我が愛しの女王陛下

第四章・王宮魔術師リュカ=ルサージュ・1

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 ボクは生まれてすぐ、城の最下層にある地下牢に幽閉された。
 地下牢といっても、囚人を入れるような汚い石牢ではない。
 十分な明るさを放つランプが部屋の四方に置かれ、床には板が張ってあり、暖炉も備えられていた。換気にも配慮がされていて夏は涼しく、湿っぽくもなく快適だった。
 ベッドは簡素なものだったが、寝心地は良かった。
 生活に必要なものは全て揃えてあり、軽い運動ぐらいならできる広さもあった。

 外界と牢を繋ぐ、鉄格子付きの小窓がついた鉄の扉は、常に鍵がかかっている。
 その扉を開けて、ボクの世話をしに来るのは、黒いローブを着た男達。
 彼らはボクを王子と呼び、自らをグレインの王に仕える魔術師だと言った。
 生れ落ちてから十年もの歳月を、ボクはこの牢の中だけで過ごし、勉強ばかりして暮らしていた。
 疑問に思うこともなかった。
 だって、それ以外の世界を知らなかったから。

 時々、父である王がやってきた。
 父は牢の中には入らず、扉の小窓からボクを見ていた。
 声をかけられることはない。
 ボクも口を開くことは許されない気がして、身を射抜く冷たい眼差しを黙って浴びる。

 やがて、父の目に涙が浮かび出す。
 小窓から見えていた父の姿が消えて、床に蹲る音が聞こえた。
 嗚咽の声がして、石造りの通路が力任せに叩かれた。
 父はいつもそうやって、声にならない慟哭の叫びを上げていた。

 なぜ、ボクが牢にいて、父が泣いているのかは魔術師達に聞いた。
 ボクが生まれた時、母が死んだからだ。
 己でも制御できないほどの強い攻撃的な魔力を放出し、出産に立ち会っていた者達を全て死に至らしめた。
 産室の異変に気づいた魔術師達が結界を施し、ボクを隔離した。
 危険な存在だと重臣達は秘密裏に抹殺すべきだと進言したそうだが、父はボクを地下牢に幽閉することに決めた。

 父はボクを憎んでいるのだと思っていた。
 だからあれほど冷たい目でボクを睨み、やり場のない怒りを部屋の前で吐き出していたんだと。
 でも、それは少しだけ違っていた。

 初めて外に出たのは、奇しくも国が滅亡した時だ。
 牢の鍵を開けたのは父だった。
 父は鎧を身に着け、血に塗れた剣を抜き身のまま持っていた。
 ついにボクを殺しにきたんだと、妙に悟りきった心境で父を迎えた。
 だが、剣はボクに向けられることはなく、ボクは父の左腕で強く抱きしめられた。

「リュカ」

 初めて父がまともな言葉をボクにかけた。
 それは誰にも呼ばれることのなかったボクの名前だった。

「この国は滅びる。お前はもう王子ではない。ここを出たら好きなように生きろ」

 いきなり何を言っているのかと、不思議がって父を見上げた。
 父の表情はとても穏やかで、口元は微笑んでいた。

「そこにいる魔術師なら、お前の魔力を抑えこみ、制御する方法を知っている。皮肉なものだ。国が滅びる間際になって、彼はこの地を訪れたのだ」

 父の背後に見覚えのない魔術師が立っていた。
 年は父より少し若いぐらいだった。

「申し訳ございません」

 魔術師は沈痛な面持ちで頭を下げた。

「よい、責めているわけではない。いや、この時に来てくれたことを感謝するべきなのかもしれん。たとえ制御に成功したとしても、この子は身に余る魔力のせいで少なからず偏見と蔑みの目を向けられる。それはここを出た後もそうであろうが、魔術師の弟子となれば、まだマシな扱いを受けるはずだ」

 父はボクの頭を撫でて、額と頬に口づけた。
 まるで十年の歳月を取り戻そうとしているみたいだった。

「リュカ、こんな場所に閉じ込め続けた父を許してくれ。お前を見ると、后を失った悲しみと怒りが心を支配し、狂いそうになった。お前のせいではないのだと、何度己に言い聞かせても憎しみは消えなかった。それでも私と后が大切に育んだ命、かわいい我が子だ。最後にこの腕で抱きしめることができて良かった。愛している、リュカ。私はこの国と共に一生を終えるが、お前は幸せに生きてくれ」

 ボクは何を言っていいのか、わからなかった。
 父は魔術師にボクを任せて牢を出た。
 出入り口から正面の階段へと伸びている通路を、父はこちらに背を向けてゆっくりと歩き始めた。
 ボクとの別れを惜しむように、一歩ずつ通路を踏みしめて。

 もう二度と会えないことだけは理解できた。
 このまま黙って行かせれば後悔する。
 ボクは父の背に向かって声を張り上げた。

「父上!」

 ボクの声は届いた。
 父は驚いた顔で振り向き、ボクを見て笑ってくれた。
 初めて喋ったなと、嬉しそうな顔で。

 父が階上に消え、地下にはボクと魔術師だけが残された。
 魔術師は何かの魔法をボクに施し、もう大丈夫だと呟いた。
 牢の外に出ても、体に変化は起こらなかった。
 先ほどかけられた魔法が、ボクの魔力を安定させたのだ。

「リュカ様。この地下には隠し通路がございます。そちらから脱出いたしますので、ついてきてください」

 魔術師に手を引かれ、ボクは隠し通路を通って外に出た。
 城壁の外に通じていた出口には、まだ敵兵の手はまわっておらず、木に馬が一頭繋がれていた。
 魔術師はその馬の手綱を握り、ボクを乗せて素早く城から離れた。

 その日、グレイン王国は滅びた。
 最後の王は玉座の間で自害し、亡骸は城を焼く炎に包まれた。
 ボクは助け出してくれた魔術師の弟子となり、しばらく身を隠した後、ローフォセリアへと逃れていった。
 城が焼け落ちたことで、地下牢も瓦礫の下に埋まってしまい、誰もがボクは死んだものと思ったらしい。
 おかげで追跡の手は伸びず、王国の残党からの接触もなかった。
 一度、王家の血に連なる者が反乱軍を指揮して蜂起したが、あっさり鎮圧された。
 もう誰も残ってはいない。
 グレインはゴルバドレイに吸収されてしまい、民は新しい王に従った。

 そのゴルバドレイも今はない。
 彼らの国はローフォセリアの統治下にあり、かつてのグレインの領土も一地方として扱われていた。




 周辺諸国への警戒を解くことはできないけれど、表向きは平穏無事に日が過ぎていく。
 昼過ぎに、ボクは城内の北に建つ、古い塔を訪ねた。
 塔には、ボクの師匠が住んでいる。
 グレインが滅亡した日に、ボクを助けてくれた魔術師だ。

 師匠の名はマリユス=ルサージュ。
 ボクがルサージュの姓を名乗っているのは、身を隠すために師匠の養子になったからだ。
 それでも完璧には隠せなくて、いつの間にか素性は城内にもれていたけどね。

 師匠は細面の穏やかな人で、魔術師としては一流の腕を持っているけど、決して驕ることなく研究と修練を怠らない真面目な人だ。
 彼は前任の王宮魔術師でもある。
 リュシー以外で、ボクが好意と尊敬を寄せる唯一の人だ。

 師匠には出世欲などなく、ローフォセリアに仕官したのも静かに魔法の研究ができる環境が欲しかっただけだ。
 ボクが王宮魔術師の地位を受け継いだ後、彼は望み通りにたくさんの魔法に関する書物に埋もれて暮らしていた。
 師匠の研究は到って平和的だ。
 難病に効く薬や、あらゆる傷に効く塗り薬を作ってみたり、呪いの解き方や防御法を考案するなど有益なものばかり。だからこそ、亡くなられた先王も召し抱える気になったんだろう。

 塔の横には柵で仕切られた庭があって、薬草が植えてある。
 昔は弟子であるボクの役目だった薬草の栽培だけど、今は隠居した師匠自らが手入れをしていた。
 庭の前で立ち止まり、昔を思い出す。
 リュシーと初めて会ったのは、ここでだった。




 ボクとリュシーが出会ったのは、師匠と共に城に上がって何ヶ月か過ぎた頃だ。
 ボクの素性は城内の人間には噂となって伝わっており、人前を歩けば恐れと興味が混じった不快極まりない視線を向けられるため、なるべく外に出ないようにしていた。

 ボクは師匠と一緒に塔で暮らし、薬草の世話をすることが日課だった。
 魔法の勉強や修行もしていたけど、それ以外のことには興味もなく、今から思えば子供らしくない無気力な生活をしていたと思う。
 あの頃のボクは死にたがっていたのかもしれない。
 多くの人間を死に追いやっておきながら、どうして生かされているのか、意味を見出せずに立ち止まっていた。
 師匠はボクに優しかったし、生活に不満はなかった。
 でも、ボクの世界は常に灰色で、未来を夢見ることはなく、毎日決められた動作を繰り返すだけのもの。

 その日も、余計な雑草を抜いて、薬草に水をやっていた。
 足音が近づいてきて、師匠かと思って振り向いた。
 庭の仕切りの向こうからこちらを覗いていたのは、ボクより少しだけ大きい女の子だった。

「こんにちは」

 彼女はボクを見て微笑んだ。
 豪奢な赤いドレスを着て、艶のある栗色の髪にはドレスと同色のリボンが結ばれている。青い瞳は好奇心で輝き、まっすぐにボクを映していた。
 今なら条件反射で微笑み返すボクだけど、始めの内は愛想笑い一つもできなかった。

「ここはマリユスの薬草園でしょう? 見てみたいのだけどいい?」
「見るだけならどうぞ。植えてある植物はどれも貴重な薬草ですから、踏まないでくださいね」

 そっけなく注意だけして世話に没頭する。
 師匠を敬称もつけずに呼ぶ人間なら、位の高い貴族の娘なんだろうと考えた。
 下手に追い出して、師匠を逆恨みされても困る。
 愛想のない対応をされても、彼女は気分を害した様子もなく、にこにこ楽しそうに笑って、世話をしているボクと薬草を眺めていた。

「あなたがマリユスのお弟子さんね。一度お話ししたかったの。わたしはリュシエンヌ。リュシーと呼んでね」

 リュシエンヌ。
 その名を聞いて手を止めた。
 目は薬草に向けたまま、質問を投げかけた。

「王女様ですか?」
「ええ、そうよ。よくわかったわね」
「お名前は存じていました」

 相手が王女とわかっても、ボクは態度を変えなかった。
 王はボクがグレインの王子であったことを知っている。王女が知っていても不思議はなかった。
 彼女がもの珍しさでボクを見に来たのだと思ったら、無性に腹が立ってきた。
 媚びを売る必要も感じなかったし、怒らせて不敬罪で処刑されてもいいやと、かなり投げやりな気持ちになった。

「ボクの名はリュカです。リュカ=ルサージュ。師匠にくっついて、こちらでお世話になっている元グレインの化け物王子です。化け物といっても見ての通り普通の姿ですし、特に面白い芸がご披露できるわけでもありません。退屈なされない内にお帰りください、リュシエンヌ様」

 冷たく言って、怒りに燃えた罵倒が返って来るのを待ち構えた。
 だけど、彼女が発したのは別の言葉だった。

「そんなつもりで来たのではないわ。わたしはあなたとお話ししたかっただけなの。お仕事の邪魔をしてごめんなさい」

 いきなり謝られて驚いた。
 ぱっと彼女を振り返ると、悲しそうな瞳と目が合った。

「あなたが良かったらでいいの、都合の良い日を知らせてちょうだい、お茶にご招待するから。迷惑になるから、ここにはもう来ないわ」

 胸に罪悪感が沸き起こってくる。
 ボクは間違えたんだろうか?
 彼女は本当に、ボクと話をするためだけに来たのか?

「待って!」

 離れて行く王女の背中に声をかけた。
 彼女はびっくりした顔で振り向いた。

「迷惑じゃないです。本当に話すためだけなら、また来てもいいから……」

 バツが悪くて、もごもごとそれだけやっと言えた。
 王女は笑顔になって、「ありがとう」って、ボクに言った。

 それからリュシーはボクを訪ねて来るようになった。
 彼女はとても不思議な子だった。
 瞳には邪気がなく、表情からも何の悪い感情も窺えなかった。
 ボクの邪魔をしないように隅にいて、屈託なく話しかけてくる。

 王女様や殿下なんて呼び方を彼女は好まなかった。
 彼女の近衛騎士――ラウルは良い顔をしていなかったようだけど、ボクは気にせずリュシーと呼んだ。
 友達になりたいってリュシーが言ったから、ボクも次第に心を開いていった。

 でも、ボクと彼女が仲良くすることを好ましく思っていない連中は大勢いたんだ。




 ある日、いつものようにリュシーと話していると、貴族の子息と思われる少年達がやってきた。

「王女殿下、このような場所にいてはいけません」
「その者はあのグレインの王子ですよ。近寄っては危険です」

 リュシーは何を言われているのかわからない様子で首を傾げた。
 彼らは口々にボクを危険だと言い、遊び相手なら自分達がなると彼女を連れて行こうとした。

「あれは化け物なんです。母である王妃を死に至らしめ、罪のない者達を何人も殺した。殿下もいつか同じ目に遭わせられます」

 彼らが彼女の耳に囁いたのを見て、視線を地面に向けた。
 自分の意志ではなかったとはいえ、それは事実で、否定できない。
 リュシーはボクがどうして化け物なんて呼ばれているのか知らなかったに違いない。
 そうでなければ、仲良くなろうなんて思うわけがないんだ。
 ついに知られてしまった。
 きっと彼女も、ボクに関わりたいとはもう思わない。

「そのお話は知っています。だけど、彼のせいではないのよ。それに今は力を制御できる。何の危険もないの」

 よく通る耳慣れた綺麗な声が、はっきりと彼らの言葉を否定した。
 戸惑いの声が広がったが、リュシーは迷うことなく話し続けた。

「わたしの身を案じてくださってありがとう。ですが、リュカはわたしのお友達なの。彼を悲しませるようなことは、二度と言わないで」

 ぱたぱたと複数の足音が去っていく。
 その場にはボクと彼女しかいなくなり、静寂が訪れた。
 顔を上げられないでいると、体を抱きしめられた。
 リュシーに似合うピンクのドレスが濡れていく。
 ボクの目からこぼれ出ているものが、彼女の身を覆う布地に染みを作っていた。

 生まれて初めてボクは涙を流した。
 やっと泣き場所を見つけられたんだ。
 悲しみと喜びの感情がごちゃ混ぜになって、とめどなく熱い涙が溢れてくる。

「泣かないで、リュカ。あなたは化け物なんかじゃないの。人より、ちょっとだけ凄い力を持って生まれただけよ。その力はたくさんの人を救える力にもなる。あなたが誰かを救うたびに、それは亡くなられた人への償いにもなる。わたしが傍にいるから逃げずに頑張って。何を言われても、人の心を捨ててはだめよ」

 リュシーはそう言ってボクの涙をハンカチで拭い、涙が止まるまで抱きしめ続けた。
 小さい体なのに、彼女の腕の中を広いと感じた。
 ボクの心も全部抱きしめてもらえたような安心感を初めて味わった。
 母の胸に抱かれる気持ちとは、こういう感じなのだと想像した。

 その日以来、ボクの中にあった引け目は消えた。
 化け物だと罵られても、全て否定する。
 そうでないと、彼女がくれた好意を無にしてしまう。
 ボクはこの力を使ってリュシーの役に立つと決めた。
 父と師匠以外で、初めてボクの全てをまるごと受け入れてくれた人のために。

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