5 夜風が心地よく頬を撫ぜて行く浜辺を、鷹耶はサクサクと歩いていた。 砂浜のサラサラした音と寄せては返す波の音。時折大きな波が岩場の方でぶつかる音を 交ぜながら、暗く広がる海は、その存在感を主張していた。 今夜は新月。星明かりが唯一照らす道標。 「そっちは本当に暗いから、やめた方がいいわよ?」 岩場へと足を向けていた鷹耶に、後ろから声がかかった。 「マーニャ‥。」 「珍しいじゃない? 一人なんてさ‥。」 「そうか?」 「ええそう。…クスッ。昼間はクリフトが余裕なさそうだったけど、今度はあんたが余 裕ない‥って顔してるわね?」 「‥あのなー。…本当っに油断ならねえな、お前は。」 「そう? 踊り子なんてやってたらさ、その辺に聡くならないとバカみるだけだからね。 でさ。わざわざ一人になりに来たんだ?」 「…悪かったな。俺だって若いんだ!」 察したように言うマーニャに、鷹耶が開き直ったように答えた。 「クスクス‥。そうね。余裕なくなる時くらいあるわよね。 なんならさ。相手してあげようか?」 からかいながらマーニャが言った。 「…本気?」 本気→マジ 「ええいいわよ。あたしでその気になれるんならね♪」 「…昨日までなら、喜んでたんだけどな☆」 「ふふふ‥。まあいいんじゃない?」 「そうか?」 「そうよ。守りたい大切な人が在るって大事な事よ? それに‥強くなれるしね! [特別]だって‥気づいたんでしょう?」 「…本当。お前には敵わねーな。」 村が滅ぼされてから、鷹耶はかなり自暴自棄な部分を露にし、最初に仲間になった姉妹 にもその心のうちは閉ざしたままだった。時折彼を苛む悪夢が襲う時以外は…。 『う‥ああっ! ああ‥。なんで…どう‥して‥‥‥。ううっ‥』 『ちょっと! あんた、大丈夫!?』 ピタピタ‥。夜中。夢に魘される鷹耶の声に目を覚ましたマーニャが、彼の頬を叩きな がら声をかけた。 『あ…。はあ‥はあ…マー‥ニャ?』 『大丈夫?』 『あ‥ああ。…すまない。起こしちまったのか?』 言いながら半身を起こした鷹耶だったが、夢の余韻が身体を震わせていた。 涙も絶間なく溢れてくる…。 絶間なく→とめどなく 『鷹耶…。』 マーニャがそっと彼を抱きしめた。 それは。最初はただ抱きしめるだけの儀式だったが‥[信じる心]を手に入れた頃から、 少し彼に変化が現れた。 『ち‥ちょっと。う‥ん。』 震える身体を払拭するように、彼の方から彼女を抱きしめ口づけてきた。 『こら。おイタが過ぎるわよ!』 さらにそれ以上求めてきそうな勢いの彼を制するように、マーニャが窘めた。 『俺‥女と遊ぶ気になれねーけど、あんたなら…』 『‥愛しい女の子を忘れる為に? あたしを利用したいの?』 『…! …そうだよな。それじゃ‥変われねーよな‥。ごめん…。』 『…あんたのさ。気持ち‥判らない訳じゃないけど。でも‥忘れる必要ないんじゃない ? そりゃ‥今は苦しいばかりかも知れないけど、そのイタミだって、愛した証に思 える日が来るから。』 ――だから。今は哀しいままでいいんだよ。 「‥そうだな。忘れるため‥なんかじゃないな。」 ポツリと鷹耶が零した。 「え‥? なんか言った?」 「いや‥。なんでもねーよ。…所でさ。俺‥一人になりに来たんだけど?」 「ああ。そう言えばそうね。それじゃ退散するとしますか。」 ごゆっくり…とにんまり声を残して、マーニャが宿へと歩き出した。 今もまだ哀しみは拭えない―― けれど。愛おしくなり始めている存在がある―― それは。渇いた心に静かに湧き始めた泉のごとく、彼に不可欠な存在となりつつあった。 6 「あ‥。鷹耶さん。」 宿の部屋に戻るとまだ休んでなかった様子のクリフトが声をかけて来た。 「クリフト‥。まだ起きてたのか?」 「はあ…。」 「ん‥? どうしたんだ? 変な顔して…?」 「い‥いえ。別に…。」 「俺の事‥待っててくれたんだ‥?」 「べ‥僕は別に‥ただ…。」 「…ありがとう。心配してくれてたんだな。」 キングレオ戦の後。船の自室を使わなくなった自分を案じてるのだと気づいた鷹耶が、 クリフトに笑んで答えた。 「‥今日は大丈夫そうですね。」 この所。夜になると特にひどく現れていた情緒不安定な様子が、今夜は見られないので、 クリフトが安心したように微笑んだ。 「そうだな‥。今日はいいモノ見せて貰ったしな♪」 「…! 鷹耶さん‥。それ‥忘れて下さいよ…。」 真っ赤になったクリフトが、情けなさそうに零した。 「んな勿体ない事出来るかよ?」 「勿体ない‥って。何言ってるんですか!?」 真顔で言う鷹耶にクリフトが呆れた。 「んじゃ‥妥協案。今日の事は忘れてやるからさ、また見せてくれよ。」 色っぽい顔をさ…。吐息を混ぜながら、鷹耶が彼に耳打ちした。 「…それって。どっちも嫌なんですけど…?」 彼の息が触れた耳を抑えながら、数歩退いたクリフトが困惑顔を見せる。 「え〜。我がままだなあ、クリフト。」 「どっちがですか?!」 「そりゃ、イイ思いしたクリフトだろ?」 納得行かない様子のクリフトに、鷹耶がにんまりと答えた。 「…!」 「ね。どっちがいい?」 真っ赤な顔で俯くクリフトを覗き込むように、鷹耶が訊ねる。 「‥‥‥。…もう、知りません!」 クリフトは言い捨てると、そのままベッドに向かい布団を被ってしまった。 「今日はちゃんと一人で寝て下さいね!」 「冷たいなあ、クリフトは。温泉ではあんなに熱かったのにさ‥。」 「…! だから。それは忘れて下さいって‥!」 被っていた布団を翻しながら、クリフトが念を押すよう調子を強めた。 「‥仕方ないなあ。んじゃ‥キス1つで退くからさ。」 「キス‥?」 「ああ。クリフトからしてくれた事、ないだろう?」 「‥それはそうですけど…。」 訝しげに鷹耶を窺うクリフト。 「…承知りました。」 承知り→わかり 小さく嘆息した後、クリフトが諦めたように頷いた。 ベッドの端に腰掛けた鷹耶の頬に、躊躇いがちにそっと手を触れるクリフト。 「…あの。瞳‥閉じてくれませんか?」 照れてやりにくい‥といった風情で、クリフトが声をかけた。 「ああ‥そうだったな…。」 そんな彼の様子についつい魅入ってしまっていた鷹耶が、少し名残惜しそうに彼をみつめ た後、瞳を閉ざした。 「‥‥‥。」 いつもされてる事だし‥と承知したものの、するのは初めて。どうにも勝手が違って戸惑っ てしまう。 (ええいっ!) 気合を入れた後、クリフトはようやくその唇を彼へと重ねた。 ほんの一瞬、触れただけの口づけ…。 「…あの‥。」 躊躇いがちに様子を窺うクリフトに、鷹耶が破顔した後、先程まで頬に添えられていた 彼の手を取った。 「サンキュ‥。俺からもお返しするな。」 言いながら、ちゃっかり彼の唇を鷹耶は捉えた。 「…ん。」 啄むようなキスを奪われたクリフトが、身体を離した鷹耶を見つめる。 甘く微笑んで返すその瞳に、クリフトは赤く俯いてしまった。 「おやすみ、クリフト。」 鷹耶はそう言うと、そっと額に唇を寄せ、隣のベッドへと移動した。 「…おやすみなさい‥。」 その様子を見送りながら、クリフトも小さく応えた。 「‥‥‥‥‥」 鷹耶に背を向ける形で横になったクリフトだったが、目まぐるしかった今日がグルグル と思い出されて寝付けない。 (…好意‥か…。) 確かに。彼の過剰なスキンシップに戸惑い、困惑している自分が居る。 けれど‥。必要とされてる自分が嬉しいと、どこかで感じていたのも事実だ。 実際、その口づけを甘く思える時すらある―― (‥‥‥! 僕は何を…?!) 自らの思考に驚くように、クリフトは唇に手を当てた。 「はあ…。」 静かに息を吐きながら仰向けになると、額に手の甲を当てる。 別段発熱している訳でもない。だが‥押さえている額でなく、両頬が熱い。 (‥‥‥) ちらり‥と目だけで隣に眠る鷹耶の様子を確かめた。クリフトに背を向けた形で横たわっ ている彼は、既に夢の人と化してるらしく、穏やかな寝息を立てていた。 (…解らないや‥。) 自分の気持ちも‥鷹耶の想いも…。 (はー。…一体どうして‥) 深く吐息を零しながら、複雑な想いを整理しようと目を閉じる。 いつの間にか入り込んでしまった迷宮は、既にその入口の方角すら、掴めなくて…。 出口へ向かう術も見当たらない。 揺ら揺らと波に漂う感覚に包まれながら、今夜は海の上じゃない事を思い出し、クリフ トは失笑した。 水難の相――― そんな言葉がふと蘇る。 (…かも知れないな‥。) 一日を総括した言葉は、まるで眠気を誘うキーワードのように彼を誘った。 目まぐるしい一日の終了は、出口なく広がる迷宮を彷徨う始まりでしかない事を、彼は まだ知らずに居た――― <了> |