我が愛しの女王陛下

第一章・宰相ロベール=マルトー・1

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 私ことロベール=マルトーは、幼い頃から勉学の分野で才能を発揮し、十代の半ばには主要な学問のほとんどを修めるまでに至った。
 これらの実績に加え、大臣の息子であったことも、王の目に留まった理由だろう。
 私は十七才の若輩者でありながら、王直々の命により、王女リュシエンヌ様の家庭教師となった。
 この時、リュシエンヌ様は七才。
 私との年の差は十才であった。

 初めてリュシエンヌ様と対面した日のことは生涯忘れることはない。
 梳かされて美しく流れる栗色の長い髪、青い瞳は素直な輝きを持ち、無垢な少女の顔立ちに似合うように、ドレスはフリルで飾られた純白の愛らしいものだった。
 家庭教師だと紹介された私に対し、リュシエンヌ様はにっこり微笑みかけてくださった。

「よろしくお願いいたします」

 彼女の周りだけ、景色が違って見えた。
 決して私には幼女を愛でる性癖はない。
 だが、それほどまでにリュシエンヌ様は眩しかった。
 この方にならば、誠心誠意を尽くしてお仕えしてもよい。
 本心からそう思ったことは事実だ。

 始まって数年は、私と王女の二人だけでの授業であったが、次々邪魔者が増えだした。
 ご学友との名目で授業に加わってきたのが、ユーグ=バレーヌとリュカ=ルサージュだ。
 ユーグははっきり言ってバカだ。
 頭を使うことが苦手で、学習意欲がまるでない。
 騎士見習いであるからか、体を鍛え、剣技を磨くことにご執心で、何ゆえ王女のご学友に選ばれたのか疑問に思ったほどだ。
 リュカは頭はいいのだが性格が悪く、金髪碧眼の愛らしい容姿とは反比例して憎たらしい言動を繰り返し、少しも可愛くない。リュシエンヌ様の前でだけ良い子のフリをする、なかなか計算高く強かなヤツだ。

 ご学友なら他にもっと相応しい良家の子女がいたのではと、当時の宰相に問うたところ、王女自らが選ばれたと聞いて驚いた。
 ユーグは頭脳明晰な兄達とは対照的に落ちこぼれで、家族から疎まれて育ったのだという。
 リュカは先頃滅亡したグレイン王国の王子だったが、己で制御できないほどの魔力を持って生まれたために、制御方法を知る師となる魔術師が現れるまで十年近くも結界付きの地下牢に幽閉されていた。
 彼らの共通点は、共に周囲から孤立していることだ。
 リュシエンヌ様が彼らをお傍に召したのは、その孤独を知ったからなのだろう。
 ああ、なんとお優しく慈悲深い。
 王女の御心が報われるように、私も私情を挟まず、彼らを教育しようと決意した。

 だが、ヤツらは私の想像以上に可愛くなかった。

「なんかさあ、ロベールってロリコンくせぇ。リュシーを見る目が明らかにヤバイだろ」
「それには同意するね。あの年で彼女もいないらしいし、これは確定だよね。ボク達が気をつけていないと、そのうちリュシーに襲い掛かるに違いないよ」

 王女が席を離れた途端、可愛げのないガキ共は聞こえよがしの悪口をひそひそと言い出す。
 普段は仲が悪いくせに、なぜこんな時だけ無駄に結束が強いんだ。
 私という共通の敵に対して、ヤツらは共同戦線を張ることにしたようだ。

 このクソガキ共め。
 私は辞書の角で、無礼者共の頭を殴った。
 さすがに角は効いたようで、ヤツらは揃って涙目で私を見上げ、さらに喚きだした。

「何すんだ、ロリコン!」
「変質者!」
「やかましい! ガキ共! 無駄口叩いてないで、さっさと課題をやらんか! リュシエンヌ様はすでに終えられて、休憩に入られているのだぞ!」

 これも王女のためだと我慢してきたが、私にも忍耐の限度というものがある。
 引きつり笑いを浮かべ、腕を組んで二人を見下ろす。

「この私を侮辱するとはいい度胸だな。お前達がそんなに勉強が大好きだったとは知らなかった。気が利かなくて悪かったな。じゃあ、これだけ追加だ」

 悪口の報復にと、私が出したのは数式を始めとした様々な問題を書いた大量の紙の束だ。
 本来なら数日に分けて出す量の課題だが、それら全てをガキ共の眼前にどかりと置いてやる。

「ぐぉっ! ロベール、てめぇ!」
「卑怯者ーっ! 職権乱用だ!」

 ぎゃんぎゃんうるさいガキ共に、問答無用で山のような課題を追加し、その場を離れる。
 ヤツらのせいで頭が痛くなってきた。
 これは王女の笑顔を見て、お声を聞かねば治らない。




 庭に出て、休息されている王女の許へと向かう。
 リュシエンヌ様は数名の侍女達と共に花壇の前にいて、咲き誇る花々をご覧になられていた。
 その傍らには、鎧とマントを着用した騎士が立っている。
 邪魔者三号……もとい、王女付きの近衛騎士ラウル=ヴェントだ。
 ラウルは遠目から見てもわかるほど、リュシエンヌ様に熱い視線を送っていた。
 私より、この男の方が危ないのではなかろうか。
 ガス抜きの方法を知らない堅物は、ふとしたきっかけで暴発するかもしれん。

「あら、ロベール。二人の課題は終わったの?」

 私に気づいたリュシエンヌ様がこちらを向かれた。
 ほわりとした温かい微笑は、まさしく天使の微笑み。
 先ほどまでの苛立ちや腹立ちなどは跡形もなく吹っ飛んでしまった。

「いえ、まだ終わらないのです。私が始終監視していては彼らも緊張してやりにくいでしょう。ですから、こうして席を外して庭に出てきたんです」
「それもそうね。二人の課題が終わるまで、ロベールも休んだらどうかしら? 疲れたでしょう」

 我々の会話を聞いていた侍女達が、お茶の支度を始める。
 日除けの天幕を張り、テーブルと椅子が運ばれてくる。
 清潔な白いクロスがテーブルにかけられ、紅茶と焼き菓子が手際よく並べられた。

「ラウルも一緒にどう?」
「いえ、私にはリュシエンヌ様の護衛の任がありますゆえ、申し訳ございません」

 ラウルは王女の誘いを残念そうに断り、椅子を引いた。

「リュシエンヌ様、どうぞ」
「ありがとう」

 リュシエンヌ様は極上の笑顔を惜しげもなく振りまく。
 笑顔で礼を言われたラウルは、毅然とした表情を微妙に歪めた不気味な顔をしている。
 きっと心の中では、ニヤけているに違いない。
 リュシエンヌ様、そのように無防備なお顔を見せては危険です。

 私は目を光らせてラウルを監視する。
 向こうも気づき、同様の眼差しで睨んできた。
 我々は見えない火花を散らし、互いを牽制し合っていた。

「楽しそうですね。私も混ぜていただいてよろしいか?」

 割って入ってきたのはフィリップ=カリエールだ。
 外交官として周辺諸国を飛び回っているこの男は、豊富な知識を巧みな話術で披露することで、王女のお気に入りとなった。
 我々の声に気づいて、庭に出てきたらしい。

「ええ、どうぞ。またお話を聞かせてくださる?」
「喜んで」

 王女の関心はフィリップに向けられ、私とラウルは顔を見合わせ、共に悔しさで唇を噛んだ。




 このように王女の傍にいる男達は油断がならない。
 そう警戒して牽制してきたのに、私は結局彼らの恋情を利用し、仲間に引き入れることで、最愛の人を手に入れることができた。
 不満を抱かぬはずはないが、これが最善の方法であったのだと納得はしているし、後悔はしていない。
 我が愛する人は、特定の男を愛することはない。
 国と共に有り、民のために生きるお方だ。
 リュシエンヌ様が我らを受け入れられたのは、国民の利になるからだ。そこに特別な感情などない。
 だが、我らはそれでいいのだ。
 彼女の傍で微笑みを見て、そのお体に触れることを許されただけで満足できる。

「宰相閣下。我が軍がゴルバドレイ軍を撃破。女王陛下のご命令通り、国王は生かして捕らえました」

 戦場から早馬が着き、戦の終決を知らせてきた。
 最大の脅威であった大国ゴルバドレイも、その力を失った。
 我らが陛下とした約束は果たされ、王の処遇が決まれば、いよいよ婚姻の誓いを結ぶ。
 式典の後は、待ちに待った初夜だ。
 そこではたと気がつく。

 やはり、寝所を共するのは一人だろうな。
 幾らなんでも、目の前でリュシエンヌ様が他の男に抱かれる姿を見るのは嫌だ。

 初夜を目前にして浮上してきた問題。
 案の定、全員が自分こそが初夜のお相手にと主張し始めたのだ。



 
 女王の伴侶として正式に迎えられた日の夜。
 初夜の相手となるのは誰かという問題は未だ解決していなかった。

「オレに決まってるだろう! リュシーの初物はオレのものだ!」
「初物って下品な! ユーグみたいな乱暴者が初めてなんてリュシーがかわいそうだ! 処女は大事にしないといけないんだぞ。ボクなら痛みを消す薬を用意して……」
「薬だぁ? てめぇ、リュシーに変なもん飲ますな! この童貞が!」
「童貞はお互い様だろ! 君は引っ込んでろ!」

 ぎゃいぎゃい大騒ぎしているのは、ユーグとリュカだ。
 あの生意気でうるさいだけだったクソガキどもも成長し、ユーグは右将軍、リュカは王宮魔術師という立派な肩書きを持つようになった。
 だが、彼らの年齢は十七才に十五才。女性に関する経験値の少ない年少者二人は、本人達がどう主張しようが今宵の役目には相応しくない。
 その点で言うなら、仏頂面で成り行きを見ているラウルもそうだろう。
 超堅物で浮いた噂一つない、清廉潔白な騎士。現在は左将軍の地位を得ている。
 彼は二十二だが、リュシエンヌ様一筋できたために女性経験は皆無のはずだ。
 残る一人が、経験という意味ではもっとも適任だ。
 フィリップは、我らの中で唯一の妻帯者。
 我が国では妻子の権利と扶養義務さえ守れるのならば複数の妻を持つことは認められているので、彼が女王の伴侶となることの障害にはなりえない。
 ちなみに私はそれなりに経験がある。
 いずれも後腐れのない玄人が相手だったが、童貞よりはマシだろう。
 しかし、ここで優先させるべきなのは、花嫁となるリュシエンヌ様のお気持ちである。
 初めては何かと不安なもの。
 一生に一度のことではあるので、なるべくリュシエンヌ様のご希望に沿う形で進めて差し上げたいものだ。

「やはり、ここはリュシエンヌ様に決めていただくべきだろう。その方が諦めも付く」

 私の提案に、他の四人は頷いた。

「異議なし」
「望むところだ!」
「後で文句言っても聞かないよ」
「いいんじゃないか?」

 それぞれ同意や意気込みを語り、五人揃ってリュシエンヌ様の御前に参上する。
 リュシエンヌ様は我々の顔を順番に見ていき、最後に私と視線を合わせた。

「あの……。それならロベールにお願いするわ」

 もじもじ恥らうような顔をして、リュシエンヌ様は私を指名した。
 選ばれた優越感で、私の口元が緩む。
 隣でぶつくさ小僧どもが文句を言っているが、上機嫌で聞き流す。

「なんでロベールなんだよ」

 陛下の選択に文句はつけない約定であったが、ユーグは納得できなかったらしく、理由を問いかけた。

「だって、ロベールは先生だもの。初めてでもうまく教えてくれると思ったの」

 リュシエンヌ様の返答に硬直した。
 先ほどまでの浮かれた気分は吹き飛んでしまい、深い落胆に襲われる。

「なるほど、先生ですか」

 フィリップがニヤニヤ嫌味な笑みを浮かべながら、こちらに視線を向けてくる。

「そうだよね、先生だものね。手ほどきはお手の物だよね」
「愛情の差じゃないってわけか。それなら納得したぜ」

 うるさい、このクソガキどもめ。
 追い討ちをかけてくるリュカとユーグに悪態をつきつつ、ただ一人黙っている男の顔にも笑みが浮かんでいることに気づいた。
 まあいい。
 リュシエンヌ様の初めての男になる権利を得たのだ。
 外野がどう騒ごうが、聞き流してやろうじゃないか。

 私は改めてリュシエンヌ様に向き直った。
 愛しの女王陛下は無邪気に微笑み、私に手を差し出した。

「今夜はよろしくね、ロベール」
「はっ、誠心誠意を尽くして、最高の一夜にして差し上げます」

 差し出された彼女の手を取る。
 柔らかくて細い手だ。
 これほどか弱い身であるのに、国を丸ごと背負っておられるのだ。
 この方を守りたい。
 その願いのために、私はここに在るといっても過言ではない。

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