主のない館。
幾度か訪ったその館へ、ピサロはソロを連れやって来た。
ぐったりしたソロを抱き、馴染んだ様子で真っすぐ主寝室へと向かう。
そのまま寝台へと彼を横たえさせると、ピサロが懐から小瓶を取り出した。
「‥なあに‥?」
上体を支えられ、小瓶を差し出されたソロが訊ねる。
「世界樹の滴だ。…少しはマシになるだろう。」
全身の力を根こそぎ奪われてしまったような状態でいるソロに、ピサロが柔らかく説明
した。促されるまま、ソロがコクンと口に含む。
コクコクとそれを飲み干すと、そっと枕に頭が沈められた。
「ゆっくり休め、ソロ。」
「‥そばに…居る‥‥?」
「ああ…。だから安心して眠るといい。」
不安気に窺う蒼の瞳に優しく言い聞かせ、額の髪を掻き上げ、唇を落とす。
ソロはふわりと微笑み返すと、そのまま瞳を閉ざした。
スウスウと、規則正しい寝息がすぐに始まる。
やがて。
しばらく髪を梳くよう撫ぜていた指先がふと止まり、ひそやかな吐息が落とされた。
気力を吸い取り己の糧とする魔物‥‥
それ自体はそれ程珍しいモノではない。だが…
捕らえた獲物からただ奪うだけで、あのように狡猾な搾取などに及ぶとは‥
正直意外だった。
――それも進化の秘法の副産物か?
ロザリーヒルの動物へ施したように。
誰かが魔物へなんらかの干渉を加えたのかも知れない。
己の感知せぬ場所で、それを進めていたのは――
ピサロは苦いものを飲み込んだよう、渋面を滲ませた。
深夜。
ソロは発熱していた。
徐々に上がっていった熱が、更に上がったのか、苦しげな息を漏らし寒気を訴える。
布団を重ねたものの、震える躰が治まらず、ピサロは自分も寝台へと乗り上げた。
きゅっと彼を包むよう抱き込むと、震えていた躰が少しづつ落ち着きの色を見せる。
心音に安心したのか、眉間に刻まれていた皺も解かれていた。
水分補給を小まめに施してやりながら、眠る彼に付き添って翌日。
ソロはうっすら瞳を開いた。そっと顔を上げ、自分を抱く腕の主を覗う。
「‥気がついたのか?」
「あ‥うん。」
紅の眸が細められて、ソロはパッと顔を胸に埋めつつ返答した。
そんな彼の額に、徐に手が伸ばされる。
熱を測るよう当てられた後、嘆息と共にそれは離れて行った。
「まだ大分高いが‥食欲はあるか?」
ふるふる‥とソロが小さく首を振った。
「そうか…。ならば‥おとなしく眠っていろ。」
そう話すと、ピサロが躰を起こした。足を床に降ろすのを不安そうにソロが見つめる。
「…どっか、行っちゃうの‥?」
「食料と薬を取りに向かうだけだ。すぐ戻る。」
「なんにもいらないから、行っちゃイヤだ‥!」
じわっと瞳を潤ませ、ソロが彼の胴体にしがみついた。
「ソロ…」
「独りに‥っ、しな‥いでっ。…っく‥ふぇ‥‥‥」
ぼろぼろと堰を切ったように泣き出した彼がしゃくり上げる。
ピサロはそっと頭を支え上向かせると、胸へ引き寄せ抱きしめた。
「どこにも行かぬ。だから‥泣くな。」
「ふ‥ぁあ‥‥っん。ふ‥‥く‥」
しばらくベソベソ泣き続けて、ソロはそのまま眠ってしまった。
ピサロはひっそり嘆息すると、また熱が上がった様子の彼を寝かせつけた。
このままでは身動きが取れない。
かと言って、独り残して外出する訳にも行かぬだろう。
この不安定さは、熱に浮かされて‥だけのものでもないのだから。
思案に暮れつつも、彼の体温に誘われるよううつらうつらしていた魔王は、馬の嘶きに
目を開いた。
そっと寝台から抜け出し、窓辺へ立ったピサロが外を覗う。
木々の間から見える山道を、白い馬がやって来るのが見えた。
寝台から離れた気配に気づいたのか、ソロがぼんやり目を覚ます。
窓辺へ佇む彼を確認すると、ソロはホッと吐息を漏らした。
「…起こしてしまったか?」
「…どうしたの?」
何を見ているのだろう‥とソロが不思議そうに訊ねる。
ピサロはふわりと微笑むと、彼を窓辺へ招いた。
首を傾げつつ窓辺へ立ったソロが、彼の指した方へ目を向ける。
「…あ。クリフト‥?」
パトリシアを駆ってやって来るのは、空色の髪の優しい人。
「…お前も一緒に下へ行くか?」
思わず顔を綻ばせるソロに、ピサロが優しく訊ねた。
館の前で嘶きが響くと、観音開きの扉が静かに開いた。
ピサロに横抱きされたソロが、馬を降りる人に声をかける。
「クリフト‥!」
膝丈のブラウスを着込んだ彼を見止めたクリフトが微笑みを深くした。
「ソロ。やはり心配で…駆けつけてしまいました。
…お邪魔でしたか?」
後半は彼を抱くピサロへ向けて、彼らの前に立ったクリフトが覗った。
「邪魔なんかじゃないよ! オレ‥嬉しい。」
そう言って、ソロが両手をクリフトへ差し出す。
「‥そうだな。丁度よい所へ来た。」
苦笑したピサロが、やって来たクリフトへソロを託した。
「‥やはり発熱しましたか?」
熱い躰を抱きとめ、心配そうにクリフトが話す。
「ああ。高熱が下がらぬようでな‥」
溜め息交じりに告げるピサロが、彼が持って来た荷を確認しだした。
「一応いろいろ用意して参りましたが…ソロ、食欲は?」
ふるふる‥と彼の腕の中で甘えるように居るソロが首を振った。
「なにも召し上がってないのですか?」
「…欲しくない。」
コク‥と小さく頷きながら、ソロが返す。
「それは困りましたね‥」
あやすように手で摩ってやりながら、クリフトがこぼした。
「…神官。貴様はそれを部屋に連れて行け。」
パトリシアが抱えていた荷をすべて降ろしたピサロが、静かに声をかけた。
「ピサロ‥。どっか行っちゃうの?」
「コレを置いておく訳には行かぬからな。戻して来るだけだ。すぐ戻る。」
眉を下げるソロに、パトリシアを指し説明すると、少し考えた後、ソロは頷いた。
「…早く帰ってね?」
「ああ‥。おとなしく寝てるのだぞ?」
小さく髪にキスを落とすと、ピサロがクリフトへ目を移した。
「頼むぞ‥」
それだけ言うと踵を返し、パトリシアを連れ移動呪文を唱える。
ふわり‥起こった風が止むと、クリフトがソロを促した。
「さ‥部屋に戻りましょう。躰に障りますからね?」
「…あの‥ね。」
寝台へと再び寝かされると、ソロがぽやんと声をかけた。
熱のせいで潤んだ瞳が真っすぐこちらへ向けられる。
「クリフトも‥居る?」
「ええ。ちゃんと居ますよ? そう約束したでしょう?」
こつんと額をくっつけて、クリフトが微笑んだ。
安心したよう顔を綻ばせたソロが「うん」と答え、瞳をゆっくりと閉じた。
抱き止めた時にも思ったが、熱はかなり高いらしい。
随分と躰も軽くなっているよう感じられて、クリフトはソロの受けた深いダメージに
心を痛めた。
昼まで待って、ピサロが現れない時点で、大凡察してやって来たのだが‥。
これ程に深刻とは。
ソロだったから、まだ間に合ったのだと、最悪の事態を辛うじて免れた事を理解する。
静かに寝息を立て始めた彼の髪を梳きながら、クリフトはその寝顔を見守った。
「…また眠ってしまったか?」
しばらくして。
静かに寝室へと入って来たピサロがクリフトへ声をかけた。
「…ええ。」
そうか‥答えると、ピサロが寝台に歩み寄りソロを覗う。
熱を確認するよう額に触れた後、吐息をもらし脇に置かれたソファへ身を沈めた。
「…あの魔物に受けたダメージ、予想以上に重いのですね。」
ぽつ‥っとクリフトが話しかけた。
「ああ‥。奪われたのは生命力そのものだからな。そう一夕に戻す事も適わぬ。」
「‥そうですか。しばらく時間が必要なようですね。」
「ああ。」
「…ここで回復まで過ごすおつもりですか?」
「その方が早い。余計な気を遣わず済む分な‥。
先刻、馬屋で商人に会った。ソロの容体も告げたから、問題あるまい。」
少し考え込むようなクリフトに、先回りしたピサロが伝えた。
「トルネコさんに? そうですか。なら‥大丈夫ですね。ありがとうございます。」
「ふん‥過保護な連中に押しかけられても面倒だからな。」
ソロに対しては、相当過保護な魔王が独りごちた。
「私はいいのですか?」
それに微笑って返したクリフトが、小さく訊ねる。
「私一人では賄いきれんからな…」
独りに出来ない‥とピサロが唸るよう答えた。
クスクス‥と忍んだ笑いに誘われて、ソロが目を覚ます。
柔らかな灯火に満たされた部屋。
ソロが目覚めた事を知ったピサロも傍らにやって来て、ソロはふわりと微笑を浮かべた。
「‥ソロ、なにか飲みますか? いろいろありますよ?」
クリフトが持って来たものの他、ピサロもいろいろ買い足して来たのだと、彼はある物を
順に説明し始めた。
「…レモネード。」
ぽつっとソロが答えた。「判りました」と早速クリフトがグラスに注ぐ。
「蜂蜜いっぱい入れてね‥?」
動作を見守りながら、ソロがおずおずと強求った。
彼の要望に応え、たっぷり蜂蜜を入れたレモネードを、そっと上体を起こしたソロへと
渡す。一口こくんと含んだ後、もう一口飲み込んで、ソロはグラスを戻した。
「‥もういいのですか?」
「うん。いっぱい。」
「‥では、また欲しくなったら言って下さいね?」
コクン‥と頷いて、ソロは再び枕に頭を埋めた。
「ちゃんと‥居てね?」
そばに在る2つの顔にそう念を押す。
2人が頷くのを見ると、小さく微笑って眠ってしまった。
「…ソロ。」
彼が眠りに就くのを見届けたクリフトが、静かに吐息を落とす。
結局、その日彼が口にしたのはそれだけとなってしまった――
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