束縛
再会
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【1】(side 秋斗)
大学に入って、オレは二度目の恋をした。
笑顔が魅力的なかわいい人だった。
だけど、出会った時から実らない恋であることもわかりきっていた。
初恋の時と同じく、彼女はすでに他の男のものだったのだから。
結局、大学生活を終えた現在でも、オレ――穂高秋斗は彼女いない歴を更新中だ。
女友達は増えたが、誰とも踏み込んだ関係にはなれず、とどめに不毛な恋をして、吐き出せなかった想いを諦めきれずにくすぶらせている。
それでも少しは大人になったのか、前回と違って、忘れるために行きずりの女を抱くようなことはしなかった。
将来に備えて学ぶことは山積みだったし、サークルに入って交友範囲を広げたりと、他に没頭できるものがあったことが幸いした。
彼女とも、親しい知人として話せるほど仲良くはなっていた。
あの時、玉砕覚悟で告白すれば良かったか。
卒業から半年が過ぎたというのに、時々無性に後悔することがある。
大学卒業後は、親父が経営する会社の系列会社に就職した。
跡継ぎだからって、いきなり重役に任命されたり、会社を任されたりするほど世の中は甘くなく、まずは社会の常識を学べと 平社員からのスタートだ。
職場の同僚は、オレが親会社の会長の息子だとは知らない。
社長や上役の人間は素性を知っているからか、何かと気を使ってくれているが、彼らに甘えることなく先輩について営業にまわったり、理不尽でも怒りを押し殺して頭を下げることを覚えていった。
休日には親父の補佐役として、取引や会議といった公の場につれていかれることもある。
口は挟まず、目と耳と頭脳をフルに活用して親父の経営手腕を吸収していく。
休息の時間は睡眠に充てることも多かった。
しかし、そんな多忙な日々も、戦わずして敗れた恋を忘れさせてはくれず、たまに時間をとっては親友を呼び出して彼女への未練を語り、酒を煽って気を紛らわせることを繰り返していた。
ふとしたことで、また彼女のことを思い出したオレは、いつもの愚痴を聞いてもらおうと、週末の会社帰りに親友の雪城冬樹を呼び出した。
こいつは中学から付き合いの続いている古い友人で、かつての恋敵でもあった。
雪城と、オレの初恋の人である春香ちゃんは、来年結婚式をあげる予定だ。お祝いに何をあげるかは考え中。
そういや、海藤の結婚式は先月だったな。今は土倉か。
新婚旅行の土産に、ナッツ入りのチョコをもらった。ハワイの定番土産だ。
みんな幸せになりやがって。
オレは失恋して痛手を引きずったままだというのに、世の中は不公平だ。
バーの片隅で、雪城を相手に大学時代の苦しい片思いの話を延々とした。
雪城はグラスを傾けながら、話を聞いてくれていた。
「穂高はどうして人の彼女にばかり惚れるんだ? その人のことまだ忘れられないのか?」
「忘れられないよ。告白もしなかったんだ。今頃、どうしているんだろう。あいつと結婚するのかなぁ、水澤さん……」
大学時代の不毛な恋。
友人の友人として知り合った彼女の名は、水澤和泉(みずさわ・いずみ)。
自然な黒髪をショートカットにしていて、ちょっと痩せた感じの、ロングスカートを好んで着ていたおとなしい子だった。
人当たりの良い柔らかい物腰と、ほわほわした笑顔に好感を抱き、何度か話すうちに惹かれていった。
だが、彼女には付き合っている男がいた。
高校時代に告白して恋人になれたんだと、水澤さんは幸せそうに微笑んで話してくれた。
相手の男は山下峰生(やました・みねお)といい、学部も違い、知り合いではなかったが、水澤さんを目で追っているうちに顔を覚えた。
向こうにしても、オレについては顔と名前を知っているぐらいだっただろう。目が合うと条件反射で睨んでいたので、良い印象はもたれていなかったと思う。
なぜかというと、オレが抱いた山下の印象は、無愛想でいけ好かないという最悪のものだったからだ。
最愛の彼女であるはずの水澤さんに対するヤツの態度は、とても許せるものではなかった。
彼女と一緒にいても手を握るどころか、距離をとって歩き、笑顔を向けられても微笑みすら返さない。
それでも水澤さんは、照れているだけで優しい人なんだと言った。
オレが彼氏なら、常に笑顔で温かく両手で包み込んであげるのに。
傍から見て、彼女が大事にされていないことが、諦めきれない原因だったのかもしれない。
あれはオレが大学四年の時、つまり去年のクリスマスイブの出来事だ。
イブの当日、オレは彼女のいない友人達が企画した夕食を兼ねたパーティーに参加した。
夜明けまで飲み明かすと盛り上がっている連中に、二次会は断って帰った。
今夜はサンタをしなくちゃいけない。
プレゼントを届ける相手は、うちで預かっている中二の坊主だ。
血縁者ではなく、わけあって親父が友人から預かった。
ちなみに預けた人も赤の他人だ。
風岡嵐(かざおか・あらし)というその子供は、家庭環境が複雑で、親の愛情というものを知らずに育った。
うちに来た当初は、とんでもない荒れようだったが、今では落ち着き、学校にも通っている。
前回のクリスマスに、サンタの格好をして枕元にプレゼントを置いてやったら非常に喜び、来年もやってくれと頼まれた。
今までの愛情不足の反動か、小さな子供みたいに甘えてくる。
家中の人間があいつを実の子供同然にかわいがっていて、オレも弟ができたつもりで面倒を見ていた。
サンタの役も快く引き受けた。
どうせ、一緒に過ごす彼女もいないんだから、家族サービスした方が有意義だ。
ちらっと腕時計を見る。
時間は九時半前。
ゆっくり帰っても十分間に合うだろう。
ケーキ屋の前を通りかかり、店のガラス越しに、アルバイトをしている水澤さんの姿を見つけた。
イブの夜と言えば、彼氏と過ごすのが定番だろ?
どうしてこんな時間までバイトしてるんだろう。
気になって店に入った。
客はオレだけで、カウンターにいた水澤さんが特上の笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、穂高くん」
「こんばんは、水澤さん。クリスマスケーキはまだある?」
「申し訳ないけどクリスマスケーキは売り切れなの。普通のショートケーキならあるんだけど」
「それでいいよ。残り全部くれるかな」
ケースの中のショートケーキは六切れ残っていた。
我が家のパーティーは明日で、クリスマスケーキは二段の豪華なやつを予約済みだ。
しかし、ショートケーキも家に持って帰れば誰か食うだろう。
大所帯、しかも男だらけの我が家には、毎晩のように夜食を求めてさまようヤツが何人もいる。
「今日はイブだろ、彼氏とはこれから会うのか? オレなんか家に帰っても、むさい野郎共と親しか待ってないんだよ。いいよなぁ、恋人のいるヤツは」
ケーキを包んでくれている彼女に、ストレートに気になっていたことを尋ねた。
もちろんちょっと冷やかしの演技も交えてだ。
彼女はオレが独り者だと知っているから、これぐらいの無遠慮な質問は許してくれるだろう。
「ううん、バイト終わったら帰るの。峰生もバイトで忙しいんだって、明日も無理って言われた」
絶句したオレに、彼女は慌てて付け足した。
「で、でもね! ちゃんとメールくれたの! ほら、メリークリスマスって!」
彼女が差し出した携帯電話には、メリークリスマスとだけ打たれたメールが表示されていた。
これだけ?
イブの夜に彼女と会えないっていうのに、これだけなのか?
「電話とかもないの?」
オレの声は微かに震えていた。
やばい、怒りの感情が出てきてる。
「峰生は電話好きじゃないの。携帯電話も持ってないから、メールも家でパソコンからなんだって」
ん?
ちょっと待て。
オレは山下が携帯使ってるとこ見たことあるぞ。
あれはどう見ても本人のだった。
水澤さんの前では使ってなかったのか?
変だと気になったけど、言えなかった。
言っても、水澤さんに余計な不安を与えるだけだ。
オレは納得したフリをして、彼女に笑いかけた。
「それじゃあ、今夜は彼氏の代わりにオレが送っていくよ。もうすぐバイト終わるんだろ? 女の子が一人で夜道を歩くなんて危ないからね」
「悪いよ、そんなの。閉店までだから、三十分は待ってもらわないといけないのに」
「近くの店で時間潰してる。十時になったら店の前で待ってる」
強引に送っていくと約束して、店を出た。
うわ、どの店もオーダーストップで閉店準備してる。
午後の十時前だもんな。
しょうがない、ここで待ってるか。
自販機でホットのお茶を買って、カイロの代わりにした。
店の邪魔にならないように、建物の影に立つ。
待っているのは苦痛じゃなかった。
待っていれば水澤さんと一緒に歩ける。
オレってバカだ。
何でこんな恋しかできないんだろう。
この恋はいつ忘れることができるのかな。
十時になり、店のシャッターが閉じられた。
閉店だ。
それからすぐに勝手口が開いて、水澤さんが出てきた。
彼女は近くの飲食店が全て閉まっているのに気づき、びっくりして駆け寄ってきた。
「穂高くん! もしかして、ずっと外で待ってたの!?」
「まあね、でも平気。これも意外に温かかった」
冷めてしまった缶を取り出して、オレは強がった。
手も足も冷え切ってるけど、帰って熱い風呂に入ればいい。
水澤さんを送るためならどうってことないさ。
水澤さんは、いきなりオレの手を握った。
手袋をはめていても冷たくなった手を、自分の両手で擦ってくれた。
「ごめんね、寒かったでしょう?」
「大丈夫だって。オレが勝手に待ってたんだし、気にしないで」
笑いかけたら、水澤さんも笑ってくれた。
どさくさ紛れにオレは彼女の手を握って歩き始めた。
戸惑っていた水澤さんも、黙って握り返してくれた。
すれ違うカップルを見ても、羨ましくも寂しくもなかった。
一人じゃないからだろうな。
水澤さんも、そう思ってくれたらいいな。
通りに明るい光が漏れている。
深夜営業のゲームセンターだ。
店先に置かれているぬいぐるみが詰まったゲーム機を見て閃いた。
今からプレゼントなんて間に合わないけど、これならいける。この手のゲームは得意な方だ。
「水澤さん、ちょっと待っててくれる?」
「うん、それやるの?」
オレはゲーム機にコインを入れ、慎重にクレーンを操作した。
狙うのは、蜂蜜好きの黄色いクマのぬいぐるみだ。
女の子なら、こういうの好きだろう。
ボタンを絶妙のタイミングで動かし、目的のクマを挟む。
クレーンはクマを落とすことなく運び、穴に落とした。
「よし、取った!」
「わ、すごい!」
水澤さんが拍手してくれた。
取り出し口からぽとんとクマが落ちてきた。
一回で取れるなんて、今日はついてるな。
「はい、水澤さんにあげる」
クマを渡すと、水澤さんは目を瞬かせた。
「え? でも……」
「メリークリスマス、オレからのプレゼント。安上がりで悪いけど、受け取って」
彼女はクマをぎゅっと抱きしめた。
ああ、そこの食い意地の張った黄色いクマよ、今だけ代われ。
そのためなら、オレは蜂蜜の食いすぎで腹がつかえて穴から出られなくなっても構わない。
「ありがとう、穂高くん。わたし、クリスマスにプレゼントもらうの久しぶりだから、すごく嬉しい」
久しぶりって、山下はプレゼントくれたことないのか?
彼女の口ぶりだと、毎年バイトで一緒にはいないようだ。
水澤さんは高校生の時に両親を亡くして、遺産と奨学金で大学に通っていて、バイトをしないと生活が苦しいのだと話してくれた。
「わたしは両親がいなくて、頼れる親戚もいないし、余分なお金があんまりないんだ。だから、峰生にも何もしてあげられなくて、悪いからプレゼントとかはお互い無しにしようって言ってあるの」
水澤さんは、あくまで良い方向に解釈して、山下は悪くないと言う。
けど、彼女がこんなに頑張ってるのに、クリスマスを一言メールだけで済ますってどういうことだ?
「穂高くんにお返ししたいけど、こんなのしかなくて……」
水澤さんはバッグから、キャンディを幾つか取り出した。
真っ白なミルクの飴だ。
「ありがとう、オレのだって二百円だし、ちょうど吊り合ってる」
飴をもらって一粒口に放り込んだ。
水澤さんのプレゼントというだけで、ミルク味の飴は特別おいしく感じられた。
打ち解けた雰囲気の中、再び手をつなぎ、彼女の家へと送っていった。
水澤さんのアパートはものすごくボロだった。
窓も割れて板で補強してある部屋まであった。
セキュリティ付きのオートロックの部屋など、遠い世界の話だ。
今にも潰れそうな木造アパートを前にして、フォローの言葉も出てこなかった。
「見かけはこれでも、部屋にお風呂とトイレがついてるんだよ。生活するには十分なんだ」
ごまかすように笑って、水澤さんは舌を出した。
頑張り屋で堅実で健気で、オレはますます水澤さんが好きになった。
オレが恋人なら、クリスマスの夜は自宅に招いて抱きしめて眠るのに。
こんな寒そうなアパートで一人ぼっちになんかしないのに。
「送ってくれてありがとう、今年も寂しいクリスマスだなって思ってたけど、ちゃんといいことあったよ。穂高くんは、サンタさんだね。いい子にしてたらプレゼントもらえた」
オレがあげたクマを水澤さんは心から喜んでくれた。
嬉しいな。
こっちがお礼を言いたい気分だ。
「いい子の水澤さんには、穂高サンタが来年もプレゼントを届けてあげるよ。今度はもっといいものあげるから、楽しみに待っててね」
「うん、楽しみにしてる。このクマを見て一年また頑張る」
オレ達はアパートの前で別れた。
春になって卒業してから、水澤さんとはそれっきりだ。
人づてに就職したって聞いたけど、元気にやってるのかな。
山下とうまくいってるといいな。
好きな子が泣いているところは、もう見たくない。
雪城と別れて、家路を急ぐ。
話し込んで、すっかり遅くなった。
夜は冷える。冬が近づいているんだ。
電車に乗るために駅に着いた。
多くの人々が構内を行き来している。
座り込んで話している若者や、待ち合わせと思しきカップル、母親に手を引かれた子供が、改札から出てくる父親を出迎えている光景も目に映った。
人と人との関わりが目につく中で、ベンチにぽつんと座っている若い女性に気がついた。
旅行者なのか、大きなボストンバッグを脇に置き、ぽっこり膨らんだ巾着袋を抱きしめて、足下を見つめている。
オレはその女性に見覚えがあった。
通りすがりの人から不審そうに見られていても気づかずに、彼女は俯いてじっとしていた。
確認しようと、近づいていく。
忘れられない恋の相手に、その人はとてもよく似ていた。
「水澤さん……?」
問いかけに、顔を上げた彼女はやっぱり水澤さんだった。
だけど、オレは声を詰まらせた。
「穂高くん?」
彼女がオレの名を口にする。
想い焦がれていた人との再会を素直に喜べなかった。
顔を上げた彼女は、幸せとは無縁の、今にも泣き出しそうな顔をしていたからだ。
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