〜光の庭〜
広く情報を得ようと、街から離れた地域を馬車で巡り始めて2週間。
幾つもの山を野を越えて来たせいか、体力自慢のパトリシアも、少々疲れが出ていた。
この辺に棲息する魔物は小物ばかりで。戦闘もあまり生じない。その為飛ばし過ぎたのだ
ろう。ソロはパトリシアにも休息をと、真昼の太陽が降り注ぐ中、馬車を止めさせた。
「今日はここまでにしよう。パトリシアがバテちゃうよ。」
「そうですねえ。魔物に遭わないのはありがたいですけど。その間パトリシアは走り通し
ですからね。」
「うん。オレ達だってずっと移動づくめな訳だし。野営続きだしさ。」
手綱を持つトルネコにそう話しかけると、後ろで聞いていたマーニャとアリーナが早速馬
車から降りてしまった。
「よし。休憩休憩。野営っても、この辺ならピクニック気分でいられるし。
のんびりしましょ。」
う〜んと伸びをしながらマーニャが笑んだ。
小川のせせらぎ、緑の草原。ぽっかり浮かぶ白い雲に青い空。気候も穏やか。
一行は馬車を止めると、役割分担を決めた後散会した。
夕方までは自由時間である。
パトリシアの世話を任されたソロは、散会後すぐに彼女の面倒をあれこれ見てやっていた。
「これでよし…と。今日はゆっくり休んでくれな。」
そう話しかけ、ふと顔を上げると、少し離れた場所で剣を振るうライアンの姿が目に止まっ
た。ソロがまっすぐその姿を見つめる。
「‥偉いなライアン。剣の腕が鈍らないようにしてるんだ。」
戦いのない時程、ああして鍛練に励んでいる事に素直に感心する。
ふと、ソロは自分の手をぼんやり眺めた。
(オレって…戦闘中、呪文‥あんまり使わないんだよなあ…)
剣と呪文を両方織り混ぜて戦う器用さに欠けているソロは、余程でない限り呪文は戦闘に
用いなかった。ここの所、剣だけでも対処出来る魔物とばかり戦っていたので、ますます
呪文を使わなくなっている。
(うう〜ん…)
剣と魔法‥戦闘中どちらも巧く使いこなせなければ、いずれ戦う強敵相手に苦戦する事は
確実で。ソロは自身の手のひらを凝視めながら唸った。
サク…小さな足音が樹木に寄りかかり微睡んで居たピサロの耳に届いた。
微かに草を踏む足音がゆっくりとこちらへ近づいて来る。
それはすぐ間近で止まり、やがて控えめな声が降りてきた。
「…あの、さ。ピサロ…」
呼びかけられた魔王が目を開く。珍しい事に保護者は居ない。
「‥えっと、ちょっといい?」
「…ああ。」
逡巡しつつ訊ねられ、ピサロが静かに答えた。彼に促されるようにソロが隣へと腰掛ける。
「…あのね。ピサロってさ、戦闘中呪文と剣どっちも器用に使ってるよね?」
「…お前も呪文はいろいろ扱えるだろう? お前にしか唱えられぬ神聖呪文も習得してる
と聞いて居るぞ?」
「‥うん。使えるよ。でも‥さ。大きい呪文程、発動させるのって時間いるでしょ?
そのせいか、剣と一緒に扱うのって苦手なんだ。」
ぽそっとどこか気後れしたように、ソロが打ち明けた。
「ピサロはさ、高位呪文も初級呪文みたいに扱って戦ってるよね。どうしたら、そんな風
に巧く扱えるようになるかな?」
「そういえば。お前が戦闘中呪文を唱えた所、まだ見て居なかったな。単に必要ないから
だと踏んでたが。そんな理由を抱えていたとは…。よくそれでエスタークを倒せたな。」
「…う。切羽詰まった時だと、無意識に使ってるみたいなの。オレ、戦闘に集中しだすと
考えるより先に身体が動いてるみたいな所あるから…。」
「それは…普段、戦闘中お前の集中力が足らぬ‥という事ではないのか?」
はあ‥と嘆息したピサロが、ぐりっとソロの頭を撫ぜた。
「雑念が多過ぎるのだ、お前は。」
子供に向けられるような動作に、ソロがむう‥と膨れる。
「高位呪文でも、発動させるのに必要な力を収束する方法は変わらん。手間取ってしまう
というのなら、それは集中力不足と経験不足なのだろう。」
「だって…剣と魔法って全然違うんだもん。そう簡単に切り替えられないよ。」
「まあ‥貴様の場合、口で説明するより実践で得た方が早いだろうな。」
そう言うと、ピサロはスっと立ち上がった。
「見てやるから来い。」
「あ‥うん。」
広々とした草原で、ソロは早速手ほどきを受ける事となった。
「私が氷弾を飛ばす。お前はそれを炎で止め、剣で切り落とすのだ。」
「えっと…メラを放って剣で攻撃しろ…ってコト?」
「ああ。単純だろう?」
「‥解った。やって見る。」
始めこそ、魔法だけで止めたり、剣で受け止めてしまったりと不器用さをさらけ出してし
まったソロだったが。繰り返すうち、徐々に速められていった連弾にも巧く対応し始めた。
「はあ…はあ…。結構‥解ってきたかも‥」
5連続の氷弾をすべて落としたソロが、にんまり笑みを浮かべた。
「ね‥ライデインで試してみてもいい?」
「構わんが…氷弾を大きくするから、仕損じた時厳しいぞ?」
「平気。そんなヘマしないもん。」
ピサロとソロが距離を取る。いつの間にか増えてるギャラリーすら見えてない様子のソロ
は、じっと彼が呪文を放つ瞬間に意識を集中させた。
放たれた氷弾がソロ目がけて飛んで来る。タイミングを図りながら、ソロは雷呪文を唱え
た。稲妻が氷を貫く。勢いを殺ぐと、それを剣でなぎ払った。
一連の動作を終えると第2弾が襲って来る。ソロは同じように雷を操り剣で氷を砕いた。
次々と繰り出された氷弾を、ソロは見事に仕留めていった。
「すごい、すご〜い! ソロってば、すごいじゃない!!」
アリーナが嬉々とした声を上げた。
「…アリーナ。あれ‥みんなも。自由時間なのに、どうしたの?」
「どうしたもなにも。なんか面白そうなコト始めたから見学してたのよ。
気づいてなかったの?」
やあね‥とばかりに話すマーニャにソロが苦笑する。気づいてなかったのは自分だけらし
い。ふと魔王と目が合うと、肩で返事がなされた。
皆揃っての夕食の席でも、先程の修練の話題一色だった。
アリーナは自分もやってみたい‥としきりに羨ましがっていたし。ロザリーは2人が仲良
くなって良かったと笑みを称えていたし。ソロも積極的に会話に加わって、「面白かった」
と久々に明るい笑顔を振り撒いていた。
ソロは元々身体を動かす事自体は好きなのだ。
剣と魔法も誰かを傷つける為でなく、スポーツのように扱うのであれば、とても気分良く
振るえるのだと、旅立ってから忘れていた初心に触れた1日だった。
翌朝。
白い靄が景色を霞ませる中、ぱっちり目を覚ましたソロは、小川で顔を洗おうと、まだ眠
るメンバーを起こさぬように寝床を出た。
大きな欠伸を1つ落とし、ぱしゃぱしゃと顔を洗う。
一息つくと、すぐ後ろから声が降りてきた。
「‥早いな。まだ眠って居ればよかろう。」
「ピサロ…。おはよう。」
ちょっとだけ驚いて。その後ふわりとソロが微笑んだ。
昨日から自然と向けられる笑顔にピサロが目を見張る。
「…ああ。」
それだけ答えると、ピサロがマジマジとソロを凝視めた。
「昨日はありがとね。すごく楽しかった。」
そんな彼にきょとんと首を傾げながら、ソロが機嫌よさそうに微笑む。
ピサロは愛おしむよう彼の頬へ手を伸ばすと、紅の双眸を細めさせた。
「‥そうか。私も楽しかった。」
「本当…!? そしたらさ、また付き合ってくれる?
オレさ、昨日の稽古で思い出したんだ。
旅に出る前はさ、剣の稽古も魔法の修行も楽しかった‥ってコトをさ。
オレ‥ずっと強くならなきゃって、そればっか思ってたけど。でも…
それより、巧くなりたいな‥そう思ったら、なんか、思い出した。
あの頃も‥そうやって毎日練習してたな‥って。」
「ソロ…」
「あ…やっぱ、面倒だよね? ピサロには随分前線でがんばって貰ってるし…」
苦く笑うと一歩後退って、ソロがこぼした。
「確かに‥お前の剣捌きには、まだまだ無駄が多いな。だが‥私の指導は厳しいぞ?」
フッ‥と口角を上げ、魔王が不敵な笑みを浮かべる。
「ピサロ…それって‥」
「ああ。余力のある時なら付き合ってやる。いい退屈凌ぎになるからな。」
「絶対上手くなって、そんな余裕無くさせてやるぞ。」
グッと拳を握り締め、ソロが挑むような瞳をぶつける。ピサロは目を細めると、ソロの
両頬を掌で包み込んだ。
雲の合間から抜け出た朝の光がすっと射し込む。
柔らかな朝の陽は翠の髪を新緑に光らせ、見開かれた蒼の瞳を鮮やかに変えた。
「…ピ‥サロ‥?」
「‥余裕など、どこにも残ってないのだがな‥‥」
惑うソロにそう苦笑うと、ピサロはそっと彼に口接けた。
しっとり触れた唇は、スキンシップ程度で離れてゆく。
ほう‥と吐息したソロが、ちょっと眉を寄せた後ぽそっと呟いた。
「場所考えてよね‥」
見られたら大変だ…頬をうっすら桜色に染め、踵を返す。
「安心しろ。まだ皆夢の中だ‥」
背中を向けた彼を後ろから抱きしめて、ピサロがひっそり囁いた。
「…でも。もう駄目だからな。これ以上は‥‥」
「…保護者の立ち会いが必要か?」
皮肉めいた声に、ソロが小さく頷いた。
――まだ駄目なのだな‥
――まだ駄目なの…
ほんの少し力を込められた腕がソロを包む。無言の問いかけに答えるよう、ソロがその手
へ添わせ、緩く包み込んだ。
閉ざされた扉はそう簡単に開けてはくれないが。
扉の前に立つ事は許されたらしい。
ならば――
見失ってしまった意志疎通を図る為にも――
今度こそ壊さぬように、絆…というものを築いて行こう。
そんな誓いを胸に、そっと翠の髪を梳き、新緑に輝くそれに魔王が口接けた。
柔らかな朝の陽が草原を明るく照らす。
朝露にきらめく緑の原が現れると、遠くでかん高い鳥の声が響いた。
さあっと辺りを照らし出した光に導かれるよう、眠っていたメンバーも次々と目覚めて
ゆく。また新たな朝の始まりが訪れた――
2006/4/4
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