その6
「クリフト、帰るぞ。」
彼の隣に立った鷹耶が、静かに声をかけた。
「…鷹耶さん‥。」
「あーご心配なく。彼ならちゃんと宿まで送りますから。」
マーカスが不機嫌そうに鷹耶を見た後、割り込んだ。
「酔っ払いに、酔っ払いは任せらんねーからな。」
「僕は酔ってません。」
軽く小突かれたクリフトが、不服そうに零した。
「赤い顔で言っても説得力ねえよ。二日酔いしやがったら、置いて行くぞ?」
がたん‥。冷ややかな口調で言われ、クリフトは立ち上がった。
「クリフト。」
「マーカス、今日はありがとうございました。…おやすみなさい。」
ぺこり…とお辞儀を済ませると、クリフトは鷹耶を追うように席を離れた。
鷹耶は2テーブル分の料金の支払いをカウンターで済ませていた。
「鷹耶さん‥。すみません…。」
両方の清算を済ませてた彼に気づいたクリフトが、小さく頭を下げる。
「…行こうぜ。」
微笑んで返した鷹耶は、そっと彼の髪に触れると促した。
「…あの。鷹耶さん‥。」
月明かりが照らす夜の道をのんびりと歩きながら、クリフトが遠慮がちに話しかけた。
「…あの人、残ってましたよね。…良かったんですか?」
「別に‥ちょっと顔見せに行っただけだからな。」
視線を落としたまま言う彼に、なんでもなく答えた。
「…お前こそ。本当はもっとゆっくりしたかったんじゃねーのか?」
「そんな事は…。そろそろ切り上げるつもりでしたし…。」
「…の割には、席立つの、渋ってたじゃん?」
「あれは‥! 鷹耶さんが…」
覗き込む鷹耶を、クリフトが睨むように見つめる。
「…鷹耶さんが‥保護者みたいな口ぶりだったから…つい‥‥。」
目線を反らせると、言いたい事とは別の言葉が口をついて出た。
思い浮かぶのは、鷹耶との仲を訝しがる旧友と、金の髪の青年。
「…クリフト? …大丈夫か?」
真っ赤な顔で俯いたまま、立ち止まってしまった彼に、鷹耶が心配そうに声をかけた。
「…あんまり大丈夫じゃ‥ありません。」
クリフトは小さく微笑むと、顔を上げた。
「…戻りましょうか。明日に差し支えてしまいますね。」
「あ‥ああ。」
静かに話す彼に答えると、宿までの道程をまた歩きだした。
「クリフト、水貰って来たぞ。」
ベッドにコロンと横になっているクリフトに、鷹耶が声をかけた。
宿の部屋に戻った途端、彼はふらふらとベッドに崩れ込んでしまったのだ。
「あ‥すみません。」
差し出されたコップを受け取ると、コクコクと口に付ける。
「はあ…。」
グラスに入った水を飲み干すと、小さく嘆息した。
「…大丈夫か‥? お前‥酒弱かったんだな…。」
「…別に。お酒のせいじゃありません…。」
空のグラスを回収する鷹耶を、ほんの少し見つめた後、俯いてしまったクリフトがぽつり
と返した。
「…何か、怒ってる‥?」
「‥いいえ。何故ですか?」
不機嫌そうに鷹耶を睨むクリフト。
「…なんとなく。」
鷹耶は答えると、隣のベッドに腰掛けた。
横目でそれを見ていたクリフトは、ふらりと起き上がると、黙々と着替え出す。
その足取りは少し危うく、本人が自覚している以上に、酔いが回ってるように思えた。
「あのさ‥クリフト。」
声をかけられた彼が、鷹耶をぼんやりと見た。
「お前さ…今日、可愛いな。」
にんまりと、鷹耶が破顔させた。
「…寝言は寝てからお願いします。」
「はは…。お前さ‥自覚ないの?」
そっけなく返すクリフトの背中から、腕を緩く首に絡めた。
「リアクションがいつもと違い過ぎだぜ。…結構酔ってるんだろ‥?」
「‥‥‥。」
クリフトは、彼の腕から逃れるでもなく、そのまま身体の向きを変えた。
「…酔ってますよ。‥とっくに‥‥‥」
「…俺も‥かもな‥‥‥」
頬に朱を走らせながら、憮然と言うクリフトに、困ったように微笑んだ鷹耶が答える。
お互い引き寄せられるように、唇が重なった。
「ん…んん‥‥」
薄く開かれた唇に誘われた舌が、ねっとりと絡まる。クリフトは応えるように、彼の背中
に両手を回した。
「‥ん…はあ‥。」
名残惜しそうに歯列をなぞった後、解放されたクリフトが、短い息を吐いた。
「…鷹耶さんのキス‥本当は‥‥嫌いじゃ‥ないです…。」
彼の胸に顔を埋めたクリフトが、ぽつりと零す。
「‥‥でも。…それ以上は‥僕には…。…あの人のようには…僕は‥‥‥」
「あの人‥?」
「…金髪の‥。とても奇麗で‥優しそうな方でしたね。
今も、鷹耶さんの支えになっているのでしょう‥?」
「…ルーエルの事は、ただの[きっかけ]だ。あいつには感謝してるけど‥でも。
それだけでしかねーよ。…なあ。それってさ。妬いてくれてると思っていいの?」
鷹耶はクリフトの両頬を手のひらで包み込むと、顔を上げさせた。
「…ち‥違いますよ! そんなんじゃ…。ただ‥‥‥」
「ただ?」
「自分の無力さを痛感してしまって…。本当は…少しも役立ってなかったんだと…。
‥‥いつの間にか。自惚れが在ったようで…。」
自嘲するように、クリフトが儚く微笑んだ。
「…十分自惚れていいぜ? お前が居るから、今の俺でいられるんだからな。
…今日はエンドールでも昔馴染みに会ったが、二人共同じように驚いてた。
俺の笑った顔は初めてだってな。」
「鷹耶さん‥。」
「…人間らしい感情を、思い出させてくれたんだ。お前がな!
それとな。もう一つすごい誤解があるぜ?」
それまでの笑顔を引っ込ませると、鷹耶が渋い顔を見せた。
「…あのルーエルはな。笑顔の下に怖〜い本性宿らせてるんだぜ。
だから。お友達以上のお付き合いなんて、マジ勘弁だぜ?」
「そう‥なんですか?」
本気で嫌そうな彼の口ぶりに、クリフトが呆気に取られてしまった。
「そうなんです。お前の方が何十倍も可愛いってv」
「鷹耶さん‥。」
かあっと頬を赤らめながら、クリフトは困ったように眉を顰めた。
「…そうだクリフト。…これ、やるよ。」
鷹耶は思い出したように言うと、腰のポシェットからなにやら取り出した。
「‥なんですか?」
「うさぎのしっぽ‥だってさ。幸運のお守りだって。ぽわぽわした所が可愛いだろ。」
…お前みたいでさ。耳元で囁いた。
「…でも。こういうのって、普通女性が持つのでは…」
耳元を抑え、僅かに後ずさったクリフトが、チェーンの先にぶら下がる、丸くほわほわ
した部分の感触を確かめる。
「そうか? でもそれしかなかったからな。お前‥持ってろよ。最近災難続きだろ?」
「‥‥‥‥」
その殆どの原因を作ってる本人に言われても…☆ クリフトは深く嘆息した。
それでも。白く優しい感触のそのお守りは、彼なりの優しさを現してるようで、素直に
嬉しく思う。
「ありがとうございます。」
クリフトはズボンのベルト通しに、それを括りつけた。
そして。思い出したように、ベッドに投げ出されていた神官服をきちんと畳み、中断し
ていた着替えをテキパキ済ませる。彼が寝仕度を整える頃には、鷹耶もしっかり済ませて
いた。
「それじゃ‥おやすみなさい、鷹耶さん。」
ベッドに腰掛ける彼に声をかけ、隣のベッドへ向かうクリフト。
「クリフト。」
鷹耶は呼びかけると、指で近くに来るよう促した。
「なんです?」
「お前さ‥キスは…嫌いじゃないって、そう言ってたな?」
「え…ええ、言いました‥よ? …わっ?」
二の腕を掴まれ、ぐいっと引き寄せられたクリフトは、そのまま口づけられてしまった。
「…ん‥は‥‥っ。…鷹耶‥さん?」
「これからもさ…いっぱいキスしよーな♪」
‥お前がえっちな気持ちになるくらい、濃厚なのとかさv
耳元で甘く囁く鷹耶。クリフトはかあっと頬を染めると、ドンと彼を突き飛ばした。
「そんなのはしません! 絶対に!」
クリフトは素早く自分のベッドに潜り込んだ。
いつの間にか慣れてしまった、彼とのキス。
それを受け入れてしまってる自分。 そして…。それを認めてしまった自分。
クリフトは布団の中で深く嘆息した。
『…十分自惚れていいぜ?』
嬉しそうに鷹耶は笑んでいた。
それは『特別な場所』を指していて。
どこかくすぐったく思えた。
クリフトは知らない。
甘い囁きの先には…更なる迷宮が待っている事を…。
そう。ラビリンスはまだ始まったばかり…
<了>
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