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術を施す為に案内されたのはゲストルームらしき部屋だった。主寝室とは別にベッドルー
ムが設置かれているらしい。
「そのズボンを脱いでそこへ腰掛けなさい。」
部屋に入ると事務的口調で竜の神が指示を出した。ギョッと振り返ったソロが、神の後ろ
に控えるクリフトと顔を見合わせる。
「‥呪印があるのが脚の付け根なのでね。…下穿きまで取れとは言わぬよ。」
やれやれ‥と肩を竦めてみせた神が、そう苦笑した。
ほう‥と吐息をついたソロが仕方ないと服を脱ぐ。そのままベッドの端に腰を下ろすと、
スタスタとやって来た神を上目遣いに覗った。
「…ふむ。やはり‥な。」
ソロの前で膝を折った神が、左脚の付け根部分を確認する。独りごちるよう呟くと、やや
後方へ下がったまま様子を覗っているクリフトへ振り返った。
「そなたも来たまえ。ソロの代わりに確認して貰おう。」
ソロからは窺えない場所に施された印に、納得顔を浮かべた神が青年を呼んだ。
呼ばれたクリフトも神と同じように跪くと、示された箇所を覗う。そこには、言われなけ
れば見過ごしてしまいそうな小さな陣が刻まれていた。血の赤をした魔法陣が…
「…こんな所に。」
気が付かなかった訳だとクリフトが深い吐息をついた。
「どうなの、クリフト?」
「あ‥ええ。確かにマスタードラゴンのおっしゃられた通り、印があります。」
不安そうに訊ねるソロに、クリフトが努めて平静に応えた。
「…そう。」
「ソロからは死角になってしまいますし、余程注意深くしないと、気づかれないような
場所ですね。だからこれまで気づかぬまま、過ごしてしまったのでしょう。」
「…そっか。」
ソロはそう小さく答えると、なにかを堪えるよう口を噤んだ。
「そろそろ解呪を始めよう。ソロ、そのベッドに仰向けになって寝なさい。」
次に出された指示に、無言のままソロが従う。ゆっくりと横になると、光がベッドを包み
始めた。淡い光で包まれると、竜の神は懐から小さな壷を取り出し、徐に蓋を外した。
その壷の中身を手に移し、ふう‥と息を吹き付ける。
すると、小さな魔法陣を形作った雫が光帯び、ソロの左脚の付け根へ落ちた。
静電気が走ったような衝撃に、びくん‥と一瞬身を竦ませるソロ。
竜の神は神聖呪文らしい、人の言語で変換出来ない不思議な音の言葉を紡ぎ始めた。
呪文のリズムに合わせるように、光の魔法陣が色を変えていく。
7色に変化するその輝きは、オーロラを思わせた。
竜の神が長い永唱を終えると、光もすうと消え失せた。
儀式の終わりを確認し、クリフトがソロの間近へと駆け寄る。
「ソロ‥! ‥‥‥‥」
「…長くなるのは解ってたのでな。先に眠らせたのだ。しばらく目覚めぬだろう。」
ゆっくりと歩み寄って来た神が、そう静かに告げた。
「…ソロ‥」
クリフトは目尻を伝う涙をみつけると、そっと指の腹で拭った。
心の奥底で呪印を払う事の意味を、彼は知っていたのだろうか。ふとそんな考えが浮かぶ。
「…マスタードラゴン、お話があります。」
やや緊張を滲ませながら、クリフトが静かに申し出た。
「…そうであったな。あちらで話そう。」
くいっと顎で示し、紳士が先立って歩き出した。
「‥まずはそなたの話を聞かせて貰おうか。」
先程のソファへ戻り腰掛けると、早速神が切り出した。
「‥先程の件。何故‥あのような事をソロにおっしゃったのですか?
ソロの事‥あなたは初めから見ていたのでしょう? ならば知っているはずです。」
「…デスピサロの事か? 勿論、すべて知って居る。恐らく彼が覚えて居らぬ事までな。
だが‥忘れたのはあの子自身の選択だ。無理に触れる方が酷であろう。
そう考えて、そなたもこれまで触れずにいたのではないのか?」
不審めいた瞳を向けるクリフトに、神が静かに紡いだ。
「それは…そうですけど。ですが、あのような言い方は‥。‥‥正確ではありません。」
「忘れて居るなら、そのままでも良い‥と考えているからな。
どちらにせよ、滅さねばならぬのだ。そのような相手に余計な感情は不要であろう。
悪戯に苦しむだけだ。」
「それは‥‥‥」
ぎゅっとクリフトは拳を握り込んだ。
「…マスタードラゴンは、魔王を滅ぼすのは勇者の役割と‥そうお考えなのですか?」
一呼吸間を置いてから。彼は別の視点で切り込んだ。
「‥‥‥。あれが魔王だから滅せよ‥という訳ではない。
地上を守る事‥それが天の力を授かったあの子の宿命なのだ。
人類の存亡という大いなる災いに立ち向かう為、地上に授かった希望だからな。」
「授かった‥授けたのではないのですか? あなたが。」
「意図された子だと‥? そこまで器用に立ち回れたなら、此度の件にもとうに介入して
居るぞ。地上への干渉は協定から反するからな。」
「協定‥?」
「…魔界とのな。人間が今よりずっと少なかった時代からの世界秩序の基本方針だ。
地上を中立に保つ為、どちらも干渉・介入はしないとのな。」
「そんなものが…。けれど‥」
デスピサロは魔王ではないのか? それは魔界が干渉しているという事では‥とクリフト
が思案に暮れる。
「…デスピサロは魔界とは関係ない。地上の魔族は大抵魔界を知らぬからな。」
「では‥何故デスピサロは魔界に向かったのです?」
「…それが必要ならば、いずれ知る事にはなるだろう。魔界の話はこれまでだ。」
否を言わせぬ強い瞳に、クリフトが再び緊張を走らせた。物腰は穏やかだが、確かに、
彼は玉座で圧倒的存在感を持ち一行を迎えた神なのだ。
「…あの、それでは。ソロの背の異変についてお教え願えませんか?」
少し遠慮がちになりながら、クリフトが質問を続けた。
「島は天の力に満ちているからな。彼の中にある天の血が揺さぶられるのだろう。」
「…それだけ、ですか?」
「どういう事だ?」
「多分…ソロが一番不安に思ってるのは‥天空人特有の翼の存在ではないかと。」
「人間として暮らすには、不要なものだからな。
ソロ‥あの子にそれが発現するかは、私にも予見出来ぬよ。あれは不安定過ぎる。」
ふう‥と神が重い溜め息を吐いた。
不安定…それは確かに言い得ている。特に現在は…
「マスタードラゴンは、先程『彼』の記憶は不要だとおっしゃられましたが。
確かに‥彼の事で、ソロは随分悩み・苦しんで来たと思います。ですが‥
それを忘れている今の方が、ずっと危うく不安定になってるのではないかと、私は‥」
あの日からずっと抱えていた不安を、クリフトはようやく吐き出した。
「それでも。その問題はあれが自分で解決するしかなかろう。」
「ふわぁ〜ん‥」
静かに諭す神に、何か言い募ろうと口を開いたクリフトだったが、声を発する前に幼い泣
き声が隣室から届いた。
竜の神とクリフトがお互い顔を見合わせる。
何事‥と向かった部屋――ソロが眠っていた部屋へ足を運んだ2人が目にしたのは、ベッ
ドでしくしく泣いている幼子の姿だった。
「おとぉさ〜ん‥おかあさ〜ん。シンシア…」
しゃくり上げながら、哀しげに呟く幼子が泣きべそをかく。
ふ…と人の気配を悟ったのか、戸口へ目線を向けると、やって来た2人をじっと見つめた。
「だあれ‥?」
「…ソロ?」
クリフトは信じられないものを見るようにしながら、慎重に訊ねた。
「うん。ボク‥ソロ。お兄ちゃんは‥?」
翠の髪・蒼いどんぐり眼‥幼子は確かにソロとよく似ていた。
「マスタードラゴン、これは一体どういう事です?」
困惑しながらも、クリフトは事態の説明を神に求めた。
「‥解呪の為に随分と気を送り込んだからな。その反動だろう。」
「反動って、それでこんな姿に‥!?」
「慌てずともすぐに戻る。寝呆けてるだけだからな。」
「ソロ、ねてないよ!」
どうやら自分の事を話してるらしいと感じたのか、幼子が不服そうに眉を寄せた。
見知らぬ壮年の紳士に視線を送られて、幼子がびくっと身体を引く。
そんな姿に苦笑しながら、神はクリフトと話を進めた。
「明日まで目覚めぬ筈なのだ。あれは相当体力奪う術だからな。」
「‥つまり、ソロ自身は夢の中に居ると?」
考え込みつつ、クリフトが口にした。
「ソロおきてるってば!」
ぷうと膨れっ面で、幼子が声を荒げた。
「ああ‥ごめんね。君じゃなくて‥大きいソロの話なんだよ。
君は‥いくつなのかな?」
「ソロね‥5つなの。」
宥めるように頭を撫ぜ、屈んで訊ねてくるクリフトに、小さく頷いた幼子が、指を折った
後答えた。
「ねえ、おかあさんは? ここどこなの?」
「…えっと。ちょっとご用があってね。少しだから、ここでお留守番してて‥って。」
「そうなの? シンシアもいないの?」
「‥ええ。その代わり、私が一緒に居ますから。」
寂しげに眉を下げる彼に、クリフトが優しく声をかけた。
「ほんと? お兄ちゃんはいっちゃわない?」
「? ‥ええ、どこにも行きません。」
竜の神によれば、ソロ自身が目を覚ませば、この状態から脱するとの事で。
一晩様子を見る事とし、クリフトは幼い姿となったソロと共に神の部屋を退出した。
神にはこの部屋を使うよう勧められたのだが。どうにも神に懐かないソロが、嫌々と駄々
を捏ねたのだ。‥まあ、クリフトもそれは遠慮したい所だったので丁度よくはあったが。
結局。昨夜と同じ部屋へ、メンバーに見つからぬよう2人は戻った。
「あのねーお兄ちゃん。」
部屋のソファにぽすんと座った幼子が、来て来てと手招きをする。
呼ばれた彼が幼子と目線を合わせるよう跪くと、内緒話でもするように、手を口元へ添え
た。
「さっきのおじちゃん、こわかったねえ。」
ひっそりと耳打ちされた内容に、一気に緊張が取れたクリフトが吹き出す。
「はは‥。確かにね。」
神を『おじちゃん』呼ばわりし、不審者を見るような眼差しを向けていた彼を思い出し、
クリフトは更に笑いを深めた。
神本人は、幼い姿のソロに随分気遣って接してたようだったが。ちっとも伝わってはいな
かった。
「ソロね、のどかわいた。」
クスクス笑うクリフトに、幼子が訴えた。
「多分すぐに差し入れが届くと思いますよ。そのおじちゃんからね。」
どうせ聞き耳立ててるだろうと、確信持ったクリフトが話す。
「‥おじちゃん来る?」
「いえ…。別の人でしょう。ソロはよっぽど苦手なんですね。」
顔を顰める彼にクリフトが苦笑した。
「お兄ちゃんは、きらきらのお兄ちゃんしってる?」
部屋へ運んで貰った食事も済ませ、そろそろ就寝モードとなった彼をベッドへ連れて行く
と、横になった幼子がぽつんと訊ねた。
「きらきらのお兄ちゃん?」
「うん。かみがねー長くって、さらさらのきらきらなの。お目めがあかくてねーソロとあ
そんでくれたんだ。」
「…ひょっとして、耳が尖っていたり?」
「うんそうなの。お兄ちゃんのおともだち?」
わくわくと瞳を輝かせ、幼子が問いかけた。
「…多分、会った事はありますよ。」
「いいなあ。ソロもまってるのに。…わすれちゃったのかな?」
「…ソロは、どこで会ったのですか?」
「森のなかだよ。お兄ちゃん、ねっこのところでおひるねしてたの。」
「そうだったんですか‥」
竜の神が言っていた、ソロが忘れてる記憶がこれなのだろうか・・クリフトは考えていた。
「お兄ちゃんまたくるっていったのに。…こないの。」
彼に付き合うよう身体を横たえるクリフトに、頼りなげな蒼い眼が寄せられる。
「ソロ‥きらいなのかなあ‥?」
ぼろっと涙が零れると、耐え兼ねたのかはらはら涙が零れ伝った。
「大丈夫ですよ。みんなソロが大好きなんですから。」
「ほんとう‥?」
「ええ。そのお兄ちゃんも、遊んでくれたんでしょう?」
こくん‥頷くと、幼子は顔を綻ばせた。
「またくる‥?」
「ええ‥きっと。さ‥もうお休みなさい。」
「おやすみなさい、お兄ちゃん。」
翌日。
「う〜ん、よく寝た‥って、あれ?」
う〜んと伸びをしながら、ソロは昨日泊まった部屋に居る自分を不思議に思った。
「…おはようございます、ソロ。」
「おはよ、クリフト。ねえ、オレさ‥いつこの部屋戻ったのかな?」
確か竜の神の部屋に居たのに‥とソロに続いて目を覚ました彼に訊ねた。
「‥覚えてないんですね。」
「…オレ、なんかやったの?」
昨日は飲んだ記憶ないけど‥首を捻りながら、ソロが申し訳なさそうに聞き返す。
「大丈夫ですよ。多少寝呆けてましたけどね。ソロは自分でこの部屋に戻って来たんです
よ? あの部屋は居心地悪かったようでね。」
「…オレ、マスタードラゴンになんか不味いコト言ってた?」
「大丈夫。気にしていらっしゃいませんよ、きっと。」
にっこりと言い切るクリフトに、不安を募らせソロが呻く。
「な‥何言ったの、オレ。」
「たいした事じゃありません。ただ彼を‥『おじさん』呼んでただけですから。」
にこにこと告げられて。ソロがどっと冷や汗を流した。
竜の神をおじさん呼ばわり…
寝呆けて‥とはいえ、許されるのか?
「…本当に、怒ってなかった?」
ソロは念を押すよう訊ねた。
「ええ別に。どうしても気になるのでしたら、旅立つ前に直接訪ねては?」
「…それはいいや。もう‥用件済んだんでしょう?」
呼ばれた理由を思い出し、少し表情を曇らせたソロが答えた。
「ミーティング済ませたら、出立しよう。みんなも待ってるだろうし‥」
「そうですね。」
その後。
竜の子供ドランを仲間に加え、一行は天上の雲を貫いたという大穴から魔界を目指す。
そこで彼を待つのは――
2006/3/11
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