『ふ‥ぇえ‥ん。ええ〜ん‥』
『どうしたの、ソロ?』
緑の丘で独り泣く小さなソロに、シンシアが優しく声をかけて来た。
『ソロ‥ひとりなの。いらない‥っていったの。』
『まあ! だれがそんなひどいコト!』
温和なシンシアが声を荒げて、それからぎゅっとソロを抱き寄せた。
『いらなくなんてないわ! それに‥ひとりでもないでしょ? ほら‥!』
抱きしめる腕に力がこもって、ソロはそっと縋りついて顔を上げた。
『…ほんと? ずっと‥いる?』
『ええ。大丈夫よ。ね…』
すっと頭を撫ぜられて、ソロは瞳に涙を溜めながら、ほんのりと笑んだ。
同じように微笑む彼女の顔がやがてぼんやり光に溶けてゆく‥
次の瞬間現れたのは、魔物の襲撃を受けた日の地下の隠し部屋だった。
『‥ソロ…』
『シンシア、どうして!? オレだって戦う! みんなと一緒に!!』
『それは駄目。あなたには使命があるの。だからお願い、聞き分けて?』
『だって‥だってそんなの…』
項垂れるソロの前で呪文が唱えられた。
シンシアがモシャスを用いてソロの姿に身を変えた。
『シン‥シア?』
『…さよなら、ソロ。元気でね‥?』
そっと抱き寄せられて、次の間には眠気が襲って来た。
(駄目‥だ! 行っちゃ‥! シンシア…!!)
ソロはバッと身を起こした。
荒い呼吸を整えながら、キリキリと痛む胃を抑え歯噛みする。
たった独り取り遺されてしまった己の姿が、幼く泣いていた丘の上の姿とも重なって、
やる瀬なさが募った。
(やっぱり…独りになるんだ‥‥また…)
「…ソロ? 起きたのですか?」
寝室に置かれた机の元で本を広げていたクリフトが、ゆっくりとベッドへ歩み寄る。
外はもうすっかり夜の闇に包まれ、仄かなオレンジ色の明かりが照らす室内。
やって来た人影を確認したソロが、不意に視線を落とした。
「夕食の用意、出来てますよ。…召し上がれそうですか?」
ベッド端に腰掛けて、クリフトが彼の髪を梳き、柔らかく話しかける。
焦らず返事を待っていると、やがてソロが小さく頷いた。
「よかった。では‥参りましょうか。」
「…2人とも、待っててくれたの?」
ピサロに招かれてソファへ着席しながら、テーブルに並べられた料理を見たソロがぽつん
と口を開いた。並んだメインらしき料理が冷めているのを見ると、随分と待たせてたのだ
ろう。
「…先に食べてても良かったのに。お腹空いたでしょう‥?」
「神官とか? せっかくの食事が不味くなるではないか。」
うんざりとピサロが渋面を作る。心底厭そうなその表情に、ソロがクスリと微笑んだ。
「随分仲良くなったように見えたのに。違ったの?」
くすくす笑いながらソロが話すと、ピサロが頭に手を乗せてくる。翠の髪をくしゃくしゃ
混ぜられて、ソロが慌ててその手から逃れた。
「もお…何するんだよ?」
「‥多少待たされても、お前が側に在る方が食事は美味い、からな…」
「ピサロ‥」
少々照れたように言うピサロに、ソロが目を丸くする。
「‥お前が教えてくれた事だ。ソロ…」
すっと優しく瞳が眇められて、頬に手が添えられた。
「オレ‥が…?」
「ああ、そうだ。お前は私に、知らずにいた感情を‥いろいろと教えてくれる…
初めて逢った日から、様々にな‥‥」
「ピサロ‥」
真っすぐな眼差しに目を離せないで居ると、飲み物やスープを盆に乗せたクリフトが戻っ
て来た。
「あ‥クリフト。ごめんね、手伝わなくてさ。」
「いいえ。これだけですから。」
にっこり笑んで返したクリフトが盆の中身を手際よくテーブルへ移してゆく。
それを形ばかり手伝っていたソロが、ふと自分の前に並べられた皿の上で目を止めた。
「あれ…? これ‥‥」
懐かしい匂いを運ぶケーキに、ソロの目がクギづけとなる。
型に入れて焼いただけのシンプルなソレは、木の実の香ばしく焼けた匂いを漂わせ、ふと
緑豊かな故郷の風を運んで来た。
「ソロが食べ易そうなモノを‥と作ってみたのですが‥召し上がれそうですか?」
「‥うん。これ‥よく母さんが作ってくれたケーキに似てる…」
「そうでしたか。‥味は敵わないと思いますけど。どうぞ試して下さい。」
しんみりと話すソロに柔らかく微笑んで、クリフトが勧める。
「‥いただきます。」
ソロはフォークを手に取ると、早速口に運んだ。
ぱくん‥もぐもぐ…こっくん。
そのまま動きを止めてしまった彼を、両サイドから様子を窺っていた2人が心配げに見
守った。
「…どう‥ですか?」
神妙な面持ちで訊ねるクリフトに、ソロが呆けたまま口を開く。
「…美味しい。‥なんでだろう…? ‥‥母さんの味に似てる…」
不思議顔のソロが呟くと、クリフトがピサロへ目を移し、小さな吐息の後説明を始めた。
「ピサロさんがね、あなたの村で出された食事を教えて下さったので‥その記憶を頼りに
再現してみたんですよ。木の実のケーキなら、今のソロでも食べられそうだと思ってね。
まさか…お母さんを思い出させてしまうとは思いませんでしたが‥」
「ピサロが‥? ‥そっか…。あの前日はオレの17歳の誕生日で‥母さんいっぱい作っ
て皆にも分けてたっけ…。そっか‥ピサロも、食べてたんだ‥‥‥」
ふっと表情を和らげるソロに、どう答えていいものか悩むピサロが難しげに黙る。
「…覚えてて、くれたんだ‥?」
そんな彼に小さく笑いかけて、ソロが魔王を見つめた。
「‥まあ‥な。」
「‥ありがとう…嬉しい‥」
ソロは眦に浮かんだ涙を拭うと、2人に照れたように微笑いかけて、再びフォークを握り
直した。
頑ななソロの心を解そうと用意した食事は思った以上に効果があったらしく。
食事の後片付けを手伝いたいと、ソロは張り切って席を立った。
元気そうな彼の姿に、クリフトもピサロも反対する事もなく、ソロはクリフトと2人で
1階の炊事場で、食器の片付けなど、手分けして作業に取り掛かっていた。
「クリフト…いっぱい気を遣ってくれて、ありがとう‥。本当に美味しかったよ‥。
それに…嬉しかった‥」
使った食器を洗いながら、ソロがぽつりと感謝を伝える。
「お口に合って良かったです。でも…いろいろと憶い出させてしまいましたか?」
「…ん。憶い出した。」
ソロは手を止めて、心配そうに覗うクリフトに笑んでみせた。
「‥あのね。オレの父さんと母さん‥本当の両親じゃなかったんだけど…
でもオレ‥ずっとそんなの知らなくて。いっぱい困らせてた…。当たり前に甘えてた‥。
村が魔物に襲われた時も…2人とも、親が子を助けたいと思うのは当然だ‥って…
真っ先に逃げろと言える[勇者]で良かった…そんな風に笑ってた。」
話すうち涙声となって来たソロをクリフトが促して、近くのテーブルの並んだ椅子へと腰
掛けた。
「オレは確かにあの村で‥倖せだったんだ…。もうあの頃には戻れないけど‥
でも…オレを‥愛してくれた両親も、シンシアも‥村の皆も…オレの中にちゃんと在る。
それに‥」
ソロは顔を上げると、クリフトと瞳を‥交わす。
「同じように暖かな人が‥今のオレにも居るんだ‥って。…実感した。」
「ソロ…」
「だから‥。だから、オレ…きっと大丈夫だと思うんだ。
だからね、本当のコト言って?」
「本当のコト‥?」
「‥アリーナのコト。両想いになったのなら‥オレのコト気にしないでいいんだよ?」
「ソロ‥。何を見て誤解したのか解りませんが。姫様が私を慕っているとは思いませんし、
私も今はもう‥あなたにしかそう言った想い、抱いてないのですけど?」
大仰に嘆息しつつ、クリフトが苦く笑む。
「だって‥アリーナ、クリフトに…」
告白したんでしょう?…消え入りそうな声音で、ソロが呟いた。
「昼間姫様と話したのは確かですけど。あなたの事で叱られてただけですよ。」
「え…」
「あなたの回復が遅いのは、私が至らないせいではないか‥とね。」
「そ‥そんなコトっ。クリフトには世話いっぱいかけてて、オレ…」
「それだけ心配してる‥という事です。姫様も‥今日来られなかった皆さんもね‥。」
こつん‥と額を合わせて、言い聞かせるようにクリフトが語りかける。
静かに俯くソロに、クリフトは更に続けた。
「今度は私から伺ってもよろしいですか?
3日経ったら‥そう話してましたね。
それが過ぎたら、ソロに私は必要なくなってしまうのでしょうか?」
「…そうじゃ‥ないけど。…でも。‥オレは女の子じゃないから…
今すぐじゃなくても。いつか…居なくなるでしょう? …ずっとなんて‥嘘だもん。」
俯きがちにしながら、ソロはぽつぽつと正直に迷いを上らせた。
「だから…ちゃんと独りで居られるように‥がんばるの。」
「確かに…ずっと‥だなんて約束は、現実には果たせないのかも知れません。
未来など解らないのですから…。今の旅だって、いつでも死と隣り合わせで。蘇生呪文
が通用しない時がいつ来るのか、解りませんしね。」
「え…」
思いがけない話に移って、ソロが困惑げにクリフトを見つめる。クリフトはフッと微笑い
かけると、更に言葉を続けた。
「蘇生呪文は、寿命の尽きた者には適用出来ません。命あるモノすべてに、長さの差はあ
れ寿命はあるものです。」
「それは…そうかも‥知れないけど‥‥‥」
「‥ですからね、ソロ。独りになってしまった時に、それでも歩き続けるだけの気力は、
是非とも蓄えて戴きたいと思いますが。無理にそんな状況へ自分を追い込んだりしない
でいいんですよ? ‥でないと、避けようのない別離の時に後悔する事になります。」
「クリフト…。なんだか‥その言い方、クリフトが居なくなっちゃうみたいだ…」
きゅっと彼の袖口を掴んだソロが、そのままこつんと顔を彼の胸に埋めさせた。
「一般論ですよ。命の終わりなど‥誰にも予見出来ないですからね。」
涙声になったソロに、柔らかな口調でクリフトが話した。
「そういう意味では、いつか居なくなる‥かも知れませんね。」
「ちがっ‥、オレ‥そんな風に考えたコト、なかった…」
ソロが不吉な考えを払うよう首を振ると、その柔らかな翠髪に手を入れたクリフトが、優
しい仕草で梳いた。
「そんなの‥嫌だよぉ‥‥‥っ。」
本格的に泣き始めてしまったソロが、彼にしっかとしがみついた。
「…なかなか戻らぬと思ったら。何を泣かせているのだ?」
コツ‥と響いた足音の後、嘆息交じりの魔王が呆れ口調でやって来た。
「ピサロ‥っ、クリフトが‥いつか死んじゃう‥って。そんなの‥駄目なの‥にっ…」
「いつか…だろう? お前だって、つい先だって危うく死にかけたばかりではないか。
そういう話であろう?」
泣きじゃくる彼を抱き寄せて、言い聞かせるよう話す。
「そうですよ。到着が僅かでも遅れたら、我々はソロを失うところでした。あの時の事は
今思い出してもゾッとします‥」
「そうだな‥。2度とあんな思いはしたくないぞ…」
抱きしめる腕に力が込められて、ソロは言葉の中にある思いの長けを実感する。
そう言えば…
あの後翼の発現に混乱した折にも。
『殺して――』
そう発した自分の言葉に、酷く傷ついた貌をしていたピサロが居た。
失う愁さ…は誰にでもあるのだ。
「ピサロ。クリフト。‥オレ―――」
未来なんて解らない。
なら…
側に居たい気持ちが重なる間…共に在っても‥いいのかな?
緊張の解けたソロは、そんな事をふと思いながら、意識を遠退かせていった。
2006/10/14
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