金曜日の夜、俺は会社の同僚と居酒屋で酒を飲んだ後、カラオケに来ている。 
後輩のかなえちゃんが今流行りのカリスマロックシンガーの歌を熱唱している。
なかなか巧いもんだ、ビールを飲みながら聞いてると同期の池田が話し掛けてくる。 
「かなえちゃん歌巧いな。お前知ってるか?この歌の歌手、カリスマなんだぜ!
自分で作詞作曲してるんだ。しっかりしてるよな。それでオレらより6才も年下ってどうよ?
スゲエよな、saiって…」 
「そんなこと知ってるよ、てゆうか知らんヤツの方が少ないだろ?」 
saiというのは2年前に突如として現れたカリスマロックシンガー。
今までテレビはおろかライブもした事が無い。 
事務所にも所属しておらずインディーズレーベルからCDを出している。
プロフィールも世間ではインターネットのHPに載ってるぐらいしか情報がないはずだ。 
(まぁ知らないほうがいいことってあるよな) 
そんなことを考えてたらオレの携帯が鳴った。
着メロはプロレスラーの三沢光晴の入場曲〔スパルタンX〕だ。
この着メロは…アイツからだ。電話を取るために一度外に出る。 
池田から「静馬、女からか?」とちゃちゃ入れられるが無視だ。電話に出てみると案の定アイツ
だった。
「拓にぃ今どこ!せっかくカリスマが遊びに来てるんだけど!」 
「今どこって…同僚とカラオケに「今すぐ帰って来なさい!」 
はぁ〜っとため息が出る。なんて我儘なんだろう。 
「お前なぁ。オレにだって付き合いってもんが「この間のドームのDVD届いたよ」
「すぐ帰る!オレが帰るまで見るなよ?いいな、絶対だぞ!」 
オレは池田にお金を渡し、足早に家路へと急ぐ。帰りにビール2リットルとツマミも買った。 
家が近づくにつれテンションが上がってきたオレは呟く。 
「彩、まだ見てるなよ〜、見てたらフェイスロックだ!」 

オレは静馬 拓(しずま たく)26才独身だ。自動車ディーラーの営業マンをしている。
知り合いに紹介してもらい高卒で整備士として入社、去年営業に配置換えになったところだ。 
23才の時に買ったマンションに帰りついたのは電話があってから一時間後だった。
「拓にぃ遅い!遅すぎる!試合ならリングアウト負けだよ!」 
帰り着くなり怒鳴られた。 
彼女は国生 彩(こくしょう あや)20才。オレが15才の時隣に引っ越してきてそれ以来の付き合
いだ。
引っ越してきた当時は友達ができずにオレがよく遊んであげたもんだ。
まぁそのせいで今の彼女が出来上がってしまったんだが… 
玄関でオレは彼女の格好を見てため息が出た。
「お前なぁ、仮にもカリスマって言われてるんだからそのTシャツは無いだろ?」 
「はぁ?なに言ってんの、わっけ分かんない。このTシャツは田上明を応援する者として着て当
たり前よ!」 
そう言って胸を張る彩。
そのTシャツは真っ赤なシャツで図柄は赤いパンツをはいた男が田植えをしているデザイン。
いわゆるプロレスTシャツだ。
「まったく…saiのファンがそんな服を着てるって知ったらひきつけ起こすぞ」 
そう、実はオレの目の前にいる彼女、国生彩はカリスマロックシンガーのsaiである。
そして熱狂的なプロレスファン…プオタなんだ。 

なぜオレが若くしてマンションを購入したか、その理由は目の前にいる女性、
カリスマロックシンガー『sai』であり、プロレスオタクの国生彩に原因があるんだ。 

彩が隣に引っ越してきた当時、友達がいなかった為コイツのおばさんから頼まれて遊び相手に
なった。
その当時の彩は内気でおとなしい女の子だった。
元気よくなってもらおうとその時オレが好きだった全日本プロレスのビデオを見せてやったりした
もんだ。

そのうち生で見たいと言いだしたので少ない小遣いから苦労して連れていってあげた。
その時に会場で伝説の巨人『ジャイアント馬場』にサインを貰い頭を撫でてもらった時からコイツ
はプロレスにハマった。

プロレスにハマってからはよく喋るようになり性格も明るくよく笑うようになった。
そうなると自然に友達も増え人気者になっていった。
一年もたつと女の子のリーダー格になっていた。
なんでも男子とケンカしてドロップキックで相手を泣かしたことが何度かあったらしい。
彩の教室にはドロップキック禁止の貼り紙があるとおばさんから聞いたことがある。 
「拓ちゃんと遊ぶようになってから元気になったのはいいけど…元気すぎるわね」 
ははは、おばさんからよく言われたもんだ。 

そんな彩を変える出会いがあった。出会いと言ってもオレが17才の時に買ってきた一枚の中古
CDだ。
最初はその歌手の名前に彩という漢字が入っていてジャケットの写真が美人だったからという
理由で買ってきたんだ。
しかし聞いてみて驚いた。力強い歌声、訴えかける歌詞、まるで魂の叫びを聞いている気がし
た。
オレはその歌手にハマった。その歌手の名前は鈴木彩子という。
彩子はサイコと読む。saiの名前はサイコから取ったんだ。 
彩もハマった。どうやらオレ達は感性が似てるみたいだった。
それからオレ達はプロレスと鈴木サイコ漬けの日々だ。 

しかしそれもオレの就職で終わりを迎えた。
就職の為、オレが隣の県に引っ越ししなければならなかったからだ。 
オレが家を出るときに彩は大泣きして抱きついてきた(あの時ぐらいまでは可愛かったなぁ) 
オレは仕事の急がしさなどで正月休みぐらいしか実家へは帰らなかった。 
実家に帰るたびに彩は綺麗になっていた。しかしプオタでサイコ好きは変わらなかった。
「周りにプロレス好きが居なくてつまんないよ、拓にぃ帰ってきてよ」とよく愚痴ってたなぁ。
  
彩は高校生になったらオレの部屋まで遊びに来るようになった。なんでも地元じゃ話が合うヤツが
いないそうだ。 
遊びに来るのはいいがプロレスビデオを見ると興奮して大声をあげて床を踏み鳴らしたり、
サイコのCDを聴き、大声で歌ったりした。(まぁ最後にはオレも一緒に歌ったりしたけどね) 
ここは武道館じゃないと何度言ってもダメだった。
そのうち大家にウルサイと追い出され、それが何回か続いた。
彩を叱っても 「私をこんな女にしたのは誰?ヒドイわ…シクシク」 
と、うそ泣きをしてまったく反省はなし。オレは諦めて防音設備の整ったマンションを購入した訳
だ。

後で知った話だが彩はオレが引っ越した後にギターを始めたそうだ。 
理由を聞いたら「カッコイイ女性になりたい!」とか言って髪も伸ばし始めた。 
今では背中まで届いており、今時珍しく染めずに黒髪のままだ。 
「カッコイイ女性はプオタじゃないと思うけど?」 
そう言ってやったら三沢光晴なみのエルボーを打ってきやがった!
アイツの技は年々レパートリーが増えてる。 いったい何処で練習してるんだ?受けるオレの身
にもなれよ。 

そうこうしてるうちに彩はギターを弾くだけじゃ物足りなくなったのか自分で作詞作曲して歌いだ
した。 
以前から彩は 
「最近流行りの歌はダメだ。歌詞にあまり意味がない。ボーカルの声が楽器の一部になってる
気がするわ。せっかく歌うなら何かを伝えるような歌を歌えばいいのに…」 
そう語っていたがそれを実現した、行動力のあるやつだ。 
彩が作った歌は若さゆえに感じる、世間に対する憤り、自分達の未来に対する不安や希望な
ど、今、自分が感じてる感情をストレートに歌った少し重い歌詞だった。
そのストレートで飾らない感情が受けたみたいだ。 

駅前で歌っていたら見物人から家でも聞きたい、とリクエストがあったそうだ。 
最初はオレの家で録音したMDをダビングして原価で譲っていた。 
しかし日が経つにつれて欲しがる人が増えたので自主制作でCDを作り、欲しい人に原価で譲
りだした。 
資金はおばさんからの借金だ。何故かオレが保証人にさせられた。今考えると親子での借金
に保証人がいるってのはどうなんだ?しっかりオレから回収されたし… 
そういやまだ彩に借金立て替えた分返してもらってないぞ! 
この時のCDはネットオークションで数万円の値が付いたらしい。何枚かくすねときゃよかった
な。 

話はそれたが噂を聞き付けたレコード会社が『ぜひ我が社からメジャーデビューを!』と話を持
ってきたらしい。 
それも何社もだ。オレは彩の歌を広めるいい話だと思ったが彩は断った。 
理由を聞いたら「売るための歌は歌いたくない。伝えるための歌を歌いたい」だと。 
カッコイイ事言うようになったもんだ。 

結局CDはインディーズで出すことにした。名前も彩(あや)ではなくsaiにした。尊敬する彩子(サ
イコ)さんから取った名だ。 
その頃になると口コミやネットで噂が広まりファーストアルバムは飛ぶように売れた。 
いつも歌ってた駅前にも人が殺到するようになった。あまりにも人が集まるので路上ライブは
止めた。 
ほとぼりが冷めるまでライブをしないつもりでいたら何時の間にか路上ライブから生まれたカリ
スマと呼ばれていた。 
路上ライブの時は学校にばれないように帽子にサングラスで歌ってたため彩の素顔を知って
るファンはいない。 
それもsai人気に拍車をかけた一因だ。 

で、そんな生い立ちのカリスマが、今オレの目の前にノア東京ドーム大会のDVDを片手にプロ
レスTシャツを着て嬉しそうに立っている。 
「さっそく見るよ!拓にぃ、さっさと準備!」 
ビシッっとテレビを指差しオレに指示する。オレの家なのに…。

オレはDVDをセットして飲み物を準備する。 
オレがビールで彩はウーロン茶だ。彩はアルコールに弱い。 
20才になった祝いに飲ませてやったらビールを中ジョッキ1杯すら飲めなかった。 
なにが「何で二十歳の誕生日のお祝いが居酒屋なの!このケチ拓にぃ!」だ。 
貴様ごときがオシャレなレストランなんて百年早いわ! 
オレは買ってきたビールと冷蔵庫からウーロン茶を出し、おつまみ代わりのポテチと 
じゃがりこ(サラダ味)を皿に盛りリビングに持っていく。 
  
彩は赤色の紙テープを用意して待っている。また投げる気だ。 
紙テープは選手がコールされた時にリングに向かって投げ入れるんだ。 
選手ごとにカラーが決まっていて(例えば三沢光晴は緑色)彩が好きな田上明選手は赤だ。 
これを家で、しかも人の家でやるなんて前代未聞、聞いたことがない。 
最初はオレの家ですんなと怒ったがやってみるとこれが以外や以外、案外楽しい。 
今では二人で投げるのが当たり前になった。 

準備が出来たのを見て彩が再生ボタンを押す。オレ達が待ちに待ったドーム大会をやっと見
れる。 
このためにテレビ放送も見なかった。一気に全部の試合を見たいからだ。 
「小橋ケンスケ戦が年間最高試合になると言われてんだよね? 
週プロやゴングでもべた褒めだったからスッゴク楽しみ!」 
嬉しくてたまらないといった笑顔で話し掛けてくる。いい笑顔だ。 
この笑顔に騙された何人もの男達が告白しては散っていった。 
いつしか地元では『不沈艦』と言われるようになった。 
本人に「ハンセンと同じあだ名だな」と言ってやったらラリアートを喰らわされた。 
だからどこで練習してんだ? 

「試合…見に行けなくて残念だったな…」彩の笑顔に思わず呟く。
「レコーディングだったしね…しょうがないよ」寂しげに呟く彩。 
「…オレは見に行けたんだけどな!」 
彩はヤレヤレといった感じで額に手をあてた。 
「はぁ〜…まぁだ怒ってんの?心が狭いねぇ。イノキアイランドより狭いよ?
そんなに心が狭いと女の子にモテナイよ?」 
コ、コイツは…彩の顔を鷲掴みにしてアイアンクローをしながら説教だ! 
「試合の日にお前が騙してスタジオに呼び出したんだよな? 
なにが『拓にぃアタシ…歌えない…もう歌えないよ』だ! 
何事かと慌ててスタジオ行ったら腹が減って声に力が入らなかっただけだとぉ!」 
思わず手に力が入り彩は「ギブッ!キブッ!」と手足をバタバタ動かしてる。ざまぁ見ろ! 
少しは気が晴れたので許してやることにした。
「ヒ、ヒドイよ拓にぃ、か弱い女の子に…」
彩は頭を押さえながら涙目で睨んできた。
「か弱い女の子?そんなのどこに居るんだ?」 

これがいつものオレ達の会話だ、他人が見たらどう思うんだろ? 


そうこうしてるうちに試合が始まった。 
セミファイナルの小橋ケンスケ戦は噂に違わぬ凄い試合だった。 
彩のレパートリーに逆水平チョップが増えるのは間違いない。 
チョップだけでプロレスをする2人に感動し、泣きそうになった。 
メインの三沢川田戦はセミに喰われた感じだった。 
けど全日本時代から見ているオレと彩は二人がリングで対峙してるだけで満足だ。 
二人を見て彩は涙目になっていた。 

「ドームに見に行かなくてよかった気がするな」 
DVDを見た後のオレの呟きに彩が「なんで?」と聞いてきた。 
「お前と一緒に見たほうが楽しいからな」 
なんでもそうだと思うが気の合う仲間と一緒に見たほうが楽しいに決まってる。 
そう言って彩を見ると顔が真っ赤だ。耳まで赤い。 
「お前、顔真っ赤だぞ!どうしたんだ?…さてはオレのビール勝手に飲んだな?」 
彩はビールを飲んだのがバレて慌てたのか 
「何でもない何でもない!何でもないよ、何でもない!」 
と両手をフリながら顔を左右に振っている。 
「…?よくワカランけど…まぁいいや。彩、缶ビール1本なら飲んでいいぞ」 
オレは冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出し彩に渡す。彩は何故かため息を吐き睨んでき
た。 
「…ハァ。やっぱ、拓にぃだね」
「ん、何がだ?」 
また睨んできた。一体なんなんだ? 

プロレス上映会をした後、彩は大抵泊まっていく、っていうか週に一度は泊まっていく。 
朝までプロレスを語ったりサイコのライブビデオを見たり…楽しい一時だ。 
「彩、今日も泊まっていくんだろ?」 
「女の子に『泊まっていくんだろ』なんて…何するつもり?」 
お前な…それがお風呂セットをカバンから取出しながら言うセリフか? 
「ビールは後で貰うね?…覗いちゃやぁよ」 
「誰が覗くか!さっさと入れ!」 
笑いながら風呂場に消えていく彩。オレは彩が風呂から出るまでに後片付けだ。 
紙テープや空き缶を片付けて、彩に渡した少しぬるくなったビールを一口飲んで一息つく。 
(いつまでこうやって遊べるんだろ…彩も大学出たら本格的に音楽活動するだろうしな。
そうなったら気軽に遊べなくなるよな。そうなるとこの家も1人じゃ広いし…嫁でも探すっか
な?) 
そんな柄でもないことを考えてたら彩が風呂から出てきた。
「拓にぃお風呂空いたよ…ってアタシのビール飲んでるし!なに勝手に飲んでんのよ!」 
悪かった、俺が悪かったから頚動脈にチョップ入れるのはやめてくれない?

おれは彩に冷えたビールを渡し風呂にいく。
「なんか適当に食い物作っといてくれよ」 
彩は意外に料理が上手い。オレの好物のカレイの煮付けなんて絶品だ。 
彩の家は父親がいない。彩が物心つく頃には別れてたらしい。だから彩はおばさん一人の手
で育ってきた。 
隣に引っ越してきた頃の内気な性格はそういった家庭環境に理由があったんだ。 
今の明るい性格になった事をおばさんには感謝されてる。…が、
「プロレス好きにだけじゃなくカリスマにまでするなんて…拓ちゃんは彩をどうしたいの?」 
こんな冗談を最近よく言われる。う〜ん、正直オレにもよく分からん。
おばさんが働いてるので彩が家事を担当していた。今でもそうらしい。 
よくオレの母親に料理を習っていたっけ… 
彩は「おばさんの料理で作れないものはないわ!」と豪語してる。 

俺の部屋に来る時は必ず何か差し入れを作ってきてくれる。 
今日も冷蔵庫にはタッパーが数個入っていた。ありがたい事だ。 
「アタシが料理作って来ないと拓にぃ確実に栄養失調で倒れてるよね。感謝してよね」 
確かに彩の言う通りだ。オレのメイン料理はモヤシ炒めだ。金がないオレにピッタリの食材
だ。 
朝に2袋分のモヤシを塩コショウと醤油で炒めて三分の一をおかずに飯を食う。熱々シャキシ
ャキが美味い。 
昼は冷えたモヤシ炒めをまた三分の一食べる。冷えて汁をすったのが味が染み込みなかなか
いける。 
晩は残りを汁ごとご飯に掛けて丼で食べる。けっこうなボリュームで腹一杯になる。 
これで1ケ月生活した事がある。リアル節約生活だ。同僚の池田には
「静馬の半分はモヤシで出来てるな」
と言われたので残りは何だ?と聞いたら 
「愛しさと切なさと心強さだ」
と言われた。どっかで聞いたことあるな?
今は彩の差し入れのおかげでモヤシ生活はあまりしていない。 


熱いシャワーを頭から浴び、すっきりして風呂を出たら彩がオレが飲みかけた缶ビールに口を
つけている。 
テーブルには皿に盛った焼きそばが置いてある。オレの大好物だ。よくやった、彩! 
「そのビールぬるいだろ?せっかく新しいの出したんだからそっち飲めばよかったのに」 
風呂から上がったオレに気が付いてなかった彩は軽くビールを噴き出した。 
「はは、なにビックリしてんだよ、こっちの貰うぞ」 
さっき彩に出したビールを開けて一口飲んで焼きそばをほおばる。うまい!さすがは彩だ。 
「ちょっと拓にぃ!それアタシのビール!」
そう言ってオレからビールを奪い取る。 
「…こっち返すよ」
彩が飲んでたビールを渡してきた。少し顔が赤い、なんだ? 
「彩って…たまに訳の分らん行動するよな?」
そう言いながら渡されたビールを一口飲む。 うん、ぬるい。
風呂上りに飲むビールじゃないな。 
なぜか彩が赤い顔をして缶ビールを口につけながらじっとこっちを見てる。 
「彩、顔赤いぞ、もう酔ったのか?」
「なんでもない!」 
嬉しそうにビールを飲み干す彩。年頃の娘はよく分からん。オレも年かな? 

結局この日は素晴らしい試合を見たせいか、テンションの上がった彩はビールを2本飲み、 
3本目途中でダウン、お開きとなった。 


彩はオレの休みの前日に泊まっていく。帰りはオレの車で家まで送らすためだ。 
今日も送る事になった。片道3時間、ちょとしたドライブだ。 
「…拓にぃ、この間レコーディングした曲持ってきたんだ。聞きながら帰ろうよ」 
半年ぶりになる、sai三枚目のアルバムだ。 
「お、ついに出来たか。よし、耳の肥えたオレ様が聞いてやろう」 
「…うん。感想、頼むね」
なんだ?元気ないな…二日酔いか? 

新アルバムを聞きながら車を走らす、彩は黙ったままだ。その理由もなんとなく分ってきた。 
「彩、これっていつ発売なんだ?」
「…再来週だよ。それくらい調べといてよ」 
新しいアルバムは前の2枚とは違い心に響くものがあまり無いように感じた。 
全ての曲を聴き終えた。彩は不安そうな目でオレを見ている。 
「新しいアルバムの感想だけど…saiじゃなくても歌える歌だったな」 
オレの言葉に彩はため息をつく。 
「やっぱ…そう思うよね。ネットとか見てたらファンの人達がずっと待っててくれてるんだ… 
そんなの見てたら早く作らなくちゃって焦っちゃって…けど焦れば焦るほど納得のいく歌が出来
なくて…妥協しちゃったんだ。…何が『最近流行りの歌はダメだ』よ。
…言った本人が『流行りそうな』歌を狙って作ってんじゃん…ダメだよねアタシって…」 

こんなに落ち込んだ彩を見たのは久しぶりだ…オレが地元を離れると知った時以来だ。 
しばらく無言で車を走らせていたオレは車を止めて彩に自分の考えを話しだす。 
「なぁ、彩…プロレスって奥が深いよな。…とんでもなく器が広いんだ」 
突然話し出したオレを見つめる彩。 
「ノアや全日本の純プロレスに新日本のストロングスタイル。
みちのくやドラゲーのルチャリブレ。今は無きFMWや大日本のデスマッチ。
WWEやハッスルのエンタメ。UWF系のUスタイル。 
ほんとプロレスという器は広くて深いんだ。この器の中で成功するには自分の団体のカラーを 
貫き通すしかないと思う。現にノアは王道プロレス。全日本は外人路線。ドラゲーはルチャ… 
他の成功してる団体も独自のカラーを貫いてる。逆にフラフラしてるところは新日本みたいに
苦戦してる。歌も同じだと思うんだ。
自分の歌を貫いていったらファンは付いて来てくれる…必ず、な。 
どんなに待つことになってもだ。サイコに対してのオレ達がそうだったろ?」 
オレは彩の頭を撫でながら続ける。 
「だからな、彩。歌いたい曲が出来るまで無理しなくていいと思うぞ。ファンのため歌う、とか考
えずに 心の底からこの歌を歌いたいって歌が出来るまで焦らなくていいと思うぞ…オレはな。
だいいちな、彩」 
オレはにやりと笑い 
「我がままいっぱいのお前がファンのためになんて…似合わんぞ。さては変な物でも食べた
ろ?」 
オレの言葉に彩は 
「拓にぃ!途中まで感動してたのに…全部台無しじゃない!」 

やっと元気になったな彩。 
元気になったのはいいが…耳そぎチョップは止めてくんない?ホント痛いんだよ。 

この日から二日後、saiの3枚目のアルバムが急遽発売中止になった。 
この事についてsaiはHP上で 
『このアルバムはアタシが伝えたかった歌じゃない。皆には申し訳ないけどこのアルバムは封
印します』 
とのコメントを出した。 

そしてオレは今、自分の部屋でsaiの発売中止になったはずのアルバムが入った大量の段ボ
ール箱に囲まれてボーゼンとしている。 
「なんでこうなったんだ?彩、叱んないから言ってみな?」
青筋を立てて彩に聞くオレ。 
「急に発売中止にしてもらったでしょ?発売間近だったからかなりの枚数出来てたんだよね
〜。発売中止にするって言ったら出来た分どうしてくれるって言われたんだよ。
だからアタシが買い取るって…つい言っちゃった。テヘッ」
可愛く舌を出す、彩。 
オレは右手をわきわきさせながら彩の顔に近づけていく。 
「で、買い取ったはいいが置く場所がなく、オレの家に合鍵を使って勝手に入り、置いたって訳
か…」 
「お、さすがは拓にぃ。正解!あったまいいねぇ。ところでさぁ…暴力はいけないよね?暴力
は」 
オレは逃げようとする彩の顔を鷲掴みにする。
「問答無用!」
くらえ!必殺のアイアンクローだ!
「ギブッ、ギブッ!」
彩は手足をバタバタさしてもがいてる。 
「反省したか!もうしないか!分ったか、彩!」 
手を離してやると彩は両手で顔側面を撫でながら涙目でこっちを睨んで言った。 

「…正直スマン」 

コイツ…ちっとも反省してねぇ!


結局オレの部屋に置かれたダンボールの山は貸し倉庫を借り保管して、ほとぼりが冷めてか
ら徐々に処分する事になった。 
「拓にぃのせいで破産寸前だよ。どうしてくれんのよ!」 
今回新アルバムを急遽発売中止にしたせいで彩は今まで稼いだお金の大半を使ってしまった
らしい。 
彩はオレの口車に乗ったせいで大損したって文句を言ってくる。 
まぁ冗談だとは分ってるけど、おばさんにまで 
「プロレス好きにだけじゃなくカリスマに仕立て上げ、おまけに破産寸前にまで… 
拓ちゃんはホントに彩をどうしたいのかしら?」 
こんな冗談を言われる始末だ。似た者親子め。 

アルバムが発売中止になってからsai人気も落ちるかと思ったが、
自費でCD回収した話が広まり 
「saiはそこまで自分の歌にこだわってるんだ、やっぱりすげぇ!」 
って感じでますます人気が出た。 
今、発売中止になったアルバムを売ればかなりの金額で売れるはずだ。 
何枚かクスねときゃよかったな、失敗した! 
このsai人気が彩にまたプレッシャーになるんじゃないかと心配したが 
「アタシは強い女よ!プレッシャーなんてある訳ないじゃない!」 
そう言い切って胸を張る彩。 
おいおい、それがついこの間オレに慰められた奴のセリフか? 
「拓にぃ何よ、その顔は!」 
呆れ顔のオレにそう言って睨んで来た。顔が少し赤い。 

ははは、照れてんだ。まったく素直じゃないよな、彩は。



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