その日。朝からピサロは不機嫌だった――
早朝。カーテン越しにうっすら射し込む朝の光の中。ソロは目を覚ました。
「ん…。」
ぼんやり瞳を擦りながら。ソロがゆっくり躰を起こす。
それに引きずられるよう目覚めたクリフトが、共に躰を起こした。
「おはようございます、ソロ。」
「おはよう‥クリフト。」
すっと頭を撫ぜられて。ソロがふわりと微笑んだ。
ソロは隣のベッドへ目を移し、既にきちんと整えられているそこから離れて立って居た
ピサロを見つめた。
「おはようピサロ。…早いんだね。」
「…ああ。」
「…あの。‥どうか‥‥したの?」
低く返って来た声音に冷たいものを覚えて、ソロが慎重に訊ねる。
「…どうもせぬ。」
「‥‥‥‥」
疑わしい視線で魔王を凝視め、ソロがきゅっと口を噤んだ。
ベッドから降り、黙々と身支度を整えてゆく。
その合間にチラチラ不機嫌さを漂わせる魔王を、ソロは窺っていた。
彼は部屋の壁に身を預け、ずっと俯いて居たが。
その視線は時折、同じよう身支度整えている神官に注がれていた。
そして。
遅れて起きた2人の身支度がすっかり終わるのを待って。
ピサロがツカツカソロへ歩み寄った。
途惑う瞳で凝視めるソロへ、魔王が静かに口を開く。
「‥ソロ。頼みがある。」
「やだ。」
用件を告げても居ないのに、ソロはきっぱり撥ね付けてしまう。
「‥今日は街を移動するだけだそうだ。‥で。そこの神官、しばし預かりたいのだが?」
魔王はほんの少し眉を上げたが、構わず用件を述べた。
「駄目っ! クリフトは貸さないもん。大体何の用なのさっ!?」
「調べものを手伝わせたい。それだけだ。」
「絶対駄目! …信用出来ないもん。」
目を尖らせてソロが否と答える。
のんびりした朝の気配など吹き飛ぶような、冷んやりした空気が室内に漂った。
「‥ソロ。私なら構いませんよ?」
はあ‥と嘆息して。クリフトが間に入った。
「クリフト!? 駄目駄目っ! 今朝のこいつ、なんか変だもん! 危ないよ。」
不機嫌なピサロとクリフトだけを別行動などに出来ないと、ソロが首を振った。
「大丈夫ですよ、ソロ。ね、ピサロさん?」
「手間は取らせぬ。陽のあるうちに戻そう。」
「‥だ、そうです。今日はエンドールへ向かうそうですから。
昼のうちなら私達が不在でも、大丈夫でしょう‥?」
「クリフト…」
背中から包み込むよう抱かれて。ソロが困ったよう眉を下げた。
「…昼まで。それ以上は譲らないから。」
「‥了解した。それまでには合流しよう。」
少々荒い声できっぱり告げるソロに、ピサロが承諾する。
ソロは顔を上げると肩越しにクリフトを見上げた。
「お昼‥一緒に食べるんだからね? クリフト。」
「判りました。」
ピサロはすぐにでも出立したい様子だったが。
ソロはそれを認めず。結局ソロとクリフトの2人で食堂へ朝食に出向く事で落ち着いた。
部屋を出ると、廊下を歩きながらソロが心配そうな表情でクリフトを覗う。
「…本当にさ、いいの?」
「心配いりませんよ。」
「でも…」
尚も案じるよう彼を見つめるソロ。クリフトは脇に伸びた細い通路へ彼を引き込んだ。
「ソロは‥彼を信頼出来ませんか?」
「…仲間としてなら、少しは。でも‥今朝のあいつは、解んない。」
躊躇いがちに俯いたまま、ソロは苦く答えた。
「クリフトは…信用‥してるの?」
「そうですね。期限付きかも知れませんが。仲間である現在、それを台なしにはしないで
しょう。目的を達成するまではね。」
「あいつ…なんだかすごい不機嫌だったよ‥?」
「そうですね。」
クスリと微笑んで、クリフトがソロの頭にふわりと手を乗せた。
「彼も不機嫌でしたが‥あなたも負けてませんでしたよ?」
「だって…。条件反射‥だもん。」
むう‥と膨れるソロに、クリフトがぽんぽんと頭を軽く叩いた。
子供にするような仕草をされて、ソロが彼の腕に自らの腕を甘えるよう絡める。
「…本当に、大丈夫?」
「ええ。お昼‥なにを召し上がりたいか、ちゃんと考えておいて下さいね?」
「うん‥待ってるからね?」
縋る眸を向けると、すっと伸ばされた手が頬を捉え、唇が降りた。
触れるだけの口接けが解かれた後、優しく抱きしめられる。
ソロはその温もりに、ようやく緊張を緩めた。
「…お腹空いちゃった。」
ぽつん‥とこぼすとクリフトが微笑う。
彼らは食堂へ向かう途中だった事を過らせ、狭い通路を後にした。
朝食後。食堂でソロと別れたクリフトは、単身部屋へと戻った。
部屋の扉を静かに開けると、苛立った口調が降ってくる。
「遅かったな。」
「あなたがソロを変に刺激したからでしょう?」
「‥ふん。で、もう発てるのだな?」
「ええ。荷物をまとめればすぐにでも。」
そう答え、クリフトがツカツカ部屋の隅に置かれた荷を装備した。
宿の屋上へと移動するとピサロが移動呪文を唱える。
ふわり‥と舞い上がった2人を送る光の弧が彼方へと伸びた。
やって来た場所は…爆心地‥を思わせる土が剥き出しとなった平原の中。
そこを中心になぎ倒された草木が、その爆発のエネルギーの凄さを物語っていた。
「ここは…」
あのイムルの夢に現れた場所‥? 周囲を見回したクリフトが、そう考えた。
「それで。お話はなんですか?」
クリフトはふう‥と嘆息した後、静かに訊ねた。
「まさか本当に調べものを手伝わせたい訳ではないのでしょう?」
「ふん‥似たようなものかも知れぬな。」
自嘲気味に嘲うと、ピサロが周囲を見渡した。
「もう1人、呼び付けた者が在る。…アドン。」
そう声をかけると、スッと陰が1つ舞い降りた。
「‥ピサロ様。」
頭を垂れ畏まった姿勢で魔王を仰ぐと、楽にするよう指示がなされる。
アドンは半歩下がって立ち上がり、同じくらいの距離を保って立つ神官へ目を向けた。
「…お久しぶりです、とでも言えばいいのですかね?」
クリフトが苦く笑い肩を竦める。
「‥‥‥。ピサロ様、これは一体!?」
アドンはそれには答えず、魔王を覗った。
「昨夜の件。改めて貴様に訊ねる。すべて申せ。」
否を言わせぬ強い口調。そこには明らかな怒気が含まれていた。
「‥よく許したわねえ。」
メンバーに2人の不在を告げると、アリーナが顎に手をやり小さく嘆息した。
「オレだって…本当は‥。でも…クリフトが大丈夫って‥。…大丈夫かなあ‥?」
「まあ…クリフトがそう言ってたのなら、信頼しましょう。私達も。
ソロだって、だから結局認めたのでしょう?」
不安に染まるソロを安心させるよう、彼女が微笑を浮かべ話す。
ソロはこくんと頷き、メンバーも一応それで納得した。
「ねえねえ。たまには私達と一緒に街へ行きましょう?」
エンドールへ到着すると。宿へ一旦落ち着いてから、アリーナが誘って来た。
「そうそう。たまには付き合いなさいって、あたし達にさ。」
右からアリーナ。左からマーニャが彼の腕を取る。
「‥えっと。でも、昼にはクリフトと約束してるよ?」
「だから。それまで、一緒しましょ? それとも。あたし達じゃ役不足?」
「そんなコト‥。」
「よし。決まりね! では、あんまり時間もない事だし。さ、出発よ〜!」
にんまり笑んだマーニャが音頭を取るよう手を上げて。3人は宿を後にした。
賑やかに宿を出て行った彼らを見送ったミネアが吐息交じりに笑う。
「じゃ‥ロザリー。私たちはのんびり過ごしましょうか。」
「はい‥ミネアさん。」
小さく微笑んで返したロザリーが、彼女に続いて宿の奥へ消えて行った。
アドンの申し出でから場所を移した3人は、森の中にひっそり佇む山小屋の中に居た。
古びては居るが。人気のある小屋。どうやら現在アドンが拠点に使用している場らし
かった。シンプルな作りの木のテーブルを囲んで同じく簡素な作りの椅子へと腰掛ける。
不機嫌さを更に滲ませているピサロは、腕を組むと報告をと眸で従者を促した。
「…昨晩も申し上げましたが。
魔界へやって来たソロさんに、千年花の事を伝える為、接触しました。
その際。同行した者が‥少々ソロさんを乱暴に扱ったのは事実です…」
神妙にアドンは主人の要請に答えるべく口を開いた。
「それは昨晩も聞いた。何故‥貴様はそれを止めなかった? …とも訊ねたな?
ロザリーを救け、それが‥進化の秘法に身を堕とした我が身を救ける事になる‥それを
託す為、勇者に会ったのだと。ならば…ソロを手荒に扱う必要などあるまい?
あれが好戦的性格でない事を知る貴様が在って、何故それを許したのだ?
その同行者は何者だ? ソロに何をした!?」
苛立ち露に問い詰められ、アドンがグッと口を噤む。
「そもそも同行者など必要なかろう?」
「…必要だったのでしょう? 話を円滑に進める為に‥違いますか?」
それまで黙っていたクリフトが、嘆息した後、間に入った。
「どういう事だ?」
「まだ話してませんでしたっけ? ソロ。貴方が進化の秘法を用いた事を知った直後に、
きれいさっぱり忘れてしまったんですよ。貴方の事をね。」
「何!?」
「彼が覚えていたのは‥故郷を滅ぼした魔王デスピサロの事だけ。
夜の逢瀬を重ねた男の事など、見事に消し去っていましたよ。」
「‥‥‥‥」
「…その者の申す事は真実です。
ですから‥ソロさんには、陛下の事を憶い出して頂きたかったのです…!」
「‥結果的に憶い出しましたけどね。ソロへの配慮を欠いた乱暴な手法でしたね、あれは。
おかげでソロの悪夢がより深まった事、どちらへ苦情差し上げるべきなんですかね?」
口調はずっと変わらぬものの、その面差しは険が刻まれ冷たい怒りに満ちていた。
ほとんど初めて‥といっていい、神官の厳しいだけの横顔。それ程の目にソロは遭わされ
たのだ。魔界で。
「詳しく話せ。」
大凡察しつつも、魔王は部下を促した。
「…ある方をソロさんに引き合わせました。
それがきっかけになれば‥そう判断したので。…まさか、ああいった興味をソロさんに
抱かれるとは、思い及びませんでした…」
「…つまり。貴様の連れが、ソロに凌辱を働いた…そういう事だな?」
「申し訳ありません!」
「貴様がついてて、何故それを許した!?」
「‥止める事の適わぬ相手だったのでしょう? 皇子‥と仰ってましたね、確か。」
アドンが忌ま忌ましげに神官を睨んだ。
|