デスパレスを後にしたソロは、念の為最後に馬車を止めた洞窟へとまず向かった。
アリーナ達との最初の航海で決めた幾つかの約束事。それには、今回のように何らかの事
情でパーティとはぐれてしまった時の合流方法も決めてあった。
「…もうここには居ないと思うけど。」
ソロは洞窟周辺に馬車の気配がないのにホッとしながら、一応‥と洞窟内部の様子を窺っ
た。奥まった場所まで進み、誰も居ない事を確認する。そのまま踵を返そうとしたソロだっ
たが、ふと目印の石が目に入り、その前にしゃがみ込んだ。
石をどかすとその下から小さな箱が出てくる。箱の中にはメモ書きが残されていた。
――ソロへ
町で待ってます。必ず合流出来ると信じて‥! アリーナ
「…アリーナ。」
短いメモだったが、どこか祈るような思いを込めた言葉に、ソロは暖かさを思った。
ここに居なければ合流地点へ向かうのは判っている。それでも、こうしてメモを残して
行ってくれたのは、そうせずに居られなかった想いからだろう。
待っててくれてる…それを確かに感じさせてくれたメモ書きを大事そうに握りしめ、ソロ
は早々に洞窟を抜け、移動呪文を唱えた。
時間を少し溯ったその日の夕刻。
リバーサイドの町にある宿屋では、止みそうで止まない雨を焦れったく思いながら、アリ
ーナは窓辺でイライラ時を過ごしていた。
「ああもう、本当にうっとおしいわね、この雨!」
「…まあね。でも、そんなイライラしても、雨は上がってくれないわよ。」
マーニャがうんざりと応え、彼女に持って来た温かな紅茶を差し出した。
「‥ありがとう。ミネアは‥?」
昨日から熱を出し寝込んでいる彼女を気遣うよう、アリーナが訊ねた。
「ええ。大分落ち着いてきたみたい。ブライとクリフトももう大丈夫そうだしね。」
「うん‥。昨日は本当心配したけど。町の人達が言うように、この雨が原因なんでしょう
ね‥。」
宿を入ってすぐの、食堂の窓際にある席にマーニャも腰掛ける。自分用に持って来た紅茶
でこくんと喉を潤すと、「そうね」とだけ答えた。
2人はそれ以上語らず、窓の向こう、降り続く雨へ視線を固定した。
ソロが行方知れずとなったあの日。
彼らはまず、倒れていたクリフトを見つけ、その側にソロの剣と兜を見つけた。
ライアンがクリフトを洞窟へ連れ帰り、ミネア以外のメンバーが大雨の中、周囲を探し回っ
たが、結局ソロの姿を見つける事は出来なかった。
やがて意識を取り戻したクリフトにも、ソロの行方は判らず。再度周囲を探索したものの
それも空振りに終わり。一行は不安な夜を洞窟で明かした。
翌日。明るくなってから、再び彼を探しに向かうつもりで居た一行だったが。
夜半頃から体調不良を訴え始めたクリフト・ブライ。夜明け近くにはミネアも悪寒を訴え、
マーニャ・トルネコも3人程ではなかったが、やはり微熱が出始めてしまい、一行は予定
を切り上げ町へ引き返す事を決めた。
町へ着くとすぐに宿屋へ向かい、次第を説明し医者を頼んだ彼らに、宿屋の女将さんはあっ
さり告げた。
「ああ死の雨にやられたんだね。だったら医者に見せても無駄さ。安静にして‥後は運次
第かねえ…」
この時期に降る雨の危険性をそこで初めて聞かされて。
それでもどうにかならないものかと、まだ症状の軽かったマーニャが元気なアリーナと共
にソレッタへ向かい、パデキアを分けて貰いに行ったりもした。
結構な高熱となったクリフト・ミネア。そしてやはり高い熱のあるブライをアリーナ・ラ
イアンが手分けして介抱し、昼を過ぎて少し熱が上がって来たトルネコ・マーニャも薬を
飲むと横になった。
同じように雨に打たれても、もともとの体力の差なのか、アリーナ・ライアンは体調を崩
す事もなく、寝込んだメンバーの世話に明け暮れたのは昨日。
今日になって、トルネコ・マーニャは回復したが、クリフト・ミネアはまだ少し熱が高い
ままで。ブライもまだ少し熱が残っていた。
「…ソロ、どうしてるんだろう?」
窓に目線をやったまま、アリーナがぽつんとこぼした。
探しに向かえなくても。せめて外で彼を待つ事が出来れば…そんな事を口にし、臥せった
メンバーが落ち着いた今日は、ずっとこの窓から彼女は外を眺めていた。
「大丈夫。ソロならきっと、大丈夫よ。ちゃんと戻って来てくれるわ!」
「‥そうね。彼なら体力あるし‥。魔法も使えるから、1人でも戻って来られるわよね!」
お互い半ば自分に言い聞かせるよう、力強く言葉を紡ぐ。
「‥あ。雨、上がったわ。」
茜色に染まった空からようやく雨粒が途絶えると、待ち兼ねたアリーナが早速立ち上がった。
そのまま宿の外へと走りだす彼女をマーニャが追う。
「‥待って、アリーナ。あたしも行くわ…!」
宿を飛び出す前にライアンと出会い、2手に分かれて村の入口海側にライアン、像側にア
リーナ・マーニャがそれぞれ向かう事となった。
既に陽は沈み、森がより深く陰を落とし始めた刻。
村の入口でソロを待つ3人。1人待つライアンは、藍色に染まり始めた東の空を仰ぎ見、
溜め息を吐き、マーニャもまた同じように天を仰ぎながら、移動呪文の軌跡を求めた。
彼がまだあの城の近辺に居るとしたら。それは東からこちらへ伸びてくるはず‥
「…今日はもう‥」
薄暗くなって来た周囲を確認したマーニャが諦めかけたその時、
「う‥うそ‥‥」
アリーナはほんの一瞬きらめいた、待ち侘びた軌跡に、声を震わせた。
「ソロ…! ソロだよね…!?」
町の入口に降り立った人影に、蹌踉めきながらアリーナが近づく。
「…アリーナ。…ただいま‥‥」
着地に失敗したのか、膝を着いた彼が顔を上げ、彼女に微笑みかけた。
が‥、次の瞬間。ソロは額を抑えその場に座り込んでしまった。
「大丈夫‥ソロ!?」
駆け寄ったマーニャが彼の肩に手を乗せ様子を窺った。
「…ソロ?」
彼女が彼に触れた刹那、ビクっとソロの身体が強ばった。それに気づいたマーニャが怪訝
な顔を浮かべる。
ソロはそれを気まずそうに見ると、「大丈夫」と告げた。
「…ちょっと貧血みたくなっただけ。ずっと魔法封じられてたせいかな‥?」
そう続けると、ゆっくり立ち上がった。
「魔法を‥?」
「うん…。ヘマしちゃって。…捕まってたんだ、オレ‥‥」
驚くアリーナにソロが苦く笑って答えた。
「‥とにかく宿に戻りましょう。詳しい話は後でね。」
「そうね。みんなもソロの無事を知ったら喜ぶわ!」
「‥みんなは大丈夫だった? …雨に打たれたでしょ?」
ゆっくり歩くソロに並んで歩く2人に、彼が心配そうに訊ねた。
「‥クリフトとミネア、ブライがまだ寝込んでいるけど。大丈夫、快報に向かってるわ。」
「‥‥‥!! …オレが、捕まったりしなかったら‥!」
悔やむよう表情を歪めるソロに、アリーナがきっぱり言った。
「ソロのせいじゃないでしょう。それに‥みんな無事で、ソロもちゃんと戻って来られた。
あなたの事がなにより心配だったの。…生きててくれて、本当、よかった…!」
「アリーナ‥。オレも‥みんなの事が心配だった。あの雨が毒だと知って尚更…
でも‥‥‥」
ソロはそこで言葉を切ると、首を振って目線を前方に戻した。
宿屋のすぐ間近まで辿り着いた彼らを、ライアン・トルネコが出迎えていた。
早速宿の中へ入った彼らは、蒼く染まった景色では気づかなかったソロの顔色の悪さに驚
き、すぐ休むよう促した。ソロはその心遣いを嬉しく思いながらも、その前に‥と寝込ん
でいるメンバーの元へまず向かった。
ミネアは彼の無事を確認し、心底安堵したよう「おかえりなさい」と微笑んだ。
ブライもまた、「心配させおって‥」そう涙ぐむと「よかった」を繰り返していた。
そして…
「‥クリフト、大丈夫?」
「…ソロ! よかった…無事だったんですね‥」
ベッドに横になっていた彼は、ソロの姿を確認すると上体を起こし彼を招いた。
おずおずと彼の側へ寄るソロ。ベッドの前に立つと、クリフトが手を指し伸ばした。
ひたり‥と頬に添えられた手がゆっくり離れる。
「お帰りなさい、ソロ。」
優しく微笑まれ、ソロはいたたまれない面持ちで彼を見つめた。
「…ど‥して、みんな‥みんなオレを責めないの…? オレ‥オレは‥‥‥」
町へ戻って、どれだけ自分が皆に心配をかけていたか知ったソロは、自身の失態を恥じ、
すっかり自己嫌悪に陥っていた。
「ソロ…。…ソロ、これは‥?」 愁そう→つらそう
愁そうな彼に表情を曇らせたクリフトが、彼の手元に目を移し、手首に残る痣を見つけた。
そっと手を取り気遣うようにしながら彼が静かに訊ねる。
「あ‥。ずっと魔法封じられてて‥その時嵌められていた腕輪の跡だよ。…目立つ?」
「‥そうですね。痛みますか?」
「ううん。平気。それよりクリフトこそ、寝てなくちゃ。まだ熱あるんだろ?」
「大丈夫です。大分楽になりましたから‥。」
「クリフト…。ごめんね、クリフト。オレが油断しなかったら…!」
「ソロ‥。それを言ったら私の方こそ。真っ先に眠らされて、なんの力にもなれませんで
した。面目ないです…。」
「ううん! ‥あの時、クリフトが突然倒れて、オレ本当ビックリした。…オレもすぐに
同じ魔法で眠っちゃって‥。だからすっごく心配だったんだ。」
「ありがとうございます。私も‥とても心配しました。本当に無事でなによりです。」
「クリフト…」
「ソロ、あなたも顔色あまりよくありませんね? 疲れているんでしょう、休んで下さい。
隣のベッド、使って大丈夫ですよ。」
「え…誰かと同室なんじゃないの?」
「ええ、ソロとね。いつも通りです。」
「‥‥‥! 待ってて‥くれたの? オレを信じて…」
自分の為の場所を作って待って居てくれた…それがひどく嬉しかった。
いつ合流出来るか‥もしかしたら適わないかも知れないとさえ考えてもおかしくない状況
で。それでもこうして場を作り、待っていた。いつ戻っても大丈夫なように…
ソロは皆の元へ戻り初めて涙をこぼした。押さえていた感情が一気に溢れたように、ぽろ
ぽろと肩を悸わせ泣き崩れた。
「‥オレ…オレ、みんなの側に‥居てもいいのかな?」
「…? 当たり前でしょう。可笑しな事を言いますね、ソロは。」
不安に揺れる瞳にそう応えたクリフトが、そっと彼を抱きしめた。
慈しむような仕草に、ソロが安堵の息を漏らす。ソロは濡れた瞳を閉ざすと、躊躇いがち
に彼の背に腕を回した。
まだ全ての不安が解消された訳ではなかったが。
それでも。戻った彼を暖かく迎えてくれた仲間達の心に嘘はないだろう。
それが[勇者]だからなのか。[仲間]だからなのか。
ただ――独りでないならそれでいい。
ソロはこぼれ落ちた滴に、音にならない声でひっそり呟いていた。
2005/6/4
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