束縛

再会

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 【7】(side 秋斗)

 あの事件が起こった日。
 オレは新設されたレジャー施設の視察や重役との会食などに出席する親父に同行し、付き人業務をこなして帰宅したのは夕方だった。
 帰宅するなり和泉の姿を探し始めたオレは、台所にいた母さんに聞いてみた。

「母さん、和泉は?」
「駅前までお出かけしてくるって。スーツも着替えないで探すなんて、秋斗は片時も和泉さんと離れたくないのね」
「いいじゃないか、ほっといてくれよ」

 母さんにくすくす笑われ、オレは少し恥ずかしくなった。
 和泉はいないし、嵐の所に行くか。
 あいつの家庭教師もちゃんとやらないとな。 



 部屋着に着替えて離れに出向く。
 部屋を訪ねると、嵐は顔を強張らせた。
 まるで怒られる前の子供みたいな反応だった。

「秋斗さん、何?」
「何って、勉強見に来た。課題やってないのか?」
「あ、ううん。してある」

 妙にびくついた態度で、嵐はノートを出してきた。
 オレはベッドに腰掛けて、解答をチェックし、教えるべき箇所に赤ペンで印しをつけていった。

「秋斗さん、あのさ」
「うん?」
「怒らないの?」

 恐る恐るといった嵐の声に、顔を上げた。
 目が合うと嵐は目を逸らした。
 つまり、オレに怒られそうな何かをやらかしたわけだ。

「何のことかわからない。自己申告するならしろ」

 嵐は意外そうに瞬きした。

「言ってないんだ……」

 俯いた嵐は、ぽつりと呟いた。
 オレをちらっと見て、もごもごと歯切れの悪い口調で言葉を続ける。

「あの人、そのうちここを出て行くよ」

 嵐の言う「あの人」とは和泉のことだ。
 出て行くとはどういうことだ。
 しかも、それをオレにではなく嵐に言ったというのか?
 オレは険しく顔をしかめた。
 それを見て、嵐の体が強張った。
 後ろめたいものを隠すかのごとく、嵐は立ち上がってまくしたてた。

「別に秋斗さんが面倒みなくてもいいじゃないか。あの人にはちゃんと親いるんだろ? オレと違って愛されて育ったんだ。なのに何でみんなあの人ばっかり構うんだよっ!」

 和泉への嫉妬をあらわにした嵐を、オレは黙って見つめた。
 嵐の不満の理由がわかった。
 和泉が来るまで、この家の中心は嵐だった。
 みんなの関心が急に自分から離れてしまい、孤独と焦りを和泉にぶつけていたんだ。

「和泉の親は亡くなった。彼女には帰る家も頼る親戚もいない。嵐と同じだよ」

 オレの告げた事実は、予想以上に嵐を驚かせたようだ。
 呆然とした顔で、固まっている。

「嵐の不安はわかったよ。でも、それは思い違いだ。和泉の存在がお前に取って代わることはない。この家の人間は、お前のことも大事だし、和泉のことも気にかけている。兄弟がいたとして、弟が赤ちゃんだったら、みんな弟を構うだろう? だけど兄が大事じゃないなんてことはない。それと同じだ。後から来た和泉をみんなが構うのは自然なことで、嵐がどうでもよくなったわけじゃないんだ」

 腰を上げて嵐の前に立ち、頭を撫でてやる。
 嵐の両目から、降りかけの雨みたいに涙がこぼれ落ちてきた。

「ごめんなさい。オレ、あの人に嘘ついた。秋斗さんはあの人のことが好きだから、追い出されるのはオレの方だってわかってたけど、ひどいことたくさん言って、何度も追い出そうとした。ここはやっと見つけたオレの居場所だったんだ。あの人もそうだったんだね」

 嵐は和泉に、オレが初恋を忘れていないと吹き込んだらしい。
 それを真に受けて、部屋を探しに行ったのか。
 駅前には不動産屋があったからな。
 和泉ももっとオレを信じてくれよ。

「正直に気持ちを打ち明けて謝れば、和泉も許してくれる。もう追い出そうなんて思わないよな?」

 嵐は頷いた。
 家族のいない孤独を、こいつは身をもって知っている。
 追い出そうとしたのも、和泉が恵まれた環境で育ったのだと思ったからだ。
 体はでかく育っても、まだガキだ。
 オレは嘘をつかれたことを怒る気にもなれず、哀れになって、泣いている嵐の背中を軽く叩いて慰めた。




 気分を変えるために、熱いお茶でも飲もうかと嵐をつれて台所に行った。
 和泉はまだ帰っていなくて、嵐はしょんぼりしていた。
 急須で入れたてのお茶を飲みながら、置かれていたチラシに目をやる。
 変質者が出没していると注意を促す警察のチラシだ。
 そういや、外が暗くなってきたな。
 日が暮れるのもずいぶん早くなった。
 和泉、大丈夫かな。
 電話くれればいいけど。

「秋斗さん、和泉さんを迎えに行こうか」

 嵐も同じことを考えたらしい。
 オレ達は母さんに和泉を迎えに行くと言って外に出て、歩き始めた。
 公園が見えてきた辺りで、オレの携帯が鳴った。
 通話ボタンを押すなり、和泉が助けを求める声が携帯と公園の方から同時に耳へと届いた――。




 あの事件は、新聞の片隅に小さく載った。
 和泉やオレ達は匿名で、犯人の本名だけが載っていた。
 近くに住む無職の男で、若い女性を狙った通り魔的な犯行だった。
 大事な和泉を傷つけられ、犯人に対して尋常ではない怒りを覚えた。
 後で、取り押さえた時に顔が変形するぐらい殴ってやればよかったと後悔したが、過剰な暴行を加えたとして、オレが傷害罪で捕まる。
 オレはもう成人だから、昔のようにキレて暴れたら示談ではすませられない。
 社会の制約は、時として歯がゆい思いを強いられる。
 しばらくは警察からの事情聴取や被害届の提出などで、ごたごたしていたがそれも落ち着き、和泉のケガも治ってきた。

 あれ以来、和泉と嵐はすっかり仲良くなった。
 和泉は弟ができたみたいだと喜んでいたが、オレは不満を募らせていた。
 嵐には、家族に優劣はないのだと偉そうに説教をしておいて、いざ自分がその立場に立たされると嫉妬している。
 今も和泉はオレの前で、嵐と楽しそうに話していた。
 オレ達の前にはシフォンケーキが置かれている。
 和泉の手作りだ。

「おいしいよ、和泉さん」

 至福の表情でもぐもぐとケーキを頬張り、オレより先に嵐が感想を述べた。

「今回のは自信作だったんだ。今度の嵐くんのお誕生日には手作りケーキに挑戦しようと思ってるの」
「え、ホント? 手作りの誕生日ケーキって初めてだ、楽しみ!」

 嵐は手作りというものに憧れている。
 オレの母さんが学校の校外学習で、初めて弁当を作ってやった時など、前の日の晩から浮かれていたほどだ。
 母の愛に飢えているんだな。
 オレもケーキを口にする。
 甘くておいしい。
 紅茶とほどよく合っている。
 さすが、和泉だ。いいお嫁さんになれるぞ。
 少々子供がでかすぎるが、近い将来訪れるであろう親子の食卓風景を重ね合わせて楽しみながら、オレは優雅なティータイムを過ごしていた。

 和やかな空気に頬を緩めていると、インターホンが鳴った。
 オレの家は、監視カメラ付きのインターホンが完備されている。
 誰が来たのかと思って見に行き、映し出された怪しげな来客の姿を見てびっくりした。
 一瞬、強盗が来たのかと思ったが、よく見れば見覚えのある男だ。
 カメラに映し出されていたのは、厚手のジャンパーの下に防弾チョッキを着てフルフェイスのメットを被り、金属バットで武装した山下と、似たような格好で剣道の竹刀を持っている見知らぬ女性だった。




 山下とその彼女――石川静流は、オレが応答に出ると和泉を渡せとインターホン越しに迫った。

「何なんだお前ら、誘拐でもしに来たのか?」
「それはこっちのセリフよ、人攫い! 和泉にひどいことしてたら許さないから!」
「穂高! 和泉をどうした! まさかもう飽きて、風俗に売り飛ばしてたりしないだろうなっ!?」

 話が見えてこない。
 二人が話している内容をまとめると、オレが和泉を拉致監禁した上に、無理やり愛人にしているらしい。
 そうか、こいつらもオレをヤクザだと思ってるんだ。
 防弾チョッキは銃弾対策か。
 うちには拳銃なんかないよ。
 家宅捜索されても、警察にしょっ引かれるようなものは何もない。

「ちょっと待て。お前らは、和泉を助けに来たのか?」
「当たり前でしょ、お金ならわたし達が返すわよ! だから、和泉を解放して!」
「応じないなら、腕ずくでも取り返すからな! 門を開けて和泉の無事な姿を見せろ!」

 インターホン越しに聞こえてくる声は、家中に筒抜けだった。
 かみ合わない押し問答が続き、ついに和泉も出てきてしまった。
 和泉は二人の姿を見て、血の気を失った。
 だけど、彼らが真剣な様子で和泉を返せと叫んでいるのを見て、オレの袖を引いた。

「二人を入れて、秋斗くん。話がしたいの」

 和泉の表情からは、怯えや迷いといった負の感情は消えていた。
 オレは了承して、門を開けに行った。
 会わせることがいいのか悪いのか、オレにはわからない。
 だけど、和泉が決めたことだ。
 オレは傍にいて支えてやるだけ。
 この再会が吉と出ることを願って、オレは彼らを家に入れた。

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