「―――よし、と。‥こんなモンかな。」
大ミミズの集団を一掃させた青年が、剣を振り払い鞘へ納めた。
見通しの利く草原をクルっと見渡して、満足そうに頷く。
―――周囲にまとまった魔物の気配はないようだ。
「‥ま。1匹2匹相手なら、問題ねーだろ。」
そう独りごちて。青年は街道近くの大樹を見定めると、ひょいひょい身軽に登ってしまった。
針葉樹を思わせる深緑髪と、闇夜のような濃紺の瞳を持つ青年―――アレス。
彼はブランカからエンドールへ向かう街道沿いに在る樹木に登ると、ブランカ方面へと目
を移した。
「‥もうそろそろだと思うんだが。」
ぽつっとこぼしたアレスが、注意深く道の先を見つめる。
ややあって。まっすぐ伸びた街道に、人影が確認出来た。
ボリュームのある明るい翠の髪、左半身にオレンジ色をまとった華奢な体躯が見て取れる。
アレスはしっかりした足取りでこちらへ向かってやって来る少女を認めて、瞳を和らげた。
まだここから視認出来る訳ではないが、人懐こい蒼紫の瞳で微笑む少女が浮かぶ。
「…ロナ。」
少女は周辺に気を配りながらも、迷いなく、エンドールと繋がったトンネル目指し歩を進
める。彼女は気配を消したアレスに気づく事もなく、まっすぐ通り過ぎて行った。
夜半。
トンネルまで凡そ半日の場所で、少女は野宿していた。
恐らく身体を休めるだけのつもりだったのだろうが。夜が更ける頃には、昼間の疲れも手
伝って、こっくりこっくり舟を漕ぎ始める。
大きな樹木に寄りかかって、寝入り始めた彼女に、離れた場所から様子を窺っていたアレ
スが近づいた。
膝を折った彼が、深く眠る彼女のふわりとした髪に手を入れる。
そっとその顔を覗き込むと、旅立つ前と変わらぬ寝顔がそこに在った。
まだあの日から幾日も経って居ない。
別離から…ほんの数日。
なのに…
もう何カ月も過ぎたかのように、懐かしい。
旅立つ前は、こんな風に別の道を歩く事になるなんて、夢にも思わなかった。
側に居られなくなる日が来るだなんて…
赤ん坊の頃から、いつでも共に在った片割れ。愛しい少女―――ローナ。
「‥‥‥‥」
アレスは口惜しそうに唇を噛み締めて、彼女を静かに横たえさせた。肩から落ちていた毛
布替わりのマントを身体にかけ直して、小さくなっていた焚き火に薪をくべる。
火の番をしながら、アレスは彼女の寝顔を見守り夜を過ごした。
「…う‥ん。‥‥‥あっ。」
辺りがうっすら明るくなり始めた頃。早起きな鳥達の鳴き声に誘われて、少女は目を覚ま
した。
「やだ‥。私ったら、すっかり眠ってしまったのね…。」
身体を起こした彼女が、周囲に目を配らせながら、深い吐息を落とした。
幸い魔物の気配はない。
「…あれ? ‥私…こんなに薪くべたっけ‥?」
既に火が消えてる焚き火の跡。だが‥やけに灰が多く感じられて、彼女は首を傾げた。
「…小人さんでも居るのかしら?」
ぽそっと落とした呟きに、彼女が身を預けてた樹木へ移って身を潜めて居たアレスが、ぷっ
と笑いをこぼした。
記憶がない―――そう話していたが。子供の頃気に入ってた御伽噺は覚えてるらしい。
カサ‥と葉が揺れたように思えて。彼女は樹木を見上げた。
「…リスでも居たのかしら?」
枝を幾重にも張り巡らせた樹は、上部へ行く程闇に覆われて見通せない。
ローナはほう‥と嘆息すると、大きく伸びをした。
「なんだかぐっすり眠っちゃったわね。目も覚めたコトだし、行こうかな。」
元気に出立した彼女を見送って、アレスもその場を後にした。
ピーヒョロロ‥
鳶が輪を描いて青い空を優雅に舞う。
白い雲がぽっかり浮かんだ青空。光を大量に森へ注ぐ陽光。
樹上からは、長閑な風景が広がっていた。
目を地上へ移すと‥少女がリリパットと交戦中。
それをやや離れた場所から、青年がハラハラ見守っていた。
(う〜。手を貸してやりてーけど。出て行く訳にも行かねーし…)
木の影からこっそり窺う姿は、どう見ても怪しい…
そんな彼の頭上に、こつんと何かが降って来た。
…木の実だ。
ふと振り仰ぐと、見知った鷹がすぐ近くの枝に舞い降りた。
「ディー。‥戻ったのか。」
ディーと呼ばれた鷹は、小さく啼いた後、少女を援護するかのように飛び立った。
小さな鷹がリリパットのすぐ横を飛び抜け、注意を自身へ向けさせる。
その隙を見逃さないローナが、攻撃に転じ、あっと言う間に形勢を逆転させた。
戦いの場を乱した鷹は、そのまま上空へ舞い上がり、彼女の視界から消えた。
「…ディー。さっきはサンキュー。」
森に身を潜める彼の元へ戻って来た鷹に、アレスが声をかけた。
間近の枝から彼の腕へと飛び移る。
鷹は気怠げに啼いて、首を竦めてアレスを見つめてくる。
呆れたような雰囲気を纏わせている鷹に、彼はむう〜と口を曲げた。
「‥悪かったな。俺だって、馬鹿やってると思うさ。けど‥仕方ねーだろ。
気になるんだからさ。」
罰が悪そうに言うアレスを、じぃ〜とディーが見つめる。
「…エンドールに着くまでだから。見逃してくれよ。な?」
「クェーッ。」
「ああ解ってる。忘れてねーさ。その為に来たんだからさ。」
確認を求めるような鳴き声に、アレスが身を引き締め、返した。
「‥エンドールへ着いたら、ロナも一人じゃなくなる。それを見届けたら、俺も使命を
松任するさ…」
その答えに納得したのか、鷹は背負っていた気配を和ませ、彼への報告を始めた。
「…ふう〜ん。やっぱ、変わらねーか。…用意されたシナリオ‥って奴かね?」
自嘲めいた苦笑を浮かべ、アレスは組んだ腕をそのままに、ふと空を仰ぎ見た。
遠く見渡せる巨木の上。太い幹に背を預けた彼の目が青一色の空を見つめる。
「‥ま。それならそれで、こちらも手を打ち易い‥ってコトだし。
はりきって壊してやろーぜ? な、相棒。」
「クァ。」
気持ちを切り替え笑んだ彼に、鷹もしっかり頷いた。
「…ってコトでだ。」
話がまとまった所で‥と、アレスがガラリと口調を変え、身を乗り出す。
「俺はこの後、世界樹に向かう。その間ディー、お前ロナ達の動向チェックしておけ。」
「クェ‥?」
「勇者に万が一の事があったら、俺達の計画そのものが潰れちまうんだぞ?
だ・か・ら。ヤバそうな時にはフォローよろしく。な!」
堂々と言いきる彼に、少し疲れたモノを感じたディーの翼がガクッと落ちる。
―――貴様だって、勇者のクセに。
そう剣呑な眸で語ってくるディーに、アレスが愛想良く笑った。
里人が見たら、ゾゾォーっと引いてしまうだろう、不気味に明るい笑顔だ。
「俺はもう引退したから。ご隠居サマは人知れず世直し旅をするもんだ。」
かっかっか‥と笑い飛ばす彼に、小さな身体をより縮こまらせて、ディーがか細く啼く。
―――前途多難だな‥
こっそりと心の中でぼやく、ディーだった。
2008/2/10 |