我が愛しの女王陛下
第二章・左将軍ラウル=ヴェント・1
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リュシエンヌ様は、私にとって敬愛すべき主君であり、身命を賭して守るべきお方だ。
あれは六年前、私が十六の年のことだ。
王より、リュシエンヌ様の警護役を仰せつかったのは。
「ラウル=ヴェント。そなたをリュシエンヌ付きの近衛騎士に任ずる。頼んだぞ」
「お任せください。我が命に代えましても王女殿下をお守りいたします」
当時、リュシエンヌ様はまだ十一になったばかり。
栗色の長い髪を腰まで伸ばし、綺麗な瞳をした愛らしい少女であられた。
私は王女に剣を捧げ、生涯の忠誠を誓った。
常に王女の傍に付き従い、その御身を守ることが私の使命となった。
「ラウル、これあなたにあげる」
ある日、リュシエンヌ様は庭園の花壇から剪定された花達を使い、侍女に教わって作った花冠を私に差し出された。
恐れ多いと畏まった私に対して、リュシエンヌ様は悲しそうなお顔をなされた。
「ラウルのために作ったの。それでもだめ?」
敬愛する王女の私への好意が込められた花冠。
断ることなどできようはずがなかった。
私は恭しく跪き、頭を差し出した。
途端にリュシエンヌ様は顔を輝かせて微笑まれた。
「よくできてるでしょう? とっても似合うわ」
満足顔のリュシエンヌ様を見て、私の胸に温かい感情が湧いてきた。
その時の花冠は、ドライフラワーにして大事にとってある。
王女にとっては些細な出来事であっただろう事柄でも、私にとっては大切な思い出だった。
幸せな時間は長く続かず、王の崩御と共に王国は滅亡の危機に瀕した。
重臣達が打つ手なしと匙を投げて逃亡を企てる中、大臣の息子ロベール=マルトーが国を救う策があると私に声をかけてきた。
そんな策があるのなら、なぜ進言しないのかと訝る私に、彼は自分の野心を打ち明けた。
リュシエンヌ様を自らの伴侶とする野心を。
その企みにすでに彼を含めた四人もの男が名乗りを上げていると聞いて仰天した。
外交官フィリップ=カリエール。
リュシエンヌ様の学友でもあった、騎士ユーグ=バレーヌと魔術師リュカ=ルサージュ。
いずれもリュシエンヌ様を敬愛し、私同様、心からの忠誠を誓っていたはずの者達だ。
「これで君が加わってくれれば、我が国が再び浮上するきっかけを作れる。君がリュシエンヌ様に敬愛以上の感情を持っていることはわかっている。だからこそ誘った」
心を見透かされていたことに衝撃を受け、不敬な企みを知って怒りが湧いた。
ロベールの胸ぐらを掴み、拳を振り上げた。
「貴様、臣下の分をわきまえろ! 女王陛下の御身を穢すことなど、この私が許さない!」
激昂する私に対して、ロベールは冷静に語りかけた。
「では、仮に我らが臣下の分を守って、王国を滅びから救ったとしよう。王国の豊かな資源を狙って、各国の王や王子が再び求婚に訪れるだろう。私の見た限り、周辺諸国に疲弊した我が国を立て直せるだけの賢き器を持つ者などいない。誰が陛下の伴侶となっても、無駄に資源を食いつぶし、王国に再度の破滅を招くだけだ」
「だ、だからこそ、我ら忠臣が王家を支えて……」
「正直に言おう。私はリュシエンヌ様を愛している。愛する女性が愚鈍で欲深な男の手で穢されるのを指を銜えて見ているぐらいなら、自分がその立場にとって変わろうというだけだ。だが、一人の力で国を支えることはできない。そこで協定を結んだわけだ。許せぬというなら、この場で私を斬れ。だが、そうなれば間違いなくこの国は滅び、他国の手によって蹂躙される。リュシエンヌ様とて無事では済まない。一人であの方と彼女が愛するこの国を守りきる自信と覚悟があるのなら、やってみろ」
静かな口調でありながらも挑戦的に、彼は私に決断を迫った。
想像をめぐらせ、幾つもの未来の姿を思い浮かべる。
そこに幸せなリュシエンヌ様の笑顔はなかった。
あの人の幸福は、この国の幸福。
どのような形であれ敗北を認めれば、他国の干渉や略奪は免れず、この地に住まう全ての民は奴隷として扱われる。女王とて例外ではない。
私はロベールの瞳の奥に宿る、揺るぎない決意に満ちた光を見た。
恐らく他の三人も同じなのだろう。
ここで彼らを止めても、結局はリュシエンヌ様を不幸にするだけだ。
それなら、私は……。
「いいだろう、私も心は偽らぬ。その計略に乗ろう。ただし、リュシエンヌ様の承諾を得てからだ。いくら我らが相手でも、婚姻となれば話は別。陛下の意に沿わぬことを無理強いする気はない。私はあくまで女王陛下の忠実な騎士だ」
「それでこそ、真の騎士というものだ。私とて無理強いする気はないさ。我々だって王家の忠臣。要求が通らなくても、陛下に命令されれば、この国を救うために動くつもりだ」
ロベールの言葉にホッとした。
どうやら、彼らを斬り捨てることにはならないようだ。
リュシエンヌ様が我らの要求を拒絶なされれば、ことは無事に進む。
王国は秩序と平穏を取り戻し、我らは忠実な家臣として生涯お仕えしていくのだ。
しかし、リュシエンヌ様は我らとの異例の婚姻を受け入れられた。
国を救う見返りに、自分ができることなら何でもするとおっしゃって……。
侵攻してきた隣国ゴルバドレイを逆に壊滅させたことで、表立っての戦は終わったが、戦後の混乱に乗じて我が国の隙を窺う国は多い。
賊を装って国境を侵すなど手口は巧妙だ。
軍の強化も目下の課題。
兵士の訓練に、討伐に向かわせる部隊の編成に指揮と、私の仕事は多い。
ロベールが私に誘いをかけてきたのは、軍の指揮を取る人間が必要だったからだ。
対となる右将軍の地位にいるユーグは、騎士としては有能でも、指揮官としてはまだ未熟。
先日の戦の功績もあり、彼を認める人間は増えたが、如何せんバレーヌ家の出来損ないと侮られてきた過去が粗暴な性格を形成し、円滑な人間関係を築く最大の障害となっている。
ユーグが従うのは、リュシエンヌ様のお言葉だけだ。
彼を指して狂犬とあだ名する者もいるが、険のある態度で味方を寄せ付けず、敵に対しては情け容赦なく獰猛に飛びかかっていく姿を見れば、そう呼びたくなる気持ちも分かる。
だが、あれでも以前に比べれば随分と柔らかくなった。彼を疎んじてきた一族が全員国外へと逃亡してしまったことで、周囲の態度も変わってきたからだ。
王宮魔術師であるリュカも軍に属しているが、あちらも指揮官にするには少々厳しい。年が若いこともあるが、性格に難がありすぎる。
本来、魔術師とは効能の高い薬を作ったり、呪いやその解呪を専門に行う者が多く、攻撃魔法を操れる術者はそう滅多にいない。リュカは持ちうる魔力が常人とは比べ物にならないほど高く、制御方法を身につけた現在では、彼を越える力を持った魔術師はいないだろう。
あの二人の力は、一人で一軍に匹敵する。
配置さえ間違わねば、十分他国への牽制の役割を果たすことが出来るのだ。
指揮官としての彼らに期待できぬ以上、必然的に軍の全権は私の手に委ねられることとなった。
しかし、私とて完全に軍を掌握できているわけではなかった。
我が父を始めとする、古参の騎士達からの風当たりは未だ強い。
陛下のお言葉を絶対のものとして、渋々ではあるが従っているものの、我らへの不満や憤りは消えることはない。
特に父は王家に対する忠誠心が強く、国の危機につけ込んで、身の程知らずにも主君を求めた私を許してはくれなかった。
勘当を告げられ、職務以外では口も聞いてもらえない。
父の怒りを解くことは一生できないかもしれないが、それも仕方がないことだ。
私は忠誠を貫くことより、己の欲望に従うことを選んでしまったのだから。
今宵、陛下の寝所に入室を許されたのは私だ。
喜びと後ろめたさを同居させた複雑な気持ちで、リュシエンヌ様の許へと続く廊下を歩いている。
男として彼女を求める本能と、主君に対する忠誠心という、相反する感情が心を苛み、後悔と苦悩を繰り返す。
己が犯す背徳行為に罪悪感を覚えながらも、私は彼女を組み敷いてしまう。
なんて浅ましい。
こんな痴れ者のことなど、リュシエンヌ様も心の中では軽蔑なさっているのかもしれない。
それでも足は女王の寝室の前まで体を運んでいた。
警護の兵を下がらせ、扉を叩くと侍女が顔を出した。
「お待ちしておりました、ヴェント将軍。どうぞ、お入りください」
彼女は意味ありげに笑うと、部屋の外に出て隣の部屋に移動していく。
隣の部屋には呼び鈴がついていて、こちらの部屋で主が呼ぶと、すぐに気づくことができる構造になっている。
つまり、声も大声を出せば筒抜けなのだ。
咳払いをして、覚悟を決め、室内に入る。
リュシエンヌ様は窓辺に揺り椅子を置いて腰掛けていた。
月を眺めておられたようだ。
リュシエンヌ様は私に気づくと、見てと、空を指差した。
「いらっしゃい、ラウル。今夜は月が綺麗よ」
確かに月は丸く黄金色に輝き、夜の世界を美しく照らしている。
陛下のお顔にも光が当たり、栗色の髪を神々しく輝かせていた。
「ええ、綺麗です。とても……」
もっと気の利いた言葉が出てくればいいのだが、私には無理だ。
「ラウルは賊の討伐に出ていたのよね。無事に制圧はできたと聞いたけど、ケガはない?」
ふいに、リュシエンヌ様は話題を変えた。
私は彼女の足下に臣下の礼を取って跪き、頭を下げた。
「いえ、ご心配には及びません。この通り、無事に帰ってまいりました。傷など一つも受けておりません」
「良かった」
リュシエンヌ様の安堵されるお声が聞こえた。
我が身を案じてくださっていた陛下のお気持ちを知り、喜びが湧き起こる。
リュシエンヌ様は揺り椅子から立ち上がり、跪く私の前に立たれた。
「まだ政情は安定していないの。気を抜くことはできないわ。ラウル、みんなを守ってね」
「ご安心ください。この国も、そしてあなたも、我らが必ず守ります。そのために、我々はあなたのお傍にいるのです」
「ありがとう」
リュシエンヌ様の手が、私の肩に触れる。
「ラウル、頭を上げて。これではお話もできないわ」
お許しが出たので、顔を上げて立ち上がった。
「ベッドの方がいいわね。行きましょう」
「はい」
リュシエンヌ様が差し出された手を取り、傍らに寄り添った。
いつもこのようなやり取りで私達の夜は始まる。
リュシエンヌ様も心得たもので、私を寝所まで導いてくれる。
「許します。ここに来て」
リュシエンヌ様が先に腰掛けて、私を傍に呼ぶ。
隣に座ると、大胆にも彼女は私の首に抱きついてきた。
微かに花の匂いがした。
婦人の香水の銘柄など私にわかるはずもないが、品の良い淡い香りだった。
「女性から誘うのははしたないけど、仕方ないわね。ラウルは放っておくと、添い寝で終わってしまうんだもの」
「はっ、申し訳ございません!」
思わず背筋を伸ばして己の不甲斐なさを謝罪すると、リュシエンヌ様はくすくす笑い声を立てた。
「やだ、そんな意味で言ったんじゃないの。ラウルがしたくないのならいいんだけど、我慢しているのならつらいでしょう? あなたもわたしの夫なのだから、遠慮しなくていいのよ」
「いえ、ですが、私は……」
リュシエンヌ様は言いよどむ私を、優しい眼差しで見つめた。
そこに蔑みの色はない。
ただ愛おしさを込めた温かさが宿っていた。
「あなたがわたしを大事にしてくれていることはわかっているわ。何も後ろめたく思わなくてもいい。わたし達の婚姻が世の理に逆らったものならば、その罪は全て受け入れたわたしのもの。どうか、自分を責めないで」
「リュシエンヌ様! そのようなことを申されますな、あなたこそ何の咎もない。全てはあなたを手に入れたいと願った我々の欲から始まったこと。あなたに罪はないのです」
衝動的に陛下のお体を抱きしめていた。
この人は、この小さな体にどれほどのものを背負おうとなさるのだろう。
王族の運命と言ってしまえばそれまでだが、そんな言葉で片付けてしまえぬほど、彼女の背負うものは重すぎた。
「リュシエンヌ様、決してお一人で全ての責務を背負い込まれることのないように。伴侶とは支えあっていくものなのです。我ら五人は生涯あなたと共に在ります。そのことを忘れないでください」
「ええ、覚えておくわ。わたしには頼りになる旦那様が五人もいることをね」
リュシエンヌ様は冗談めかして明るく笑い、自ら唇を重ねてきた。
私はためらうことなく受け入れる。
甘い痺れを伴う口付けに、心臓が音を立て始めた。
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