束縛
冬樹サイド・7
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次の休日に、夏子と一緒に土倉先生の家に行った。
二人が話している間、付近を一周して時間を潰すことにする。
歩きながら、今までのことを振り返り、色んなことを考えた。
世の中には好きってだけじゃ認めてもらえない恋がたくさんある。
叶わない恋も星の数ほどあるだろう。
だからこそ、オレの恋は大事にしなくちゃいけない。
オレには穂高の気持ちを考える余裕ができていた。
一方通行なのがわかっていて、それでもあいつは春香を好きになって思い続けた。
忘れられなくて苦しんで、なのにオレの前では平気な顔をして惚気話を聞いていた。
あいつは本気で春香が好きだったんだ。
好きな相手の幸せを一番に考えて、身を引くこともできる。
オレにはできない愛し方だ。
やっぱりオレは穂高に勝てない。
結果ではいくら勝っていても、いつも負けているんだ。
穂高を憎む気持ちは消えていた。
重苦しい気分で、通りかかった公園のベンチに座り込む。
空はどんよりと曇っていた。
ちょうど今の、オレの心の中みたいだ。
春香も穂高も夏子も、みんなオレの大事な人だ。
でも、一人を選べば誰かを傷つける。
全てを丸く収める方法なんて思いつかない。
元通りになりたいと願うのは、愚かなことか?
オレは戻りたい。
みんなで笑い合える方法があるなら、誰かオレに教えてくれ。
二時間ほどしてから、マンションに戻った。
夏子が台所で片付け物を始めて、オレはリビングで先生の話を聞いていた。
「元からオレには何かを言う資格はない。夏子と雪城が決めたことならそれでいい。一番年上で大人なのに、頼りにならなくて情けないな」
先生の声には自分を責めるような響きが混じっていた。
この一年半、付き合ってきたからわかる。
先生は夏子と堂々と交際できないことを、いつも気にしていたんだ。
歯がゆい思いをずっとしてきた。
こればかりは、時が解決してくれるのを待っていることしかできなかったのだから。
「納得してもらうにはオレの証言も必要だろうから、次の日曜日にでも桜沢をここに連れて来い。オレと夏子がどうするのかは、その時に話すよ。だけど、オレ達の今後のことなど、お前は気にしなくていい。今は自分の恋人を大事にしてくれ」
気にならないわけはなかったけど、黙って頷いた。
先生と夏子は、次で最後にするんだろう。
オレという隠れ蓑がなくなるからには、卒業するまで待つしかない。
全てを知って、春香が協力を申し出てくれる可能性も残っていた。
だが、春香の心は弱っている。
今の彼女に偽りの関係を認めろとは言えない。
春香を先生に会わせることになり、オレはその前日に注文していたリングを受け取りに行った。
春香が選んだハートのリング。
喜んでくれるかな。
リングを受け取って、足取りも軽く店を出たら、穂高とばったり出くわした。
あまりにも突然で、互いにぎょっとして固まってしまう。
しばらく路上で見詰め合ってて、ようやく「よう」と声が出た。
穂高も「おう」と返してくれた。
「それ、春香ちゃんに渡すのか?」
穂高の視線が、オレの右手に下げられている宝飾店のロゴ入りの紙袋に移った。
「ああ、指輪をプレゼントしようと思って、バイト代貯めて買った」
そう答えたら、穂高は穏やかに微笑んだ。
「春香ちゃん、喜ぶだろうな。目に見えるようだよ」
笑みに寂しげな表情が混じったことをオレは見逃さなかった。
数日前の放課後、春香は穂高と一緒にいた。
生徒会の仕事を手伝っただけと言っていたが、話もしたんだろう。
春香は器用じゃないから、自分の気持ちを正直に言ったに違いない。
春香がオレを選んでくれたから、穂高は傷ついている。
でも、以前と同じように、こいつはつらい気持ちを絶対に表には出さないんだ。
穂高は通り過ぎざまに、オレの肩を叩いた。
「もう泣かすなよ。今度泣かしたら、すぐに奪いに行くからな」
離れていく穂高の背中に向けて、オレは叫んだ。
「謝らないからな!」
穂高の足が止まった。
怪訝な面持ちで振り返ったあいつに、オレは自分の気持ちをぶつけた。
「お前が傷ついているとわかっていても、オレは自分の気持ちに正直になる。負い目なんか感じない。オレは彼女を愛して大事にする。だけど、お前のことも好きだよ。許せなくて憎んだこともあったけど、それでもお前が大好きなんだ!」
整理されていなくてぐちゃぐちゃだったけど、言いたい言葉をまくしたてた。
穂高はびっくりした顔で、オレが叫んでいるのを聞いていた。
そして我に返って戻ってくると、オレの頭部に拳骨を振り下ろした。
「人様に誤解されるような言い方するなっ!」
じんじん痛む頭を押さえて、穂高と向き合う。
誤解?
ん? なんか遠巻きに見られているような?
穂高も何を照れてるんだ。
いや、怒っているのか?
「あのなぁ。ただでさえ、ヤクザの息子って色眼鏡で見られているのに、街中で男に告白されてたなんて噂が流れたら、どうしてくれるんだよ。学校で雪城とカップル扱いされたら、オレ登校拒否になっちまうぞ」
え?
いや、オレの大好きってそういう意味じゃないんだけど。
しまった、最後の方だけ聞こえていたら、立派な告白だよ。
学校のヤツとかいないだろうな?
慌てて周囲を見回すオレを前にして、穂高はため息をついた。
オレの肩に手を置いて、諦めた様子で深く頭を垂れた。
俯いた頭の下から、さらに長いため息が聞こえる。
「わかってたよ、お前がそういうヤツだって。成績優秀でも、誤解されやすい話下手だってことは、身に染みてわかってる」
オレのコミュニケーション能力の不足を指摘して、穂高は顔を上げた。
肩から離れた手が、顔の前にきた。
額を指で弾かれて、後ろに仰け反る。
いきなり何するんだ、この野郎。
「呆れてるけど、お前のそういうバカ正直なところが好きだよ。オレ達は春香ちゃんが好きで、彼女はお前が好きだった。ただそれだけだ。誰が悪いわけでもない。謝ってもらうことでもないし、遠慮なんかされたら逆に怒るぞ」
額をさするオレに穂高はそう言って笑いかけた。
「オレに悪いと思っているなら、彼女の笑顔を守ってくれ。惚気話も前みたいに聞いてやるよ。お前の話を聞くのも楽しかったのは本当だしな」
今ので、ぎこちなかった空気が解けたような気がした。
わだかまりが残っていないわけじゃないけど、少しだけ元の関係に戻れたと思えた。
「明日、春香に全部打ち明ける。もう不安な思いはさせない。泣かせたりしない」
穂高は「必ずだぞ」と念を押した。
次に学校で会えたら、いつものオレ達に戻れるだろうか。
お前の心の傷はオレには癒せない。
オレに出来ることは、信頼を裏切らないことだけだ。
日曜日に、春香に今までのことを全て打ち明けた。
春香はオレを信じてくれて、先生と夏子のことにも協力すると申し出てくれた。
彼女は人の気持ちを思いやれる子だ。
二人のことを放っておくわけにはいかないと、偽恋人を続けることを許してくれた。
オレは嬉しかった。
春香のことが、さらに好きになる。
大事にする約束の印しに指輪を渡した。
少しずつ、オレの周りは平穏を取り戻していく。
悪夢から覚めて、新たな人生を歩き始めた気分だ。
これで全てうまく行く。
と、思ったのだが……。
春が来て、オレ達は進級した。
三年生になってからは、学年の雰囲気は受験一色に染まる。
オレもバイトをやめて、勉強に専念している。
部活はやっているけど夏までだ。
春香は勉強会をやめようかと言ったけど、オレは続けようと言った。
やめたらイチャつく時間が取れなくなる。
オレの気分転換の一つが、春香との触れ合いの時間なんだ。
桜が咲く中庭で夏子と昼を食べていたオレは、早々に食べ終わり、さっさと弁当箱を包みなおした。
夏子はゆっくりと食べている。
くそ、まだ半分近く残ってやがる。
イライラしつつ、ペットボトルのお茶を喉に流し込んだ。
オレの早く食べろオーラを感じ取ったのか、夏子が呆れた目でこっちを見た。
「あのね、隣でそんな顔されたら、思いっきり倦怠期のカップルみたいなんだけど……」
ほらほら、観察されてるよーと、夏子は近くの校舎の窓を目で示した。
こっちを見ていた連中が、同時に顔を逸らしたり引っ込めたりしているのが見えた。
カップルの観察なんかして、何が面白いのやら。
見物料でもとってやろうか。
オレは無理やり笑顔を作り、夏子の耳元に口を寄せて、早く弁当を食えと急かした。
音声なしで見ると、恋人同士の内緒話っぽい感じだ。
「早く行かないと、穂高のヤツが春香に何をするか……」
情けない声で懇願するオレを横目で見ながらも、夏子はあくまでマイペースを崩さない。
一口サイズのから揚げを優雅に口へと運び、よくよく噛んでいた。
きっちり三十回。
頼むから高速で噛んでくれ。
「大丈夫。春香ちゃんは冬樹のことが好きだし、穂高くんは春香ちゃんの嫌がることはしないよ。彼女も親友も、もっと信じてあげなよ」
信じろと言われては、黙るしかない。
オレが夏子の恋人を演じていることを、春香は信じて許してくれてるんだもんな。
穂高の気持ちを思えば、友達としての思い出を作るぐらいのことは、大らかな気持ちで許容すべきことだろう。
だけど割り切れないものがあるのは確かだ。
だって、春香と穂高は演技をしているわけじゃないからだ。
「それはわかってるんだけど、ダメなんだ。春香がオレ以外の男と仲良くしてるのなんて嫌だ。おまけにいつの間にか秋斗先輩なんて呼んでるし、この間なんか手を握り合ってて……」
先日のことを思い出す。
今日みたいに夏子に中庭に連れ出されて、急いで昼食を済ませて生徒会室に行くと、二人が手を取り合って微笑みあっているのを目撃した。
後であれはこれからもよろしくという意味を込めた握手だと説明されたが、親密な空気は確かに漂っていた。
穂高はまだ春香が好きだし、オレが焦るのを見て楽しんでいる節もある。
あてつけに頬にキスぐらいならしそうだ。
穂高って結構、人をからかうのが好きだからな。
「冬樹って嫉妬深いんだ。春香ちゃんも知らなかったみたいだね、びっくりしてたよ。彼氏が独占欲強いと大変だ」
夏子が苦笑して、春香に対して同情めいた言葉を呟いた。
だって、中学までは春香に男の影なんかなかったんだ。
学校で告白の対象になるのは、派手目の美人ばっかりだったし、どっちかというと地味目の春香は男子とは滅多に話さないおとなしい子だったから安心してた。
まさか、こんな身近に強力なライバルがいるなんて思ってもみなかった。
しかも、彼女の魅力をベラベラ喋って、自分からライバルを作っていたなんて間抜け過ぎる。
中一の自分に警告してやりたい。
写真は客が来たときは隠して、いくら喋りたくても我慢しろってな。
「ごちそうさま。じゃあ行きましょうか。二人とも、まだ食べてるかな」
弁当箱を片付けて、夏子が立ち上がった。
その腕を引っつかみ、オレはダッシュした。
後ろで夏子の悲鳴が聞こえたが、構っている余裕はない。
生徒会室まで全力疾走だ。
生徒会室の前で、掴んでいた夏子の腕を離した。
どさっと彼女の体が廊下に横たわる。
暑がっている犬みたいな激しい息遣いが聞こえているけど、生きてるから大丈夫。それより問題はこっちだ。
扉の向こうから、小さくだけど春香と穂高の会話が聞こえた。
「秋斗先輩。このハンバーグ、わたしの手作りなんですよ、食べてみて」
「手作りか、嬉しいな。じゃあ、オレの弁当から好きなおかず取っていいよ。交換しよう」
「あ、カボチャの煮つけがおいしそう。それください」
くそおおおおおっ、今日もイチャイチャしやがって。
しかも、手作り!?
春香も春香だ!
何でオレと昼が一緒じゃない時に、そんなの作ってくるんだよっ。
嫉妬にとち狂いながら、オレは生徒会室の引き戸を開けた。
「あ、冬樹くん。お昼食べ終わったの?」
春香に微笑みを向けられて、オレは一瞬で嫉妬心を忘れた。
かわいいなぁ。
鼻の下が伸びて、顔もだらしなく緩んでいく。
むっ。
穂高が口に運ぼうとしているのは、春香のハンバーグだ。
手作り、オレだって食べたいのに。
「春香、オレにも頂戴」
飛んでいっておねだりすると、春香は快く弁当箱を差し出してくれた。
あれ? ハンバーグがない。
穂高にやったのが最後だったのか!?
「冬樹くん、お腹空いてるんだね。わたしなら後で購買に行くから全部食べてもいいよ。秋斗先輩のカボチャもおいしそうでしょ」
「違う、春香の手作りが食べたいんだ!」
穂高のヤツが意地の悪い目で、こっちを見ていた。
これみよがしに、おいしそうにハンバーグを頬張っている。
「おいしかったよ、春香ちゃん」
穂高に褒められて、春香は照れくさそうに笑った。
何だよ、この雰囲気。
オレの方がお邪魔虫じゃないか。
「冬樹くんには今度作ってあげるね」
「絶対だぞ、待ってるからな」
オレは春香の手料理を食べさせてもらう約束をとりつけた。
それだけでは足りずに、穂高に対抗して見せつけるべく彼女を抱きしめる。
「ふ、冬樹くん、苦しいよぉ。離してぇ」
「やだ、春香はオレのなの。離さない」
力一杯抱きしめていたら、後ろから頭を叩かれた。
邪魔するなと言おうとして振り向いたら、般若の面のごとく怖い顔をした夏子が立っていた。
「冬樹、わたしがどうして怒っているのか、わかっているよね? 春香ちゃんを離してあげなさい」
夏子の迫力に負けて、春香を離す。
にっこり笑った夏子は、窓の外に見えるグラウンドを指差した。
「元気が有り余っているみたいだから、今日の部活はいつもの二倍走ろうね。しっかり見張っててあげるから、頑張ってね」
二倍ですか?
笑顔でそんな恐ろしいことを言わないで。
穂高は笑っている。
春香だけが、オレを心配そうな目で気遣ってくれていた。
オレの味方は春香だけだよ。
放課後、グラウンドに春香が穂高と一緒にやってきて、頑張ってと声援をくれた。
オレは彼女の声援を背にして、夏子に監視……いや監督されながら、トラックをひたすら走る。
春香は穂高と帰っていった。
ああ、あんなに楽しそうに何を話しているんだろう。
勉強会の時間が待ち遠しい。
オレだって、春香とイチャイチャしたいんだぁ!
学校から帰ったオレは、自室でパソコンに向かった。
今日は倍近く走らされたので、帰宅直後のこの時間はコーヒーを飲みながら、ゆったりとネットサーフィンをして息抜きをすることにしたのだ。
見ているのは商用のコスプレ衣装のサイトだ。
制服やドレスなどのフリフリでかわいい服のカタログを眺めて、春香に着せたらどんな感じかと妄想して楽しんでいる。
お、この服いいな。
メイド服か、ご主人様っていうアレだな。
たまにはそういう演技の入ったプレイもいいかも。
乗り気になって、値段を見る。
うん、残りのバイト代でも十分買える。
オレが用意した服なら春香も文句はないだろう。
買い物カゴのマークをクリックして、メイド服を一着注文する。
春香のスリーサイズはばっちり把握している。
はあ、でもセーラー服とブルマが諦めきれない。
クローゼットの中にあるんだから、着てくれてもいいじゃないか、春香のケチ。
写真ぐらい春香の家にあるかもしれないけど、目的がバレバレで見せてくれないだろうなぁ。
オレの願いが天に届いたのか、奇跡が起きた。
後日、思いがけない形で写真が手に入ったんだ。
「春香ちゃんにセーラー服とブルマを着ろって言ったのか? 変態かお前は」
容赦のない言葉で穂高はオレを罵った。
ここはヤツの家だ。
遊びに来て、オレはついセーラー服とブルマに対する未練を口走ってしまったのだ。
「変態でもいい。春香のブルマ姿が見たいんだよー」
セーラー服は何度か見たことがある。
だが、体操服はない。
「そんなに見たいのか……」
呆れ顔でオレを見ていた穂高がぽつりと呟いた。
「写真あるけど?」
オレの耳は聞き逃さなかった。
飛び上がり、餌をねだる犬のごとく、穂高の膝にしがみついた。
「見せてくれ! 頼む!」
穂高はオレを膝から追い払い、立ち上がって本棚に近寄った。
「しょうがないヤツだな。大事な写真なんだから、涎とか落として汚すなよ」
穂高が棚から抜き出したのは一冊の薄いアルバムだった。
手渡されてめくってみると、そこには中学時代の春香が写っていた。
夢にまで見た体操服姿もあった。
しかも、学校行事の写真まで全て揃っている!
宝の山を目にした興奮で、オレの声は上ずった。
「こ、これ……、これっ!」
目を輝かせてアルバムを抱えるオレは、おもちゃ屋の店先で親におねだりする子供みたいだっただろう。
欲しい、絶対欲しい!
オレの言いたいことが視線だけで伝わったのか、穂高はフッと微笑んだ。
そして指を二本、オレの前に突き出した。
「これで手を打とう。大事な秘蔵のコレクションを譲るんだ。まさかタダでとは言わないよな?」
「う……、二千円か?」
「桁が足らん、二万だ。これ以下では交渉は決裂だ」
くそ、足下見やがって。
でも欲しい。
二万なら何とか払える。
これで服代を払ったらバイト代が消えるけど、どれも欲しいものだ。
オレは決断した。
「よし、買った!」
家に飛んで帰って、金を持ってUターン。
穂高に二万を握らせ、オレはアルバムを手に入れた。
ああ、春香。
これで寝ても覚めても、お前と一緒だ。
「ついでに、これも持っていけ」
穂高が渡してくれたのは、写真のネガだった。
「いいのか? 秘蔵のコレクションなんだろ?」
そう言うと、穂高は苦笑いを浮かべた。
「彼氏でもないのに、いつまでも持っているわけにもいかないからな、お前にやるよ。少しずつ忘れたいから、いい機会だったんだ」
う、ちょっと涙腺にきた。
ありがとう、穂高。
この写真は大事にするよ。
でも、しっかり金を取る辺りが抜け目なく、強かだと呆れる反面、安心もした。
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