3
「鷹耶・クリフト、ぴーちゃん!」
隣室に誰も居なかったので、3人が食堂へ向かうと、マーニャが待ってましたとばかりに
声をかけてきた。
「なんだ。マーニャ先に来てたのか。…って、飲んでるのか、もう?」
カウンター席に座る彼女に話しかけた鷹耶が、呆れたように苦笑した。
「だあって。クリフトは戻ってくる気配ないしさ。独りで部屋に居ても退屈だもの。
それに、おじさんの料理も楽しみだったしね。」
ここは料理のメニューこそ少ないが、どれもなかなかいい味出している。それに、マーニャ
曰く、珍しい酒が豊富に揃ってるから、今夜ここへ泊まる事が決まった時から、それを楽
しみにしてたんだろう。
「あんまり飲み過ぎるなよ? おっちゃん、俺たちにも適当に食事頼むよ。」
マーニャに声をかけた後、鷹耶がカウンター向こうの宿の主人に話しかけた。
マーニャの隣に鷹耶が座り、その隣にクリフト。ピサロは鷹耶に指示されるよう、マー
ニャの隣へ席を1つ空けた形で腰掛けた。
「あら…ぴーちゃんてば。あたしを避ける気? こっち来なさいよ。」
マーニャが不服そうに隣の丸椅子を叩きながら、彼を促す。だが、彼は席を移動するつも
りがない様子で、彼女に答えなかった。
「ふう〜ん。このあたしに逆らおうなんて。やっぱり新入りね。
よし。おねーさんが、いろいろレクチャーしちゃおうじゃない。」
マーニャはそう言うと、自分が席を移動し、ピサロの隣に腰掛けた。
「お前さん達も何か飲むかい?」
カウンター越しに主人が鷹耶達に話しかけてきた。
「ん‥ああ。じゃ‥なにか軽くてさっぱりしたの貰おうかな。」
「私もそれでお願いします。」
鷹耶に続いてクリフトが答えた。主人は愛想よく笑うと、グラスに氷を浮かべた薄く黄色
い飲み物を2人に差し出す。彼はピサロの向かいへと移動すると、同じように問いかけた。
ピサロはあまり興味なさそうに、カウンター奥に並べられたボトルを何げなく見回した
が、あるボトルを見止め、視線を注いだ。
「おい。あれの本物があるのか?」
ピサロが怪訝そうにワインボトルを指しながら訊ねた。
「ええ、ございますよ。あれに目を付けられるとは、お目が高い。」
主人がにこにこと話すと、ワインがしまわれてるだろう奥の部屋へ向かった。
「ねえねえ、そんなに珍しいモノなの、そのワイン?」
「…本物ならな。」
興味津々のマーニャに、短くピサロが答えた。
「さあ‥どうぞお試し下さい。」
主人が早速持って来たボトルからワイングラスへ白色の液体を注いだ。
ピサロはそれを無言で受け取ると、ゆっくりと液体を回しながら薫りを確認する。
そっと口に含ませると、満足そうに飲み下した。
「‥まさか、こんな所でコレと出逢えるとはな…」
「ねえねえ、教えてよ。なんなの?」
独り感慨深げに浸るピサロの肩を揺すりながら、マーニャが更に問いかける。
「…ロザリーヒルの葡萄酒が、希少価値が高い事は貴様も知ってるだろう?」
「ええ。最近は万屋さんの商いが多方面に渡ってるせいで、最高の葡萄酒としていろん
な町からも問い合わせが殺到していて、なかなか手に入らないって…」
「ああ‥。あそこの葡萄は質がいいからな。その中でも、特にいい葡萄に恵まれた年に、
ごく僅かだが貴腐ワインが出来てな。貴様らより長く生きてきたが、出逢うのは2度
目だ。」
「へえ〜。幻の更に幻の葡萄酒って訳? ここの品揃えがいいのは判っていたけど、マー
ニャ姉さんにも知らない銘酒があったのね。」
余程酒が気に入ったのか、珍しくピサロがマーニャと雑談を交わしていた。
「幻の葡萄酒ねえ‥。なんだかすっかり盛り上がってるな、あの2人。部屋割り失敗し
たかなあ…?」
鷹耶がぽつりと漏らすと、
「何言ってるんですか? また明日も厳しい洞窟攻略が待ってるんですからね。鷹耶さん
と同室なんて、私の方が困りますよ。」
ひっそりとした声で、きっぱりクリフトが言いきった。
「…それってさあ。ピサロより俺の方が信用出来ねーってコト?」
クスン‥と泣きまねするよう鷹耶がぼやく。
そんな会話を交わしてるうち、カルボナーラとパンが2人の前に差し出された。ピサロ
の方へは、なにか別のメニューの食事が出されてるようだった。
2人は「いただきます」としっかり手を合わせてから、フォークを取り麺をクルクルと
巻き付けほお張った。
「美っ味〜い。やっぱ、おっちゃんの作る飯は最高だな。」
「ええ‥本当に。」
すっかりお腹の空いてた2人はパクパクと出されたモノを次々口に運んだ。
「足りなければ何か作りますよ?」
瞬く間に食い尽くしてしまった食事を嬉しそうに見ながら、主人が声をかけて来た。
「いや‥もう十分だよ。美味いから、勢いついちゃっただけ。ごちそーさん。」
「ええ‥本当に美味しかったです、ごちそうさま。」
「飲み物のおかわりはいいのかい?」
既に出されたアルコールを飲み干した2人が、水の入ったコップに口を付けてるのを見止
め、主人が更に訊ねた。
「う〜ん。今夜はもういいや。ちょっとその辺散歩でもしてみようと思ってさ。」
そう言うと、鷹耶が席から立ち上がった。
「クリフト、お前も付き合えよ?」
「あ‥はあ…。」
クリフトはチラリとマーニャとピサロへ視線を移した。何を話してるのか聞き取れないが、
和やかにお酒を楽しんでいるらしい。
「…では少しだけ行って来ます。」
主人に向かってそう告げると、クリフトも席を立ち、彼を待つように戸口に立つ鷹耶の元
へ向かった。
宿の外へ出ると、夜を現しているのか、辺りは薄闇が広がっていた。
ふと空を見上げると、そう高くない天井には、青白い仄かな明かりを発した水晶のよう
なモノが一面に広がり、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「はあ‥。見てみろよ、クリフト。すげえな。」
「本当ですね。明るい時にはまるで気づきませんでしたが、夜にはこんな景色が見られ
るんですね。幾度かここを通っていたのに、今まで気づかなかったなんて、勿体なかっ
たなあ…」
2人で天井を見上げながら、その不思議な光景にしばし目を奪われていた。
「クリフト、あそこへ座ろうぜ。」
鷹耶が樹の横に置かれた丸太を半分に割って作られたベンチへ誘った。
「…本当、ここは面白いトコだよなあ…」
ベンチへ並んで腰掛けると、鷹耶が両手を支え代わりにベンチに伸ばし、空を仰いだ。
それに倣うよう、空を見上げたクリフトも、同意を示すように頷く。
「本当に‥不思議な所ですよね‥。途中の洞窟も変わってますけど、ここは更に不思議
な場所ですよね…。」
「そうだな…」
鷹耶はそう答えると、傾けていた上体を起こし、クリフトへ視線を向けた。
「なあ‥クリフト。」
ほんのり甘さを滲ませた声音で、鷹耶が彼の頬に触れる。クリフトはゆっくりと彼と視線
を交わした。
「鷹耶‥さん…」
「違うだろ? 鷹耶だ。」
指を立て否定を示すよう、彼の口元で小さく振った。
「た‥かや‥‥‥っん‥」
少し照れるように名を呼ぶと、優しく唇が塞がれた。
微かな風が葉擦れの音を立てる中、クリフトは重ねられた接吻を甘く享受していた。
「‥なあ。さっきは奴と何を話してたんだ?」
甘いキスの後、鷹耶が気にかけるよう、クリフトへ話しかけた。
「あ‥鷹耶‥がバスルームへ行ってる時ですか?」
クリフトはほんの少し考え込むよう顎に手を伸ばした後、にっこりと鷹耶と向き合った。
「…洞窟であなたが剣を落とした時の話をしていたんですよ。」
「げっ‥。…んで、奴は理由話したのか?」
バツが悪そうに顔を顰めると、しっかりと確かめる鷹耶。
「ええ‥教えてくれました。」
クリフトはコツンと彼の肩に頭を預けると、更に言葉を続ける。
「鷹耶が教えてくれそうになかったら、訊いてしまったんですけど…怒ってます?」
甘えるようなその仕草に、つい顔を綻ばせた鷹耶は、そっと彼の髪を梳きながら、
「いいや‥。」
とだけ答えた。それに安堵したように、ほうっと吐息を吐くクリフト。
「ね‥鷹耶。彼のチャームの話は、結局本当だったんですか?」
彼の表情を上目遣いに覗いながら、クリフトは彼自身の感想を求めた。
「さあ…どうかな。俺はあいつに呼ばれた途端怖気が走ったぜ?」 怖気→おぞけ
「そ‥そうなんですか? 人によって効果が違うってコトですかね?」
苦く笑う鷹耶に、真面目顔のクリフトが答えた。どうやら伝説の呪文の部類に入る魔法に、
純粋に興味を抱いているらしい。
「‥クリフト。頼むから、あいつに名を呼ばせたりするなよ?」
自ら実験体に志願しないかと、ハラハラした鷹耶が困ったように微笑んだ。
「くす‥。いくら僕がそういった分野への好奇心が強くても、リスクの大きそうな実験
などしませんよ。…あなただけでも、手一杯なのに。」
「…それって、強求られてるのかな?」 強求られ→ねだられ
クスクス笑うクリフトの肩に腕を回し引き寄せた鷹耶が、艶めいた声で耳元で囁いた。
「だ‥ダメですっ! 流石に今夜は勘弁して下さいよ。明日戦えなくなっちゃいますから。」
ゾクリ‥と肌を粟立たせながらも、クリフトは彼を思い切り引きはがした。
「解ってるよ。だから‥今夜はこれだけ‥な…」
鷹耶は離れた彼との距離をゆっくり縮めると、唇を重ね合わせた。
先程よりも深い接吻が交わされる。熱く漏れそうな吐息すら飲み込むような口づけは、
いつも以上に優しく甘く感じられた。
鷹耶とクリフトが宿へ戻る頃には、既にカウンターにマーニャとピサロの姿はなかった。
小1時間程前に、それぞれ部屋へ戻ったらしい。
2人もそれぞれの部屋へ向かった。
「じゃ‥おやすみ、クリフト。」
「おやすみなさい…鷹耶‥」
まだ呼びなれないのか、声のトーンを幾分落としたクリフトが微笑いかけた。
鷹耶はそんな彼を愛おしそうに見つめると、笑顔を返し自室へと入って行った。
ピサロと同室の部屋へ戻ると、ロウソクの明かりが仄かに揺れる部屋の中で、ベッドで
くつろぐピサロが、独り寝酒を嗜んでいた。
「…なんだ。まだ起きてたのか。」
「まあな‥。」
ワイングラスをゆったり揺らしながら、透明に近い液体をゆっくりと口に含むピサロ。
そんな姿を鷹耶がさりげに眺めつつ、自分のベッドへと腰掛けた。
「それ…さっき言ってた、幻の葡萄酒とかってやつ?」
「ああ‥。宿の者が持ち出しは厳禁だが、部屋で飲む分には構わぬと言ったからな。」
「ふうん‥随分と気に入ってるんだな。そんなに美味いのか?」
「…貴様も飲むか?」
ピサロは身体を起こすと、水差しに添えてあったグラスに手を伸ばした。
「あ‥ああ。じゃ、貰おうかな。」
彼が差し出したグラスを受け取ると、鷹耶はボトルから注がれる液体を見つめた。
半分程注がれた液体からは、甘い葡萄の香りが漂ってくる。鷹耶はコクン‥と一口含ん
だ。ふわりと甘い香りが口中に広がったかと思うと、濃厚でいてしつこくない甘味が心地
よく喉を通ってゆく。
「ああ‥確かにこれは美味いな。ワインってこんなに美味かったんだ。」
鷹耶は納得したように言うと、コクコクとグラスの液体を含んだ。
「貴様などには勿体ないのだがな。貴重な体験が出来てよかったな。」
「‥って。俺にはもう飲ませねーつもりかよ?」
すぐに飲み干してしまった鷹耶が、不服そうに噛み付く。
「あまり飲むと明日に差し支えるぞ?」
「それはあんたも一緒だろ? 大体俺、酒に飲まれたコトねーもん。」
「これは口当たりの割に、かなり強い酒だぞ? あの女もかなり強いと自負していたが、
2杯でかなり回っていたようだしな。」
「マーニャが!? へえ〜、珍しいコトもあるもんだ。あいつもかなりザルなんだけどな。」
「…で。どうするのだ?」
「う〜ん。んじゃ‥もうちょっとだけ、飲んでから寝ようかな。」
飲まれない自信はあったのだが、晩酌相手が相手なだけに、悪酔いしても‥と、控え目に
済ます事を選んだ鷹耶が答えた。
さっきの半分程まで注いで貰い、チビチビと味わうように鷹耶がグラスを傾ける。
「…なあ、あんたさ。ロザリーとは恋人同士じゃなかったんだろ?
結局彼女って、あんたにとってなんなの?」
沈黙に耐え兼ねた鷹耶が、ピサロに訊ねた。
「あれは…初めて心を許せた、不思議な娘だ。…誰かと過ごす事を心地よいと思えたの
は、彼女が初めてだった。人間が云う所の家族‥といった所だな。」
「…あんた、家族‥いなかったのか?」
「いた覚えなどないな。だから他人など‥別段興味もなかった。」
グラスの酒を煽りながら、ピサロは淡々と質問に答えていた。
「‥そのあんたが、人間を滅ぼそうと思ったのは、ロザリーを守る為…か?」
「そうだ。あれは私と出会う前から、幾度も欲深い人間に酷い目に遭わされてきた。
下らぬ理由でな…」
「…そうだな。確かに人間の中にはロクでもねーのが居る。でも、それはあんたらにだっ
て云えるコトじゃねーのか?」
鷹耶の言葉に苦い顔を浮かべたピサロが、自重気味に嘲笑んだ。
「フッ‥そうだな。」
鷹耶はそんな彼が一瞬浮かべた表情を、過去の自分に重ね、苦しく思った。
それはロザリーが人間に殺された―――そう信じた時に思い知らされた割り切れなさ。
ピサロは、その頃の心境を今まさに味わってるのだろう――そう考えたのだ。
「…どうした? 急におとなしくなったな。」
黙り込んでしまった鷹耶を覗うよう、ピサロが訊ねてきた。
「…別に。なんでもねーよ。」
鷹耶はそう答えると、僅かに残っていたグラスの液体を煽った。
コトン‥ベッドサイドのテーブルに空になったグラスを置くと、鷹耶はそのまま寝の体
勢に入った。
ピサロはそんな彼の動作に小さく口の端を上げると、自らのグラスも空にし、自分の
ベッドサイドに置かれたテーブルにグラスを置き、ロウソクの明かりを消した。
暗闇の中、彼もベッドに横たわるのを気配で察した鷹耶が、背を向けていた身体を反転
させる。被っていた薄手の掛け布団から、こっそり彼の様子を探るように覗き見ると、
こちらからはまるで見えなかったが、気配で彼が微笑った気がした。
慌てて布団を被り、鷹耶は気配を窺うようハラハラしていた。
暗闇でも十分視界の利くピサロが見たのは、どこか案じるような彼の顔。
本気で心配してるような、普段絶対見られない鷹耶の表情が、どこか心地よく思えたピ
サロだった。
2004/8/1
|