薔薇屋敷の虜囚

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 数日後、グレースの亡骸はロジェの母が眠る墓の隣にひっそりと埋葬された。
 気が狂った末の身投げでは外聞が悪いと、彼女の死因は病死とされ、子供達に行なった非道も公表はされなかった。真実に近い噂が街に出回ったこともあったが、すぐに立ち消えた。
 グレースの死を悼む者は城内には一人もいなかった。
 召使いも兵士達も、横暴な女が消えたことを喜び、正当な女主人を歓喜の声で迎える。
 遠ざけられていた旧臣達は再び城に迎え入れられて、城は次第に落ち着きを取り戻しつつあった。

 葬儀が行われる前に、ミレイユは遺品の整理のためにグレースの部屋に入った。
 衣装部屋には豪奢な衣装が大量に吊るされ、高価な装身具も不必要なまでに揃えられていた。
 さらに加えて、数多く集められた香水の瓶がずらりと並ぶ様は、これらを購入するのに如何ほどかかったのかと、倹約家ではないミレイユですら思わず顔を顰めてしまうほどだった。
 グレースが身を飾るために浪費をするようになったのは、ロジェの母親が亡くなった頃からだと、召使い達は話した。
 男のロジェには婦人の身支度にかかる相場などわかるはずがない。
 グレースの浪費は、見咎めるものがないゆえのものかと思われたが、理由はそれだけではない気がした。
 ロジェの母は子供達を守ってくれていたけれど、グレースの救いでもあったのかもしれない。
 実の親同然に愛情を注いでくれた人を失い、グレースはロジェの愛情を独占しようと狂い始めた。
 彼の目を惹きつけるために美しく装い、唯一の味方の顔をして寄り添っても、求める愛は変わることなくミレイユ達妻子に向けられ、それらの不満と憎しみの矛先が子供達へ向けられた。
 贅を尽くした部屋の中で唯一の鍵付きの宝石箱を開けてみれば、中には意外な物が入っていた。
 貧しかった子供時代のものと思われる、玩具の指輪や川で拾ったらしき綺麗な小石などで、宝石など価値ある品は一つも入っていない。
 大切に仕舞われていたそれらを見れば、無欲で幸せだった子供の姿が浮かんでくる。
 きっとこれはグレースとロジェを繋ぐ思い出の品だったのだろう。
 彼女は愛情を求める相手を間違えた。
 もしも、外の世界に目を向けて、伴侶となる人を見つけられたなら、未来は違ったものになったはずなのに。
 怒りや憎しみを感じるより、やりきれない思いでミレイユはため息をついた。
 贖われることのなかったグレースの罪は消えない。
 だが、その末路を見てしまった今は、黒く歪んだ魂が黄泉の向こうで救われることを祈るだけだった。
 最近作られた衣装や装身具は商人を呼んで処分したが、宝石箱のささやかな宝物だけは、棺に納めて共に埋葬した。

 全てが本来あるべき場所に落ち着くと、ミレイユは十年ぶりに城の家政に手をつけた。
 最初のうちは戸惑うこともあったが、周囲の手助けもあり、すぐにかつてのように城内を取り仕切ることができた。
 子供達と過ごせる喜びと、生を実感できる生活が、ミレイユを元気にしてくれた。
 ロジェとはまだ歩み寄ってはいないが、彼女は焦ってはいなかった。
 彼にもまた気持ちを整理する時間が必要だったからだ。




 朝早く目覚めたミレイユは、城内の散歩に出かけた。
 広場に出たところで、門を出て行く夫を見つける。
 どこに行くのかと訝しく思い、ミレイユは後をつけた。

 ロジェは墓地に入って行く。
 彼に見つからないように、ミレイユは木の陰に隠れ、離れた場所から様子を窺った。
 ロジェは手にしていた一輪の花をグレースの墓に置き、地に膝をついて祈りを捧げた。
 誰にも涙一つ落としてもらえなかったグレースだが、ロジェだけは悲しんでいた。
 彼女を追い詰め、救えなかったと後悔の涙と共に懺悔している。
 ミレイユは木陰で彼の声を聞いていたが、やはり怒りは湧いてこなかった。
 グレースのことは一生許せない。
 だけど、糾弾しようにも、憎しみをぶつけようにも、彼女はこの世のどこにもいない。
 ロジェはミレイユや子供達の前では、グレースのことで悲しんだりはしないだろう。
 それが彼なりの贖罪の一つでもあり、グレースへの罰になる。
 だけど、こうして一人きりで悲しむぐらいは許してあげよう。
 彼は彼女の兄だったのだから。
 ミレイユはそっと静かにその場を離れた。
 この時、彼女の胸に宿っていたのは、ロジェに対する労わりの気持ちだった。




 ミレイユを閉じ込めてきた牢獄の屋敷は取り壊されず、そのまま残されることになった。
 ロジェの考えがわからず、ミレイユは不信感を抱いた。
 また閉じ込められるかもしれないと不安になったからだ。
「ミレイユ、少し付き合ってくれないか? 話したいことがある」
 ロジェは話は屋敷でと言い、嫌がるミレイユを連れて城を出た。
 彼女との時間を長く持ちたかったのか、ロジェは馬を使わず、二人は歩いている。
 しっかりと握られた手を意識して、ミレイユは恋を知ったばかりの娘のように頬を染めた。
「セルジュは隠し通路を使って屋敷に行っていたそうだね。君は通路の存在を知っていたのか?」
「ええ、わたしはここで育ったもの、父にも教わっていたし、探検もしたわ。何事もなかったら、もしもの時のためにあなたにも教えておくつもりだった」
 責めるような口調になっていたかと、ミレイユは後悔したが、ロジェは何の反応もしなかった。
 これまでのことで、どんな恨み言を聞かされても全て受け入れるつもりなのだろう。
 やがて、屋敷の門前に辿り着く。
 頑丈な鉄の門の前には番兵はおらず、人の気配はない。
 ミレイユは足を止め、中に入ることにためらいを見せた。
 そっと肩に手を置かれる。
「恐れることはない。君を閉じ込めたりはしないよ、今日連れてきたのはこの庭を君と見たかったからなんだ」
 ロジェに促されて、門の中に足を踏み入れいる。
 屋敷の玄関へと続く前庭には相変わらず薔薇の花しか植えられていない。
 ミレイユは頬を膨らませ、横目で夫を睨んだ。
「薔薇の花は見飽きたと言ったでしょう? あなたの耳は飾り物?」
 不満をもらす妻の腰を左腕で抱き、ロジェは庭に向けて右手を広げた。
「薔薇の花はどんな時に贈るものだ? この庭は俺の君への気持ちだ。どんな時でも君を愛していた。そしてこれからも愛し続ける」
 ミレイユは口元に手をあてて涙ぐんだ。
 つまらない庭が、一気に明るい花園に変わった。
 口にできなかった想いをロジェはこの庭に託し、捨て置くことなく手入れを行き届かせて訴え続けていた。
 十年分の夫の愛を感じて、ミレイユは幸せだった。
 滲んだ涙を指で拭い、わざと怒った声を出す。
「もう! わかるわけないでしょう? わたしは嫌がらせだと思っていたわ。意地悪のために私の好きな花を植えてくれないのだと考えていたわ」
「俺は君から自由と子供達を取り上げたが、全て君を捕らえておくためだった。苦しめたかったわけじゃない。愛してもらえないなら、他にどうすればいいのかわからなかったんだ」
 ロジェはミレイユを抱きしめ、幾つもの優しい口づけを与えた。
 ミレイユもキスに応え、夫の頬や唇にお返しをする。
「私を捕らえておくのに牢獄は必要ないわ。あなたの愛情が私を繋ぎとめておける唯一のものよ」
 ロジェの顔に笑みが宿り、ミレイユも微笑んだ。
 二人は寄り添ったまま、屋敷に向かい、玄関の扉を開いた。
「ここには二人だけで過ごすために来よう。城は賑やか過ぎて落ち着かない」
「新婚生活のやり直しね。ところでわたし、あなたに報告したいことがあるの」
 もったいぶった言い方に、ロジェは眉を顰めた。
「何だ? 悪い報告なら聞きたくはないが俺に文句は言えまい。はっきり言ってくれ」
「何でも悪い方にとらないで。三人目ができたの」
 ミレイユはお腹を撫でてにっこりと夫を見上げた。
 ロジェは呆然と彼女の腹を見つめていたが、唸り声を上げて妻を抱きしめた。
「本当なのか? 子供が……、俺たちの子供をまた授かったのか!」
「今度は取り上げないでね。名前もわたしに付けさせて」
「もちろんだとも。君と一緒に我が子を育てられるなら、この上ない喜びだ」
 ミレイユの手を握り、ロジェは感極まった声で呟いた。
 包まれた手の温もりが、ミレイユの心から僅かに残っていた疑いの気持ちを消していく。
 新たに宿った命と一緒に、もう一度始めよう。
 これからも困難が幾つも待ち受けているだろうけど、ミレイユは負ける気はしなかった。
 彼女には命に代えてでも守りたい大切な子供達が居る。
 そして、憎みながらも愛してきた、掛け替えのない人の愛を確信した今なら、何が起ころうともきっと乗り越えて行ける。


 END

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