束縛
再会・8(side 和泉)
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物々しい格好で秋斗くんの家を訪れた峰生と静流は、わたしが借金のカタに秋斗くんに拉致監禁されていると思い込み、助けに乗り込んできたらしい。
どこがどうなって、そんな誤解が生まれたのかはわからないけど、わたしのために来てくれたと知って、二人と話をしようと思った。
客間に案内して、秋斗くんにも同席してもらって、まずは誤解を解いた。
二人は焦って秋斗くんに謝った。
慣れっこだからか、秋斗くんはあまり気にしていないようだ。
「二ヶ月ほど前に和泉の会社の前を通ったら、建物には別の企業が入っていて、驚いて和泉に連絡しようとしたら携帯は繋がらないし、アパートに行ったら取り壊されてて、誰に聞いても行方がわからなくて心配してたの」
気がついたのは静流で、峰生も大学の友人知人に尋ねまわってみたけど少しも情報がなくて、探偵にまで依頼して行方を探してくれていた。
峰生にわたしの情報が入ったのは、ほんの数日前のことだった。
「大学の連れから電話が来て、和泉は穂高の世話になってるらしいって話を聞いた。穂高は在学中からヤクザだって噂あったし、いつもすごい目つきしてる怖いヤツだと思ってたから、その話も疑いなく信じ込んでしまったんだ」
峰生がそう言うと、秋斗くんは苦笑いを浮かべて視線を彷徨わせていた。
すごい目つきって、秋斗くんってそんなに愛想は悪くなかったのに、もしかして峰生にだけ? それってもしかしなくても、わたしのせい?
「連れが聞いた噂は、穂高が和泉の借金を肩代わりして、家に囲って離さないとか言ってるって穏やかじゃない話だった。早く助けに行かないと、薬漬けにされて売り飛ばされかねないとか悪い想像しかできなくて、慌てて用意できるだけ金をかき集めた。監禁の証拠もないし、警察には駆け込めないから、自分達で助けるしかないって静流と相談して覚悟を決めた」
峰生が聞いた話は、かなり捻じ曲がって伝わっていたみたい。
秋斗くんが家賃なしでわたしに部屋を提供していることと、両思いになってもう離さないとか惚気で言った言葉が混ざって、生活苦で借金を重ねて首が回らなくなったわたしを秋斗くんが買い、家に監禁して無理やり愛人にしているという話になっていたようだ。
そ、そんな噂が流れているなんて……。
秋斗君もあ然としていた。
自分の惚気話がそんなことになっているとは、思いもしていなかったんだろう。
「でも、良かった。違ったんなら、わたし達の出番はなかったね。ごめんね、和泉。二度と顔を出せる立場じゃないことはわかってる。でも、和泉が困っているなら助けたいと思ったの。わたしは今でもあなたのこと大事な友達だと思ってるから」
静流の格好を見て、彼女が本気で戦う気で来たってことは疑いようがなかった。
下手をすると命の危機に陥るかもしれないと思っていても、勇気を出して来てくれた。
それにお金まで用意してた。
何百万もの札束が詰まっている分厚い封筒は、貯金を全て下ろして借金をしてまでかき集めてきたものだった。
二人がわたしのためにそこまでしてくれたことを知って、心の一部を覆っていた氷が解けた。
今まで見えなかった、彼らの苦悩が理解できた。
わたしを傷つけないようにとついた嘘が、どんどん膨らんで、後戻りのできない大きな裏切りになってしまった。
裏切られたと知って絶望した日。
二人もわたしを傷つけたことで苦しんでいたんだ。
「静流、あなたと峰生の気持ちが今ならわかる。二人がわたしを支えてくれようとした気持ちは、偽りでも単なる同情でもなかった。やり方は間違ってたけど、過ぎたことをあれこれ言っても始まらない。わたしはわたしだけを見つめてくれる人に出会うことができた。だから、もういいの。今までのことは忘れてやり直そう。もう一度、友達になろう。二人との思い出を、いつまでも覚えていたい大事なものにしておきたいの」
「和泉、ありがとう」
静流は泣いて抱きついてきた。
わたしも涙が出てきた。
わたし達、仲良しの友達だった。
恋も知らない頃から、たくさんケンカして仲直りして、一番の親友になったんだ。
失ったものが、再び戻って来た。
わだかまりが残ってないわけじゃない。
でも、今なら許せる。
秋斗くんが愛してくれたから、二人の気持ちを考える余裕ができたんだ。
新しい携帯には、静流の番号だけを登録した。
峰生とは距離を置いた方がいいのはわかっていた。
恋人として付き合い、体まで重ねた間柄だ。
吹っ切ったつもりでも、顔を見ているのはやっぱりまだつらい。
「和泉」
俯いたわたしに、峰生が声をかけた。
「穂高にも頼む。和泉と二人だけで話したいことがあるんだ」
峰生は秋斗くんにそう言った。
秋斗くんは頷いて、静流と一緒に部屋を出て行った。
近くの部屋に案内したみたい。
改めて、二人だけで向き合う。
別れた日から五ヶ月ほどか。
あの時はショックが大きすぎて、まともに顔が見られなかったな。
峰生は前より痩せたみたいだった。
表情もどこか陰りがある。
わたしがいなくなって静流と堂々と付き合えるようになったのに、少しも幸せそうに見えなかった。
「今さらこんなことを言っても仕方ないとは思うけど、告白を受け入れた時は和泉のことを大事にしようと思ってた。オレのことを好きでいてくれる、お前に惹かれていたのも本当だ。それでも静流のことも諦められなくて、ずっとどっちつかずの最低なことしてた」
峰生は過去を振り返り、ゆっくりと自分の気持ちを話してくれた。
思えば、峰生の本音を聞いたことがなかった。
幸せだった頃は信じ切っていて、薄々すれ違っていることに気づいた時には怖くて何も聞けなかった。
「オレの中で静流の存在が大きくなっていっても、和泉が大切だって気持ちも変わらなかった。お前はオレを愛してくれていたのに、その気持ちを裏切り続けていることが苦しかった。どうしてもそっけない態度しかとれなくて、声を聞くのもつらくて電話もかけられなかった。大事にしたかったはずなのに、傷つけることしかできない自分にいつも腹を立てていた」
静流は峰生の苦悩を知っていたのかもしれない。
二人で過ごしていても、心から幸せを感じることはできなかったんだろう。
わたしへの罪悪感と、互いへの愛情の板ばさみになって苦しい思いをしていたのかな。
人の気持ちは複雑で、すっきりと割り切れるものじゃない。
それほど苦しい気持ちを抱えていても、二人は求め合ったんだ。
だけど、弾き出されたわたしの気持ちはどこへ行けばいいんだろう。
「あんな形で別れることになっても、お前はオレを責めなかった。殴られても罵られても、仕方のないことをしたのにな。怒りをぶつけられて自分の罪を軽くしたかったわけじゃない。慰める資格のないオレには、責められることでお前の苦しみを受け止めるしかないと思った、今でもそう思っている。お前の心が慰められるなら、幾らでもオレを責めてくれていいんだ」
峰生がわたしを追いかけなかったのは、その資格がないと思ったから。
幾らでも怒りや憎しみをぶつけてもいいと彼は言う。
でも、わたしの心には最初からそんな感情はなかった。
二人に嘘をつかれたことが、悲しかっただけだ。
「静流にも言ったように、あのことは忘れて友達に戻りたい。わたしはあなた達を責めるつもりはないの。それに裏切られて悲しかったけど、憎いと思ったことはなかった。峰生と過ごした時間は確かに幸せだったもの。バイト代が入るとご飯奢ってくれたよね、抱きしめてもらったことも覚えてる。両親を亡くしたわたしにとって、あなたは太陽みたいな存在だった」
峰生がいたから頑張れた。
幸せだった記憶の全てを否定したくない。
「ねえ、峰生。二人で作った思い出は全部嘘じゃないよね? わたしのことも大事に思ってくれてたんだよね」
「ああ、大事だった。嘘じゃないよ。初めて触れ合った時、オレが考えていたのは和泉のことだけだった。その気持ちだけは嘘じゃない」
この答えで、わたしは満足するべきなんだ。
峰生は確かにわたしのことも愛してくれた。
思い出は偽りだけでできていたわけじゃない。
わたしが感じた彼の愛情は、確かに存在していたんだ。
「うん、わかった。信じるよ、峰生の気持ち」
わたしは笑った。
泣きたくて引きつっているのがわかっていたけど、それでも笑った。
「わたしを不幸にした分、静流を幸せにしてあげてね。何年も隠れて付き合わなきゃいけないなんて、静流もつらかったはずだよ。わたしを泣かした上に、親友まで不幸にしたら一生許さないからね」
これで終わりにしなくちゃ。
わたしの初恋は終わったんだ。
わたしには秋斗くんとの幸せな未来が待っている。
それなのに、どうしてこんなに苦しいの。
峰生と静流が帰っていくのを見送って、わたしは秋斗くんの胸に飛び込んだ。
「秋斗くん。気持ちが落ち着くように抱いて欲しいの」
わたしの唐突なお願いを、秋斗くんは聞いてくれた。
彼の部屋で、生まれたままの姿を晒し、ベッドに横になった。
「あいつのこと、まだ好き?」
秋斗くんはわたしの肌にキスをして問いかけた。
彼の愛撫に身を委ねながら、首を横に振った。
「好きじゃない……。でも、つらいの」
ぐちゃぐちゃした気持ちが、まだ胸につかえている。
峰生に恋してた気持ちは行き場を失って、今でもわたしの中でくすぶり続けている。
彼と会ったことで思い出されたその気持ちが、わたしの心を苛む。
「秋斗くんがわたしを好きになってくれた時、わたしは峰生が好きだった。本気で愛していた。その気持ちは昇華されなくて、今でも思い出にできないまま残っている」
秋斗くんの指がわたしの中心に触れた。
思わず目を閉じた。
潤ったそこから水音がして、指が動くたびに溢れてきた。
唇に柔らかいものが押し当てられて、目を開けたら、穏やかな秋斗くんの微笑が映った。
「好きだった気持ちは忘れなくてもいい。いつか、時間が思い出に変えてくれる。誰かを愛することができるのは素晴らしいことだ。和泉は山下が好きで、幸せにしてあげたかっただろう? だから、これでいい。あいつは本当に好きだった人と結ばれて幸せになれる。和泉はオレと幸せになろう。あいつらに負けないぐらい幸せになれたら、きっと思い出にできるよ」
彼の言葉がわたしの心を落ち着かせた。
秋斗くんはわたしの過去も全て受け入れてくれた。
過去の愛を否定されなかったことが、胸に残っていたわだかまりを消してくれた。
これでわたしも初恋を思い出にできる。
心置きなく秋斗くんを愛せる。
一緒に幸せになろう。
誰もが羨むような大きな愛を与え合って、生きていこうね。
「秋斗くん、愛して。わたしの全てをあなたで満たして」
わたしが愛しているのは、目の前のこの人だけ。
指が離れ、代わりに待ち望んでいたものが入り口に当たった。
硬くなった秋斗くん自身が、私の中を満たしていく。
蕩けそうな熱を感じ、彼の体に抱きついた。
声を上げて、淫らに全てを曝け出す。
「ああ…ふぁ…んっ……、うあああああっ!」
秋斗くんで満たされて、絶頂に達する中で彼の精がわたしの中に放たれた。
いつもと違うその感覚に、冷水をかけられたように我に返って青くなった。
な、中で出した?
避妊具つけてない……?
秋斗くんっ!
「だめ、秋斗くん! 早く出さないとっ!」
手遅れに近いのに、わたしは中に入り込んだ精子を流さなければと慌てた。
だけど、秋斗くんはぎゅっとわたしを抱きしめて離さなかった。
「どんな手を使っても君を離す気はない。子供ができたら産んでね。結婚しよう、和泉」
なんて状況でプロポーズするんだろう、この人は。
呆れてしまって、笑いがこみ上げてきた。
「はい、幸せにしてね」
「約束する」
誓いのキスを交わして抱き合った。
温かくて頼りがいのある腕に包まれて、わたしはウトウトとまどろんだ。
冬の寒さもさらに本格的になり、ジングルベルも後二日で聞こえなくなる今日は、クリスマスイブだった。
諦めない期限だったこの日を迎えても、わたしは明日を夢見て、ちゃんと生きていた。
わたしは秋斗くんと街を歩いていた。
イブの夜は二人だけで過ごすことにしたんだ。
家族でのパーティーは例年通り明日する。
嵐くんにプレゼントを届けるサンタ役は、秋彦さんがやってくれることになった。紅葉さんお手製の衣装を着た、ちょっと人相の悪いサンタさんを頭に浮かべて、思い出し笑いをしてしまった。
わたし達は今夜はホテルで食事をして泊まる予定。
今はホテルに向かって歩いている。
「去年は送るだけだったけど、今夜は離さないからな」
肩を抱いて、秋斗くんが囁いた。
わたしも寄りそって「うん」と頷いた。
ゲームセンターの前を通りかかると、ぬいぐるみが詰まったゲーム機には違うタイプの例の黄色いクマが入っていて、わたしは思わず駆け寄った。
「秋斗くん、プレゼントこれでいいよ」
取ってっておねだりしたら、秋斗くんはコインを入れて挑戦してくれた。
あの時と同じで、一回でクマが出てきた。
「はい、取れたよ」
「ありがとう、嬉しい」
クマを受け取って、お返しにキャンディを出そうとバッグに手を伸ばした。
その手を掴まれて、唇にキスされた。
「お返しはこれでいいよ」
人通りは少ないとはいえ、人前でキスされたことが恥ずかしくて、口元を抑えて秋斗くんを見つめる。
彼は人の悪い笑みを浮かべて、また顔を近づけてきた。
「来年のクリスマスには、もっといいものプレゼントするって言っただろ?」
手の平に柔らかな手触りの箱を乗せられた。
赤い色のそれは指輪のケースだった。
蓋を開けると、ダイヤモンドの指輪が輝いていた。
これって……。
「驚かせたくて、母さんに和泉の指輪のサイズを調べてくれって頼んだんだ。ぴったりのはずだ」
ちょっと前に、紅葉さんと買い物に行って一緒に指輪を見たっけ。
あの時か。
「う……、嬉しいけど、お返しできるものがないよ。結婚するにしても、今はお金ないし……」
現実問題が重く圧し掛かる。
秋斗くんの家なら、ちゃんと手順を踏んでするんだろうな。
親元がない子なんて、親戚とかに反対されるかも。
「和泉に親元がないぐらい、オレの親も承知の上で祝福してくれている。結婚式も自分達が納得できるやり方ですればいいって、親父も言ってくれた。一人で悩まないで、二人で解決していこう」
秋斗くんはわたしの左手をとって、薬指に指輪をはめてくれた。
約束が形になって、彼に求婚された実感を与えてくれる。
「お返しは和泉だよ。心も体も全部オレにちょうだい」
高価なプレゼントのお返しに、秋斗くんはわたしを望んだ。
そんなものとっくにあげてるのに。
わたしが笑ったら、秋斗くんも笑った。
こんな瞬間にも幸せを感じる。
その時、ちらっと白いものが目の前を舞って、空を見上げた。
「秋斗くん、雪だよ」
「ホワイトクリスマスだな。このぐらいの雪なら、ムードに酔ってても大丈夫だろう」
ちらほらと粉雪が舞う街を、二人で腕を組んで歩く。
街を包む空気は冷たいけど、心はぽかぽか温かい。
部屋の明かりでクリスマスツリーを描くホテルが見えてきた。
凍えた体も、もうすぐ温まる。
去年のクリスマスに現れたサンタさんは、約束通りに今年もやってきた。
愛という名の最高のプレゼントを携えて――。
END
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