Carrot −ニンジン村の姫と騎士−

第二話 赤い服の錬金術士


 その日、サンタール家は普段より明るく華やいでいた。
 家中を取り仕切る夫人ユリアーネが朝から張り切っていたからだ。
「今日はベルタとヴィオちゃんが来るんだから! おもてなしの用意は完ぺきに調えないと!」
 いつもは品良く淑やかにふるまう彼女も、客人が親友とその娘となれば、少女のようにはしゃいでいる。
 昼食に招いたからには気合の入った手料理をと、昨日から材料を仕込んで、朝から調理に勤しんでいた。
 ロードフリードは浮かれて走り回っている母を見て、どう反応していいのかわからなかった。
 息子の視線に気づいたユリアーネが、ハッとしたように声を上げた。
「ロードフリード! 今日は出かけちゃダメよ! 二人ともあなたのお話を聞きにくるんだから!」
「わかってるよ。その後で、ベルタおばさんと二人だけで喋りたいんだろ。ヴィオの相手はちゃんとするから、心配しなくていいよ」
 本当に小さい時はそうだった。
 近くで子供達を遊ばせながら、母親同士はお喋りに興じる。
 自然とロードフリードの遊び相手はバルトロメウスになり、母親の手を離れてからもそれは変わらなかった。
 たまに他の子供達と遊ぶこともあったが、一番気心の知れた仲だったのはやはり彼ら兄妹だった。
 ロードフリードがぼんやりと昔を思い出していると、いつの間にかユリアーネが目の前に来ていた。
「せっかく二人っきりになるチャンスなのよ。良いところを見せて、ヴィオちゃんの心を掴みなさい!」
 まだヴィオラートの嫁入りを諦めていないのか、発破をかけてくる母に、ロードフリードはうんざりした。
「何をどう見せろと言うんだ。いいから鍋の様子を見てきなよ、そろそろ焦げるんじゃない?」
「あら、いけない!」
 台所に駆け戻っていく母の後ろ姿を眺めながら、ロードフリードはため息をついた。
 我関せずで見ていたフェルディナントが朗らかな笑い声を上げる。
「母さんにとって、ベルタは特別なのさ。少しはしゃぐぐらいは大目にみてあげなさい」
 父は愛おしそうに母を見つめている。
 何年経とうが仲の良さは変わらないらしい。
「それはいいとして、ことあるごとに、ヴィオとのことを持ち出されるのはどうしてなんだと思う?」
「そりゃ、お前がヴィオを好きだからだろう。そうでなきゃ、母さんも無理に背中を押したりはしないぞ」
「……そう見える?」
 息子の問いに、父は大きく頷いて見せた。
「ああ、昔からな。お前は一人っ子だったから、妹のように可愛がっているのだと思っていたが、他の女の子には全く興味を持たなかっただろう。うちの村は小さいが、美人が多いというのにな。都会に行けば、さすがに心が動くかと思ったが、やはり出会いも何もなく帰ってきたようだしな」
「恋とかそういうのは、よくわからない。ただヴィオは好きだよ、可愛いと思う」
「大切に思っているのだろう、それでいい。そのうち自分の気持ちもわかるだろう。まあ、あまり時間をかけていると、どこかの男が先に掻っ攫っていきそうだがな」
 父との会話を終えても、ロードフリードはすっきりとしない気分だった。
 ヴィオラートと一緒にいたいという気持ちだけは強く自覚している。
 これが恋なのかは、やはりわからない。
 そもそもヴィオラートの気持ちもわからなかった。
 バルトロメウスとの関係に悩むことはないのに、ヴィオラートのことになると彼と同じようには思えなくて、同じ場所でぐるぐると歩き回っているような感覚に苛まれた。



 プラターネ家の母娘を交えた昼食会は、和気藹々とした楽しいものだった。
 食卓に並べられたユリアーネ渾身の家庭料理を食べながら、ロードフリードの話を中心に会話が弾む。
 ロードフリードが知っているハーフェンの街は男目線で見たものばかりで、女性には受けが悪いかと思っていたが、二人は都会の話自体が珍しいらしく、感心して聞き入っていた。
「すみません、もっと華のある物とか見てくれば良かったんですけど。精錬所以外の場所というと、鍛冶屋に行くか、酒場や露店で飲み食いとかそんなのばかりだったもので」
 ロードフリードが謝ると、ベルタもヴィオラートもそんなことはないと頭を振った。
「真面目に訓練をしてたってことでしょう。それに都会で売っている食べ物の話は面白かったわ」
「うん、それにハーフェンてすごく大きな街なんだってことがわかって想像するだけで楽しくなっちゃう。王様が住んでいるお城には行ったの?」
「いいや、騎士隊に入れば機会があったかもしれないけど、訓練生の間は用事もないからね。遠くから見ているだけだった」
「そうなんだ。遠くからでいいから、あたしも見てみたいな」
 ヴィオラートはお城の姿を想像して瞼を閉じた。
 少女にとって王城は憧れの一つである。
 そんな話をしている間に、それぞれの皿は綺麗に空っぽになっていた。
「そろそろみんな食べ終わったみたいね。お母さん達は後片付けをするから、あなた達は二人でお話ししていなさい」
「ヴィオ、夕方には帰るからそのつもりでいてね。出かけるなら、そのまま帰ってもいいわよ」
 母親達はそれぞれの子供達に言い置いて、食器を持って台所に向かった。
 ロードフリードは席を立って、ヴィオラートに声をかけた。
「外に行こうか。家の中にいると、母さん達の邪魔になりそうだ」
「はい。久しぶりにユリアおばさんとお喋りできるって、うちのお母さんも楽しみにしてたんです。二人だけにしてあげた方がいいですよね」
 顔を見合わせて笑うと、静かに家を出ていく。
 並んで出ていく後姿を、母親達が好奇心の宿った瞳で見ているとも知らずに……。



 畑ばかり続く道を、当てもなく歩き始める。
 向かっているのは村の中心から離れた外れのほうで、子供の頃、遊びで駆け回った場所でもある。
「今日は夕方までのんびりできるんです。ゆっくりお話できますね」
 隣を歩くヴィオラートは、彼を見上げてにこっと笑う。
「ああ、これまでのヴィオの話も聞きたいな」
「あたしの話はあまり面白くないですよ。家のお手伝いして、ちょっとだけ洗濯屋で働いてたぐらいだし。ロードフリードさんがハーフェンに行っちゃってからは、お兄ちゃん、冒険者になるんだって言って、村の外に行くようになって、遊んでくれなくなったの。だからあたしはお母さんにお料理を教えてもらうことにしたんだ。にんじんを使った料理やお菓子をたくさん食べたかったから」
 年の近い女の子達は皆少し年上で、その頃には家の手伝いで忙しくなり、ヴィオラートの遊び相手はほとんどいなくなった。
 それで彼女が寂しい思いをしたかというとそうでもない。
 村のどこに行っても村人の誰かが可愛がってくれたし、母の後ろをついて歩き、家の手伝いをして、大好物のにんじんをいっぱい食べてそれなりに幸せだった。
「今はね、錬金術を使えるように練習しているんだよ。それでね、何か良いもの作れるようになったら、お店を始めるの」
 ヴィオラートは楽しそうに夢を語り始める。
「材料を入れて、お鍋をかき混ぜていくと、キラキラ光りだすんだよ。最初は失敗ばかりで、どれも黒い炭になっちゃったけど、段々形のある物ができるようになってきたんだ」
「例えば、どんなもの?」
「豆のスープ」
 それは料理じゃないのかとロードフリードは思ったが、ヴィオラートの顔を見ていると水を差すようで言い出せなかった。
「出来上がるのはお料理だけど、普通の料理と作り方が違うの。たぶん、続けていけば、これですごいものが作れるんだって気がするんだ」
 家族から散々ただの料理だと言われたのだろう、ヴィオラートは苦笑してそう付け足した。
「そうか、ヴィオは錬金術が楽しいんだね」
「うん! あたしもね、アイゼルさんみたいな錬金術士になりたい!」
 少し前に出会ったという錬金術士の女性が見せた不思議な技を、自分も身に着けたいと張り切っている。
 彼女がこれだけ夢中になったものを、ロードフリードは知らない。
 かつて、竜騎士に憧れた時の気持ちが甦ってきて懐かしくなった。
 錬金術がどんなものかまだよくわからないけれど、ヴィオラートの夢が叶うように応援したいと彼は思った。
「ヴィオならなれるよ。俺にできることがあるなら協力するから遠慮なく言ってくれ」
「ありがとう。でも、大丈夫。ロードフリードさんも、これから忙しくなるでしょう。あたしのことは放っておいてもいいよ。あたしがやりたいことだもん、迷惑かけないように頑張るね」
 ヴィオラートは悪気なく言ったつもりだったが、ロードフリードは突き放されたような気がした。
 彼女との間に距離を感じて、寂しさを覚える。
「すまない、余計なことを言ったようだ」
 思いがけず硬い声で謝られて、ヴィオラートは驚いた。
 立ち止まり、慌てて弁解を口にする。
「え? 違うよ! 協力するって言ってくれて嬉しかったよ! でも、もう子供じゃないもん、甘えたらだめかなって思ったからで、迷惑ってことじゃないからね!」
 遠慮から出た言葉だとわかって、ロードフリードの沈んだ気持ちは浮上した。
 自分でも気づかぬままに、それは表情に表れていた。
「ヴィオのお願いなら喜んで聞くよ。昔みたいにもっと頼って欲しいな、距離を感じて寂しくなる」
「うん、わかった。何か手伝って欲しいことができたら、相談に行くね」
 彼の手が頭を撫でてきて、ヴィオラートは安心して微笑んだ。
 ロードフリードがここまで自分を気にかけてくれていたのは意外だったが、大切に思われていることを知って嬉しくなった。成長した彼と再会して、自分も早く大人にならなければと思ったが、こうして頭を撫でてもらえるのも今だけかと思えば甘えたくなる。
 ロードフリードは彼女の頭から手を離すと、今度は自嘲するように肩を竦めた。
「大きなことを言ったけど、俺にできることと言えば戦うことぐらいだけどね」
「戦えるってすごいと思うよ。外には怖い怪物がいっぱいいるんでしょう? ロードフリードさんは強くなって帰ってきたから、心強いってみんな言ってるよ」
「まだまだだよ。訓練を受けたから、普通の人よりは強いだろうけど、それだけだ。でも、ヴィオや村の人達のことは必ず守る」
 そう言った彼は、どこか遠くを見ていた。今話していたこととは別のことを考えているようだった。
 ヴィオラートは違和感を覚えてロードフリードに尋ねた。
「ロードフリードさん、何かあったの?」
 彼女の問いに意識を戻した彼は、力なく笑った。
「何でもないよ。久しぶりに家に帰ってきたから気が抜けてるんだ。これじゃいけないのにね」
 ヴィオラートは理由を深く聞くのはやめることにした。
 直感で踏み入ることは良くないと思ったからだ。
 代わりに労いの言葉を口にした。
「そんなことないよ。騎士の訓練て大変だったんでしょう、ずっと気を張り詰めていたら疲れるもん。今は休めばいいんじゃないかな」
「そうだね、都会は便利で賑やかだけど、騒がしくてちょっと疲れたな。ここは時間がゆっくり過ぎていくから落ち着くよ」
 空を仰ぐと白い雲が浮かぶ澄んだ青い空が広がっていた。
 涼風が吹き抜けて、清涼な空気を運んでいく。
 人の声はなく、遠くで牛の鳴き声がした。
 何もない田舎と、都会の人は言う。
 確かに発展から取り残されて生活も豊かではないけれど、ここには全てを包み込み、心を癒す優しさがあることを、二人とも知っていた。
「そっか、都会には行ってみたいけど、あたしも合わないと思う。住むならカロッテ村が一番だね」
「うん、ここぐらい住み心地の良い村はないな」
「えへへ、同じだ。ロードフリードさんはずっと村で暮らすの?」
「ああ、そのつもりだよ」
「良かった。これからはいつでも会えるね」
 笑顔のヴィオラートは、幼い頃の無邪気な彼女のままだった。
 時間が戻ったような気がして、ロードフリードは安らぎを感じた。
 思い返せば村人の誰からも、騎士にならなかった理由は聞かれなかった。
 単純に一人でも村に戻ってきたことを喜ばれているだけかもしれないが、選択を尊重されているのだとも思う。
 帰郷を決めてから、竜騎士の名と責務を負うことを恐れて逃げただけなのだろうかと自問することがある。
 目の前にいる、大切な幼馴染を守ると言いながら、それも口実に過ぎないだけで、結局自分の弱さをごまかしているだけなのではないかと。
 ヴィオラートの傍にいれば、心は休まり、子供の頃に返ったようだ。
 だけど、そこで立ち止まってはいけない。
 彼女に頼れと言いながら、実はこちらが依存しているのだと知られたら、きっと失望される。
 目標を見つけたヴィオラートに負けないように、ロードフリードはこの村で己の成すべき道を探そうとしていた。



 再び歩き始めると、ヴィオラートが懐かしむように問いかけてきた。
「ロードフリードさん、覚えてる? 昔、あたしに絵本を読んでくれた時、あたしの騎士になってくれるって言ったでしょう?」
「そんなこと言ったかな?」
 覚えはあったが、子供の頃のその発言は思い返すと恥ずかしかったので、とぼけてしまう。
「言った! ちょっと違う言い方だったかもしれないけど、絵本の騎士みたいに、あたしのこと助けに来てくれるって言ったんだよ」
 むくれる彼女に降参して、ロードフリードは思い出したよと話に乗った。
「ヴィオはニンジン王国のお姫様になったんだよね」
「そう、だからロードフリードさんはね、ニンジン王国の騎士様なの! 遠くの国に修行に行ってたけどお姫様を守るために帰ってきたんだよ」
 子供の頃と違って、ヴィオラートも本気で言っているわけではない。
 くすくす笑いながら、スカートを摘まんでお辞儀をして、お姫様っぽい仕草を気取ってみせる。
 久しぶりのごっこ遊びを彼女は楽しそうに演じていた。
 ロードフリードは、その場に片膝をついて、恭しく頭を垂れた。
 所作は精錬所で習い覚えた騎士のそれで、本来なら王族や貴族を相手に披露する礼である。
 ヴィオラートはごっこの枠を通り越して本格的に様になっている彼の姿を見て、頬に僅かな熱を感じた。
「ヴィオラート姫、あなたの騎士ロードフリードが、ただいま戻りました。如何なる敵が現れようとも退け、あなたとあなたが愛するこの国とニンジンを守り抜くことを、我が命にかけて誓います」
 ロードフリードがセリフを言い終わると、どちらからともなく噴き出した。
「やだ、ロードフリードさん、お姫様と国はわかるけど、ニンジンも守ってくれるの?」
「だって、ニンジンがないとヴィオの大好きな国にはならないだろう。お姫様の大切なものも、全部守るよ」
 ひとしきり笑ったヴィオラートは手の甲を彼に向けて差し出した。
「あたしも村もニンジンも守ってね、約束だよ」
「うん、必ず」
 ロードフリードは彼女の手を取ると、唇を寄せた。
 彼が捧げる誓いの口づけを、ヴィオラートは厳かな気持ちで見ていた。
 胸の奥で熱く疼く何かを感じる。
 まだ言葉にできないその気持ちを、彼女はひどく持て余していた。


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