パタパタパタ‥かちゃ。
ソロは寝静まった宿の廊下を足早に行くと、自室へそっと戻った。
同室のクリフトはすでに眠っている様子だったのを確認したソロが、ほうっと息をつく。
空いてるベッドへと静かに潜り込むソロ。彼は頭まで布団を覆うと、ぽろぽろと涙をこぼ
し始めた。
――あいつが…あいつが魔族の王だっただなんて!!
勇者と魔王。どう考えても相入れない両極に在る存在。その事実が重くソロを苛んでいた。
…バカだよな、オレ。みんなの仇なのに。‥オレの命を奪いに来た奴だったのに‥‥
いつのまにか…オレ、あいつのコト―――!!
「ふ‥ぅ‥‥っ。」
肩を震わせ、ソロが声を殺して泣く。
微かに響く哀しげな気配が、暗く静まり返った部屋を包んで行った。
「‥‥‥?」
ふと目を覚ましたクリフトは、隣のベッドにソロが戻っている事を確認し、再び瞳を閉じ
た。が‥、しゃくりあげるような息遣いに気づき、再び瞳を開いた。
「…ソロ? …どうかしたのですか?」
ベッドから出たクリフトが、柔らかな声音で語りかける。
「‥‥! …べ‥別に、なんでもないっ。」
ソロはごしごしと涙を拭うと、顔を隠すよう布団を引っ張り上げた。
ぽんぽんと慰めるようにソロの肩に手を置くクリフト。
「…私では役不足かも知れませんが。よかったら話してみませんか?
独りで悩まれているより、落ち着くと思いますよ?」
「‥‥‥。」
ソロは逡巡した後、被っていた布団を少しだけ降ろした。目元を覗かせたソロが、
クリフトへ視線を向ける。
「‥‥あのね。
クリフトはアリーナが好きなんでしょ? だけど…それを伝えないのはどうして?
クリフトが神官だから? アリーナがお姫様だから?」
意外なソロの問いかけに、クリフトが思わず仰け反った。
「い‥いきなりどうしたんですか?」
焦りを隠しながら、クリフトが苦く笑んだ。
「…だって、ずっと好きなのに、告白しないのは理由があるのかな‥って。違うの?」
むくっと上体を起こすと、頬を微かに染めるクリフトへ、ソロが重ねて訊ねる。
「ソロはすっかり眠気が飛んでしまってるのですね。…私も思いきり目が覚めました。」
クリフトはそう嘆息すると、立ち上がり、サイドテーブルの上に置かれていたビンを手に
取りグラスへと注いだ。
「ソロ。あなたもいかがですか?」
グラスを片方彼に差し出すと、クリフトは自分のベッドへ腰掛けた。
「果実酒ですよ。薄めてあるから、ソロでも平気でしょう?」
そう言うと、クリフトはコクコクと自分のグラスを煽った。
「‥‥うん、美味しいやこれ。」
小さく頷いてから口に含んだソロが、ふわりと微笑った。
「…姫様は、いずれこの国を継がれるお方です。ですから、それに相応しいだけの器量が、
伴侶となられる方にも求められるのです。」
彼に笑んで返したクリフトが、先程の問いかけに答えた。
「…それってさ。王様になれるかどうかって事?」
「…そうですね。」
「クリフトなら大丈夫なんじゃないの?」
頭だっていいし。パーティの信頼も厚い。そう考えたソロが更に訊ねる。
「一国の王となるには、生まれ持った才覚か、それを補ってくれる教育を受けられる環境
が必要なんですよ。」
「…難しいんだね。」
寂しそうに微笑うクリフトに、言葉に詰まったソロが、俯きがちにこぼした。
「…ソロは、誰か好きな人が居るのですね?」
クリフトからの質問に、ソロが静かに頷いた。
「…けど。本当は‥好きになっちゃいけない人だから‥‥‥」
「…それが苦しくて、泣いていたのですね、ソロは。」
こくり‥とソロが頷く。
「‥クリフトは、苦しくなった事ない?」
縋るような瞳で、ソロがクリフトをみつめた。
「…そうですね。ない‥と言ったら嘘になりますね。けれど‥
今、あの方の支えになる事が出来て‥そんな自分を誇らしく思えるから、今の関係に
不満を感じてないのも確かですよ。」
迷いのない微笑みを、クリフトはソロへ向けた。
「そ‥っか。…いいな、クリフトは‥。」
「ソロは恋人と上手く行ってるように思っていたのですが‥。」
「え‥? こ‥恋人って…。違うよ。あいつはそんなんじゃないっ。」
嘆息するクリフトに、真っ赤になったソロが慌てて否定する。
「そんなんじゃ‥ないのに。オレ‥‥いつの間にか‥‥‥」
「好き‥と言ってはいけない相手を、想ってしまったのですね、ソロは。」
こくんと頷くソロ。クリフトには、ソロの想い人まで解らなかったが、難しい相手である
‥という事はなんとなく伝わった。
「‥クリフト。これ、おかわり貰っていい?」
グラスを空にしたソロは、立ち上がると果実酒の入ったビンを手に取り訊ねた。
「あ‥ええ。作りましょうか?」
「大丈夫。見てたもん、解るよ。」
ソロは答えると、トクトクとグラスに酒を注いだ。
「そ‥ソロ!? そんなに注いでは‥!」
「だってクリフトさっき、これくらい入れてたよ?」
3分程酒をグラスに注いだソロは、水差しの水を更に注ぐと、早速コクコク口に含んだ。
「あ‥さっきより甘い。クリフトってば、オレの分はケチってたでしょ?」
…ケチったのでなく、アルコールに弱いソロに合わせてやったのだが。
そうと知らないソロは、甘くて美味しい‥と見る間に飲み干してしまった。
「ソロ。これ以上は駄目ですよ?」
更にもう1杯‥とビンを持ったソロを、クリフトがやんわり窘めた。
「いいじゃん。まだいっぱいあるんだし。オレすっごく喉渇いてたんだ。」
「飲み過ぎは体に毒ですから。」
「…んじゃ、もう1杯だけ。‥ダメ?」 強請む→せがむ
上目使いでソロが強請むよう見つめた。ほんの少し染まった頬がやけに艶めかしい瞳と合
わさって、男色に興味ないクリフトですらドキっとさせられる。
「…あと1杯だけですよ。私が作りますから、ソロは座っていて下さい。」
「薄いのは嫌だからね。」
「はいはい‥。」
酒を出したのは失敗だったかな‥そんな事を考えながら、クリフトは自分のと同じように
ソロの分も作った。
「はい、どうぞ。」
ソロの分を渡し、自分のベッドに腰掛けようとしたクリフトだったが、ぐい‥と服の裾を
捕まれ、動きを止められる。
「クリフトも隣に座るの。その方が話しやすいだろ。」
「‥解りました。ソロは酔うと我がままになるんですね。」
クスリ‥と笑いながら、クリフトが彼の隣に座った。
「オレ酔ってなんかいないもん。クリフトが酔ってるんじゃないの?」
「はいはい‥そうですね。…ところで。あの、ソロ。
‥すごく下世話な事訊いてもいいですか?」
「ん‥なに?」
コクコク酒に口をつけるソロが軽く返す。
「…ソロはその‥好きな人と‥どういった付き合いしてるんですか?」
深い仲‥と見ていた関係が、実はソロの片思いらしいと知ったクリフトが、不思議に思い
訊ねた。
「どう…って。んー、躯の関係‥かな?」
人差し指を口にあて上向いたソロが、ぽつりと答えた。
「ブッ‥コホ‥コホ。」
あっさり問題発言をしたソロに、クリフトがむせ返る。
「か‥躯の関係‥って。ソロ…?」
「ん…いろいろあってさ。初めは‥怖くて冷たい奴だって思ってたけど。時々優しくてさ。
そしたら‥なんだか‥‥。」
「あ‥あの。その関係って、きちんと合意の上で成立されてるんですか?
もしや脅されて…などということは‥」
「‥大丈夫。あいつのキス‥好きだもん。」
心配そうに問いかけるクリフトの腕に身体を預けたソロが、にんまりと微笑んだ。
「…けどね。やっぱり好きになっちゃダメなんだ。…オレがバカなの。
解っていたのに‥解ってなかったの。ぐす‥」
独り言のようにこぼしたソロは、そのままグスグスと泣き出してしまった。
「…それは、その方が男性だからですか?」
「え‥?」
ソロが驚いたようにクリフトを見上げた。
「どうして…クリフト?」
全てを見透かされるのでは‥と不安に揺らぐソロが訊ねた。
「…なんとなく。身近に同じような友人もいましたので、その‥‥。ソロは相手が同じ男
性という事を気にして、そんな風に思い詰めていらっしゃるのではないのですか?」
「…男同士ってのは、あんまり気にした事ないよ。だって‥‥‥」
ソロは小さく首を振ると、俯いたまま口を開いた。
――だって。敵同士‥って事の方が重大だったもの。
続く言葉を飲み込んで、ソロは残る酒を煽った。
「‥男の人を好きになっちゃったオレって‥おかしいの?」
「…いいえ。そんな事ありませんよ。好意を寄せる相手がいるという事は、素敵な事じゃ
ありませんか。それが実らぬ想いでも。想う行為は否定されるものではありません。」
「…それが、本当はイケナイ気持ちでも? …忘れなくても‥いいのかなあ‥‥?」
コテ‥っとクリフトに寄りかかりながら、ソロが考え込むよう瞳を閉じた。
(忘れる…か。)
クリフトがグラスを揺らしながら、ゆったりと波立つ琥珀の液体を見つめた。
[想ってはいけない相手]を好きになってしまった…それだけの共有であったが、自身の
感情をコントロールする術のないソロを見ていると、なにか助けになれれば…と、不思議
な使命感がどこかで生まれる。
いつの間にか寝息を立て始めたソロへ視線を移すクリフトが、そっとその髪を梳いた。
翠の髪はサラサラと指を滑ってゆく。無防備に身を預ける彼にふっと目を細めると、
クリフトはグラスをサイドテーブルへ移し、寝入ってしまったソロをベッドに運んだ。
「ん…。‥好き‥だよ‥‥‥」
ベッドに横たえられると、ソロはぽそりとこぼし微笑んだ。
『想う行為は否定されるものではありません。』
好きでいていいんだよ…そう言われた気がして。ソロは安心したように、ピサロへの想い
を言葉にしていた。
彼の前で口に出来なかった、彼への気持ち。
魔王という事実に揺らいだ想いの先には、やはり変えられぬ気持ちが残っていた。
――オレはピサロが好きなんだ。
ふわふわとした浮遊感にたゆたいながら、ソロは夢へと誘われていった‥‥
☆おまけ☆
「う〜〜ん。なんか、頭が重い‥‥‥」
翌日。目を覚ましたソロがだるそうに身体を起こした。
「おはようございます、ソロ。やはり昨晩は飲み過ぎたようですね?」
「おはようクリフト。飲み過ぎ‥ってなんのコト?」
「昨晩のコト、覚えていらっしゃらないのですか?」
「昨晩…? ‥‥そーいえば。オレ、なんかクリフトと話してたっけ。」
ソロが懸命に昨晩の記憶を辿る。
「んー、なんかいろいろ話してたのはおぼろげに解るけど‥‥」
「覚えていらっしゃらないなら、別に構いませんよ。」
「…でも、なんかすごくスッキリした気がする。嬉しいコト聞いたような‥」
にっこりとソロが笑んだ。
「嬉しいコト?」
「うん。ありがとうクリフト。」
「…よく解りませんが。‥ソロは他所でお酒飲むのは、絶対禁止ですからね。」
がっしり肩を掴みながら、厳しい瞳をソロに向けるクリフト。
「え…うん、飲まないよ。」
よく解らなかったが、勢いに押されるように頷いた。
思っていた以上に酒に弱いソロの、あまりに無防備な姿を思い出しながら、クリフトは新
たな使命に燃えていた。
夜の盛り場で危険に晒されるのは、女子供だけでない。
ソロにも十分当てはまるのだ…と、マーニャの再三の言葉がようやく理解出来たクリフト
だった。
2004/5/15
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