「…ねえクリフト。‥本当によかったのかなあ‥?」
夕食後、宿の部屋へと引き返したソロは、一緒に戻って来た同室のクリフトに話しかけた。
デスパレスに囚われていたソロが仲間と合流を果たしてから2日後。
一行はメダル王の島へとやって来ていた。
寝込んでいた仲間の体調もようやく戻った所で、その辺の調整と各々の鍛練為‥という意
味も含め、しばらくこの島近くにある洞窟で修行する事に決まったのだ。
けれど。魔城を目前にしながら引く事に難色を示したソロが、まだ迷うよう口にする。
「‥無理に挑んで幾度も挑戦する‥という訳にも行きませんからね。今は時期が悪いよう
ですし。例の雨が降る度町へ戻るくらいなら、しっかりした拠点中心に鍛練した方がい
い‥と、ソロも納得したのでしょう?」
「…うん、まあ‥。でも…さ。昨日まで熱があったクリフトとミネアが明日休養‥っての
は解るけど。オレまで留守番なんて‥。大丈夫なのに‥オレ…」
明日のメンバーから外されてしまったソロが、不服そうにこぼした。
「ですが‥まだ魔力のコントロールが不安定なのは確かでしょう?」
「…それは‥‥」
「回復魔法でも消えない痣‥。恐らく、その魔力を封じていたという腕輪の作用が残って
いる‥という証なのではと思うのですが。」
ベッド端に腰掛けるソロの前に立ったクリフトが、未だ痛々しい痣の残る手首を手に取り
続けた。
「どんな術か知れないのですから。今は回復に専念して下さい、ソロ。」
「…うん。」
不承不承頷くソロにクリフトが微笑する。
昨日メンバー全員が揃った所で、ソロは消息を断ってからの経緯を皆に説明した。
魔族に捕まりあの城に囚われて居た事。魔法を封じられ脱出が困難だった事。
それから‥自分も翌日、皆と同じように発熱した事。
もちろんそれだけで仲間が納得行くとは思わないソロだったが、不思議と細かい追求は誰
からもされず、唯一確認されたのは‥
『…では、お主が[勇者]という事は、気づかれず済んだ‥という事じゃな?』
『…うん。だから‥ちょっとは油断してくれたんじゃないかな?』
無事脱出が出来たのは、腕輪のカギを上手く入手出来たから‥と説明していたソロが、更
に付け加え、それで話は終了した。
ソロは確かに詳細を語らなかったが。
メンバーは戻った彼自身の姿から大凡察してしまったのだ。
彼を連れ去った目的を――
だから、誰も深く追求しなかったし、せめて彼の身体の傷が癒えるまで、あの地を離れて
しまおうと、メンバー皆が暗黙のうちに選択したのだった。
「…あなたを攫った魔族と言うのは、例の彼――なのですか?」
唯一パーティ内の誰も知らない事情を知るクリフトが、手首の痣を確認しながら訊ねた。
こくん‥とソロが小さく頷く。
「…ごめん‥なさい。…でも。もう‥終わったから…。もう来ない‥よ。」
「ソロ…」
不器用な微笑があまりにも痛々しくて、クリフトが眉を曇らせた。
「私の前でまで繕わないで下さい。素直に泣いて‥いいんですよ?」
彼の隣に腰掛け、目線を同じにしたクリフトが、そっと彼の頬に手を添える。
「でも…」
「好き‥‥だったのでしょう?」
「‥‥‥!!」
ソロは瞳を見開くと、わなわなと身体を震わせた。蒼の瞳から大粒の涙が込み上げ溢れ出
す。歪んだ口元から小さな嗚咽が漏れ、ソロがしゃくり上げた。
「…き‥だった。でもあいつは‥‥! …ふ‥っく‥‥‥」
ソロはクリフトの肩口に顔を埋め、ぼろぼろ泣き崩れた。
―――冷たい奴だと思った。怖い奴だと…思った。
村のみんなの仇敵。いつか必ず殺してやる――と。
そう憎む気持ちも確かに在った。
…なのに。
―――どうしてだろう? いつからだろう?
あいつの温度を暖かいと感じるようになったのは‥
あいつとの時間が待ち遠しくなったのは…
ロザリーの事を知って。
どこかで感じていた絆は独り相撲でしかないと思い知ったあの時――
苦しくて・哀しくて‥切なくて…
―――いつの間にか、あいつの心を欲している自分がいた。
心がないまま抱かれるのが苦痛になって…
断ち切りたいと…本気で考えた。
それなのに…
ソロはぽつぽつ浮かぶ思い出を涙で洗い流そうとでもしているかのように、泣き続けた。
彼の泣く姿に慣れているクリフトも案じずにはいられない程、涙を際限なく溢れさせて…。
「…ソロ‥」
やがて。体力が尽きたのか、そのまま寝入ってしまった彼を、クリフトがベッドへと
そっと寝かしつけた。涙で濡れる頬をそっと拭い去り、静かに立ち上がる。
その気配に気づいたのか、求めるように、ソロの手が空を彷徨った。
「ソロ…」
彼が咄嗟にその手を掴むと、ソロが一瞬眉を寄せる。苦痛を窺わせる表情に、クリフトが
掴んだその手へ視線を移すと、丁度痣の場所を掴んでしまった事に気づいた。
(…痛む‥のか?)
昼間‥ソロは傷は痛まないと話していた。その様子からは嘘があったとも思えない。
けれど。クリフトは少しだけ添える手に力を加えてみた。
「‥‥っ‥」
(‥‥‥! やはり…。‥本当、この子は…。…目が離せませんね…)
敏感に反応を返す所を見ると、見た目以上の痛みが残っているようだ。
クリフトは大きく嘆息し、困ったような苦笑を浮かべていた。
翌朝。
ソロは腫れぼったい目をぼんやり開け、目を覚ました。
向かいのベッドに眠る隣人の姿を確認し、安堵したよう息を吐く。
(…よかった。独りじゃない…)
暗い海の底にいるような、そんな冷たく暗い夢の世界と違って、外は朝の光に溢れ、心地
よいリズムを奏で眠る仲間も側に居る。
ソロは静かに身体を起こすと、不意に走った手首の痛みに顔を顰めた。
「痛っ‥! なんだ…?」
まだ紫の跡が残る痣がズキズキ痛む。昨日までなんともなかったのに…
「…おはようございます、ソロ。」
人の動く気配で目を覚ましたクリフトが、ソロへ声をかけた。
「おはよう、クリフト。」
「…? ソロ、どうかしたんですか?」
手首を庇うようにしている彼に気づいたクリフトが、案じるよう訊ねた。
「‥ああ、うん…。え‥っとね、なんだか…急に手首の痣が痛みだしたみたいでさ‥。」
「痣が…? 痛むんですか?」
「うん…。クリフト…?」
心配させるものと思っていたソロは、クリフトがホッとしたよう息を吐くのを見て首を
傾げた。
「…昨晩、あなたが眠った後、やはり傷が痛む様子で。少し心配だったのですが…
その様子なら、大丈夫みたいですね。」
「え‥? え‥っと、よく解んないんだけど…?」
にっこり微笑まれ、クエスチョンマークをいっぱい頭に浮かべながら、ソロが苦く笑う。
「‥つまり。その痛みは、恐らく痣になってしまった時からずっと在った‥という事です。
今まで痛みを感じずに居たのは、それ以上の苦痛をあなたが抱えていた‥という事でしょ
う。」
「…クリフト。」
「痛みをきちんと感じる‥という事は、生きていく上で必要な感覚ですから…。」
「‥そう‥だよね。…オレ、本当余裕なかったんだな‥」
「…あなたにも休養が必要だと、理解って頂けましたか?」 理解って→わかって
「…うん。」
数日後。
ようやく腕の痣も消え、ソロの不安定だった魔力も元に戻った。
明日はしばらくぶりの洞窟探検である。
ソロはクリフトと最近日課になってしまった島の散策に出ていた。
「はあ〜、やっと明日から戦いに参加出来るね。」
「そうですね。」
「随分鈍っちゃっているだろうなあ‥。それに。なんだかんだとクリフトには、オレに付
き合って貰っちゃったよね。…ごめんね。」
一足先に復帰したミネアと、本来なら同様に復帰していてもよかったはず。それなのに、
クリフトは未だ癒えないソロと共に島で留守番する方を選んでくれていた。
「ソロを独り残して洞窟へは向かえませんから。私としては、こうしてのんびりした時間
が持てて、いい休息となりましたしね。ソロのおかげで。」
にっこり笑いかけられ、ソロも顔を綻ばせる。まだぎこちないが、少しだけ微笑みを取り
戻した彼に、クリフトは安堵したよう息を吐いた。
「…あの、さ。クリフト‥。」
ソロは少しだけ逡巡しながら、その表情を曇らせた。
「…みんなは‥今回のオレの失態、本当は‥どう思っているのかな?」
「ソロ‥。失態だなどと‥そんな事、誰も思ってませんよ?」
「…でも。なんだかみんな‥オレのコト‥‥‥」
唇をきつく結び、ソロは俯いてしまった。
「ソロ‥。」
ここ数日、夜しか会う機会がないとはいえ、まだどこか張り詰めたソロは、仲間の態度が
以前と違うと気にしていた。クリフトが思案げに視線を移し口を開く。
「‥実はですね。あなたが魔族に捕らわれて、どのような目に遭ったかを‥その‥‥‥」
クリフトはその先が躊躇われたのか、言葉を詰まらせた。
「教えて。」
きゅっと彼の法衣の裾を握り込み、真剣な眼差しでソロが訊ねる。
「…みんなは…あなたが‥魔族に、その…凌辱されたと思っているんですよ。」
「…え?」
「マーニャさんがはっきりその‥跡を確認したようで‥。…帰った後のあなたの様子から
もみなさんその…そう確信持ってしまわれて‥‥‥」
「‥そうなんだ。…それで‥みんな深く追求しなかったんだ。」
ソロは近くにあった樹木の幹に身体を預けると、そのまま背を滑らせ座り込んだ。
「ソロ…」
クリフトが、様子を覗うようしゃがみこむ。
「‥‥すみません。」
「…クスッ。別に落ち込んでるんじゃないよ。理由解って、ホッとした。
なんかさ。ずっと気になってたんだ。みんなの態度がよそよそしく感じちゃって…
それって…オレが神経質になり過ぎてんのかと思ったけど‥。そうだったんだ…。」
「よそよそしいなんて‥。みんな、あなたを案じてるんですよ…」
「うん…感謝してる。…それに、満更外れでも‥ないしね。」
「ソロ…」
「無理矢理連れ去られたのも、拘束されてたのも‥目当てはソレだもん。同じ‥だろ?」
自嘲気味に微笑むソロに、クリフトが瞳を雲らせる。
「‥ソロ。」
「‥あいつは最初から最後まで変わらなかった。…そりゃ‥時々は優しかったけど‥。
でも‥目的はただ‥‥‥」
そのまま黙りこくってしまったソロに付き合うよう、クリフトも彼と同じ樹木の根元に腰
を降ろした。
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