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「ん…」
ぐっすり寝こけた昼寝から目覚めたソロが、ぼーっと躯を起こした。
「あれ…オレ‥‥‥?」
「おはよう…には遅すぎですかね、やはり。」
すぐ横からクスクス笑いが聞こえ、クリフトが彼の頭を撫ぜた。
「おはよー‥って。あれ…?」
頭がきちんと起きて来ると、状況が飲み込めて来る。
ソロはワンテンポずれてそこに突き当たると、キョロキョロ室内を見渡した。
「…ピサロは?」
さっきまで部屋に居たのに‥とソロがクリフトに訊ねる。
「洗濯物を届けに出てるんですよ。」
彼が示した隣のベッドへ目を移すと、シーツがなくなっていた。
「…ピサロが、持って行ったの?」
目を丸くしたソロが呟く。
「ええ。そうそう宿の物を処分する訳にも行きませんので。」
「…まあ、そうだけど。でも‥すごい…意外だ。」
「相当渋ってましたけどね。今夜もソロを泊める為に‥と説得しました。」
にっこり言い切るクリフトに、ソロが眉を上げる。
「え…今夜も? ‥オレ、今日はもうゆっくり休みたい。」
「‥別に。ただ泊まって行けばいいではありませんか?」
「…トルネコが、変に思うでしょ?」
「大丈夫ですよ。ソロがどうしても…というなら、無理に引き留めませんけど。」
ソロはどうしたいですか…優しく訊ねられ、ソロはさっと頬に朱を走らせた。
「…一緒に‥居たい。」
ぽんぽんと頭に手を乗せたクリフトが微笑を深める。
「では、そういう事で。ゆっくりして行って下さいね。」
そう話しかけると、「ああ」と思い出したようにサイドテーブルに置かれた箱を開いた。
中身に興味がいったのか、ソロも一緒に覗き込む。
箱の中には、苺とチョコのケーキが並んで納まっていた。
「お土産です。そろそろおやつが欲しい刻限でしょう?」
「うん。全部食べていいの?」
「ええ。どうぞ召し上がれ。」
ワクワク訊ねるソロに、クリフトが笑んだ。
ソロが嬉しげに顔を綻ばせ、側に用意してあった皿へ移して、フォークを手に取る。
「いっただきま〜す!」
ぱくん‥と早速ほお張って、ソロはにんまり満足げに笑った。
もぐもぐ食べているソロの横で、クリフトがグラスに冷えたミルクを注いでゆく。
スッと差し出されたそれを受け取って、コクンと口に含むと、ソロは食べる手を止めた。
「…あのね。‥あの、今朝は‥ごめんね?」
「何がですか?」
「だって…オレ‥‥」
俯いてしまったソロの隣にクリフトが移動する。すっと肩を抱くと、柔らかく紡いだ。
「彼と2人きり‥まだ緊張しましたか…?」
小さく首を左右に振って、ソロが答える。
「…あいつ、嘘みたいに優しいから。」
「よかったじゃないですか。」
「…でも。きっと‥今だけ‥だもん。あの事知ったらきっと‥‥‥」
ふるふる‥と力無く首を振り、ソロが項垂れた。
「ソロ…それは‥」
「オレ…ケーキ食べる。」
気持ちを切り替えるよう、努めて明るく宣言して。クリフトの言葉を遮る。
ソロはぱくぱくと、残ったおやつを食べ始めた。
――あの事?
部屋の外で。2人の話を立ち聞きしていたピサロが、怪訝そうに眉を寄せた。
そう言えば。魔界で何かあったような事を、神官が話していた。
それなのだろうか?
ソロがひどく動揺した時。問いただそうとしたが適わず、忘れていたが…
妙な迫力含んでいた、その時の神官の貌をピサロは思い出した。
ぱたん‥
静かな室内へピサロが戻ると、ソロが丁度おやつを食べ終えたところだった。
「あ‥ピサロ。ちゃんとシーツは宿の人に渡せたの?」
にこっと笑んで、ソロが訊ねる。そこにはもう、憂いは残っていなかった。
「…ああ。そこの神官が口喧しく伝授して来たからな。」
「くすくす…そんなに大変なコトでもなかったでしょ?」
「人間の宿など‥必要がなかったのでな。」
肩を竦めて話すピサロに、「ああそうか」とソロが納得した。
「オレも最初は解らないコトだらけだったよ。町によっても違うから、尚更…」
「そうですね。土地が変われば風習なども様々で…。時折惑う事ありますよね。」
「え‥そうなの? クリフトって、どこでもいつもと同じに見えたけどなあ‥。」
「慣れない場所では、随分緊張したものですよ。」
くすくすとクリフトが微笑む。和やかな会話を耳に入れながら、魔王は清潔なシーツを
用いて、早速ベッドメイクに勤しんでいた。
「…ピサロって。意外に器用なんだ。」
自分よりもずっと手慣れた様子で作業を進める彼を見守り、ソロがこぼす。
実際。逗留が数日に渡っても、それをする機会などほとんどなかったのだ。
だから。どんな表情で交換に行ったのだろう…と考えて。
ソロは一層不可思議なものを見守るよう、作業をみつめた。
「そうですね。意外です。」
クリフトも苦笑交じりに話す。
「人間社会のルールはともかく。自分の面倒くらい、当たり前に出来るぞ?」
「結構庶民的な魔王サンなんですね。」
心外そうに顔を顰めるピサロに、にっこりとクリフトが笑んだ。
「‥ふん。そもそも独りで過ごした時間の方が遥かに長いのだ。
魔王などと呼ばれた刻など、それに比べれば瞬きに等しいな。」
ベッドメイクを終えた魔王が、どんと縁に腰掛けた。
「…そう言えば。前にも似たようなコト‥言ってたね。」
思い出したようソロが呟く。
「…幼い頃は、あれこれ世話をやく爺が側に居たが。病を得てな。
それからは‥随分長い事、独りだったな。」
「…家族‥は?」
躊躇いがちに訊ねられ、ピサロは緩く首を左右に振った。
「…そうなの。‥だから、ロザリーは大事な家族‥なんだね。」
しんみりと、ソロが話す。ピサロは小さく「ああ」とだけ答えた。
ミーティングの前に。
ソロはベッドに陣取ったまま、クリフトに取って貰った世界地図を広げていた。
「う〜ん…大体回ったんだよね、オレ達。後は…この辺回って‥その後だよな。」
「一通り回り終えた後の事ですか?」
「うん…そう簡単に情報が入って来るもんでもないだろうし。
オレとしては、あの変な洞窟挑戦してもいい頃合いかな‥って。」
「変な洞窟?」
ピサロが怪訝そうに眉を寄せた。
「ああうん。そう言えば。ピサロはまだ行ってなかったっけ?
あのねえ。洞窟自体も変なんだけど。その奥にね、もっと変なヒトが居るんだ。」
「訳解らん。」
ソロの説明では要領得ずに、ピサロが困惑顔を浮かべる。
「洞窟自体が奇妙な空間になってるのですけど。その最奥に住まう住人が、更に個性的で
してね。不思議な力をお持ちのようなんですよ。そして、とても強い。
そうそう。世界樹の花が無事に咲いたのも、彼らのおかげなんですよ。」
「千年花‥か。伝説かと思っていたものが真実あったとはな。…その住人、興味深いな。
話を聞いて見るのも悪くない。」
ピサロの言葉に、ソロとクリフトが顔を見合わせた。
「‥あのね。彼らと話しするの、すっごく大変なんだよ?」
「その前に彼らを負かさないといけませんしね。」
苦く言う彼らに、クエスチョンマークを浮かべる魔王さまであった。
陽も落ちて、夕闇が深い藍色に染まる頃。
動くのが辛そうなソロに、クリフトが気遣う声音で話しかけた。
「ソロ。夕食の後にミーティングをするのでしたら、そろそろ食堂に向かった方が良いの
ですけど。体調はいかがですか?」
「うん…平気‥っ、じゃ‥ないかも…。」
立ち上がろうとしたソロだったが。
躰中の筋肉がミシミシ悲鳴を上げて、思わず顔を顰めてしまう。
「う〜ん。どうしましょうか…」
「ソロは『寝込んで』るのだろう? ならば、それを通せば良いではないか。」
「まあ‥最終的にはそれもアリですけどね。ソロはどうしたいですか?」
「…ミーティングはちゃんと出る。でも…夕食は、ここで済ませたいかな。」
なんでもないフリしながら食べるのはごめんだと、ソロが話した。
「では…食事はこちらにお持ちしましょう。なにがいいですか?」
結局。ソロに付き合ってクリフトが部屋で食事を摂る事となり、ピサロは食事が届いた
時点で、食堂へと一人向かった。
「良かったんですか?」
彼が出て行った後、クリフトが確認してくる。
「‥うん。流石にここで3人で食べるのもなんだしさ。‥って。
無理に押しかけてる奴の台詞じゃないか。はは…」
「ふふ‥。引き留めてるのはこちらなんですから。大きな顔して居座って下さい。」
「うん‥ありがとう、クリフト。」
運んで貰った食事をのんびり食べながら、ソロがふんわり笑った。
「‥でもさ。ピサロは随分あっさり了承したよね。なんだかオレとクリフトを2人きりに
するの、嫌がってるように思ってたんだけど。」
「そうですね。…もしかしたら、朝の二の舞いになりそうだからと、引いたのかも知れま
せんよ? ソロ‥今日はやけに艶っぽいですから。」
クスクス‥とクリフトが揶揄う。
「え‥? なんか‥顔ヘン? オレ‥?」
ぽっと朱を昇らせて、ソロが火照った頬に手を当てた。
「昼間程ではありませんけどね。まだ少し、余韻残ってるような‥いい表情してますよ。」
「う…それって、なんか‥ヤバくない? マーニャとか勘ぐって来ない?」
「マーニャさん辺りは危険でしょうね。そうでなくとも、ソロの事、よく見てますし。」
あっさりと肯定されて、ソロが苦い顔を浮かべる。
「…クリフトとのコトも。真っ先になんか‥見抜いてたね、マーニャ。
ピサロとのコト…バレたら、大変だよね。…マーニャ怒るよね、きっと‥」
「まあ‥一荒れするでしょうね。火球だけは、場所を考えて放ってほしいものですけど。」
困惑するソロと対称的なクリフトがのほほんと笑った。
「え…火球?」
「ああ。ソロにではありませんよ?
そんな危険な怒り方、あなたに向ける訳ないでしょう?」
にっこりきっぱりクリフトが断言する。ならば‥怒りの矛先は…
「まさかあ‥。いくらマーニャだって。そんなんで魔王に喧嘩売らないよ。」
今は仲間‥とはいえ。相手は魔王さまなのだ。…ああでも。最近「ぴーちゃん」呼んでた
な、彼女…クルクルとソロが思考始める。
「…で。どうします?」
くす…と悩む彼に苦笑して、クリフトが再確認してきた。
「え‥どうって。何が?」
「ミーティングですよ。先程の話で進めて良ければ、そう皆さんにはお伝えしますよ?」
「あ…うん。…でもさ。本当に熱出してたら、それもいいけど。
理由がなんか…情けなくない? 無責任‥というか…」
「そんな事ありませんよ。実際あれは制御出来なくなるみたいですしね。」
朝の件を指されて、ソロが赤面する。
「…うん。なんかね‥駄目なの。酔っ払っちゃった時みたいに…変になっちゃうの。」
ぽつぽつと耳まで真っ赤にしたソロが白状してると、控え目なノックが届いた。
お互い顔を見合わせた後、食事を終えていたクリフトが席を立つ。
かちゃり…開いた扉の先には、アリーナが立って居た。
「そろそろ皆の食事が終わったからね、呼びに来たのよ。ソロ‥大丈夫そうかしら?」
そう訊ねられて。クリフトがそっと身体を退いた。
アリーナが部屋の中を覗うと、ベッド端に腰掛け食事中な、ソロと目が合う。
「‥あ、ごめん。まだ済んでなかったのね。っていうか。ソロ…まだ熱あるんじゃない?
ミーティング、私達で進めて良ければそうするわよ?」
火照った顔のソロを見て、案じるよう彼女がそう提案した。
熱がある…アリーナにまで、そんな風に見られて。ソロが慌てて俯いてしまう。
クリフトは苦笑すると、彼女の提案に乗った。
「そうですね。その方が良いかも知れません。」
「じゃあ‥クリフトはこのままソロをお願い。
2人とも今後の予定とかは後でピサロに聞いてね。」
「…それでよろしいのですか? 姫様。」
「ええ。なんか昼間、3人で今後の打ち合わせしてたのですって? ソロったら、そんな
無理するから、また熱が上がったんじゃない? 今夜はゆっくり身体休めて?」
「…わかった。ごめんね、迷惑かけて‥」
ソロが俯きがちに、申し訳なさそうな声音で謝る。
アリーナはふわり微笑むと、「ちっとも」と明るく応えた。
「じゃ‥クリフト。ソロの看病頼んだからね。」
そう残して。アリーナが去って行った。一頻り見送った後、クリフトが扉を閉める。
「…なんだか。私までミーティング免除になってしまいました。」
思いがけない展開に、クリフトが肩を竦めると、ソロもクスクス笑い出した。
「あはは‥! 2人でサボっちゃったね、なんか。」
「そうですね。」
共犯者が出来てホッとしたのか、愉快そうに笑うソロに、クリフトも笑んで返した。
それから数刻後。
ピサロが部屋へ戻って来た時には、ソロはもう夢の彼方の人となっていた。
「ああ‥お帰りなさい。ご苦労さまでした。」
ソロの眠るベッドの縁に腰を下ろしていたクリフトが、スッと立ち上がった。
「‥ソロは、眠ってしまったのだな。」
「ええ。それだけ消耗してたのでしょうね。」
クスクスと忍んだ微笑を浮かべるクリフトに、ピサロが渋面を滲ませる。
「…無理強いはして居らぬぞ?」
「理解ってますよ。ソロ自身、ああなると抑止出来ないのだとこぼしてました。」
「‥ふん。明日の予定だが‥商人が何やら仕入れに向かいたいらしくてな。
エンドールへ立ち寄る事となった。そこで1泊するそうだ。」
「そうですか。あなたが姫様に話して下さっていたおかげで、今夜は助かりました。
ちょっと‥部屋を出にくい状況でしたので…」
ソロは夜の方が苦手なんですよね…そう付け足して、クリフトが嘆息した。
「…その件だが。」
ピサロがひっそり声を顰める。ふとソロへ目線を向けた後、部屋の隅へクリフトを招いた。
「‥魔界で何があった?」
側に立つ彼だけに聴こえるように、重々しく訊ねる。
「…メンバーに聞いたのですか?」
それで今夜は素直に引いたのか‥とクリフトがひっそり吐息を落とした。
クリフトはソロを窺って、それから窓辺へ立つ彼を見遣る。
大きな吐息の後、クリフトは口を開いた。
「‥魔族と戦って酷い手傷を受けた…という答えで納得頂けませんでした?」
「出来ぬな。アレがいつまでも引きずっていると言うのなら、それでは腑に落ちん。」
「…詳細は。私だって聞いてません。触れたがらないので。…大凡は察しましたけどね。
ですから‥ソロが沈黙する以上、私からは話せません。」
きっぱり拒否する神官に、魔王が射るような冷たい眸を向ける。
「…ああ。ただ‥あなたの部下。先日話題に上がった彼なら詳しいはずですよ。
私などより、ずっとね。」
それを肩でいなして付け足すと、話は終わりとクリフトは踵を返した。
深く眠るソロの元へ向かう彼の背を見ながら、魔王が考え込むよう視線を落とす。
「…少し、出て来る。」
そう低く伝えて。ピサロは戸口へ歩を速めた。
静かに出て行ってしまった彼を見送ったクリフトが嘆息する。
魔界での1件。
それが未だ根深くソロに闇を落としている――
その晩。ピサロは夜更け過ぎても、部屋に帰っては来なかった。
2006/4/24
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