Carrot −ニンジン村の姫と騎士−

プロローグ


 グラムナート地方にあるカナーラント王国は、海に面した半島を領土とする小国だった。
 国内にはクラオト川とヴィスコー川という名の二つの大河が流れ、小さな河川は無数にある。
 王国中央を流れるヴィスコー川を境にして、北部を中心に人々が居住し、南部は手つかずの未開地のままだ。南には豊かな自然が広がり、いつのものかわからない遺跡が幾つも確認されている。
 ヴィスコー側の上流に、王の膝下である首都ハーフェンがあり、運河を使った移動や交易が盛んに行われていた。外国からの客人や商品も首都に集まり、都市は栄華を極めていた。
 運河の恩恵を受けられる街や村は活気に満ちていたが、陸路を中心に使う内陸部の集落は発展から取り残されている。
 王国の北東部、海にも川にも面していない辺境に、ニンジンを特産物とする小さな村があった。
 古代語でニンジンを意味するカロッテという名のついたその村は、ゆっくりと衰退の道を歩んでいた。
 程良い気候が続き、澄んだ空気が満ち、豊穣に恵まれた土地であったが、王国が運河を用いて発展すると共に、人々はより豊かな生活を求めて首都を始めとする大都市へと移り住んでいった。
 残された村人達は、それでも心穏やかに日々を過ごしていたが、人がいなくなるにつれて次第に生活に影響が出始めた。
 まず、村を訪れる人が減り、作物の仕入れに来る行商人も次々と取引から手を引いた。
 ただでさえ、主要な都市と離れた辺境なのだ。
 盗賊や怪物に襲われる危険を冒して、辺鄙な田舎に足を延ばしてまで得る利益などない。
 義理堅い商人が昔の誼で、村まで出向いて取引を続けていたが、それも代替わりしてしまえばわからなかった。
 将来への不安から、若者達は職を求めて村を出ていく。
 村は活気を失い、人々は暗い顔を突き合わせては、憂いを口にするようになっていた。

 

 カロッテ村に建つ、ごく普通の一軒の民家。
 木と石で造られた二階建ての、よくある農家の佇まいをしている。
 家の中では二人の幼子が居間にいて、留守番をしていた。
 両親は裏の畑にいて、忙しく働いている。小さな妹の面倒を見るのは兄の役目だった。
 プラターネの姓を持つ、幼い兄妹の名前はバルトロメウスとヴィオラート。
 それぞれバルテルとヴィオと、親しい人達からは愛称で呼ばれている。
「お兄ちゃん、絵本読んでー」
 肩までの栗色の髪を緑のリボンで飾った幼い少女が、絵本を抱えて兄にねだる。
 ヴィオラートは五才になったばかりで、まだまだ無邪気な子供だった。
 彼女と同じ色彩を持ち、腕白な村の子供らしく活発な印象を持つ兄のバルトロメウスは不服そうに眉を寄せた。
「それ、さっきも読んだだろ、違うのにしろよ」
「違うのはイヤ、このお話がいいの!」
 何度読んでも飽きないらしく、ヴィオラートは昨日からずっとこの調子だった。
 バルトロメウスは妹の興味を本から逸らそうと、窓の外を指さした。
「それよりさ、外行こうぜ。朝からずっと家の中にいるだろ。今日はお前の好きなお店屋さんごっこしてもいいからさ」
「お外にはいかない、絵本がいい!」
 大好きなお店屋さんごっこでも勝てなかった。
 バルトロメウスは困り切って妹を見つめた。
 妹より三つ年上なだけで、彼もまだ幼い子供だ。
 言うことを聞かない妹に癇癪を起こしても不思議はないが、自分は兄であるという自覚が彼の忍耐を支えていた。



「こんにちは、バルテルいるかー?」
 膠着状態の兄妹に、外から救いの声がかかる。
 バルトロメウスは急いで玄関に飛んで行った。
 扉を開けると、そこに立っていたのは彼と同じぐらいの年頃の少年だった。
 田舎の村には珍しい、気品を持った可愛らしい顔立ちをしている。服装も、簡素だが仕立ての良い白いシャツと蒼色のズボンを着ていて、見るからにお金持ちのお坊ちゃんという身なりだ。
 彼の名は、ロードフリード・サンタール。
 近所に住む、兄妹の幼馴染である。
「よく来た、ロードフリード! 交代だ!」
 バルトロメウスは、腕を掴んで幼馴染の少年を家の中に引っ張り込んだ。
「な、なんだよ、何を交代?」
 訳も分からず引っ張られたロードフリードが戸惑いの声を上げる。
「ヴィオに絵本読むんだよ。俺は朝から読みまくったからな、次はお前の番だ!」
「わかったから、手を離せよ! 引きずるなー!」
 騒ぎながら居間に戻ると、ヴィオラートは兄達を見てきょとんとした。
「ほら、ヴィオ。ロードフリードが来たぞー。絵本読んでもらえ」
 バルトロメウスがロードフリードを前に押し出すと、ヴィオラートは絵本を置いて、笑顔で駆け寄ってきた。
「ローにぃだぁ! いらっしゃーい!」
 両手を広げて突進すると、ヴィオラートは彼に抱きついた。
 ロードフリードはがっちりとしがみついてくる少女を受け止めて、頭を撫でた。
「こんにちは、ヴィオ。今日はお外に行かないの?」
 ヴィオラートは顔を上げると、大きく頷いた。
「うん、絵本がいいの。あのね、新しいの買ってもらったの、お姫様と騎士様のお話なんだよ」
「じゃあ、読んであげるよ。その後で外に行こうね。ずっと家の中にいるのは良くないんだよ」
 優しく諭されて、ヴィオラートの頑なだった絵本への執着はそっと後ろに押されていった。
「うー、わかった。読んでくれたら行く」
「ヴィオは良い子だね」
 褒められて、ヴィオラートは照れくさそうに笑った。
 機嫌良く、絵本を取りに向かう。
 難なく外へ行く約束を取り付けたロードフリードは、バルトロメウスへと目配せをした。
 バルトロメウスは相当まいっていたのか、ホッとした様子だった。
 一度納得したヴィオラートは素直だ。
 絵本を読み終われば、ごねることなく外について来るだろう。
「ローにぃ、こっち来て」
 ヴィオラートに急かされて、ロードフリードは彼女の傍に行く。
 居間の暖炉の前に敷かれた絨毯の上に腰を下ろすと、ヴィオラートは彼の隣にちょこんと座った。
 ロードフリードは彼女にもよく見えるように、膝の上に絵本を置いて広げる。
「昔々ある国に、可愛らしいお姫様が生まれました……」
 ロードフリードの朗読に、ヴィオラートは聞き入った。
 絵本の内容はバルトロメウスが気乗りしないのも頷ける、不遇の姫が騎士に救われて恋に落ちる、女の子向けの物語だった。
「この騎士様ね、ローにぃみたいなの」
 そう言いながら、ヴィオラートが差し示したのは、絵本の中の一場面だ。
 姫を助けに来た騎士の姿が、恰好良く描かれている。
「そうかな?」
「うん、だって優しいし、カッコいいもん。あたし、大好き」
 素直な褒め言葉がくすぐったくて気恥ずかしい。
 可愛い幼馴染からの真っ直ぐな好意は嬉しくて、ロードフリードは微笑んだ。
「俺が騎士なら、お姫様はヴィオだね。ヴィオが困った時や危ない時に、この騎士みたいに助けに行くよ」
「じゃあ、あたしはニンジン王国のお姫様になるね」
 ニンジン王国には、ニンジン畑がたくさんあって、国民は毎日ニンジンを食べて生活するのだとヴィオラートは夢の王国を語った。
 しかし、カロッテ村はニンジン畑だらけだ。どこの家庭の食卓でも、ニンジンが食材として使われない日はない。
「それって、今と変わらないと思うけど」
「お兄ちゃんは、ニンジン飽きたって言うの。ニンジン王国の人になったら、そんなこと言わなくなるよ」
 ヴィオラートのニンジン王国では、すべての国民が彼女同様にニンジンを愛するようになるらしい。
 ニンジンを食べて、幸せそうに笑う人々が住まう国。
 夢の世界を想像するヴィオラートは、にんまりと微笑んだ。
「嫌だ、そんな国。俺は絶対住まないぞ」
 近くで別の本を読んでいたバルトロメウスが、妹へと呆れた眼差しを向けた。
「えっと、他の物も食べた方が、ニンジンがさらに美味しくなると思うな」
 ロードフリードは、ヴィオラートの将来が不安になってきた。
 彼女が家事をするようになった家では、ニンジン料理しか出なくなるのだろうか。
 さらに、今の話の流れでは、自分もニンジン王国の国民にされているようだと汗を掻く。
「ローにぃがそう言うなら、他の物も食べていいよ。あたしも甘いお菓子好きだもん。あ、ニンジンのお菓子とかお母さん作ってくれないかな」
 どうしてこの子は、こんなにニンジンが好きなのだろうか。
 ロードフリードは頭の中が半分ぐらいニンジンのことで埋まっていそうな幼馴染を心配した。
 彼女の両親ですら首を傾げるほど、ヴィオラートのニンジン好きは常軌を逸していた。
 村の老人達はニンジン村の申し子だとか、適当なことを言って茶化していたが、案外本当にそうなのかもしれない。
「まあ、いいか。それで何か困っているわけでもないしな」
 そう結論を出し、ロードフリードは考えるのをやめた。
「んー? なぁに?」
 彼の独り言を聞いて、ヴィオラートが不思議そうな顔をする。
「何でもないよ。さあ、続きを読もうか」
「うん!」
 本を読み終われば、子供達は元気良く外へと駆け出していく。
 繁栄する大都市からは忘れ去られ、ゆっくりと閉塞感に包まれていく村ではあったが、希望の光はまだ残っていた。
 ここから十年の月日を経て、村の存亡をかけた物語が幕を開ける――。


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