「…ん? どうしたんだ、これは?」
クリフトが天空城へ移ってから、基本的に毎晩山奥の村へ帰宅するようになったピサロは、珍しく早めに帰ったのだが…
テーブル周辺が色々散らかっている様子に、怪訝な顔でこぼした。
「あ、お帰りピサロ。早かったね。」
奥の部屋から大きな木箱を抱えて戻って来たソロが、にこにこ笑んだ。
「ああ、ただいま…でなくて。何を始めたんだ?」
困惑気味に訊ねるピサロに、木箱をテーブルの横に置いたソロがつつっと顔を近づけた。
「ふふふっ…今日ね、竜の神から連絡が来てさ。
 手紙の返事が貰えるのかなって、行ったらね。
 クリフトに直接会わせて貰えたんだよ!」
「その様子だと、元気そうだったみたいだな。」
満面の笑みで報告するソロに、ピサロも目を細めさせた。
「うん! まだ本調子じゃないからって、ほんの少ししか話せなかったけど。
 元気そうだった。でね。前に持って行った村で収穫した野菜、嬉しかったって。
 竜の神も差し入れ届けるのは構わないって言うから、用意してたんだ!」
「…成る程。それで、この大量の野菜か。」
「うん。みんなにも、差し入れの話したら、次々集まって来ちゃった…」
テーブルに納まり切らなかった野菜類が駕篭ごと幾つも置かれているのを見渡して、ピサロが嘆息する。
「確かに食べ慣れた食材は喜ぶだろうが。
 あちらの事情がよく分かってないのだから、あまり多く持って行っては、持て余されるのではないか?」
「あっ! そっか…。
 そしたら、この前よりちょっと多めな感じに留めようかな…」
ピサロの指摘に、多すぎても良くないと納得したソロが、先程持って来た木箱と野菜を交互に眺める。
「これじゃ小さいかなと思ったけど。これ位で留めた方が良いのかも…」
「…そうだな。整えて入れる程度なら丁度良いだろう。」
「ああ…そっか。どかどか入れたら痛んじゃうのもあるものね。」
集まった野菜の選別から、箱へきれいに収納する行程まで増えて、ソロがへなへな座り込んだ。
「その様子では。どうせ自分の食事の準備など、整えてないのだろう?」
「ああ…忘れてた。ピサロは? お腹空いたよね?」
指摘された途端、空腹を訴え始めたお腹を押さえ、項垂れるソロに、苦笑浮かべたピサロが手を差し伸べる。
「お前程ではないが、少しな。
 これからここを片づけるのも手間だし。
 どうだ。今夜は外で食べないか?」
「外?」
「ああ。お前が贔屓していた店がエンドールにあったろう?」
そうピサロに提案されると、ソロが少し考え頷いた。
「そうだね。たまにはそれも良いかも。」

「ふう…美味しかった。」
ずっと以前。クリフトとピサロと共に訪れたパスタの店。
ソロは時折懐かしそうに目を細めては、2人分しか並んでいないテーブルの空白部分を寂しそうに見つめて、ひっそり嘆息していた。
傍目から見れば、今日の彼は饒舌で、それは楽しそうに映っただろう。
お見舞いに訪れた時の話を中心に、ソロはピサロに語って聞かせた。
その報告が終了するのと食事を終えるのは、ほぼ同じタイミングで。
ソロは満足顔で、ジュースをコクコク飲み干した。
「ごちそうさまでした。…そろそろ出ようか?」
とっくに食べ終えているピサロに、ソロが声を掛けた。
「ああ、そうだな。」

会計を済ませて外へ出ると、通りはすっかり夜の街のにぎわいへと移行していた。
「なんか。こういう雰囲気も久しぶりだなあ…」
旅をしていた頃よりも、人出が増えた街並みを眺めて呟く。
「ぼんやりしているとぶつかるぞ。」
ソロの肩を抱き寄せて、前方からやって来た賑やかなグループとの接触を避けつつ歩き出した。
そのまま足早に通りを抜けて、街の入り口まで移動する。
「ソロ。少し寄り道して良いか?」
門を出て、移動呪文で帰宅するものだと思っていた彼に、立ち止まったピサロが訊ねた。
「いいけど…」
首を傾げつつ頷くと、ピサロは彼を抱き寄せて飛翔した。
近場の移動ならば、その方が楽だと知ってるソロは、その時点で行き先に見当が着いた。
丘を越えてしばらく移動した先は、今でも夜は人気がない遺跡だった。
白と青のコントラストが美しい白の遺跡は、一部観光客向けの施設が設けられたりしているが、夜の姿はあの頃とあまり変わっていない。
「…懐かしいね…」
「ああ…」
石畳に着地すると、ソロが全体を見回しながら微笑んだ。
歩き出したピサロに倣って、ソロもゆっくり歩み出す。
当時はなかったベンチが幾つも設置されていて、彼はその1つへ向かうと腰を下ろした。
「観光客向けなのかな。前はなかったよね…」
言いながら、ソロも隣に腰掛ける。
「そのうち夜も人がうろつくようになるのかもな…」
「そうだね。昼間もきれいだけど、夜の遺跡はまた別の魅力あるもんね…」
ソロはそう返すと、水場へと目を移し目を細めさせた。
「ここでは、本当にいろんな事があったっけ…」
「ああ…本当に。色々あったな…」
「それで…どうしてここに寄ろうと思ったの?」
同じように水面を見つめるピサロに、顔を横向けたソロが訊ねた。
「ああ…そうだな。
 ここなら、そのしまい込んだモノを吐き出しても、誰の目にも止まらぬと思ってな。
 村では色々我慢するだろう、お前は。」
そっと彼の頬に手を添えて、真っ直ぐな眼差しを向けて、ピサロが答える。
「な‥に、言って…?」
「村から連れ出せば、少しは楽に話題にするかと考えたのだが…。
 食事中もどこか不自然にはしゃいでいたろう?
 クリフト絡みで何かあったのか?」
目を開くソロに、もう片方の手も反対の頬に添えたピサロが額を寄せた。
「べ…別に。何も…ないもん…」
視線を逃れたくても出来ないソロが、目だけを反らせて返す。
「溜め込むと、後で爆発するだけだぞ。何を抱え込んでいる?」
嘆息混じりに諭されて、ソロが目を尖らせた。
「だから! 何もないって、言ってるじゃん!」
「本当に?」
苛立ちをぶつけて来るソロに、ピサロが静かに問いを重ねさせた。
「うー」
口を一文字に引き結んで、唸ったソロが、顔を彼の胸元へと埋める。
逃れるのは難しかったが、密着するのは容易かった。
そうして彼の視線から逃れると、ふうーと呼吸を整えるよう深く吐く。
「…オレさ。…ずっと、独りぼっちになる日が来る事が怖かった。
 知ってるよね?」
「ああ…」
ぽつんと話し始めたソロを抱きしめたまま、ピサロが返す。
「そんなオレに、クリフトが根気よく接してくれて。
 ピサロも巻き込んで、孤独という闇を払ってくれた。だから…
 以前よりも、夜は嫌いじゃなくなったし。
 一人で居ても、独りぼっちという寂寥感はなくなった。けど…」
ソロはぎゅっとピサロの服を握り込んで、身体を震わせた。
「…クリフトさ。
 今、この前運ばれた離れみたいな建物に居るんだけどさ。
 天空城とは少し違った空気の庭園の中にある邸が。
 …ずっとオレを苛んでいた[独りぽっちの檻]みたいに思えちゃって…。
 それが、なんだかすごく哀しくて。改めて実感したんだ。
 竜の神が最初に言ってた言葉をさ…」

――地上との絆を絶つ選択

そう神は説明していた。その意味について。
ソロはその重みの一端に触れた気がして。酷く動揺していた。
「…竜の神はさ。今はクリフトが本調子じゃないから、人払いしてるだけって言ってたけど。
 …慣れない場所で。あんな広い部屋で、独りでいるのかと思ったら。
 …オレだったら、耐えられないもん。」
後半涙声になりながら、ソロは想いを吐露した。
「確かに広い邸だったな。
 だが、竜の神が言うように、本調子じゃないからこその人払いなのだろう?
 お前だって、臥せっていた間パーティから外れて過ごした事があったろう?」
ゆっくり背中をさすりながら、ピサロは静かに紡いだ。
「…そんな事もあったね。」
旅の道中、魔物に負わされたダメージが甚大で。回復に専念する為、ソロはとある別荘で、クリフト・ピサロと3人だけで過ごしていた期間があった。
パーティへは、生命力の回復に雑多な気配が妨げにしかならないと、納得させたと後に聞いた。
「クリフトは快方へ向かっているのだろう?」
「うん。それは確かだと思う…」
「ならば、彼の全快を待ったのち、お前の懸念を改めて確認すれば良いだろう。
 それまでは、お前がせっせと用意してた見舞いの品を届けてやれば、いい慰みになるのではないか?」
ソロはこっくり頷くと、目尻に残る涙を乱雑に拭って身体を起こした。
「うん。この前の差し入れ嬉しかったって、言ってたし。
 オレ、明日にでもお見舞い届けて来るよ。
 そうと決まったら、急いで帰らないと!」
スッと立ち上がったソロが、ピサロを促すように手を差し出した。
「そうだな。台所周りは今夜中に片づけないと。明日の朝食も作れぬな…」
「そうだね。えへへ…ピサロも手伝ってくれる?」
かなり散らかっていたのを思い出したソロが、両手を合わせて小首を傾げさせた。
「構わないが。そろそろ骨折りの見返りが欲しいのだが?」
あざといお強求ねだ りポーズに苦笑するピサロが、報酬を求める。
「あーそうだね。早く終わったら…いいよ?」
その意図する所を正しく理解したソロが、目を泳がせて俯きがちに返した。


「すみませんでした。色々ご心配おかけして…」
天空城。庭園奥の邸。
夜着を纏ったクリフトが、ソファーセットに腰掛けた竜の神へ声を掛けた。
「しっかり温まったかね? 夜風に長く当たって冷えただろう?」
「…ええ。自覚なかったのですが。かなり冷えきっていたみたいです。」
微苦笑浮かべたクリフトが、神に招かれるまま隣へと腰掛ける。
竜の神が戻るまで、ずっと庭でぼんやり佇んでいた彼に、夕食前に湯浴みを済ますよう、湯殿へ半ば強引に連れて行ったのだが。少しは気持ちも落ち着いたようで。神はホッと安堵の息をもらした。
「お食事、お運びしてもよろしいでしょうか?」
ふわっとした空気が流れたタイミングで、遠慮がちなグエンの声が届いた。
「ああ、すみませんグエン。どうぞ、運んで下さい。」
申し訳ないと言葉を掛けるクリフトに、グエンが首を振って微笑む。
「どうぞゆっくり召し上がって下さい。」
食事を運び終えたグエンがそう声を掛けて下がった。

「…今日は色々とありがとうございました。」
食事を終えて、邸に2人きりとなった所で、クリフトは改めて神に感謝を伝えた。
「問題の先送りでしかないのは分かっているのですけど。
 …それでも。今はまだ……」
「君がこちらへ来てから、まださほどの時も流れていない。
 そう急く事もあるまい。
 あの子も、君が回復している姿を見て納得したろうしな。
 次の対面は、君が望んだ時で良い。」
すうっと伸ばされた手が、水色の髪を梳って肩へと降りる。
「…ありがとうございます。」
抱き寄せられるまま、神の肩へ自身の頭を預けて小さく笑む。
「…そういえば。こちらへ来てから、貴方が飲む所見てませんが。
 普段晩酌はなさらないのですか?」
ティーカップをテーブルへ戻す姿に、クリフトが訊ねた。
「毎晩ではないが。それなりに嗜むぞ。」
「貴方が強いのは知ってますよ。貴方につられて煽って潰されましたし…」
テーブルへ手を伸ばしたクリフトが、カップに残ったお茶をこくんと飲んで、少しむくれたように神を睨んだ。
「あれはまあ…なかなか楽しい晩であった。」
既に酔いが回っていたせいか。遠慮なく言葉を返して来たクリフトの姿を思い出し、つい顔を綻ばせてしまう。
「私は色々散々だったんですけどね。けれど。
 色々毒づいても良いなら、またお酒に付き合って下さいね。」
カップをテーブルに戻して、身体を伸ばすようにしたクリフトが、顔を横向けて笑んだ。
「そうだな。もう数日もすれば、嗜む程度ならば問題ないだろう。」
「…それまで、貴方も禁酒ですか?」
ぽんとクリフトの頭に手を乗せて、神がにんまり笑む。
「どうせなら、共に楽しみたいではないか。」
自分の回復を待っているのだと確信したクリフトが、じんわりと胸に広がるものを覚えて、そっと息を吐くのだった。


「先日話した城内の案内だが。君の都合が良ければ、この後どうかね?」
朝食後。竜の神がクリフトへと提案した。
「城内の案内と言っても、君のリクエストがあった、図書館と厨房くらいだが…どうするかね?」
「それは是非とも、お願いしたいです。」
クリフトの瞳が好奇心に輝くのを見て、神も柔らかく微笑む。
「では、部屋を移動しようか…」

やって来たのは神の私室に近い応接室。
通された部屋のソファーに腰掛けると、天空人が入って来た。
「お呼びでしょうか。」
「ああ。先日伝えた通り、彼に城内を案内して欲しい。」
竜の神は天空人にそう語ると、クリフトへ紹介するよう手招きした。
ソファーの前に移動して来た中年の男性は、神の部屋でも何度か給仕している姿を見た事のある顔馴染みの天空人だった。
「彼はジード。私の給仕を勤めている者だが、今は手透きの時間が増えたのでな。
 しばらく君への案内人となって貰う事にした。
 ジード。クリフトだ。
 正式な披露目があるまでは、客人として城内を色々案内して欲しい。」
「クリフトです。どうぞよろしくお願いします。」
「ジードと申します。こちらこそ、よろしくお願いします。」
ジードは人好きするような柔らかな雰囲気で微笑んだ。

ジードに案内されて、最初に向かったのは図書館だった。
時折天空人とすれ違う事もあったが、軽い会釈をする程度で、思った程注目浴びずにいる事に胸を撫で下ろして、目的地へと到着した。
「ようこそいらっしゃいました。」
館内に入ると、受付に立っていた老年の男性がにこやかにやって来た。
「館長のネボです。お客様を丁重にもてなすよう伺っております。」
「以前大変お世話になりました。クリフトです。よろしくお願いします。」
「今日はどういった本をお探しですか?」
互いに挨拶を交わすと、館長が最初に確認するよう訊ねた。
「そうですね…こちらの魔法道具について、色々知りたいのですけど…」
天空城で初めて接した道具に興味持ったクリフトが、リクエストする。
「ふむ…それでしたら、こちらの棚の…この辺り、それから…」
魔法道具の使用法等が書かれた本から、歴史的な体系を綴った本、魔法技術に関する本等…様々な視点からの書物の場所を教えてくれた。
ジードが棚の番号をメモに取りつつ、2人の後を追う。
「こちらにある本は、受付で手続きすれば貸し出しも可能です。」
一度に5冊まで。1週間以内の返却が必須と細かい決まりも説明した。

クリフトは早速、案内された本棚を中心に、表題を確認していく。
気になるタイトルで手を止めては、パラっと中身を確かめて。借りたい5冊はすぐに確定してしまった。
他にも色々見て行きたい気持ちはあったが。
どことなくざわつく周囲を思うと、長居するのも迷惑かと、早々に引き上げる事にした。
「…もう少しゆっくり過ごして頂いても良かったのですよ?」
図書館を出ると、ジードがそう声を掛けて来た。
「読みたい本は借りられましたし。
 あまり熱中すると、本当に時間忘れてしまいそうでしたので。
 今は自重しました。」
苦笑混じりに返すと、ジードも納得と微笑む。確かに、本棚を目にした時の彼は、好奇心に輝いていた。

ジードからは、そのまま厨房も案内するかと訊ねられたのだが。気疲れした事もあり、今日は部屋で借りた本を読んで過ごしたいと断った。
自室に戻って早速借りた本を読んでいると、グエンからの連絡が入った。
竜を象った小さな置物が抱える水晶球。それは幾つかの信号の送受信が適う魔法道具で。黄色の点滅は、使用人から主に用事がある際の様子伺いだ。
滅多にない様子伺いを立てられて。クリフトが返信を出す。
彼が懐から出したアクセサリーを水晶球に翳すと、光が点滅から点灯に変化した。
しばらく点っていた光は、白い輝きの後に沈黙した。

それからややあって。グエンが大きな箱を持ってやって来た。
「クリフト様。お寛ぎの所失礼します。お届けものお持ちしました。」
厨房のテーブルに箱を乗せて、ソファーへ腰掛けているクリフトの元へ移動したグエンが用件を告げた。
「お届けもの…もしかして?」
「ソロ様よりのお見舞いの品だそうです。こちらへお持ちしますか?」
グエンの問いかけに小さく首を振って、クリフトが立ち上がった。
「私が向かいますから、大丈夫ですよ。重かったでしょう?」
中身を予想しながら、クリフトが少年を労う。
「いっいえ。そんな事…」
邸の入り口までは荷物移動に使うカートのようなものを使用出来るので。問題ないとグエンが説明した。
厨房のテーブルにデンと置かれた木箱。その中身は、クリフトが予想した通りの食材色々。その中には、クリフトがよく飲んでいたコーヒーや紅茶もあった。正直それはかなりありがたい。他には…
「ああ…これはお菓子ですね。村の誰かが焼いたのでしょうね…」
包みを解くと、上手に焼きあがったパウンドケーキが出て来た。
ソロも簡単な菓子なら作るが。これは得意な子の手に寄るものだろう。
「お菓子…ですか。甘い匂いがしますね…」
すんと鼻を鳴らして、グエンが微笑む。
「ええ。とても甘いお菓子です。後でグエンにも切り分けますね。」
「いえっ…そんな。自分なんかがもったいないです…」
「いつもがんばってくれてるご褒美と思って、受け取って下さい。」
恐縮する彼にふわりと笑うクリフトに、グエンがはにかみつつ頷いた。

昼食までは少し時間があったので。
クリフトはグエンに湯を沸かして貰うと、届いたばかりのコーヒーを早速淹れた。
「せっかくですから、付き合って下さいな。」
クリフトの提案に、言葉の意味を理解するまでしばしの間が合ったグエンが、プルプルと首を左右に振った。
「こういったモノを一人でいただくのは、味気ないんですよ。
 それとも、地上の食べ物は口に合いませんかね?」
屈んで目線を合わせたクリフトが、更に言葉を重ねる。
「で‥でも。後で叱られますから…」
「叱る? 誰がですか? 竜の神?」
「え…。えっとぉ…料理長?」
城の厨房で作られた料理を離宮へ運ぶのが、主な仕事になっているグエンだったので。首を傾げながらも答えた。
「厨房では料理長の言葉に従うものかも知れませんが。
 一応あなたは私の専属預かりなのですから。
 この宮で、私が許可した行動に文句言われる筋合いないと思うのですよ。
 グエンが、私との同席は息苦しいと感じるなら、諦めますが…」
「そっそんな事ないです。すごく嬉しい…です…」
少し寂しそうに語ると、慌てたグエンが本音をこぼした。

という事で。
テーブルに切り分けたパウンドケーキとコーヒーを並べて、ソファーの対面席へと2人は腰掛けた。
「コーヒーは苦いかも知れないので。ミルクと砂糖で調整して下さいね。」
向かい席に座るクリフトが、コーヒーを不思議そうに見る彼に説明する。
「クリフト様は、そのまま召し上がるのですか?」
自分の前にだけ並べられたミルクの器と砂糖を見て、グエンが訊ねた。
「ええ。気分によっては、ミルクを入れることもありますけど。
 基本はブラックですね。少し味を確認して、自分好みに調整して良いんですよ?」
「はい。」
「では、いただきましょうか?」
飲み物以上に興味津々だったケーキをクリフトが口に運ぶと、グエンも早速頬張った。
「……!!」
瞳を輝かせ頬が緩むのを見れば、彼の口に合った事が伝わる。
クリフトはそれを少し懐かしい気持ちで見守りながら、コーヒーを含んだ。
エンドールの孤児院の子供たちとの交流が増えると、おやつの時間を共に過ごす事も増えた。あの頃の子供たちの笑顔と、目の前の少年の笑顔。美味しいものを食べた時の反応は、変わらないものだと目を和ませる。
パウンドケーキは、クリフトが好んで食べていた紅茶の葉が使われた甘さ控えめなタイプで。とても優しい味がした。
「口に合ったようで、何よりです。」
「はい。とても美味しいです。このコーヒー?も。
 ミルクいっぱい入れたのが、お菓子と合って美味しかったです。」
瞬く間に平らげてしまった少年が、にこにこと話す。
「そうですか。また良かったら、こうして付き合って下さいな。
 私はまだ、あなたのことも、こちらのこともよく知らないので。
 色々教えて下さると嬉しいです。」
「まだまだ未熟者ですが。それで良ければ、喜んで。」

「君の言った通り。早速荷物が届いたようだな…」
昼食の時間になって、やって来た竜の神が開口一番そう笑った。
「ええ。午前中にグエンが届けてくれたので、早速開封して、少しいただいてしまいました。」
ソファーへ歩いて来る神を迎えるよう席を立ったクリフトが、にっこり返した。
「そうか。君に嬉しい品が届けられたのだな。」
「ええ。飲み慣れた嗜好品というのは、やはり落ち着きますね…」
ふわりと自然な笑みを浮かべるクリフトに、神が優しい眼差しで見守る。
予定よりもずっと早く、ジードが戻って来たので。少々心配だったのだが。杞憂だったようだ。
クリフトは食事の間も、図書館での話や、借りて来た本について。届けられた荷物について…と、珍しく饒舌に語って聞かせた。
「食後のお茶は、ソロが届けてくれた紅茶にしてみました。いかがですか?」
食事とともに出すことも考えたのだが。運ばれて来る料理と合うかも分からなかったので、食後に出したのだとクリフトは説明した。
「ああ、美味いな。香りが特に気に入った。」
「それは良かったです。私もこの香りが好きなんですよ。」
口元を綻ばせる神に、微笑んだクリフトが返す。
「こちらのお茶も美味しいですけど。
 今回届いたこの紅茶も、コーヒーも、普段よく飲んでいたので。
 ありがたかったです。そうそう。コーヒーは届いてすぐに、淹れて。
 一緒に届けられたお菓子と共に先にいただいたのですけど。
 私1人で食べるのも味気なかったので。グエンを誘ってしまいました。
 特に問題なければ、またお茶に誘って、色々話をしてみたいのですけど…」
「ふむ…。別に問題はないが。大分驚かれたのではないかね?」
「ええまあ。半ば強引に誘ってしまいましたから…」
苦笑浮かべる神に、クリフトも微苦笑で答えた。
「そこで強引に誘って貰える彼が、羨ましくはあるがな…」
「では…貴方も午後の休憩に、こちらでお茶をご一緒にいかがです?」
「その菓子とやらも付くのかね?」
「ええもちろん。
 村の子が私が好んでいた味で焼いてくれた焼き菓子なんですよ。
 是非召し上がって下さいな。」
「それは楽しみだ。」

機嫌良く午後の執務に向かった神を見送って。
クリフトは、ソロから届けられた荷物を仕分ける事にした。
野菜や果物の他、調味料も幾つか揃っているので。料理する事を前提に届けてくれたのが分かる。飲み物もだったが。ソロなりに、こちらでの生活が潤うように考えてくれたのだろうと、温かな想いが広がった。
それに――
ふと過った想いに小さく口元が綻ぶ。
それから気持ちを切り替えるよう1つ息を吐いて、クリフトは片付け作業に没頭していった。

「ふむ…これは良いな。」
午後の休憩にやって来た神は、早速と口に含んだコーヒーに舌鼓を打った。
午前の時よりも濃いめに淹れたコーヒーだったが。お気に召してくれたらしい。
「ミルクや砂糖は必要ないですか?」
「ああ大丈夫だ。甘い菓子と丁度良く合わさって美味だと思う。」
「ふふ…お口に合って良かったです。」
にっこり笑うクリフトに、神も口角を上げる。
「ああ。地上の食べ物については、あまり詳しくなかったが。
 なかなかに美味なものだな…」
こちらの食事は、食材の味を引き立てるよう味付けされたものが主流なので、反応が心配だったが。本当に美味しそうに味わっている姿に、クリフトもホッとした。
「色々食材も届いたので。夕食の時にまた何か1品作ろうと思うのですけど…」
「おお。それは楽しみだな。先日のスープも美味だったからな。」
「あまりハードル上げられると、出しにくくなるんですけど…」
期待の籠もった眼差しに、プレッシャーを感じるとクリフトが苦笑する。
「地上の食事も興味深いが。君の手料理という付加価値が付くからな。
 楽しみなのは仕方なかろう?」
「…もう。何を言ってるんですか…」
ニッと笑いかけられて、困ったように返すクリフトに神の手が伸びる。
「今夜は私の部屋で過ごして貰うから、夕食後あちらへ向かえるよう準備をしておきたまえ…」
すうっと伸ばされた手が彼の頭に降りて、顔を引き寄せた神が囁くよう告げた。
「…はい。」
ほんのり頬が染まったのを覚えて、クリフトが目を伏せる。
神はほんの一瞬抱き寄せてた手元に力を込めたが、すぐに体を離すと立ち上がった。

執務に戻った神をその場で見送って。
しばらくクリフトはぼんやり座っていた。
いつもは昼食時に告げられる誘いだったので。ちょっとビックリしてしまった。
そう。不意打ちだったから、驚いたのだ。だから――
鼓動が跳ねたのは、きっとそれだけ…

すっかり冷めたコーヒーを飲み干して。立ち上がったクリフトが、厨房へと向かう。
使った食器を洗って、きれいに片付けた所で、夕食に添える1品を作る準備に取りかかった。
届いた食材と調味料を見比べて。ここで作れるものを考えているうちに、幾つかの献立が浮かんだので。今日の分、明日以降の分と、下準備も含めててきぱき処理していくクリフトの姿は、見る者が見れば、楽しそうに映ったろう。

「…本当に。ご期待に添えてるかは分かりませんが…」
そう断って。クリフトは小振りな器を示した。
粉ふきいもにピクルスを添えた、彩りの鮮やかな品に神がにこやかに頷く。料理が揃って、給仕が奥に引っ込むと、神は最初にそれに手を伸ばした。
「ふむ…これは良いな。酒の肴に向きそうだ。」
ポリポリとかみ砕く感触と程良い酸味が気に入った神が、笑顔で語る。
「ああ確かに。丁度良いですよね。
 明日お出しするつもりで仕込んだ品も、更に肴向きかも知れません。」
「ほお…それは楽しみだな。」

そんな会話から始まった夕食も、他愛ないやり取りをしながら和やかに進んで。
茶器以外の食器が片付けられ、給仕をしていたグエンも下がった。
「ふう…」
「疲れたかね?」
お茶を半分程飲んだ後、思わずこぼれた吐息に神が訊ねた。
「あ…いえ。…そーですね。疲れたというより、今日も色々あったなあ…と。」
「そうだな…。ここ数日、君は忙しそうだな…」
気遣うように伸ばされた手が、そっと頬に触れた。
「そのとばっちりで、貴方も奔走させてしまったようですが…」
くすっと笑んだクリフトが、上目遣いに神を見つめる。
「まあ確かに。今までと違う仕事に追われてはいたな…」
そう答える神の声音には、それを楽しんでいるのが現れていて、クリフトは笑みを深めさせた。
「…そろそろあちらに移動しましょうか?」

食器を厨房へと下げ、2人は神の私室へ向かう為、庭園を歩いていた。
今夜も星が綺麗に瞬いている夜空へ視線を向けて、クリフトが立ち止まる。
「相変わらず見事な星空ですね…。というか。
 もしかして、天界より上空は雲に覆われないものなのですか?」
「いや、そうでもないぞ。地上程目まぐるしくはないが。
 雲に覆われ、雷鳴が轟く事もある。」
クリフトがふと生じた疑問を投げかければ、真摯に答えてくれる。
「雷鳴…雷ですか。それは迫力ありそうですね…」
「ああ。滅多にない事だけに、こちらの住人も衝撃受けた者が多かったな。」
「そんなに珍しいものなのですか?」
「そうだな…。一番近しいものでも、20年以上前に遡る位にはな…」
「はあ。それは確かに、馴染みない現象なのですね…」
降るような星空を眺めながら、地上と随分違う時間の感覚に嘆息する。
そんな彼を促すよう神が肩を抱く。再び歩き始めれば、神の私室へはすぐ到着した。

「あの…少しだけ、お話良いですか?」
「ああ。構わぬぞ…」
寝室のベッドに腰掛けたクリフトが、躊躇いがちに訊ねると、隣に腰を下ろした神が頷いた。
「あの、私たちの事って、実際どれだけここの人に知られているのですか?」
今日少しだけ歩いた城内で、なんとなくこれまでと違う視線を覚えたのがこちらの過剰反応か否かを確認したくて。実状を知りたくなったクリフトが、訊ねた。
「ふむ…今は儀式に関係する者と、要職にある者、我らの従者辺りが該当するか。
 何かあったのかね?」
「あ…いえ。特にはっきりとは。
 ただ、時折探るような視線を感じただけで。
 それが自分の気のせいかどうか、確認したかったのです…」
「地上からの来客が長く滞在するのは珍しいからな。
 そういう意味でも、注目はされてるやも知れぬ。」
微苦笑を浮かべる彼に、神が静かに説明した。
「ああ成る程。普通に目立つ存在なんですね…」
「そうだな…」
「おかげでスッキリしました。」
本当にスッキリした顔で微笑むクリフトに、神が案じる視線を送る。
「本当に…大丈夫なのか?」
「ええ。気のせいじゃなかったのなら、問題ないです。」
自分が思っていた以上に精神的に参ってしまっているのかと、少し心配だったのだが、杞憂と分かってホッとしたクリフトが、にっこり返した。
事情は分からなかったが。確かに無理している様子もなく、距離を縮められれば、それに応じるだけで――

口接けが解かれる頃には、クリフトはほんのり上気した眼差しで神を見つめ、するりと首に腕を回した。
「…ぼちぼち体力も戻ってますから。多少の無理なら応じますよ…」
ひっそりと耳元へ落とされた囁きに、神の目元に朱が走る。
「自制が外れたら、苦労するのは君なのだがな…」
「大丈夫。本気でギブアップした時に、無茶しないだけの忍耐力を備えていると信じてますから…」
苦笑して返す神に、にっこりクリフトが断言する。
「またハードル高い要求だな…」
最近どこかで耳にしたばかりのフレーズに、クリフトが瞳を眇めさせた。
そんな彼の表情の変化に、神が怯んだように刹那目を反らす。
更なる追及が及ぶ前に、神は彼をベッドに縫い止めた。
帯を解いて合わせを開けば、あっという間に白い肌が露わになる。
つ‥と鎖骨から胸の周囲を指が辿ると、息を詰めたような吐息がこぼれた。そのまま手のひら全体で擦っていくと、時折跳ねる躯に笑みが深まる。こういった営みとは、随分長い間疎遠となっていたので。他所事のように思っていたけれど。こうして閨を過ごす度自覚する。

――愛しいと。

まだ自由が在った頃に戻ったような、浮き立つ想いが己の中に残っていた事も意外だった。


「ふむ‥そろそろ君の側仕えもきちんと整える頃合いと思うのだが…」
数日後。朝食の後に竜の神はそう切り出した。
「側仕え…ですか? グエンの他に?」
「ああそうだ。君の体調も落ち着いたようだし、この邸の管理を始め今後のスケジュール調整等の采配を振るえる者が必要だろう?」
きょとんと伺うクリフトに、神が説明を加えた。
「正式な披露目の準備をしていると伝えたろう?
 それらの連絡役も必要なのだ。」
「ああ成る程。」
そういった役目をグエンに任せるのは、流石に無理だろうとクリフトも納得する。
「一応何人か候補は挙がっているのだが。
 最終的には君が自分の目で見て決めた方が良いと思ってな。」
「分かりました。」

その日はジードの案内で、幾つかの部署を見学して回る事になった。
候補者は彼が知っているので、訪問先で実際に働く姿を見て、人となりを把握する。そう予定を立てて、午前中動き回った。
その関係もあって、昼食は神の私室で食べる事になった。
「ふう…」
応接室のソファーへ座り込むと、深い吐息がこぼれる。
「お疲れのようですね。」
スッと飲み物をテーブルへ並べたジードが気遣うよう声を掛けた。
「…まあ。割と自由に暮らしていた時間が長かったので。
 ある意味懐かしいというか。
 人事の件がなければ、興味深い点も多かったのですけど…」
苦笑浮かべたクリフトが、カップに手を伸ばして口元へと運ぶ。
温かなハーブティーは、疲れを癒すように染みた。

「どうだったかね?」
ややあって。自室へ戻って来た神が、ソファーへ腰掛けているクリフトに訊ねた。
「そうですね…一応人数は絞り込みましたが。直接話をしてみないと、難しいですね。」
テーブルを挟んだ対面の席へ座った神へ、クリフトが返す。
「何人だ?」
「3人です。」
「随分絞り込んだな…」
思った以上に少ない人数だったのが意外と、神が嘆息した。
昼食が運ばれ来たので。会話はそこでひとまず終えて。食事を摂ることとなった。
今日の給仕はグエンとジードの2人が務めていることもあり、テーブルへのセッティングが速やかに完了していた。
基本的にグエンは、食事を運び終えると厨房へ下がるのだが。今日は神の私室。こちらにも飲み物を入れる程度の控えの間があるのだが。ジードは神からの指示が届く位置で控えている為、グエンもそれに倣っていた。
そんないつもと違う環境で、クリフトは黙々と食事を進めた。
「…ごちそうさまでした。」
「ジード、グエン。お前達もこれを片付けたら、食事して来なさい。」
最近では珍しい静かな食事を済ませると、食器を片付けにテーブルへやって来た2人に、神が声を掛けた。
2人は礼をすると、片付けた食器を持って退出する。
室内に2人きりになると、立ち上がった竜の神が、奥の私室へと彼を誘った。
書棚と机、ソファーが配されたプライベートルームのような部屋。ゆったり寛げそうなソファーへと、2人並んで腰を下ろす。
「疲れたかね?」
案じるような眼差しで、神がそっと訊ねた。
「…まあ。流石に気疲れはしました。」
そう素直に返したクリフトが、微苦笑を浮かべる。
「君が絞った候補者の面談は、明日に送った方が良いかね?」
「…いえ。早めに決めてしまわないと。結局後で困るのは自分みたいですし…」
本人が全く知らぬ所で、あれこれ決めてしまわれたら大変だと、儀式関連の進行状況を伺って、自覚した。他所事じゃないんだと。
「そうだな。君との連絡網の構築は、必須だ。」
体調に問題ないと判断した神が頷くと、細かい話へと移っていった。

結果。面談を経て採用されたのは2人。
主に外向きの手配を担当するマティアスと、内向きな環境を整えるニールズ。
当面は、朝食後に2人が邸へ訪れる事となった。
「明日からは、君も忙しくなりそうだが。基盤が整えば、落ち着こう。」
夕食を先に終えた神が、少し疲れた様子のクリフトへ声を掛けた。
「…まあ。急ぎの案件以外は、のんびりやって行けば良いと思うが…」
「…そうですね。明日、2人から色々話を伺って、優先順位の確認を…とは思っています。」
そう静かに返したクリフトが、食事のペースを少し速めた。
「ごちそうさまでした。」
黙々と残りを平らげたクリフトが、フォークを置く。
控えていたグエンが厨房から移動すると、早速食器を片付け始めた。
片付けた食器の替わりに、茶器がセットされ、グエンは退出する。
今日の食後の飲み物は、ソロが差し入れてくれた紅茶だ。
クリフトはティーポットからカップへ紅茶を注ぐと、隣に座る神と自分の前に並べた。
「少し確認したいのですが…」
ふわりと湯気の立つ紅茶を一口含むと、そっと息を吐いたクリフトが口を開く。
「…その。この邸での生活も、これからは色々変えて行かなければならないのでしょうか?」
元々体調が整えば、身の回りの事は自分で賄う心づもりだったので。それらを担う人材の登場に、どう接するべきか迷っていた。
「この邸の主人は君なのだから。君が過ごしやすいよう整える為の手伝いとしてニールズは仕える事となる。
 マティアスは、現在進行中の儀式について等の連絡役みたいなものだが。
 君の名代としての調整が、どれだけ機能するかは、意志疎通次第か…」
「こちらの事はまだよく分かってないので。
 仲立ちを務めて下さるのは心強いです。
 手探り状態ですが、なんとかがんばってみますね。」


最初こそ緊張したが。マティアスの報告はとても丁寧で、こちらの意見にもしっかり耳を傾けつつ助言をくれるので、先日訪れた部署で話し合われていた事も色々と見えて来た。
内向きの仕事を担うニールズも、クリフトがどう過ごしたいと思っているかをまず確認した上で、出来ることと難しいことの説明から、元々の竜の神の生活スケジュール等も教えてくれた。
そこで分かったのは、クリフトがこちらへ来てから相当変則的に過ごしているという事だった。
「はあ…行動様式に変更があったのは、なんとなく分かっていましたが。
 そこまで変化していたとは思いませんでした…」
ニールズからこれまでの竜の神の生活を聞いたクリフトが、目を丸くし嘆息した。
午後の休憩後は、ニールズからこちらの生活について聞いたり、クリフトの生活について説明したりと、互いの行動様式をまず確認するよう話し合う日々が続いていた。
その日は、竜の神の生活全般についての話に及び、そこでクリフトは改めて、神が自分に合わせて動いてくれた事を知った。
「私が知るのは、せいぜい10余年程の暮らしぶりですが。
 もっと長く仕えている方も、ほぼ変化ないままだったと伺っています。」
「共に食事をする機会なども、あまりなかったのですか?」
「数年に一度、この邸で行われる宴には参加なさいますが。
 後は…あまりお出ましになられなかったかと…」
日々の食事は1日2食済ませれば食べた方。大半を玉座の間で過ごし、自室へ寝に帰るのも、数日置きだったという。
それが今は、3度の食事に、午後の休憩、毎日定刻に執務を切り上げるよう周囲への指示も増えた。毎晩しっかり睡眠とっているせいか、これまでよりも物腰が柔らかくなったと、側近たちは非常に安堵しているらしい。
「こちらの方は、肉類が苦手と伺ってましたが。竜の神の食事はどんな物を?」
「…そうですね。確かに肉類を苦手とする天界人も多いですが。
 好んで食す者もあります。ですので、肉をメインにお出ししていました。
 私達と同じ物も召し上がられるので、副菜としてそういった皿も幾つかお出ししてましたし…」
「成る程…」
確かに。運ばれてくる食事の中には、肉や魚の姿があった。
竜の神も天空人も、大きく食の違いはないようだと、改めてホッとする。
「こちらの厨房をご自身でも使いたいとの事でしたが。
 こちらの料理はお口に合いませんでしたか?」
「ああ、いえ。美味しく頂いてますよ。
 ただ…馴染みの深いものを食べたくなる時もありますし。
 料理するのは、良い気分転換にもなるので。」
「そうでしたか。
 でしたらやはり、もう少し調理器具は整えた方が良いでしょうね。」
納得したよう頷くと、他にも整えるべき生活用品について話が移っていった。

「そう言えば、今日ニールズから色々話を聞いていて知ったのですけど。」
夕食後。2人きりになると、クリフトが隣に腰掛ける竜の神に話題を振った。
「私がここへ来てから、随分生活リズムを変えているようですが。
 負担になってはいないのですか?」
思いがけぬ問いかけに、神の動きが一瞬止まった。
「…確かに。大分変わったがね。
 この姿を取っている時間が長い時は、大体今のように過ごしていたのだよ。」
苦笑浮かべた神が、カップをテーブルに置くと、ぼんやり空を見つめ答えた。
それからゆっくり首を巡らせて、クリフトを見つめる。
「…少し、付き合ってくれないかね?」
杯を傾ける仕草で、酒に誘われていると理解したクリフトが頷く。
「いいですよ。適当に肴を準備しますから、お酒は貴方が選んで下さいね。」

ソロからの差し入れで作った常備菜は、塩や酢で漬け込んだ物が中心なので。それらと野菜スティックを用意している間、神も棚に並んでいたボトルとグラスをテーブルにセットしていた。
「お待たせしました。」
酒の準備を終えてソファーへ座った神に、盆を手にやって来たクリフトが声を掛けた。
「おお。急な誘いだったのに、すごいな。」
「前もって伝えて下されば、もう少し凝ったもの用意出来たのですけど…」
「いやいや。以前君が言ってたろう?
 これは酒の肴に丁度良いと。是非試してみたかったのだよ。」
塩漬けが特に気に入っている神が、にこにこ返す。
そんな姿に自然と笑みを浮かべて、クリフトも席に戻った。
神はワイングラスに、トクトクと薄紅色の酒を注ぐ。
「とりあえず、軽めの酒で乾杯といこう。」
クリフトにグラスを差し出すと、自身も手に取る。
「何の乾杯ですか?」
苦笑しながら訊ねると、少し考えた神が頷いた。
「君の全快祝いだ。」
「…ありがとうございます。」
グラスをこつんと合わせて、口元へ運ぶ。
久しぶりの酒は、アルコール度数が低めではあったが、今のクリフトには丁度よく思える味わいの、美味しい酒だった。
「どうかね?」
「ええ、美味しいです。とても飲みやすいお酒ですね。」
半分程飲んだクリフトが、素直な感想を伝える。
「口に合って良かった。
 今日はまだ程々に留めた方が良いのだが…こっちも試してみるかね?」
既にグラスを空けた神が、もう1本のボトルを持ち訊ねた。
「…では、少しだけ。」
小さな杯を差し出されたクリフトが、一口含んだ。
透明な液体の割に、濃厚な香りの酒は、その一口だけでもかーっと熱く喉を過ぎていく。
「こ、これは…キツいですね。」
「以前君と飲んだ時に出されていた酒と、酒精はそう変わらないのだが。
 やはりまだ、万全には届かぬか…?」
杯を返したクリフトが、そんな言葉に苦笑する。
「多分…万全でも、これはキツいですよ。良いお酒みたいですし…」
水差しを引き寄せて、空いてるグラスに水を注いだクリフトが、コクコク飲み干した。
「でもまあ、美味しいですね。次回頂く時には、合いそうな肴用意しますね。」
「気に入ったなら良かった。」
そう微笑んで、クリフトが戻した杯を煽って空にする。
空いた杯にボトルを手にしたクリフトが酌をし、お代わりを注いだ。
「…こういうのは久しぶりだが。やはり良いものだな…」
竜の神は一口煽ると、感慨深そうに口の端を上げる。
「…なぜこちらの方とは共に召し上がらないのですか?」
「この姿を取っても、彼らには畏怖の対象でしかなかったからな。」
神は少し寂しげに微笑んで、すっと視線を上げた。
「…歩み寄ろうと思った頃もあったが。
 不意に脅えられると、虚しくなってな。
 そうなると、この姿になる必然性も覚えないから、ドラゴンの習性が優先される。
 あの姿ならば、数日の不眠不休も雑作もなく実行可能なのだ。」
「それ程違うものなんですか。
 私は、今の姿の方が馴染み深いですけど。
 実際この姿で居る事自体、負担になったりはしないのですか?」
「そうだな。食事はこまめに摂取せねばならぬが。
 身軽に動ける利点は大きいな。
 それに…こういった酒を本性の姿で飲めば、あっという間に酒が尽きるし。
 こうして美味い肴と共に楽しむ事も適わぬ。」
キリッと言い切った神に、クリフトが微笑む。
「…負担でないなら、良かったです。」
自分に合わせて無理を強いているのではとの心配が払拭されて、ホッと息を落とす。
「負担どころか、あまりに遠くて忘れていた、潤いのある生活というものを思い出させてくれたのだよ、君は…」
すっと伸ばされた手が、彼の頭へ降り髪を梳った。
「それよりもクリフト。君はこちらの暮らしに馴染めそうかね…?」
「貴方が色々心配こころくば って下さるので。今の所は大丈夫ですよ。」
心配顔を浮かべる神に、クリフトがクスリと笑い返した。
「…あー、その、なんだ。私の事は、ウェドと呼ぶと良い。
 本来の名は人間には発音出来ぬから、呼び名となるのだが…私の名だ。」
「…ウェド。…良いのですか。そう呼んでも。」
「ああ。構わぬ。…名を告げるなど、数百年ぶりで歯痒いが。
 君には、そう呼んで欲しいと思う…」
妙に挙動不審な様子で伝える神は、初めて対面した時の威圧感などとは対極の姿となっているのが不思議と、クリフトは壮年の紳士を眺める。
「…ウェド。今度、貴方の好物教えて下さいね。
 こちらの厨房に慣れたら、作りますから。楽しみに待っていて下さい。」
空を彷徨っていた手を両手でそっと挟んだクリフトが、そう申し出た。
「我の好物…か。そうか…うむ…」
嬉しそうに口元に笑みを刷いた神だったが、ふと首を傾げ考え込んでしまった。
「あの…?」
「君が作る料理はどれも美味しいが。
 それ以前に好んでたものと言うのが、思い出せなくてな…」
「…でしたら。色々作ってみますから、その中で特に気に入ったものがあれば、仰って下さいね。」
にこりと話すクリフトに、神も笑みを深めさせ、空いてる手を彼の手に重ね引き寄せた。
「魅力的な提案に感謝する…」
手の甲に口づけを贈られて、クリフトの頬に朱が走る。
すぐに解放された手を引き戻すと、胸元の前で手を重ねて呼吸を整えた。
それから3分程残っていたグラスの酒を飲み干してしまうと、お代わりを求めるようボトルへ目を移す。
「注ごうか…」
すっとボトルを手にした神に、コクリと頷きグラスを差し出した。
「お願いします…」

ちびりちびりと、ペースを速めないようグラスを煽るクリフトと、気づくと手酌で杯を重ねる神と。
その晩は普段の就寝時よりも遅い時間まで過ごすのだった。

「う…ん…」
深夜。珍しく目を覚ましたクリフトは、自室の布団に居る事を確認し、体を横向けた。隣には神が眠っている。
クリフトが起きた時には大抵神も目を覚ますのだが。今夜は大分酒を飲んでいた事もあって、眠りが覚める様子はない。
(寝顔を見たのは初めてかも知れませんね…)
じーっと眠る神の姿を眺めながら、気配を殺すようそっと息を吐く。
ここへ来てから、まだそう日は経っていない。
ほんの数週間前まで。これっぽちも考えなかった暮らしだけれど。
思った以上に順応している自分を知る。
その一番の要因である、目の前の男は、今夜も色々やらかしてくれた。

――ウェド。

まさか、竜の神の名を知る日が来ようとは。
それも驚きだったが。それを伝えた時の神の様子が…
人付き合いが不得手といった風情で、語っている姿を、不覚にも可愛いとか思ってしまった。
そして。気づいてしまった。
自分はどうやら[無自覚な孤独]というものに、弱いらしいと。

そんな気づきにクリフトは小さく笑うと、瞳を閉じた。

2021/9/16




                     

あとがき
こんにちは、月の虹です。前回から少し開いてしまいましたが。
終わりと 始まりと――3話のお届けです。
長くなったので、分けようかとも思ったのですが。1話分まるまるUPしちゃいました、
現在4話が〆の部分待ちという所まで書き終えていて。
終わりと 始まりと――の話も終わりが見えて来ました。
(7章の話はまだ続きます)
今回の話で苦労したのは、竜の神の名前だったりしますw
竜の神との話は、ずっと以前から予定していたのに。
彼の名前とか、全く考えてもいなかったんですよね、実は。
そして。この2人の関係も、思っていた以上に馴染むのが早いです。
なんてゆーか。本人も自覚なかったクリフトの一面を次々知って。
結構楽しかったりしますw
天空での暮らしについて、どこまで書こうか悩みつつ描いているのですが。
それがなくても、クリフトメインに展開している状況で。
ソロの出番が更に遠退くのもどうかな‥と。
側近選びの様子は省いた訳ですが。
儀式の準備に携わっている部署を巡った時に、花嫁衣装に張りきってる姿を見て青ざめてたりしました。
伴侶は納得したけれど。花嫁?花嫁衣装!?? みたいなw
他にも公式の場での衣装が、華美でいたたまれなく思ったり…
特に女性陣のテンションの高さに引いてしまった事もあり、側近は男性2人となりました。
最初にグエンが付けられたのも、立候補した女性が、妙なテンションだったからだったり。

とか語った所で。ここまでお付き合い下さりありがとうございました。








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