お嬢様のわんこ
第三章・苦労性魔術師の愚痴りたくなる日々・10
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意識が戻ると、そこは我々が拠点にしていた借家の一室だった。
執務室と寝室を兼ねたこの部屋は、私が独占して使っている。
部屋の隅に置いていたベッドに、ローブだけを脱がされた状態で転がされていたようだ。
部屋には誰もおらず、街の方も騒がしい様子はない、静か過ぎて夢でも見ていたのかと思った。
「だったら、良かったのだが……」
現実逃避をしていても仕方がない。
起き上がり、ベッドから下りようとした。
「くっ」
体に力が入らない。
気絶する前よりはマシになっているが、まだまだ魔力は回復していない。
足に何か重しでも巻かれているかのようで、動くのが億劫だ。
廊下に出て、気配を探す。
部下達の寝室と、食堂に何人かいるな。
寝室の気配は、ディオンと治療に当たっている者達だろう。
どちらにとすれば、食堂に行くべきか。
壁に手をついて、ゆっくりと歩いていく。
食堂に入ると、中にいた一同が一斉に私の方を振り返った。
「パトリス様!」
「団長!」
暗かった部下の顔が、私の姿を見て少しだけ明るさを取り戻す。
「あれからどれほど経った?」
「あの場から団長をこちらにお運びしてから、さほど時間は経っておりません」
私はちょっとがっかりした。
三日ほど寝ていたかったよ。
どうりで、まったく回復していないわけだ。
「リオン王が来られていたはずだな、王はまだあちらにおられるのか?」
「はい、住人を落ち着かせて、殿下の保護もしてくださるとのことでした。……その、我々だけでは、どうすればいいのか判断ができませんでしたので」
もう頭が上がらない。
あの方は、親友のためだと笑って済ませるだろうが、こちらとしてはそうもいかない。
早く戻らねば。
「全てお任せするわけにはいくまい、今から戻るぞ」
「団長、少しお休みください! そのようなお体で行かれては、また倒れられてしまいます!」
止めにかかる部下を手で制し、戸口へと向かう。
覚束ない足取りで近づくと、開いたままの扉の先に誰か立っているのが見えた。
「待て、パトリス殿。部下の言うことは聞くものだぞ、無理に動けばそなたが危険だ。魔力は体力と同じく枯渇すると死んでしまう、甘く思わぬことだ」
私の前に立ち、忠告してきたのは、会わねばと思っていたリオン王だった。
獅子の獣人であるこの王は、我が国の陛下と同年代であり、長年の友人でもある。
子を奪われた陛下に同情した彼は、これまでも様々な協力をしてくださった。
リオン王国が殿下を誘導するために最適な国だったこともあり、ギルドへの口利きを始め、この拠点を借りる際にも便宜を図ってもらい、我々の活動は王の助力なしでは成り立たなかった。
いつかご恩を返そうと思っていたのに、逆に彼の大切な民を危険に晒すこととなってしまった。
申し訳なくて、体に力が入らないのも手伝って、私はその場に膝をついた。
部屋にいた部下達も、私に倣って跪く。
「リオン王、この度はこちらの落ち度で、大変なご迷惑をおかけしました。いずれ本国より、正式な謝罪の使者が参りますが、深くお詫びいたします」
「待て待て、私は謝罪を聞きに来たのではない。あちらが落ち着いたので、そなたらの様子を見に来たのだ。使者が来ると言うのなら、謝罪はその時に受け取ろう。さあ、立て。あの場がどうなったのか知りたいだろう、先にそちらの話をしよう」
王は私の体を支え、立たせると、近くの椅子に座らせてくれた。
「不幸中の幸いか、民に怪我をした者はおらぬ。家屋はかなり壊れておったが、すでに修理に取り掛からせておる。修繕費は賠償金で払ってもらうが、それ以上の咎めだてはせんよ。ガニアンの倅(せがれ)は、番を傷つけられたのだろう。ならば、あれほど暴れたのも納得できる」
さすが陛下の親友だ。
リオン王も脳筋だった。
獅子の獣人も、元は肉食獣だからな。
暴力沙汰に慣れていらっしゃる。
「二人は家の中に寝かせてある。寝かせる際の世話は女騎士に任せた。住人達は私自ら落ち着かせ、家の周辺に兵士を配置しておいたから、特に問題がおきることはないだろう」
「ありがとうございます」
正直言って、恐慌状態に陥った住人相手では、私がいてもどうにもならなかっただろう。
住人達が落ち着いたのは、自国の王への信頼故だ。
今まで殿下が危害を加えられることばかり想定していたが、まさかこちらが周囲に被害を与えることになるとは、まったく考えたこともなかった。
私は人より頭の出来は良い方だと自惚れていたが戒めとしよう。
まあ、この先も生きていられたらの話だが。
「悲壮な顔をしておるが、ガニアンはそなたを処刑などせんよ。むしろ、よくやったと誉めるだろう。そなたはあの状況で最善の行動をした、結果として誰も命を落としていないのだ。死罪には問えんだろう」
「陛下の方は、ですけどね。殿下はお怒りになっているでしょう。最愛の少女が無事にお目覚めになるまでは、この首の行方は保留のままです」
私の言葉に、リオン王は苦笑した。
「家の警備に配置した兵士達には事情を話してある。ラファルの様子を知りたければ部下をやって聞いておけ。一日休めば動けるようにもなるだろう」
見送りも、起ち上がることも制されたので、座したままで頭を下げると、リオン王は城に戻ると言って部屋を出ていった。
休め、ですか。
動けないながら、人に指示を出すことはできるわけで、私は部下達を見やった。
「まずは本国に入れる報告をまとめる。それと誰か殿下の様子を交代で見てきてくれ。目を覚まされていたら、すぐに行かねばならないからな」
事件の経緯と顛末を急いで書き綴り、空を飛べる魔術師に託す。
形式ばった丁寧な報告書は後でいい。
馬車の手配もしないと。
これほどの騒ぎを引き起こしてしまった以上、あの家にいつまでも殿下を留めてはおけない。
説得して、国に連れて行こう。
お嬢様の姿が変わってしまったこともある。
私一人の力では、どう頑張ってもこの事態を乗り切ることはできない。
ディオンは腕こそくっついたものの、全身を複雑骨折した上に、内臓も傷ついてあちらこちらに血が溜まり、回復が容易ではない状態にまでやられていた。
意識は朦朧としており、口から洩れるのはうめき声だけ。
血染めの包帯で全身をぐるぐる巻きにされた大きな体が、ベッドの上に横たえられていた。
休むために部屋に戻る途中で、様子を見に立ち寄った私は、想像以上に痛めつけられたディオンの姿に絶句した。
あの頑丈さが取り柄の男がここまで壊されるとは。
殿下の秘められた力の恐ろしさに怖気が走った。
「一気に回復させるのは無理です。再生時の激痛もさることながら、治療する我らの魔力が足りません」
看護をしていた魔術師が首を振って報告した。
軽傷と違い、重傷の場合はゆっくりと治療していくしかないのだ。
長く苦しむことになるが、この馬鹿には良い薬だ。
「回復は無理のない範囲でいい、交代で治療を頼む。このまま死なせてはエドモン殿に顔向けができん、然るべき処罰を受けさせるためにも、こいつには生きていてもらわねばならんのだ」
お嬢様が目覚めてくだされば、助かる道も見えてくる。
その前に、こちらの誠意を見せる所からか。
殿下が素直に話を聞いてくれるといいのだが。
今の内に遺書を用意しておこう。
父よ、母よ、先立つ不孝をお許しください……。
念のためにと書いた遺書は、とりあえず必要がなくなった。
目覚めた殿下は、私の提案に頷いてくださり、我らの故郷ロー王国へと向かうことになったのだ。
お嬢様はまだ目覚めない。
傷の治癒は終えており、恐らくは変化が完全に体に馴染むまで、心身ともに休息を取っているのだと推察していた。
ディオンは別の馬車で治療を続けながら、ゆっくりと運ぶことにした。
リオン王には私が城に出向いて礼を述べ、退去することを報告する。
国からはすぐに返書が届いた。
返書を綴ったのはナゼール殿で、リオン王国へ向けて謝罪の使者を派遣したこと、迎えの用意は整えておくので、安心して帰って来いと言ってくださった。
安心してもいいのだろうか。
まったく気の休まらない気持ちで、私は馬に騎乗して、殿下達を乗せた馬車の後ろに付き従い、故郷への旅路を歩み始めた。
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