狂愛
蜂蜜姫の憂鬱・1
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あの方を初めてお見かけしたのは、わたしがまだ十二才になったばかりの頃。
当時、まだ王太子だった父と母と一緒に、大国カレークの王城に行った時のことだ。
我が国ルフィアは小国だ。
領土は狭く、各国に一目置かれるほどの武力もなく、常に強国の庇護にすがり、平穏を保ってきた。
カレークは世界で一番の国力を誇る国。
国王のクラウス様は、わずか十三才で即位され、自ら軍を指揮して侵略してくる国々を打ち倒し、十年という短い月日で小国だったカレークを世界最強の大国へと導かれた。
わたしが生まれた時にはカレークの影響力は世界中に及んでおり、我が国もその庇護下に入っていた。
「カレークの王は平和を望まれる賢王だ。あの方が王であらせられる限り、大きな戦は起こらぬだろう」
父はクラウス様に心酔しており、今回の招待状にも喜んで出席の返書を送った。
訪問の目的は、カレークの王太子フランツ様の十五回目の誕生日を祝うため。
失礼のないようにと、わたしの支度も念入りに整えられた。
蜂蜜に似た濃い色合いの金髪は白い花の髪留めで飾られ、青のドレスは可愛らしく仕立てられた新品だ。わたしの緑の目に合わせて、エメラルドの宝石を嵌めたネックレスを首につけている。
城内に入り、会場となっている大広間に通されると、そこにはわたしと同じ年頃の姫を連れた各国の王族が集っていた。
お父様は圧倒された様子で周囲を見回し、わたしに向き直ると肩に手を置いた。
「やはり、考えることはみな同じだな。フィリーナ、お前も頑張るのだ。フランツ様のお目にとまれば、次期カレーク王妃も夢ではないぞ」
父に励まされても、何を頑張ればいいのかわからない。
よくわからないけど頷いた。
隣で母が苦笑していた。
やがて、父の名が呼ばれた。
国王様に挨拶をするために、順番を待っていたのだ。
「おお、いよいよ我々の番だ。さあ、行こう」
父母に続いて、クラウス様の御前に進み出る。
国王夫妻と王太子殿下は壇上に設けられた席に座り、客人達からの祝辞を受け取られていた。この場にいる王族達は、みな彼らの庇護を受けている者ばかり。上から見下ろされても不満を言う者は一人もいない。
クラウス様は予想外に若い人だった。年は四十間近だと聞いたけど、もっと若く見える。
聖堂に描かれた大天使みたいに威厳に満ちた金髪碧眼の容姿は神々しくて、恐れの念さえ抱く。
怖くなって視線を横にずらすと、隣に座っている王妃様は優しい微笑みを浮かべていた。
王妃様の穏やかな雰囲気が、この場の空気を和やかにしている。
そして、その隣にあの人がいた。
一瞬で目を奪われた。
眩いほどの黄金の髪、青い宝玉のごとき輝きを持つ瞳、加えてそれらを引き立てる端整な顔立ち。衣装は白を基調にまとめられており、鮮やかな青いマントを身につけている。腰には飾りに凝った儀礼用の剣が添えられていて、違和感なく似合っていた。
威風堂々とした凛々しいお姿はまさしく理想の王子様。
その瞬間、わたしの魂は別世界に飛んだ。
我を忘れて見とれてしまい、挨拶が遅れた。
父が小声でわたしを促し、背を軽く叩いた。
「これ、フィリーナ。ご挨拶をしないか」
「あ、はい……、その……」
慌ててしまって、何も言えなくなってしまった。
さらに焦る父に急かされ、ますます混乱して泣きたくなった。
無意識にドレスのスカートを掴み、俯いた。
遠巻きにしている他国の王族達の失笑や嘲笑する声が聞こえてくる。
消えてしまいたいほど恥ずかしくなり、目に涙が滲み出す。
「そのように急かしては可哀想です。慣れない場で緊張されているのでしょう、私にも覚えがあります」
壇上から優しく声をかけられて、思わず顔を上げた。
王子様が、わたしを見て微笑んだ。
席を立ち、こちらに歩いてくる。
彼はわたしの前でお辞儀をすると、手を差し出してきた。
「本日は私の誕生日を祝うためにおいでくださって感謝いたします。フィリーナ姫、ダンスのお相手をしていただけますか?」
手をとられて、見つめられる。
周囲の声はまったく耳に入らなくなった。
「はい、喜んで……」
夢見心地で返事をして、手を引かれて踊りの輪の中に入っていく。
無我夢中でフランツ様のリードを頼りにステップを踏んだ。
誰ともぶつからなかったし、フランツ様の足も踏まなかった。多分、ちゃんと踊れていたんだと思う。
曲が終わって、気がつけば、父母の間に立っていた。
フランツ様はもう席に戻って次のお客様のお相手をしていたけど、わたしはずっと彼を見つめていた。
どきどき胸が高鳴って、そっと手で押さえた。
初恋だった。
手の届かない人だとわかっていても、一度生まれた想いがそう簡単に消えることはなかった。
それから六年後、十八になったわたしは運命を決める知らせを待っていた。
長い片思いの相手であるフランツ様の花嫁がいよいよ選ばれると聞き、望みが薄いと知りながら、肖像画と花嫁候補に名乗りを上げる書状をカレークに送ってもらったのだ。
不安でいっぱいの胸を落ち着かせるべく、城の屋上に出る。
城の正門の向こうに見える赤茶色の建物がひしめく街並みは、王都に相応しく近代的で賑やかだ。
しかし、ひとたび城の反対側を振り返ると、青々とした野山と草原が視界いっぱいに広がり、放牧されている牛やヤギ、羊の声が聞こえてくる。
ルフィアは田舎だ。
特産物は蜂蜜と農作物。
おかげで食糧事情は豊かだけど、発展や流行は後れまくっている後進国の一つ。
濁りのない青空を見上げてため息をついた。
わたしが選ばれるわけがないわね。
噂に上るほどの美貌もないし、よほどの物好きでもない限り、肖像画も一瞥しただけで放り投げられているわ。
でも、やれるだけのことはやった。
これで断られたら仕方がないと諦められる。
わたしの初恋。
フランツ様と踊った出来事は、大切な思い出としていつまでも覚えておこう。
ふうっと重いため息をつく。
絶望を感じて項垂れていると、ばたばたと足音が近づいてきて、屋上に家臣の一人が駆け込んできた。
「フィリーナ様、返事がきました! 早く、早くおいでください!」
「返事って何の?」
あまりの慌てように驚いて問うと、家臣はますます慌てて大声を出した。
「カレークよりの返書ですよ! 選ばれたんです、フィリーナ様が!」
思いもかけない知らせを聞いて、呆然とした。
選ばれた?
わたしが?
嘘でしょう?
急いで父が待つ、広間に向かった。
使者は別室で休まれていて、広間にいたのは父と家臣達だけだった。
わたしは興奮を抑えきれず、父に駆け寄った。
「本当なの、お父様!」
「おお、本当だとも! 先ほど使者殿から直接聞いた! お前が選ばれたのだぞ、フィリーナ!」
父と手を取り合い、喜びで部屋中をぐるぐる踊りまわった。
「おめでとうございます! フィリーナ様!」
わたしの長年の片思いが実ったことに、居合わせた家臣達も拍手を送る。
返書には、フィリーナ王女をフランツ王太子殿下の婚約者として迎えると記されていた。
ひとしきり喜びのダンスを踊った後、わたしとお父様は改めて返書を読んだ。
お父様は何度も文面を確かめた後、首を傾げた。
「しかし、王太子妃ではなく婚約者とはどういうことだろう? 深い意味はないのかもしれんが、もしかすると他にも選ばれた姫がいて、正妃と側室を複数娶られるのかもしれぬのう」
不吉なお父様の言葉に、広間を満たしていた祝福の空気が一気に盛り下がった。
そうだとすれば、間違いなくわたしは側室だわ。
正妃が大国の姫だったら、いじめられてしまうかも。
恐ろしい想像が頭の中をかけめぐり、豪華な衣装に身を包んだ美しい姫が、粗末なドレスを着たわたしを足蹴にして高笑いをしている姿が浮かんだ。
『この小国の田舎娘が! 身の程を弁えず、フランツ様の后になろうなんて許せないわ! いじめてやる!』
『やめて! 許してください!』
靴に釘を入れられたり、ドレスを切り刻まれたりするんだわ。
花瓶の水をかけられて、雑巾をぶつけられ、召使いのごとく床掃除をさせられるの。
濡れ鼠のような格好で泣きながら掃除をしているところに、フランツ様がやってくる。
『君、どうしたんだ?』
『い、いえ、何でもありません』
わたしは姫の仕打ちが怖くて何も言えずに首を振る。
フランツ様はわたしの手を取り、にっこり微笑まれた。
『さあ、涙を拭いて。君にこんな姿は似合わない。私の后が召使いのマネごとなどしてはいけない』
『フランツ様、わたしのことをご存知で……』
『当たり前じゃないか、君は私が選んだ后だ。愛しているよ、フィリーナ』
『ああ、フランツ様!』
しっかりと抱擁を交わす、わたしとフランツ様。
物陰から覗いている意地悪な姫が、握り締めたハンカチを口で引っ張りながら睨んでいるけど大丈夫。
フランツ様の愛があれば、わたしはどんな意地悪をされても耐えてみせる!
妄想に入り込んでいたわたしは、大臣の咳払いで我に返った。
「とにかく側室でも何でも、カレークと縁続きになれるとあれば我が国にとっては非常に良いお話です。フィリーナ様にはお辛いお役目となるやもしれませんが、これも王族の務めと思い耐えていただきたく……」
わたしは大臣の手を力強く握り締めた。
「任せて! 正妃の姫にいじめられても耐え抜いてみせるわ! フランツ様のお后様になるのがわたしの夢だったんですもの! ルフィアの国民のためにも寵愛をいただけるように頑張るわ!」
「フィリーナ様、ご立派ですぞ! 家臣一同あなたを誇りに思います!」
わたしの決意を聞いて感激した家臣達が泣きだし、お父様も涙ぐむ。
広間はたちまち感涙の大洪水にみまわれた。
一週間後、輿入れのために用意された荷物と、カレークへの貢物を乗せた荷馬車の一団が支度された。
瓶にいっぱいの蜂蜜がたくさんと、最高級品種の牛と豚と羊、日持ちのする農作物を大量に乗せて出発。
両親と兄弟、家臣や国民に見送られて、わたしはカレークへと旅立った。
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