに決めた。
 下の名前で呼び合い、周囲に仲の良さを広めていく。
 才色兼備で友人の多い海藤には、火野も一目置いていて、すり寄っていたせいか、何も言ってこなくなった。
 とりあえずは安心だ。

 唯一、穂高だけは騙しきれなくて、問い詰められた。
 あれだけ彼女の惚気話をしていたオレが、いきなり別の女と付き合い始めたら驚くよな。
 事情を打ち明けると、納得はしてくれた。
 でも、穂高は話を聞いている間、ずっと不機嫌だった。
 話が終わると春香にも事情は打ち明けるべきだと、強い口調で説教をされた。
 このことが他人の口から春香に伝われば余計な誤解を招くと、穂高は親身になって忠告してくれた。

 だが、穂高にそこまで言われても、オレは春香に打ち明けなかった。
 海藤と先生の関係は誰にも内緒にすると約束をしたこともあったが、受験生の彼女に余計なことで心配をかけたくなかったからだ。

「なあ、春香。志望校のランクを落としたらどうだ? 私立の女子高もあるし、その方が楽になるぞ」

 オレと同じ高校を受験すると言い張る春香に提案した。
 火野のこともあるし、他校の方が安全だと思ったのだ。
 だけど、春香は志望校を変えなかった。

「冬樹くんと同じ高校に行きたいの。そりゃあ、高校でも付き合ってるのは内緒なんだろうけど、同じ学校なら話題だって共通のものが多くなるし、少しでも近くにいたいの」

 いじらしい春香の言葉に、胸が締め付けられる。
 オレの近くにいたいがために頑張っている彼女を前にしては、それ以上の反対はできず、とうとう合格発表の日がやってきた。
 春香は受かっていた。

 両家をあげての祝いの後、宴会を始めた親達を放っておいて、オレ達は春香の部屋で二人っきりになった。
 春香は合格を喜んで抱きついてきた。

「やったよ、冬樹くん!」

 オレに向けられる、素直で愛らしい笑顔。
 この後すぐに失ってしまうなんて、この時は想像もしなかったんだ。

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