その2 彼が戻って来た時には、鷹耶は再び眠りについていた。 (…熱は下がってねーみたいだな。) 首筋に手を伸ばすと、とんでもなく熱い身体に深い溜息を吐く。 「…ん?」 彼の様子を見ていたオルガは、頬を伝う雫に目を止めた。 (涙‥。泣いてるのか…?) そっとそれを拭ってやる。ただ静かに零れていく涙は、止まる事を忘れたかのように、 しばらく流れ続けていた。 翌朝。右腕のやけに熱く重い感触に導かれるように、オルガは目を覚ました。 「…原因はこいつか‥‥」 オルガは小さく苦笑すると、腕を組むように絡ませたまま眠る隣人を見つめた。 「まだ大分あるな‥。」 空いた方の手で額や首筋から体温を確認しながら、彼は大きく吐息をついた。 「…ん‥。」 「よお。目覚めたか?」 他人の気配に気付いたのか、ぼんやりと瞳を開けた彼にオルガが声をかけた。 「‥‥あ。」 一瞬。どこかも把握出来ずにいるようだったが、自分が彼の動きを制限している事実に気付き、 絡ませていた腕をあっさりと解いた。 「おはよう。昨夜はゆっくり眠れたか?」 「…あ、ああ。」 隣に片肘ついて、愉しげに覗き込んでくる彼の視線から逃れようと、瞳を逸らしながら鷹耶が 応えた。 そんな姿もまた可愛いな…などと、たった一晩の看病ですっかり世話焼きモードに入ってし まったオルガが機嫌良さそうに笑う。 「どうだ? 何か食えそうか?」 「…いらねー。」 「腹‥減らねーのか?」 鷹耶は小さく頷いて答えた。 「う〜ん。食えなきゃ薬飲ます訳にも行かねーしな。まず熱下げんのが先か。やっぱ。 ちょっと待ってろ。」 オルガはそう言うと、ベッドから出て寝室を後にした。 「…これ。解熱薬なんだが‥お前自分で入れられるか?」 「‥‥‥? 入れる?」 「座薬だよ。知らねーのか?」 戻って来た彼が持つ錠剤らしきモノを見ながら、鷹耶は不思議そうに頷いた。 「んじゃ‥俺が入れてやるよ。」 人の悪そうな笑みを浮かべながら、愉しげにオルガが言い切った。 「…ど・どこに?」 「尻の穴。」 「俺‥薬いらねーから。」 「駄目駄目。ここで面倒見る以上、体調回復の為必要な治療に拒否権は使わせねーよ。 たいしたこっちゃねーだろ。昨夜だって入れてんだから。」 「‥‥‥‥‥」 「大丈夫。下心なしでやってやるから。」 「下心…?」 「お前だってルーエルとやったんだろう? やり方は知ってるよな?」 「あ…。」 「そう、おりこうさん。」 頬に朱を走らせた彼に気づいたオルガが、ベッドの端に腰掛けながら笑んだ。 「あんた…ルーエルの‥‥」 「彼氏だ。一応な。」 答えながら、鷹耶を横に向かせるオルガ。 「まあだからって、見境なく襲ったりはしないから安心しな。」 「うわ…! ‥‥それ。全然説得力ねーよ。」 まだ上手く身体に力が入らないでいる鷹耶を、手際良く扱う彼。あっさり剥かれたズボンから 飛び出した双丘の谷間に、冷んやりした錠剤が滑り込んできた。 「ほらじっとしてろ。誤って指入れちまうだろ?」 「‥‥う。」 愉しげに言う彼に、不本意ながらも抵抗出来ずにいる鷹耶。 「ほい、完了。…な。たいした事ねーだろ?」 ズボンを上げ、横に支えていた腕を外すと、仰向けの姿勢に戻す。 鷹耶はギロリとベッドサイドに立つ彼を睨みつけた。 「ほら。氷枕も取り替えてきてやるから。大人しく寝てろ。」 何か言いたげな鷹耶に小さく笑い返すと、オルガはタライと氷枕を持って、寝室を後にした。 氷枕を新しく替え、タライの水も交換したオルガは、汲んできたばかりの水差しの水をコップ へと注いでいた。 「ほら。機嫌直せよ。俺はこれから仕事で出掛けるから。ちゃんと大人しくしてろよ?」 「…出掛けるのか‥?」 「ああ。昼には一度戻るから。これ飲んでもう一眠りしとけ。起こしてやるから。」 「…起きるの嫌だ‥。」 独り残される不安を一瞬浮かべた鷹耶だったが、続いた言葉に不機嫌さを現し、上体を支えよう との申し出を断った。 「わがままなお嬢さんだな。」 「誰が‥‥‥!!」 反論は塞がれた唇の中に消されてしまった。 「コ‥コホ…。何しやがる?!」 「水飲ませてやったんだろう? もういらねーか?」 「‥‥飲む。」 「んじゃ‥もう黙ってろ。」 「‥ちゃんと帰って来るよな?」 「当たり前だろ。独りじゃ辛いってんなら、隣の子供に来て貰おうか?」 「…あんたが‥戻って来るなら‥いいさ。」 「一眠りしたら、すぐ昼だ。じゃ‥良い子でな。」 額にキスを落とすような仕草の後、オルガはそっと離れた。 不安そうな瞳はすぐに閉ざされ、独り残して出掛ける事に躊躇いを覚えながら寝室を出て行った。 「オルガの兄貴。おはよ!」 軽めの朝食を済ませ家を出ると、通りに出たばかりのマルコが声をかけてきた。 「よお。昨日はご苦労だったな。」 「うん。それで‥例の兄ちゃんの具合はどう?」 「ああ。まだ熱が高くてな。まあ今はそれ程忙しくねーから、午前中に仕事片付けて早目に帰るさ。」 「兄貴は面倒見いいからな。」 「ルーエルの知り合いだからな。ここにゃ他に頼る宛もねーようだし。」 大通り目指して歩きながら話し込んでいた2人だったが、四つ角へさしかかると足を止 めた。 「じゃ、お互いがんばろうぜ!」 「うん。行って来まーす!」 分岐点で別れると、オルガは真っ直ぐ職場を目指した。 その日。1日の仕事を半日でやっつけたオルガは、昼飯時から少し遅れて自宅へと戻った。 元々相手あっての仕事なだけに、急ピッチを強いられた仲間には災難だったが、なんとか今日 の予定をクリア出来た時点で、誘われた昼飯も断り家路を急いだ。 「ただいま。」 小さく声をかけて家に入ると、寝室へと足を運ぶ。 「ただいま、鷹耶。起きてるか?」 「‥‥‥起きてるよ…」 寝室へやって来たオルガの耳に、低くぶっきらぼうな声が返って来た。 「‥‥遅かったじゃねーか。」 「ああ。すまないな。午後の分も仕事片付けてきたんだ。」 「…じゃ。もう出掛けねーのか?」 「今日はな。」 「…そっか。」 ほっとしたように頬を緩める鷹耶。 「機嫌直ったか?」 「‥‥!! べ・別に…俺はなにも‥‥‥」 「寂しかったくせに。」 額のタオルを水に浸しながら、からかうようにオルガが突っ込んだ。 「熱‥まだ高いみたいだな。氷枕も取り替えてこよう。」 「オルガ‥!」 「すぐ戻るから。どこかに行く訳じゃねーから、安心しろ。」 引き止めるように彼の上着の裾を掴んだ鷹耶に、彼が優しく言い聞かせた。 昨夜。ぽつぽつと寝言を繰り返した鷹耶は、独り残される事への哀しみを訴え、何度も涙を 零していた。「独りは嫌だ」という彼に、「大丈夫」と最初に手を差し伸べたのはオルガだった。 「独りじゃない」「ちゃんとここに居るだろ」と。何度も囁いた。 その手の温もりが彼に伝わった時、ようやく安心したのか、寝息も穏やかに変わっていった。 彼の身に何が起こったのか。何も知らない。 だが…魔物の襲撃があちこちで増えている昨今。家族や仲間を一辺に失う事は、実際そう珍しく なく起こっている。彼の恋人であるルーエルもまた、そんな残された独りだったから―――― だからかも知れない。オルガは思った。 張り詰めた様子の鷹耶に、その頃の自分を重ねてしまったルーエルにとって、他人事ではな かったのだろう。だから。手紙を託し自分の元に導いたのだろう…と。 自分に何が出来るか解らない。 が。出来る限りの事はしてやりたい。 そんな事を考えながら、寝室へと戻って行った。 |
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