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「こりゃ‥一体? お前さん方は誰だい‥?」
翌日。すっかり寝過ごした王子達がまだベッドで熟睡している姿を、帰って来た家人が
見つけて頓狂な声を上げた。
「え‥わっ! 痛っ…あ、あんたは‥」
嗄れた声に跳び起きた2人。ルークは真っ赤な顔で布団を頭から被って。アルフレートは
横にゴロンと落っこちて、どこかでぶつけた頭を摩りつつ、膝を着いたまま戸口に立つ
老婆を見つめた。
「わたしゃ、ここの家主さね。しばらくぶりに戻って来たら、招いたつもりない客人が
上がり込んで居る。…旅人かい?」
アルフレートがベッド脇に立て掛けてあった剣へ目線を向けてるのを眺めながら、老婆が
訊ねた。
「あ‥ああ。事情話すとちっとややこしいんだが‥。勝手に上がり込んでいた事は謝罪
する。俺達怪しい者ではないし、逃げたりもしないから。‥身支度整える時間戴けない
だろうか?」
布団を被ったままのルークを気にかけながら、アルフレートが努めて丁寧に申し出た。
「ふむ‥。では着替えが済んだら、あちらのテーブルにおいで。」
真っすぐ注がれる濃紺の瞳をじっと見据えた後、老婆はふっと笑いかけ、そう告げると
扉を閉ざした。
静かに閉まった扉を見守っていたアルフレートが、どっと気が抜けたよう脱力する。
「はあ〜。ルーク、もういいぜ?」
バクバク走る鼓動を嗜めるよう胸を押さえて、アルフレートが布団の中に潜ったままの
彼に声をかける。その呼びかけに答えるように、のろのろルークが布団から出た。
「…見られたよね、絶対。…うう、全然気配感じないなんて。迂闊だった…」
部屋にベッドは2つあるのに。1つベッドに寝てただけでなく、半裸だったのも知られて
る。大凡の検討はつけてしまうだろう状況は揃ってる。男同士だけど…
3日前の自分だったらば、同じ状況に遭遇しても、ただ仲が良いとしか考えなかったかも
知れない。けれど‥そんな能天気な思考を、人生経験をより積んでるだろう彼女がするだ
ろうか…? しないだろうな…
「おいルーク。打ちひしがれてねえで、とっとと着替えろよ。」
ベッドの上にぺたりと座ったまま、ふるふる首を振っている彼に、サクサク身支度を整え
たアルフレートが促した。
「苦情は後でたっぷり聞いてやるから。まずはさっきの婆さんにちゃんと説明しないと。
俺が先行って話してもいいけどさ。‥そもそもどこまで語っていいんだ?」
ジト目で睨まれたアルフレートが微苦笑して肩でいなすと、神妙な顔付きで訊ねた。
「…すぐ支度するから。」
そう答えて。ルークはベッドを降りると着替え始めた。
「うう…お風呂入りたかったな‥」
ベタベタする肌に苦い顔を浮かべて、ルークも身支度を整えた。
荷物はいつでも発てるようまとめてあったので。それを持ってドアノブに手をかけたアル
フレートにルークが声をかける。
「アルフ。一応用心はしてね‥?」
「ああ。大丈夫だ。」
2人はゴクンと唾を飲み込んで。扉の向こうで待つ家主の元へと向かった。
「やあ‥思っていたより早かったね。」
老婆はやって来た2人を認めると、ふわりと笑んで迎えた。
「さ‥おかけ。今湯が沸いたから、お茶を用意しよう。」
もてなすような口ぶりの老婆に、王子達が顔を見合わせる。もっと険悪に迎えられると
覚悟していたのに…
「…まあ。一応盗っ人には見えないからね。話を聞くくらいの懐はあるつもりだよ。」
「ありがとうございます。勝手に上がり込んでしまって‥本当ならすぐに追い出されても、
文句言えないのに‥」
ぺこり‥とルークが頭を下げると、隣に立つアルフレートも小さく頭を下げた。
老婆はそんな2人をにこにこ眺めていたが、ふと何か気にかかるものでもあったかのよう
に首を捻って、まじまじとルークを眺め始めた。
「あ‥あの‥‥?」
気づいたルークが顔を上げ、困ったように後退る。
「もしかして‥貴方様は、王子様ではありませんか?」
ぎょっと2人が一歩退き、アルフレートは剣の柄に手を伸ばした。
「お分かりになりませんかの? 森の薬師の魔女ですじゃ。」
「えっ‥お婆さんが? 城にも貴重な薬を届けて下さっている賢者さまなんですか?」
「ふぉっふぉ。賢者さまなどとんでもない。森の魔女で十分さね。」
一気に警戒を解いたルークに、アルフレートも剣から手を離す。老婆も人好きする笑顔を
彼に向けて朗らかに話した。
「ルーク‥知り合いなのか?」
「ああごめん、アルフ。この方はね、町や城へ時々薬を届けて下さる[薬師の魔女]とも
呼ばれている薬学に詳しい長老さまなんだ。僕も妹も、この方の薬のお世話に何度なった
事か…その節は、本当にありがとうございました。」
皺々の手を包むように両手を添えて、ルークが深々と頭を下げる。
「いやいや‥。王子様にそのような‥勿体ない事ですじゃ…」
結局。すっかり緊張を解した後、2人は彼女の勧めるまま食事を振る舞われ、ここへ来た
経緯をすべて明かした。アルフレートがローレシアの王子と知った時には、また酷く驚か
れてしまったが。あの謎の女達に使われた薬の作用等、専門家の意見を伺うには、隠し事
をせず伝えるのが一番早道と考えたのだ。
「…ふうむ。ムーンブルグを攻め滅ぼしたという輩の仲間‥なのかのう…?」
「「‥‥‥!!」」
一番考えられる。けれど一番打ち消したい要因をズバリと言われ、王子達が顔色を失くす。
「…関係、あると考えますか‥?」
神妙な面持ちで訊ねるルークに、老婆も深刻な顔で固く頷く。
「…闇の力が強まる時、光もまた輝きを増す‥古からの言い伝えをな、ロトの後継が3人
集ったと聞いた時に思い出しての…」
「つまり‥最初から狙いは俺達3人だった‥て訳か。一体何を企んでるんだ…?」
「婆さま、僕らに接触して来た姉妹は、確かに何らかの意図を持っていたと思います。
彼女達があっさり撤退したのは、目的を果たしたから‥という事なのでしょうか?」
「…まあ、そうじゃろうな。」
ほんの少し間があったが、そう苦く応えた。
「目的って何だ?」
「…一番考えられるのは‥『呪』‥かな。」
「シュ‥?」 呪術→まじない
「呪い‥だよ。なんらかの呪術を残していった‥と覚悟しておいた方がいいと思う…」
「呪い‥か。それが本当にかけられてるかどうか、婆さん判んねーのか?」
「薬の事なら力にもなれるかも知れんが。呪については、詳しくなくての‥」
アルフレートに詰め寄られた老婆が、申し訳なさそうに返した。
「‥その薬の事ですが。どんなものが用いられたかとか、副作用とか‥判りますか?」
少し切り出しにくそうに言い淀みながら、ルークが不安な眼差しを送る。
「…うむ。王子が飲んだという中和剤な、あれから察するに、ちと厄介かもの‥」
老婆の答えにさーっと血の気が下がる思いで、ルークは緊張を走らせた。
「揺り返し‥がの、しばらくあるやも知れん。」
3人の話が落ち着いたのは、昼もとっくに過ぎた頃合いで。老婆がルークに渡す薬を調合
するのを待つ為もあって、結局その日もこの家に泊まる事となってしまった。
「‥じゃ、お前は少し横になってろよ。婆さんの手伝いは俺がやるからさ‥」
また同じ部屋へと戻って来た王子達は荷物を部屋の隅に置くと、ルークは楽な服に着替え
てベッドに横になった。話の後半から顔色が悪くなって来た為、大事を取って休んでいる
ようアルフレートと老婆に勧められたのだ。
「‥うん、悪いけどそうさせて貰うね‥」
新しい土地を目指す前に、しっかり体調整えた方が良いのは明らかなので。ルークは素直
に甘える事にした。ベッドに横になると、自覚していた以上に疲労してたのか、すぐに
眠気に包まれる。すうすうと規則正しい寝息を立て始めた彼を見届けて、アルフレートは
部屋を出た。
「…なあ、婆さん。」
彼女に頼まれた仕事を幾つか終えて。薬の調合をしている老婆の背中に、アルフレートが
声を掛けた。
「なんだね‥?」
すり鉢に目をやったまま、老婆が返す。
「…俺は、ルークを抱くべきじゃなかったのか?」 躊躇い→ためらい
躊躇いを滲ませて、アルフレートが密やかな声を絞り出すよう問うた。
「あの女達の企みに乗っかっちまったのは‥軽率だったのかな…」
[呪]の話について。正直よく解らなかった部分もあるのだが。それについて語っていた
ルークが、本当に深刻そうな面持ちだったのを思い出しながら、アルフレートが苦く言う。
「‥さあの。ただ‥1つはっきり判るのは、その女と結局交わらずに済んだのは、良かった
のだろうと思うよ。ルーク王子にとっては‥だがね。ローレシアの王子さんも、まあ‥
2度目済ませてないだけ、マシじゃろうし…」
クルリと肩越しに振り返った老婆が、後半軽口に変化させて。人の悪い笑みを皺だらけの
顔に刻んだ。
「…なんか。俺が一番迂闊だった気がするな‥」
あの晩。危うくそうなりかけたのを思い起こして、うんざり顔で零す。
「ふぉっふぉ‥。まあのー。お前さんぐらいの年頃じゃのう‥仕方なかろうな…」
若いのーと言いながら。老婆がツボに入ったようカラカラ笑って、彼の肩を叩いた。
「婆さん…」
ローレシアの王子だと、知った当初は丁寧な口調だったのに。気づけば、その辺のやんちゃ
坊主扱いかと、思わずふて腐れた顔で睨んでしまう。 呪い→まじない
「‥まあ。真面目な話、何か呪いがなされていたとしても。お前さん達の絆でもあるロトの
血が、護って下さると信じておるよ。」
「ロトの血…」
「ああ‥。実はな‥」
老婆はそこで一旦区切ると、声を更に顰めさせ、彼だけに聞こえるよう伝えた。
ルークに用いられただろう薬が、劇薬に近い催淫剤だったのだろうという見解を。彼が
昨日飲んだという中和剤は、その毒性を無効化する植物の根が主成分とされていた事実を。
「わしの見立てが確かならば‥毒が抜けるまで、半月はかかるじゃろう‥」
普通の人間ならば下手をすれば命さえ危ういだろう事も説明し、ルークにそこまで重い
症状が出なかった理由に『ロトの血』が関係してるのかも知れないと、老婆は続けた。
「‥それで、ルークは大丈夫なのか‥?」
「まあ‥恐らく自然に抜けるじゃろうが。今調合しとるのが、それを促す為の薬じゃて。」
「ありがとう…婆さん‥」
「世話になったな、婆さん。」
「本当にお世話になりました。」
翌日。2人の王子は予定通り出立の身支度を整え、数日間滞在した家の前に立っていた。
戸口に立つ家主の老婆に会釈するアルフレートと、深々頭を下げるルークに、老婆も朗ら
かに笑う。
「何かあればいつでも訪ねて来るといい。…まあ、薬の事くらいしか役に立てぬがね‥」
「いいえ。こんなに沢山、ありがとうございました。」
ルークの薬の他にも、毒消し草や薬草をいろいろ持たせてくれた老婆にしっかり感謝を
伝えて。2人は見送る人影に手を振りつつ、森の中を歩き出した。
近道を教わったので、国境のトンネルまでまっすぐ目指す事となったのだ。
「ルーク。お前、本当に躰なんともないか‥?」
「もお‥本当に心配症だな、アルフは。2日も休んだんだ、もうなんともないよ。」
隣を歩く彼を案じて来るアルフレートに、ルークが苦く笑った。
「婆さんから貰った薬は忘れず飲めよ? 後‥異変があればすぐに言え。」
「はいはい。アルフも怪我とかしたら、ちゃんと言ってね? 魔物と戦闘始まってから、
不調訴えられても困るからね‥?」
「ああ。頼りにしてるぜ、相棒。」
アルフレートはにっかり笑うと、つんつん跳ねる金髪をグリグリと撫ぜた。
「もおっ。絡まっちゃうと、後が大変なの知ってるのに‥」
手袋をしたまま、乱れた髪を整える仕草で乱暴な相棒をルークは睨みつける。
「…でもまあ。僕も頼りにしてるよ、アルフ。
お互い協力しあって、アリアを絶対助けようね!」
そっと吐息を落とした後、ルークもにっこり笑って軽く握った拳を掲げた。
アルフレートも同様に拳を差し出し、コツンと彼の拳に当てる。
「ああ。ハーゴンが何を企んでるかは分からねーが。あの女達も奴の差し金だったのなら
生きていると見て間違いないだろう。」
「うん、アリアはきっと無事でいる、そう思う。光はまだ‥失われてない。」
ルークは祈るような眼差しを、ムーンブルグのある北の空へと向け呟いた。
「ああ‥そうだな…」
彼に倣うように、アルフレートも空を見つめる。
重なる雲の隙間から、所々明るく見える白い空の彼方に、遠い日に出会った姫の纏う優し
い気配を探すように‥
心配事は尽きないが。きっと大丈夫。もう一度逢える。
そう確認するよう頷きあって、2人の王子は再び歩き出した。
2011/7/1 |