「あ‥クリフト。」
大浴場へとやって来たクリフトに、よく知った声がかけられた。
クリフトが声がした方へ目線を移すと、洗い場に居る知った人物が2人、目に留まった。
1人は国を出てからずっと一緒に旅をしているブライ。年の割に強力な呪文を放つ魔法使
い。そしてもう1人は‥華奢に見える体躯とは裏腹に、鍛えられた戦士に劣らぬ力を持つ
勇者ソロ。目下の所、彼の頭を悩ます筆頭の主である…。
その彼が、なぜだかせっせとブライの背中を洗っていた。
「ソロ‥。ブライ様と一緒とは、珍しいですね。」
「ブライだけじゃないよ。ライアンもトルネコも来てるんだ。みんなバラバラに来たのに、
揃っちゃったんだよ。すごいよね。」
珍しいコトもあるもんだ…とソロがにこにこと笑った。
「こういうのって滅多にないからさ。いつもの労をねぎらってるんだ。」
泡立つスポンジを翳しながら、はりきり顔をみせるソロ。
「他の者とはよく一緒になるが、ソロとはあまり顔を合わせぬからのう。」
「‥そっか。オレがなかなかみんなと会わなかっただけなんだ。いつも1人で入ってる
からかな。…たまにはこういうのも楽しいよね。オレ、小さい頃よく、村長のじいさま
の背中、こうして流して上げてたんだよ。魔法の修行は厳しかったけど、それ以外では
優しくて、いろんな話も聴かせて貰ったなあ…。」
懐かしむようにソロが話すと、
「ソロはきっと村人たちに愛されて育ったのであろうな。」
湯船から上がったライアンが、ぽんと彼の頭に手を乗せた。
「…うん。そうだね‥」
ほんの少しだけ瞳を伏せたソロが小さく頷く。彼は憂いを振り払うように小さく頭を振る
と、笑顔を作った。
「じゃ‥オレ先に上がるね。」
ライアンが上がった後軽く湯に浸かったソロは、立ち上がると残るメンバーに声をかけ
た。
「またご一緒しましょうね。」
にっこりと言うトルネコに、ソロも笑んで返す。
彼はそのまま湯船を出ると脱衣所へ向かった。
「…ソロ。こんな所に居たのですか。湯冷めしてしまいますよ?」
あの後部屋に戻ったクリフトは、同室のソロの姿がないのを見て、宿の屋上へとやって来
た。ソロは考え事があると、こうして独りになれる場所へ向かう。
スタンシアラの宿の屋上。少し冷たい夜風が吹く中、ソロはぼんやり佇んでいた。
「大丈夫…。もう慣れたもん。」
サントハイムから北上するにつれ、幾分冷え込みが厳しくなっていたが、あまり気にかけ
ないソロが返した。
「…独りで考え事なさりたいなら、私がしばらく席を外しますから、部屋へ戻って下さい。
風邪を引いてしまいますよ?」
「クリフト‥。オレ、別に‥クリフトを避けてるんじゃないよ?」
「判ってますよ。独りになりたい時は、誰にだってあります。そういう事でしょう?」
ふわりと微笑むクリフトに、ソロも笑んで返すと、2人は屋内に戻った。
「では…私は少し出て来ますから。」
今夜泊まる部屋の前で立ち止まったクリフトが、ソロに声をかけた。
「…ソロ?」
立ち去ろうとしたクリフトの上着を、ソロが引き留めるよう掴んだ。
「別に‥いいよ。…独りなのも、本当はあんまり‥好きじゃないから。」
俯きながらソロがぽつぽつ話す。クリフトはそっと彼の頭に手を乗せると、部屋へ促した。
「…なにか飲み物貰って来ましょうか?」
お酒は駄目ですけど…そう付け足したクリフトが微笑んだ。
「ううん‥別にいいよ。あ…。クリフト、飲みたかったら構わずどうぞ?
この間の、まだ残ってるんだろう?」
「ああ‥あれですか? マーニャさんに持って行かれましたよ。
まあ…側にあるとソロがジュース代わりに飲みかねないですしね。」
「の‥飲まないもん。二日酔いはもうたくさんだし…」
からかうように言うクリフトに、ソロが頬を染め反論した。
あの日のコトを思い出してしまったのだ。
サランの町に滞在中。いつものように町から抜け出したソロは、夜半に戻ると、密かに忍
び泣いていた。そんな彼に気づいたクリフトが声をかけ、成り行きで酒を飲んだのだが‥
翌日目を覚ましたソロは、それをきれいさっぱり忘れていた。たいして飲まなかったクリ
フトの方は、いろいろと記憶に残っていたのだが…。
ソロが覚えているのは、アリーナの話と、自分にも好きな人が居ると伝えたコト。‥そし
て、それが[男]であるといったコトくらいで。その際クリフトから『想う行為は否定さ
れるものではない』とした言葉をかけられたコトは、後からきっちり思い出したものの、
それ以外のソロが発した問題発言などは、きれいさっぱり記憶から外されていた。
そう。彼にとって関心が向いた事柄以外、覚えていないのだ。
一方クリフトは‥といえば。
ソロにとってはどうでもよかった『躯の関係』…とあっさり告げられた言葉は、かなりの
インパクトを持って、彼に刻まれたのだった。
[好き]だという[男]との付き合いを『躯の関係』と言いきったソロ。
『好きになってはいけない人』と話しながら、そういった関係にある…というのは、あま
り一般的でないような気がする。
(まあ、そもそも男同士といった時点で、よくある話から外れてはいるようだが…)
バツが悪そうにどっかりとベッドに腰を下ろしたソロが、複雑な表情を浮かべるクリフト
の様子を覗う。
「…やっぱさ。本当は変だよね‥」
ぽそりとソロが呟いた。ハッとしたようにクリフトがソロを見る。
自分が「男」を好きになってしまったコトを告げたから、クリフトの態度も変わったので
は…ソロはそう考えていた。
――だってあれ以来だもんな。時々困惑したような、扱い兼ねたような表情になるの。
はあ…ソロが深く嘆息した。
「そんな事ありません。以前にもお話しましたが、私の友人も同じように同性の恋人を
持っていましたし。好きになる気持ちは理屈で測れないものだと思ってます。」
「‥でもさ。時々すごく困ったような顔してるよクリフト。」
慌てて弁明する彼に、まだ納得行かないソロが吐息をついた。
クリフトも同じように嘆息すると、彼と向かい合うようベッドに腰掛ける。
「‥‥それともさ。オレ…あの時他にもなんか話した? その…変なコト‥とか…」
躊躇いがちにソロが訊ねた。一瞬動揺を走らせたクリフトが頬を染める。
「クリフト?」
「あ‥いえ。…その、ソロはやはりあまり思い出せてないのですよね?」
訝るソロにクリフトが確認する。
「…うん。ねえ、オレがなに話したのか、ちゃんと聞かせてよ?」
ピサロの事を滑らせてしまったのでは‥と、ハラハラする気持ちを宥めながら、ソロが重
ねて訊ねた。
「…ソロとその人がその‥躯の関係にある…と。」
「え…?」
言いにくそうに話すクリフトの言葉に、ソロの顔が真っ赤に染まった。
「その…「好きになってはいけない人」との関係を、そんな風に話してたので。あの…
気になってしまって…。すみません‥‥」
「そ‥そうか…。そうだよね…変だよね‥はは‥‥‥」
ソロが脱力したように微笑った。
「あの時も訊ねましたが、強要されてる訳ではないんですよね? 本当に。」
真剣な瞳でクリフトが訊ねた。
「…うん。平気。それで‥クリフト心配してくれてたんだ…?」
あの惑う瞳はそれだったのか…とソロがほっと吐息をついた。
「はあ…。なにやら複雑な事情がありそうでしたので‥。」
「…うんまあ‥。いろいろとあって…初めは嫌な奴だと思ってたけど‥。
でもいつの間にか‥好きに‥なっていたんだ。‥‥本当は―――」
――憎まなくちゃいけない相手なのに!
ソロはぶんぶんと想いを払うよう頭を振った。
「私では役不足かも知れませんが。
なにか力になれるようなら、いつでも頼って下さいね?
悩みごとは、話すだけでも気持ちが軽くなるもんですよ。」
クリフトはぽむとソロの頭に手を乗せると笑顔を向けた。
「うん‥ありがとう。」
深く詮索しないでくれるクリフトに、ソロが小さく微笑んで返した。
「…あの、さ‥」
明かりを消しそれぞれ床に着いた後。
ソロがぽつりと隣のベッドで眠るクリフトに声をかけた。クリフトが顔を彼へ向ける。
「みんなには…あの‥‥‥」
「誰にも話してませんし、これからも話すつもりはありませんよ。」
彼の懸念を払拭するよう、柔らかなトーンでクリフトが答えた。
「ありがとう…」
――これがマーニャだったら、とことん追求されそうだもんな。
そんな事を考えながら、ほうっと吐息をつくと、隣でクリフトがクスリと微笑った。
「マーニャさん辺りに知られたら、大変でしょうからね。あの人はソロに甘いから。」
「…やっぱりクリフトもそう思う?
マーニャってさ、すっごくオレをガキ扱いするもんね。…他のメンバーもだけどさ。
まあ。同い年のアリーナにもそうだから、仕方ないけどさ。」
パーティ内で未成年なのはソロとアリーナだけ。だからかも…と、ソロは自分を納得させ
る。
「お2人とも歳より幼く見られがちなのもあるんでしょうね‥。」
クスクスとクリフトが微笑った。
「ふーんだ。どうせ童顔ですよ。今日だって、町中で迷子と間違えられました。」
ぷう‥と膨れっ面で言った後、ソロは横に向いてた身体を仰向けに返し、瞳を閉じた。
「おやすみなさい、ソロ。」
「…おやすみ。」
小さく返すソロにクスクス顔のクリフトがひっそりと吐息をつく。
(今日のあれは。どう見てもナンパだったんですけどねえ‥。)
マーニャが買い物に場を離れた直後。1人店の前で待つソロに声をかけていた2人連れの
男達。すぐに戻って来たマーニャにあっさり追い払われてしまったが、ソロ目当てなのは、
その一部始終を偶然目撃したクリフトの横を通り抜けた、男達の会話からも窺えた。
童顔…というのは確かだが。ソロには華があるのだ。
翠の髪の珍しさも手伝って、やたらと人目を引くソロは、1人にするとやたらと声を掛け
られるらしい。
男女問わずに‥‥
ソロが訝しんでいた、出逢った頃にはよく解らなかったその理由が、今なら解る。
時折彼を包む気配が変わるのだ。
ほんの一瞬だが、その変化はふとした仕草にすら色香を漂わせるようで。
それがああいった連中を引き寄せてしまうのは確かだろう…と、クリフトがもう一度
吐息をついた。
戦闘中は微塵も感じさせないその気配。
それが。誰かを想う瞬間であるという事――それを知るには、まだ時間が必要なクリフト。
彼がソロに振り回されてゆくのは、これからかも知れない‥‥‥
2004/5/22
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