償い
第7話おまけ -渡の独り言-
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雛ちゃんの気を惹こうとして、鷹雄が思いついたのは、高価な品を買い与えることだ。
物で釣るのは感心しないが、財力も頼もしさを示す手段の一つではある。
雛ちゃんは遠慮深い子なので、普段から必要な物しか購入せず、贅沢品を欲しがらない。
そこで鷹雄は、何でも望みを叶えてやると持ちかけて、雛ちゃんを喜ばせようとした。
ところが、彼女が望んだものは、物ではなく兄だった。
思いがけない展開で、一日だけ兄妹に戻ることになった二人は、朝から仲良く遊びに出かけた。
オレは護衛のために、物陰からこっそり観察していた。
途中、雛ちゃんが変な二人組にしつこいナンパをされて困っていたが、鷹雄に見せ場を用意するために、オレはあえて助けに入らなかった。
決して、職務怠慢で傍観していたわけではない。
鷹雄は記憶をすり替えたかのごとく、完璧に昔のヤツを演じきってみせた。
いや、あれが本来の姿なんだろう。
鷹雄は演じていたんじゃなくて、雛ちゃんを縛りつけておく必要がなかった、あの頃に戻っただけだ。
幸せそうな鷹雄を見て、これでヤツも希望を持てばいいと期待した。
兄じゃなく、男として愛してくれと告白しても、雛ちゃんはついてきてくれるはずなんだ。
その一言が言えないために、二人の関係はややこしいことになっている。
今回のことが、突破口になればと思っていたんだけどな……。
一日兄妹をやった後、鷹雄の様子がおかしくなった。
機嫌が悪かったかと思うと、ため息をついて落ち込んでいる。
そして、手元に置いて離さなかった雛ちゃんを避けていた。
今日も雛ちゃんが帰りを待っているというのに、帰宅するなりオレの部屋に押しかけてきて、酒を飲んでいる。
オレ達は片付けたリビングの中央で直接床に座り、つまみに菓子を食べながらビールを飲んでいた。
鷹雄持参の瓶ビールは、ヤツ一人で早々と数本空けてしまった。
高級酒を少量じっくり味わうより、大量のヤケ酒を煽りたい気分らしい。
「雛ちゃん、待ってるんだろ? 帰れよ」
「今夜はここに泊まる。雛にも言ってきた、何かあれば連絡してくるだろ」
「そういう問題じゃねぇって、オレの都合はお構いなしかよ」
明日も雛ちゃんの送迎がある。
それにオレの部屋にはベッドが一つしかない。
泊り客もいないので、客用の寝具も揃えていないのだ。
「どこで寝る気だよ。ベッドはオレが寝るんだから、貸さないからな」
「寝る気はない、朝まで付き合え」
「やだよ、オレは明日も朝から仕事だぞ。お前の大事なお姫様を送っていくんだ。徹夜で飲むなら一人でやれ」
鷹雄は不満そうに口をひん曲げて、ぐいっとコップを傾けた。
度数が比較的低いビールとはいえ、これだけ飲めばもうじき酔いつぶれるんじゃないか?
さらに一本空けた頃には、鷹雄の目は半開きになって、顔も真っ赤になってきた。
吐く息が酒臭い。
これで帰ったら、雛ちゃん嫌がるだろうな。
「なあ、渡ぅ。オレ、どうして雛の兄貴になったんだろぉ」
酔いがまわってきたせいか、いつになく鷹雄は饒舌になっていた。
今なら本音も素直に吐きそうだ。
雛ちゃんを呼ぼうかと思ったが、鷹雄が素面に戻った時、醜態を見せたと半殺しにされかねないのでやめておいた。
「兄貴じゃないオレなんて、雛はいらないんだ。ちくしょお、親父のヤツ、何でちどりさんと再婚なんかしたんだよぉ。雛を独り占めする兄貴なんか嫌いだ、ぶっ飛ばしてやりてぇ」
言ってることが矛盾だらけだ。
その兄貴は自分だろ。
はぁ、この酔っ払いの相手すんのかよ。
気が重い。
「親父さんが再婚しなきゃ、雛ちゃんとは会えなかっただろ。それに彼女の兄貴はお前だよ。自分で自分に腹立てるなよ。そもそも、雛ちゃんとの仲をややこしくしたのはお前だろ。親父さん達を恨んでいるフリをするために、わざと雛ちゃんに冷たく当たっていじめたのがよくなかったんだとオレは思うぞ」
オレの正論も、酔っ払い男には聞こえていない。
虚ろに宙を見て、ぶつぶつ文句を言っている。
「金を使えって言っても使わないし、指輪やっても喜ばないくせに、兄貴のオレがいるだけで喜ぶんだぜ。この世の幸せが一度に来たみたいによぉ。何だよ、どこが違うんだよ、同じじゃねぇか。オレのセックスが下手くそだから嫌なのかよぉ」
ああ、どんどん被害妄想が膨らんでいってる。
体の問題じゃねぇって言ってやっても、オレの言葉じゃ納得しないだろうしな。
どうすりゃいいんだよ。
「雛は目の前のオレなんか見えてなくて「お兄ちゃん、どこ?」て、呼んで泣くんだよ。ただのオレは、あいつの視界にも入らないんだ。耐えられねぇよ、兄貴にも戻りたくねぇ、もう嫌だ」
鷹雄は諦めきった声音で呟いて、仰向けに寝転がった。
瞼がゆっくり閉じられていき、いびきが聞こえ始める。
酔いつぶれて寝ついた鷹雄に毛布をかけてやってから、寝室に引き上げた。
ヤツの話から推測すると、兄妹の時間が終わった途端、雛ちゃんに迫って拒絶されたようだ。
また兄貴はいないとか何とか言って、過去ごと否定したんだろう。
そこが、そもそもの間違いなんだ。
世話のかかるヤツだ。
もうちょっとだけ踏み込んで、お節介を焼いてやるべきかなぁ。
これの相手をするのも勘弁願いたいし。
傍観者でいることにも苦しくなってきたところで、雛ちゃんに鷹雄の気持ちを代弁してやるべきかと考え始めたのだが、事態は思わぬ方向に動き始めた。
あれから数日後に、聞き捨てならない話を耳に入れたオレは、鷹雄がいる重役室に怒鳴り込んだ。
「鷹雄! お前、何を考えてるんだ!?」
血相を変えて飛び込んできたオレに、鷹雄はうっとうしそうな視線を向けた。
「うるせぇ、お前もかよ。昨日も母さんと隼人さんに問い詰められてうんざりしてるんだ。話は手短にしてくれ」
「問い詰めたくもなる! 見合い相手と付き合うってどういうことだよ! 雛ちゃんはどうする気だ!」
耳にした話というのは、鷹雄の見合い話だ。
相手は雁野駒枝(かりの・こまえ)という取引先の社長令嬢で、先方の社長自らが持ち込んできた話だった。当然、向こうは雛ちゃんの存在を知らない。
これまで見合い話は、相手や紹介者の顔を立てて会うだけ会い、丁重に断るという方法をとってきた鷹雄だが、今回は次の約束をしたというのだ。
「話がまとまり次第、オレがマンションを出る。雛の護衛は続けろ、あいつが卒業するまでは面倒を見る約束だからな」
「そういうことじゃない! 諦めるのかよ、雛ちゃんが他の男のものになってもいいってのか!? それに見合いの相手を騙すようなもんだぞ。好きな相手が他にいるのに、仮に結婚までこぎつけても、結婚生活がうまくいくわけがないだろうが!」
どうしてオレは、ここまで熱くなってるんだろう。
それは、この話が進むことで、不幸になる人間が三人もいることを知っているからだ。
その内の一人はオレのダチで、だから放っておけない。
「雁野の娘に関しては心配はいらない。あれだけ割り切ってるヤツなら平気だよ。妻の立場が保障されて、金が好きなだけ使えれば、パートナーの恋愛は自由にさせる気なんだとさ。雛のことなら潔く諦める。あいつが選んだヤツなら、どんな男でもいい。もう邪魔はしない、オレは雛の前から消えることにする」
開いた口が塞がらなかった。
諦めるって、お前にできるわけないだろ。
死ぬまで雛ちゃんのこと想い続けて、親のために表面だけは普通の人生送る気かよ。
そんなことして誰が喜ぶんだよ。
誰も幸せになれねぇじゃねぇか。
オレは何をすればいいんだ。
イライラした気分で部屋を出て、廊下を歩いていると、背後から呼び止められた。
「鳶坂くん、少々時間をもらえるかな? 頼みたいことがあるんだ」
振り返って意外な人物の登場に目を見開く。
オレを手招きして呼んでいるのは、上質のスーツをそつなく着こなした若々しい壮年の男だ。
「しゃ、社長!?」
反射的に直立して、姿勢を正してしまう。
この人は一見すると穏やかだが、無意識に襟を正してしまう静かな威圧感を持っているのだ。
やはり若くして大企業を束ねてきた男だけのことはある。
鷹雄も彼にだけは頭が上がらない。
全てにおいて、目上の存在だと認めているからだ。
オレを呼び止めたのは、鷹雄の義父であり、オレの真の雇い主でもある鷲見隼人だった。
END
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