2
翌日。
ソロはパチ‥と目を覚ますとガバリ起き上がった。
「ソロ。目が覚めたんですね。気分はいかがですか?」
努めてなんでもない風に、側に着いていたクリフトが声をかけた。
ビクンと躰を揺らしたソロが、ふと窓辺へ目線を移す。
昨日と違って、寝台近くの窓は堅く閉ざされていた。
「ソロ…申し訳ありませんが、あなたの呪文は封じさせて戴きました。
今日は逃げ出さないで下さいね?」
「‥来ちゃ駄目なの、クリフトも!」
立ち上がった彼がソロに触れようと手を伸ばすと、後退ったソロが声を上げた。
そのままもそもそ薄い掛け布団を躰に巻き付けて、クリフトとの距離を取る。
じりじりと寝台の端まで移動すると、ソロはバルコニーのある窓へ走り、大きな窓を乱暴
に開けて、飛び出した。
「ソロ…!」
「や‥! 来ないで! ほっといてよ、オレなんか…!!」
躰いっぱいに拒絶するソロにクリフトの顔が曇る。
彼は慎重にソロとの距離を詰めようと、足を踏み出した。
「来ちゃ駄目―――!!」
ブン‥と被ってる布団を振り上げたその時だった。
バルコニーの手摺りの外側から絡まった布団が支点となって、ぐいと躰が引かれる。
「あ‥‥」
「ソロっ‥!」
布団と一緒に背から落ちそうになったソロに慌て、クリフトが躰を投げ出した。
どさ…
空中でどうにかソロを確保したクリフトが下敷きになり、手入れされなくなった庭へと
2人は落ちた。
「…クリフトっ!?」
跳び起きたソロが傍らに座り込み様子を覗う。
ぐったりと意識のないクリフトの頭から血が流れているのを発見し、ソロは慌てて呪文を
唱えようと手を翳すが…なんの反応も起こらない。
「クリフト! クリフト!! 死んじゃ‥嫌だよぉ…っ、ふ‥‥‥っえ…」
取り縋って泣いてると、派手な物音を厨房で聞きつけたピサロが駆けつけた。
「何があった…!?」
「ピ‥サロ。クリフトが‥クリフトが死んじゃうよお…。ふぇ‥‥え…ん‥」
「‥落ちたのか?」
コクンと頷くソロの隣に膝をつき、ピサロはまずソロの容体を確認する。
怪我のない事にはホッとしたが。朝より熱が上がっているらしい。
ピサロは小さく嘆息すると、倒れているクリフトに回復魔法をかけた。
怪我自体は大した事もなかったようだ。
すぐに意識を取り戻すと、泣いてるソロが、今度は安堵の涙を落とした。
「‥ソロ。そんなに泣いてると、また熱が上がりますから‥」
ゆっくり起き上がったクリフトが、泣きじゃくるソロに優しく話しかける。
「‥って。だって‥クリフト、死んじゃうかと‥思って…。ふえ…っ、えっ‥」
「ソロ…。心配してくれたのですね‥」
そっと髪へ伸ばされた手を受け止めて、ソロはコク‥と頷いた。
「…昨日のあなたの言葉を聞いた私達も、同じように痛みました。解りますか‥?」
柔らかく諭されて。ソロはグッと唇を引き結ぶと、神妙に頷き表情を崩した。
「‥ごめ‥なさい…。…っ‥ふえぇ‥‥ん…」
「‥取り敢えず。まずは体調を戻さないと。もう逃げ出さないで下さいね?」
ソロが小さく頷くと、会話を見守っていた魔王がソロを抱き上げた。
「…! あ‥歩けるよ‥? ちゃんと…」
「何を申して居る。お前、また酷く熱が上がってるだろう?」
「で‥でも‥‥‥」
「おとなしくしてろ。」
有無を言わさぬ口調でそう言い渡し、ピサロは館の入り口目指し歩き出した。
再び寝台へと横たわらせた時には、ソロは苦しげな呼吸を繰り返し、意識も朧となって
いた。
盥に張った水の中に新しい氷を浮かべ、魔王が神官へ振り返る。
「…薬を用意して来る。貴様はここを頼んだぞ。」
クリフトがしっかり頷くのを確認して、彼は厨房へ戻って行った。
冷たく絞ったタオルを額に乗せて、様子を窺ったクリフトが嘆息する。
時折譫言のように発せられる言葉は、拒絶を示すものばかり。
「ソロ…」
小刻みに悸える肩にそっと手を乗せ摩ってゆくと、綴じた瞼の端から涙の筋が生まれた。
苦悶に満ちた顔のまま、静かに涙をこぼしてゆく。
『逃げない』との約束はしてくれたが。
まだ何も解決はしてないのだと、ハラハラ落ちる滴が物語っていた。
午後になって。
少し熱も下がったソロが意識を取り戻した。
ふ‥と目が開いたソロの視界に、寝台の傍らの椅子へ腰掛けたクリフトと、壁に背中を預
けた形でこちらを見守っていたピサロの姿が飛び込んで来る。
その光景に不思議と馴染んでる自分に、ソロは記憶を巡らせた。
戦いから切り離された穏やかなひととき――
あれは…現実だったのだろうか‥?
ぼんやりとした瞳のソロを辛抱強く見守っていると、彼らの視線から自分を隠すよう、
ソロが掛かっていた布団を引き上げた。
「…あのね。みんなは‥どうしたの?
…やっぱり、オレのコト…厭になっちゃったのかなあ‥?」
亀が甲羅に身を隠しでもするかのような仕草の後、くぐもった声が小さく届く。
「何言ってるんです? 皆さんエンドールで、あなたの回復を待っていらっしゃいますよ。
‥魔物に襲われたダメージが深かったので、回復に専念する為ここに留まっているだけ
です。それに‥‥‥」
ぽつんとされた呟きに、身を乗り出したクリフトが即座に否定した。
声のトーンを落とし、躊躇いがちに彼は続ける。
「それに…あの魔物に遭遇したのは、我々だけです。ですから、詳細については‥」
「人間の生命力を糧とする魔物…とだけ伝えた。それで酷く消耗してるのだと。」
ゆっくりと寝台に歩み寄ったピサロが言葉を継いだ。
「…ソロ。あれから既に2週間近く経っているんですよ。
‥その間、ほとんど眠ったような状態で…。それだけ深いダメージだったのでしょう。」
「…2週間‥。じゃあ…ずっと‥2人が側に居てくれたのって‥夢じゃなかったの…?」
「‥覚えているのですか?」
布団を被ったまま、ソロが小さく頷いた。抑揚なくソロが続ける。
「…優しい夢‥だった。暖かくて‥‥。
ピサロ、クリフト‥ありがとう。…もうオレ、大丈夫だから。皆の元へ戻っていいよ?
ピサロ。オレの代わりにパーティの要になって、旅を続けて?」
「な…」
「何言い出すんですっ! ソロは!」
口を開いたのは同時だったが、怒気の籠もったクリフトの勢いに、魔王が声を飲む。
「ソロを置いてなど行ける訳ないじゃないですか!?」
「‥だって。もう…皆のトコへ戻れないもん。
きっとね。この翼は汚穢れたオレに、『独りで生きろ』と告げる為に生えたんだ。
だから…もう‥。‥‥‥さよならなのっ。」
布団を更に深く被って、涙に濡れた声を吐き出すソロ。
「汚穢れなどと‥。そんな風に仰らないで下さい。あなたが自分を貶める事などどこにも
ないのですよ? 翼の事だって…そんな戒めのように発現した訳では…」
首を振ってるのか、布団がもぞもぞ揺れ動く。
「…もういいの。今までいっぱい‥ありがとう、クリフト。」
「ソロ‥!」
堪らずに、布団をひっぺ返したクリフトが、ビックリ眼のソロを有無を言わさず抱きしめ
た。
「や‥っ。駄目なの‥。離してよ…。クリフトまで汚れちゃう‥‥」
「何言ってるんです? ソロはどこも汚れてなど居ませんよ? あなたが恐れるこの翼だっ
て、どの天空人の翼よりも美しいのに‥罪の現れなど‥とんでもないです。」
広げても手のひらいっぱいのサイズしかない白い翼は、白銀の燐光に包まれたよう輝いて
いるのだ。神聖さを覚えても、昏いものを抱いているとは思われない。
翼の周辺はまだ痛みが残っている様子だったので。それより低い位置に回した腕の片方だ
けを残し、クリフトがそっと彼の髪を梳いた。
「でも‥‥でも‥‥。オレ、あんな奴に‥‥!!」
「あれは効率よい食事を実行しただけだ。お前でなければ、救出は間に合わなかった‥。」
ヒステリックに言い募り始めたソロに、それまでやり取りを見守っていたピサロが話しか
けた。
「お前はその溢れる生命力の殆どを、あれに奪われた。そこから回復に回された生命力が
天空の血だったのだろう。そして‥一定量を満たした光の力が、翼という形へ変化した。
きっかけではあるが、罪とやらは関係あるまい。」
「そうですよ? ソロだって、その兆しはずっと感じていたのでしょう?」
「でも…オレは‥‥‥」
「…ソロ。お前が[汚穢れ]というのなら…それを最初に刻み付けた私は、さぞかし憎か
ろう? ‥私はどうお前に償えば良いのだろうな?」
自嘲気味に笑う魔王が、虚しく吐いた。
「…ピサロ。‥ピサロが村にしたコトは‥確かに赦せないけど。でも‥‥‥
オレのコトは‥そんな風に思ってないから。もう‥いいんだ‥。」
「では‥お前の申す[汚穢れ]とは、何だ? 何がそこまでお前を追い詰める?」
「…イヤだったから。本当にイヤでイヤで‥なのに…オレ、なんにも出来なくて‥。
でも…躰はしっかり煽られて‥。…自分が一番許せない‥‥‥。だって‥
あのね…あいつを最初に受け入れたのは、オレの方なんだよ?」
「ピサロさんと間違えただけじゃありませんか、ソロは。」
彼を抱きしめたままのクリフトが口を挟んだ。
「‥オレが、ちゃんと覚えてたら…そんなヒト違いしなかった。だから‥‥」
オレのせいだもん…小さくソロが呟いた。
「…随分似ているのだと聞いてるが?」
「全然違うもん。…あいつの方が、ずっと冷たい眸をしてた。昏く残忍な色の…」
微苦笑する魔王にブンブン首を振ったソロが答えた。
「…どちらにせよ。やはりお前がそこまで追い詰める必要などあるまい。
お前はそれらを[汚穢れ]と申すが。
仮に同じ目に仲間が遭った場合‥お前はその者を、そう厭うのか?」
「そんなコト‥! 辛い目に遭った仲間にそんな酷いコト思う訳ない!」
「酷い‥な。では…何故お前はその酷い事を己へぶつける?」
徐に伸ばされた手がソロの翠の髪をくしゃりと撫ぜた。
呆然とした様子のソロが、そのまま魔王へと抱かれる。
「解らぬか‥? いかに無意味な思いに囚われているかが。お前は酷い傷を負った。
ただ‥それだけだ。その傷口を無駄に広げてなんになる。」
「だ‥って…。だって‥‥‥」
ぶわっと涙が溢れ出す。
「嫌いに‥なるんだもん。」
「嫌い…?」
怪訝そうに眉根を寄せた魔王が繰り返した。
「いいの。解ってるから。だから…気を遣わなくて、もういいよ…?」
クスンクスンしゃくり上げながら、ソロがそっと彼から逃れるよう、腕を突っ張った。
「…私の好きに扱えと、そういう事か?」
くいっと彼の顎を上げさせ、魔王が顔を寄せた。
どういう事…とソロが瞳を見開く。
「ふ…っ‥ぅ‥‥ん…」
ふ‥と目を細めたピサロに唇を塞がれて、ソロは抵抗するよう胸を叩いた。
力の籠もらぬ抵抗は、やがて諦めたのか止み、深い口接けを享受する。
癒すように丁寧に巡る熱は、ゆっくりと離れていった。
「は‥あ‥‥‥」
少し熱のこもった吐息がソロからこぼれて。彼は不思議そうにピサロを見つめた。
「忘れてしまえ。あの者も、魔物も…。もう気に病むな。誰もその事でお前を嫌ったり
などせぬ。そういう仲間なのだと‥ソロ、お前の方が知っているはずではないか。」
「…嫌いに‥ならないの?」
「ああ…。」
「‥‥ピサロ‥も?」
「当たり前だ。」
おそるおそる訊ねてくるソロに、何を今更‥と呆れ返す魔王。
ソロは「ふふ‥」と顔を綻ばせると、ぽすんと彼の胸に顔を埋めさせた。
柔らかく髪を梳いてくる感触を心地よく思いながら、ソロが瞳を閉ざす。
彼の胸の中で、しばらくソロはその身を休めた。
少しずつ緊張が解れていくのを見守っていたクリフトが、静かに立ち上がる。
それに気づいた魔王に小さく微笑いかけ、彼は寝室を後にした。
2006/5/18
|