「…ソロ、ミルク暖めてきたんですけど、いかがですか?」

頃合いを見計らってやって来たクリフトが、寝台の縁に腰掛けたピサロにもたれたままの

彼に声をかけた。

ぼーっと目を開いたソロが、盆を手に戻って来た彼を見つめる。

「お腹‥空いたでしょう?」

「…あんまり空いてない。‥でも、いい匂いだね。」

緩く首を左右に振って、ソロがすん‥と鼻をならした。

ふわんと甘い香りが鼻孔をくすぐり、胸に染みる。

「それとも…薬湯の方がよかったですかね?」

ピサロの方を窺いながら、クリフトが言うと、ソロが慌てたように首を振った。

「それ‥もっといらない。…ミルク飲むから、薬湯はいらないよ?」

「…飲めるようなら腹に納めておけ。‥薬湯は後でもよい。」

怖々ピサロへ告げてくるソロに、ふと口元を和らげて、魔王が彼の頭を撫ぜた。

「とりあえずどうぞ。」

クスクスと笑みをこぼし、クリフトが寝台横のサイドテーブルに盆を置いた。

湯気を立てたカップが3つ。

1つはホットミルクが。後のカップには珈琲が淹れられていた。

ソロがピサロの隣に腰掛けるよう移動し、早速カップを手に取る。

コクン‥と口に含むと、ほの甘い味がふわりと広がった。

もう1口と口に運ぶ彼を見守る2人が、ほっと胸を撫で下ろす。

「…あのね。2人とも‥いっぱい面倒かけちゃって、ごめんなさい。

 オレ‥2人に甘えたままで‥いいのかなあ…?」

「体調が本調子でないんです。そういう時くらい、とことんお世話させて下さい。」

「お前には大きな借りがあるからな。それくらい当然だろう。…それに。

 ぼんやり寝惚けたソロは、やけに素直で可愛げあったしな。」

「そうですね。子供の頃のあなたに会えたようで、楽しかったですよ?」

クスクス‥と笑われて、ソロがかあっと頬を染めた。

「な‥なに!? ‥オレ、そんなに変だったの?」

「可愛いらしかったですよ。」

「そうだな。刷り込みの雛のように、ついて回られたぞ?」

「…そんなの、知らないもん。」

ぷい‥とソロが顔を横向けた。ピサロがぽんぽんと彼の頭を撫ぜる。

「‥それで。今どこか不調を感じたりはしてないか?」

そっと額に手を当てて、ピサロが様子を確認した。…まだ熱は残っているらしい。

「…よくわかんない。ただ…背が、ずっと変。熱いっていうか‥痛いっていうか…」

羽織るように被った布団の上から、ソロが肩口を押さえた。

「しばらくは続くだろうな。…いい加減、それは取ったらどうだ?」

「や‥! …これは厭なの!」

ぎゅっと布団を握り込んで、ソロが剥がされないよう防御する。

「でも‥触れると痛むのでは‥?」

「いいんだもん。皆見ちゃ駄目なんだから。」

しっかりと布団に包まって、ソロが言い張った。

嘆息したクリフトが、そっと彼の頭に触れる。

「‥いいですよ。無理に取りはしませんから、安心して下さい。それよりも…

 ソロ、何か召し上がりたいものあります?

 胃に負担掛からないものでしたら、出来るだけリクエストにお応えしますよ?」

茜色に染まり始めた空に気づいたクリフトが立ち上がり、訊ねた。

「ううん。もう‥いい。お腹‥いっぱいになっちゃった。」

「…そうですか。相変わらず食が細いままなんですね。」

それに‥本当に軽くなった…と、クリフトは密かに吐息を落とした。

バルコニーから落ちた彼を受け止め地面に落ちた際、負担となったのは自身の体重で。

ソロの分など大した負担とはならなかった。あの魔物に捕らわれた時よりまた一段と軽く

なっているように思う。体調が完全でないせいなのか。それとも‥躰の変化故なのか…

「では‥欲しくなったらいつでも仰って下さいね?」

「うん。ありがとう、クリフト。」



食事の準備にとクリフトが席を外すと、ソロは再び寝台に横になった。

「…少し寝る。おやすみなさい‥」

小さな欠伸の後、そう告げて、ソロは瞳を閉ざした。

すぐに穏やかな寝息に変わった彼を見つめ、ピサロが深く吐息をつく。

翼の発現‥という巨大エネルギーを消耗したせいか、疲労具合が1週間以上戻っているよ

うな気がする。表面上は落ち着いたソロだが、翼に対する反応を見る限り油断は禁物‥と、

結局魔法封じのチョーカーは、そのままにおいた。





翌日。

ソロは苦い匂いに導かれ目覚めた。

そっと瞼を開けると、サイドテーブルにコトリと置かれた湯気の立つカップが見える。

ぎゅっと再び瞼を閉ざし、知らぬふりを決め込みもそもそ布団を被る。が…

「ソロ。起きたのなら丁度よい。薬湯が出来た所だ。」

「‥‥‥‥」

「…飲まねばいつまでも寝台から出られぬぞ?」

「‥‥いいもん。」

ぽつ‥とこぼされた声に、ピサロが盛大な吐息を落とした。

ぎしり‥寝台を軋ませて、腰を下ろす。すっと彼の頭へ手を伸ばし、ゆっくり撫ぜた。

「旅の事は脇に置いても。体力が戻らねば、不足の事態に対応も出来まい?」

「‥‥でも。それ‥苦いから嫌い。」

諭すよう静かに語りかけてくる魔王に、ソロがぼそりと応えた。

「‥口直しも用意してある。お前の好物をな。」

好物‥と聞いたソロが肩を揺らし、もそっと顔を覗かせた。

「‥でもオレ、今は何も食べたくないし…」

言いながら。それでも気になったのか、テーブルを覗う。

カップの横にはガラス瓶が置かれていた。中に彩り豊かな飴玉の入った…

「一気に飲み干せば、苦みなど一時で済む。いっそ私が飲ませてやっても良いぞ‥?

 ゆっくり味わってみるか?」

「‥‥‥どうしても、飲むの?」

本気でゆっくり味わせそうな魔王へ、心底厭そうに、ソロが上目遣いで訊ねた。

「食欲が戻れば必要ないが‥。どうせ、食せぬのだろう?」

こくり‥ソロが頷いた。

「‥まだ熱も引いてないようだしな。諦めて素直に飲め。」



ソロは緩々とした動作でカップを手に取ると、ぎゅっと目を瞑って、苦い薬湯を飲み干し

た。カップの3分の1程しか入ってなかった琥珀の液体が喉の奥を流れてゆく。

余りの苦さに顔を顰めた彼は、慌てて用意してあった飴玉を口内にほおり込んだ。

「う〜、苦いよぉ‥」

右に左に飴玉を移動させながら、ソロが愚痴る。

ピサロはその様子を見守り小さく笑うと、頭を撫ぜた。

「‥サントハイムの姫は、良いモノを見舞いに寄越したな。」

「…これ。アリーナが‥?」

飴で膨らんだ頬を指し、ソロが目を開いた。

「ああ。お前が殆ど食せぬ状態と伝えたら、あれをな‥選んで寄越したのだ。」

テーブルに置かれた飴の入ったガラス瓶を目で示し、ピサロが口元を和らげた。

「‥そうなの。‥みんなにも心配‥させちゃってるのかな?」

「ああ。あの踊り子の娘など、張り付いてでもこちらへ来そうな勢いだったぞ?

 人気のない場の方が回復に適してると、説き伏せたがな。」

「…それで、ここへ? ずっとピサロとクリフトだけだったの?」

「そうだ。お前がずっと目を離せぬ状態だったからな。」

「そう…。」



口内の飴玉が溶けると、再びコテンと横になって、ソロはぼんやり室内を見ていた。

窓の近くに配された机の椅子に腰掛けたピサロ。彼は徐に机に置かれた本を手にすると、

読みかけのページをぱらりと開いた。

その一連の動きを見守っていたソロが、彼が目を落とす本を不思議そうに窺う。

「…ね、その本‥クリフトが持ってた本…?」

「ほう‥よく判ったな。」

「‥熱心に読んでたもの。…面白いの?」

「そうだな。飽きぬものだぞ?」

ふ‥とピサロがどこか含ませて笑んだ。

「ふうん‥。どんな本なの?」

「何も聞いてないのか?」

「うん。誰からか借りた本だとしか聞いてない。‥貴重な記録の本とかって‥」

「クックック‥。確かに貴重‥だな。持ち主には返さずとも良いだろうが。」

抑えきれず笑いをもらすピサロに、ソロが目を張る。

「ピサロ‥?」

「おや‥随分賑やかなんですね?」

盆を手に寝室へやって来たクリフトが、にっこり微笑んだ。

「あ‥クリフト。」

「おはようソロ。気分はいかがですか?」

「おはよう‥うん、大分いいよ。」

もそ‥と布団を深めに被りながら、ソロが小さく答えた。

「そうですか。それはよかった。‥薬湯も召し上がられたみたいですね。」

サイドテーブルに置かれた空のカップを目に止め、彼が笑みを深める。

「他に召し上がれそうでしたら、用意しますけど?」

「‥ううん。いらない。」

「そうですか‥。飲み物も入りませんか‥?」

空いたカップの代わりにテーブルへグラスを乗せて、クリフトが柔らかく訊ねた。

「‥何?」

「レモネードですよ。」

「…飲む。」

しっかり布団を被ったまま、ソロはのっそり躰を起こすと、グラスを手に取った。

コクン‥と1口含んで、そのまま2、3口飲み下す。

グラスをコトリと置くと、間近に立つ彼へ視線を止めた。

「美味しかった。ありがとう、クリフト。」

「ここへ置いておきますから、ゆっくり飲んで下さいね?」

「うん‥ありがとう。」

「どういたしまして。ピサロさんには紅茶淹れましたけど、いかがですか?」

ソロに笑んだ後、机を振り返った彼が魔王へ声をかけた。

「貰おう。」

「‥はい、どうぞ。」

返事を受けて彼の元へ向かったクリフトが、静かに湯気の立つカップを置いた。

「…なんだかさ。2人‥仲良いんだね‥」

ぽつ‥とこぼすソロに、指摘された2人が顔を見合わせる。

「ふふ‥。これだけ始終顔を合わせていればね、それなりに馴染みますよ。」

「クリフトの本、貸したりとか‥?」

「ああ‥あれですか。ええ、ピサロさんも興味ありそうな本でしたので。」

彼が手にしていた本に目を移した後、クリフトがにっこりと答えた。

「ふうん‥。オレ本てあんまり読んだ事ないし。それ‥全然文字読めないからなあ‥」

熱心に読書する…という感覚がピンと来ないソロはそうぼやくと、枕を抱え込んだ。

「横になってなくて大丈夫ですか?」

寝台の傍らに戻って来たクリフトが訊ねる。

「うん。平気…。あの‥ね、クリフト。オレ‥服をなくしちゃったんだけど…。

 ここ、着替えある‥?」

「ええ。エンドールで以前と同じ物を購入しましたから、一式揃ってますよ。」

「…オレ、風呂もらって‥それに着替えたいな。」

「熱の方は大丈夫なんですか?」

「…ちょっとだけだから。…駄目?」

「長湯はするなよ‥?」

椅子から立ち上がったピサロが傍らへ来ると、声をかけた。

「うん。」



広めのバスルームには、脱衣所に大きな鏡があった。

着替えを手に部屋へ籠もったソロは、被っていた布団を足元に降ろし、怖々と背を鏡に写

した。肩越しに振り返る形で、鏡に写った像を見やる。

肩甲骨のすぐ脇から、拳大程の白い翼が視認出来た。

二の腕を掴んでいた手に力が籠もる。

ぶるっと躰を悸わすと、口元が歪んだ。

嗚咽を飲み込みながら頽れ、頬を涙で濡らす。



ヒトにはない、白い翼――



やはり自分は異端なのだ‥と、思い知らされる決定的な証拠‥‥



――いらないのに



ソロはぎゅっと目を瞑り、心の声で呟いた。



「…ソロは、やはり泣いてるのですか?」

リビング。ソロを待つ2人は静かにソファへ腰掛けていたが、眉を寄せる魔王に心配を募

らせたクリフトが控えめに訊ねた。

「…ああ。恐らくな。」

「また逃げ出したりは…しないでしょうね?」

「そう願いたいものだが。」

盛大な溜め息を落としながら、ピサロは浴室の方角を案じるよう睨むのだった。



温めの湯船で半身浴を済ませ、さっと汗を洗い流すとソロは湯船から上がった。

翼に触れるのが躊躇われたので、背中は濡らさぬように、前だけさっと湯で流しただけの

躰を、用意されたバスタオルで拭いてゆく。

水気を取ると、新しい服を着込み始めた。

馴染んだデザインの服。上着にズボンにブーツ…

どれも以前着ていたものと同じ仕様になっているせいか、見た目の違和感はなかったのだ

が…躰が違和を訴えてくる。

再び姿見の前に立ったソロは、背後の確認を‥と背を向けた。

見た目は‥‥変化ない‥ように見える。

けれど‥‥‥

しっかりと服を着込むと、圧迫された形となる翼周辺が酷く痛んだ。

顔を顰めたソロが、ゆっくりと服を脱ぐ。

上着を外すと、ほお‥と安堵の息がもれた。



かちゃり…

静かにノブを回し脱衣所から出ると、ピサロとクリフトが戸口で待って居た。

2人の姿を見止めたソロの瞳からぼわっと涙が滲む。

結局寝間着にと用意されていた服を着て、しっかり布団をマント代わりに被っていた

ソロは、崩れるようにピサロの腕に縋り泣いた。

「オレ‥オレ‥‥、やっぱり‥みんなの元へは、戻れないよ‥‥‥!」

「…では、天界へ来るか?」

ツカツカと現れた壮年の紳士が穏やかに告げた。

「…マスター‥ドラゴン‥‥‥」

金髪をなでつけたよう後ろに流し、ゆったりしたローブをまとった紳士を凝視め、ソロが

ぽつんとこぼした。

「マスタードラゴン? 天界の‥竜の神か?!」

突如現れた予期せぬ客人に、ピサロが眉を顰める。

「初めまして‥とでも申すべきかな、地上の魔王よ。」

「お久しぶりです、マスタードラゴン。今日はどういったご用件でこちらへ?」

「久しいな、クリフト。勿論、ソロの件で参ったのだ。厄介な状態にあるようなのでな。」

そう言うと、彼は魔王に隠れるよう後退ってしまったソロをじろっと眺めた。

「ソロ。お前に話があって参ったのだ。話せるな?」

否を言わせぬ口調に、ソロは神妙に頷いてみせた。



          

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