わたしは今、ベッドの上に座り本を読んでいる。
壁には胸を強調した女性のポスター。ハンガーには少しくたびれたスーツ。
私の隣にはクマのえぐちさん。床には無造作に置かれた色々な本の詰まったダンボール。
その中から一冊の本を取り出して読んでいる。そう、ここは江口さんの部屋。
いつものようにシーリスに貰った合鍵で、勝手に部屋に入り本を読んでいる。
今の時間は…7時過ぎ。そろそろ江口さんが帰ってくるはず。
江口さんが帰ってきたらきっと、わたしの顔を拳でグリグリと締め付けて苛めてくるわ。
怒りながら『なんで勝手に部屋に入っているんだ』って。
でも今日は江口さんに色々と話したいことがあるの。
江口さんがいなくなってから色々な事があったの、いっぱい話すからカリカリ君を食べたいわ。
……江口さんがいなくなった?…嘘。そんなのは嘘。
だってほら、玄関の鍵が開いたわ。…お帰りなさい、江口さん。
部屋に入ってきた江口さんの顔は何故か少しぼやけている。はっきりと分からない。
江口さんがわたしに何かを話しかけてきた。でも声が聞こえない。
わたしは江口さんが何を話しているのか、一生懸命聞こうとしたわ。けど、もう思い出せなくな
ってきたの。
江口さんがどんな声だったのか…どんな顔をしてわたしを叱ってくれたのか。
そうなのね…これはきっと夢なのね。…夢でもいいわ。
江口さん、夢でいいから一緒にいて。…夢でいいから声を聞かせて。
夢でもいいからわたしを一人にしないで!

『ピピピピピ!ピピピピピ!ピピピピピ!』

携帯の呼び出し音がわたしを夢から現実へと呼び戻す。
ディスプレイを見るとマヤからの電話。…江口さんじゃないのね、マヤからなのね。
ため息を吐き、重い気分のまま携帯にでる。
「…はい、神楽です」
『桃子?私よ、マヤよ。明日なんだけど久しぶりに3人で遊びましょうよ。
集合場所はいつもの喫茶店ね。シーリスが最近桃子が遊んでくれないって寂しがってるのよ。
だから絶対に出てきなさいよ?たまにはみんなでパァーっと遊びましょ!』
「…わたしは行かないわ。遊んでいる間に江口さんが来るかもしれないから」
『…ダメよ!あなたがいないとシーリスの相手するの、私一人になっちゃうじゃないの!
絶対に来ること!約束よ、いいわね?』
……約束。そう、江口さんも約束をしたわ。
わたしに預けていった本とベッドを必ず取りに来るからって。
「……ええ、分かったわ。約束は必ず守るわ」
そう、江口さんも約束を守ってくれるはず。…いつになるの?
江口さん、いつになったら取りに来てくれるの?いつになったら江口さんと会えるの?
もう江口さんの声も思い出せなくなってきたわ。顔も写真の表情しか思い出せない。
相川君と騒いでる江口さん。マヤの胸をジッと見つめてる江口さん。
山薙君を苛めてる江口さん。それがシーリスにばれて蹴られた江口さん。
佐伯君にエッチな事を言ってからかう江口さん。…わたしに色々な事を話してくれた江口さん。
もうどんな表情でわたし達と一緒にいてくれたか思い出せないの。
もうどんな声でわたしに話しかけてくれたか思い出せないの。
…嫌。絶対に嫌。江口さんを忘れてしまうなんてイヤ!

隣で寝ているクマのえぐちさんをギュッと抱きしめる。
…今日もまた江口さんからの連絡は無かったわ。


もう3月も中旬か…早いものね。あの江口が大阪に帰ってから一年と5ヶ月も経ったのね。
桃子はまだあんなバカの連絡を待っている。…待ち続けてんのよ!
桃子に連絡が来なくなってから一度、あのバカ男が何をしているか調べさせた事があるの。
アイツの一日の行動は、朝5時から7時までのランニングと筋トレ。…以上よ。
あの男、一日のうち一度、朝のトレーニングでしか外に出てないのよ!
2ヶ月間張り付かせて調べさせたから間違いないわ。
たまに外に出たと思えば、銀行や本屋に行くだけ。あとは家に閉じこもっていた。
いい年して引きこもりよ!引きこもり!ふざけてんじゃないわよ!
アタシ、アイツを無理やりさらって来ようかとも考えていたけど、止めたわ。
だって引きこもりの30代を桃子の彼氏になんて出来っこないからね。
だから桃子が諦めてくれるのをずっと待ってるんだけど…あの子、一途なのよね。
ずっと…ずっと待ってるのよ、江口の事を。
あれから何人もの男共が桃子に声をかけて来たわ。けど、全く相手にしていないの。
あの子にとっては江口が全てみたいなの。…あんな引きこもりヤロウがね!
一体どうすればいいの?今の江口を連れてきても桃子が可哀想だわ。
…そうか、この手があったわね。
そうよ、なにもアイツを無理に連れてこなくても、アイツさえいなくなれば……ダメね。
アイツが失踪しようがそんなのはどうでもいい話だけど、
桃子が今よりももっと落ち込む可能性があるわ。
もしかしたら後追いをして……危険ね、これは最後の手にしなくちゃね。
「シーリス、どうしたの?…物凄く悪い顔をしているよ?またヘンなこと企んでるだろ?」
…へ?ああっといけないいけない!
せっかく俊とのひと時なのに、大バカ江口の事を考えるなんて…もったいないわ!
「ちょっとね、桃子のことを考えててね。…ねぇ俊、どうしたらいいと思う?
あの子、このままじゃ体を壊してしまうわ。
これも全部あのバカ江口のせい…殺してやりたいわ」
「シ、シーリス?そんなこと言っちゃダメだよ。
きっと江口さんにも考えがあるんだよ、待ってようよ。
それよりシーリス、健一がみんなで集まって飲み会をしようって言ってるんだけど…どうかな?」
あぁん?相川が?飲み会を?
「う〜ん…アタシは俊が行くなら行くけど、急に飲み会なんて…何かあったの?」
「健一は健一で神楽に気を使ってるんだよ。
みんなで騒いで神楽の気を紛らわそうって考えてるみたいだよ?」
ふ〜ん、たまにはそれもいいかもね。最近桃子と騒いだ記憶ないからね。
「たまにはいいかもね。けど桃子が来るかどうか…うん!アタシが無理にでも連れてくわ!
桃子もたまには騒がなきゃ体に悪いしね!
相川もたまにはいい事考えるじゃないの、褒めてあげようかな?」
アタシの言葉に嬉しそうな顔で微笑む俊。あぁ…なんて素敵な笑顔なの!
「明日の夜7時に店を予約してるんだって。みんなで騒ぐのって久しぶりだから、楽しもうよ!」
飲み会は明日の夜か…時間はたっぷりとあるわね。
んっふっふっふ…時間はたっぷりとあるんだからたっぷりと出してもらわないと…じゅるるる!
「シ、シーリス?すっごくヘンな顔してるよ?ちょっと怖いよ?」
んっへっへっへ…さぁ、身も心もとろけるまで甘えさせてもらうわよ?
「な、なんで手をわきわきさせてるの?か、かなり怖いよ?」
今日こそは…溢れんばかりに満たしてもらうわよ!
ぜっったいに顔になんて出させないんだからね!
「う…シ、シーリス?怖いって!」
なっかだし!なっかだし!さあ、アタシの中で全てを吐き出し、愛の結晶を作るのよ!
「…しゅん〜!だいすき〜!」
「う、うわ!ちょ、シーリスまだお昼…んぷ!」
嫌がる俊を押し倒して唇を奪う。あぁ…なんか無理やり犯してるような気がして興奮するわ!
…ってここまではアタシのペースだったのよね。はぁ…俊ってば上手くなりすぎ。
気がついたら朝になっていた。もちろんお腹から顔にかけて大量に俊のがかかっている。
くっそ〜、次こそはリベンジよ!隣で幸せそうに寝ている俊の首にキスマークをつける。
ま、今日はこれで勘弁してあげるわ。
さてと、俊が目覚める前にシャワーを浴びてご飯作らなきゃね。
それに夜までに桃子を説得して連れ出さなきゃいけないしね!

相川の提案に乗る事にしたアタシ。ま、俊が行くのならアタシはどこへでも行くわ!
それに…桃子を元気付けるためにはちょうどいいしね!
久しぶりにみんなで騒いで、桃子を少しでも元気付けないとね!


(ふぅ…こっちに来るのも試験以来か。早くあいつ等を驚かせてやりたいぜ)
試験も終わり、やっと気が抜ける。自分で言うのもなんだが相当頑張ったもんな。
「あ、江口さんこっちっすよ!」
サングラスとマスクで妖しく変装したオレを呼ぶ声が。遅いぞ、どんだけ待たせるんだ?
「こら、遅いぞ健一!オレを餓死させる気か!」
約束の時間に遅れてきた健一に、久しぶりのコブラツイストをかける。
う〜ん、やっぱりコイツに技をかけると落ち着くな。
「おががが!ス、スンマセン!いい店用意してますんで、さっそく行きましょうよ!」
「5時半に集合のはずだよな?今何時だ?
…もう6時じゃねぇか!テメエずいぶんと偉くなったんだな、あぁコラ?」
ヤンキーばりに睨みを利かす。そんなオレを見て笑う健一。
「ははは!江口さん全然変わってないっすね。
前におれに凹みながら相談してきた人と同じとは思えませんよ。
『やべぇよ、職がねえ!このままじゃフリーターに一直線だ。…桃子に顔向けできねぇよ』
って泣き言をよく聞かされたもんなぁ」
「バカヤロウ!アルバイトすら厳しかったんだよ!
ま、お前のおかげで発想の転換が出来てここにいるんだけどな。
で、どこで食うんだ?オレ、昼飯食ってないんだから早く食いたいんだよ」
コイツには言えない…コンビニのバイトが結構きつくて辞めちまったなんて。
配送のバイトもきつかったよな。フリーターの人ってスゲエなって思ったもん。
オレ、情けないよな。
「なに落ち込んでるんすか?こっちっすよ。
みんなに見つかったらいけないんで個室を用意してるんす」
「よくやった!お前、成長したなぁ…前までは救いようのねぇ童貞野郎と思ってたが、
よくぞここまで成長した!」
「なんすかそれ!酷いっすね、そんな風に思ってたんすか?…ここです、ここの二階です」
お、鍋料理か。ってどうせオレが奢るんだろうけどな。
店員に通された部屋は二人で飯を食うにはちと広い、10人前後で使うような部屋だった。
「なんか広すぎんな。ここオレ等だけで使うのか?」
「仕方ないっすよ、ここしか部屋が取れなかったんすから。ま、狭いよりはいいっしょ?」
そりゃそうだが…ま、いいか。美味いもん食えたらそれでいいんだ。
席に着きさっそくグラスにビールを注ぐ。
くぅ〜!うめえ!やっぱり鍋にはキンキンに冷えたビールだな!
「で、江口さん、どこら辺に住むか決めてるんですか?」
鍋をつつきながら話しかけてくる健一。
「んん?前の部屋は金がかかるからな。ま、不動産屋を回って探すとするよ」
「おれの部屋に居候ってのは勘弁してくださいね」
「…お前、結構冷てぇな。オレ達兄弟みたいなもんだろ?」
久しぶりの健一との会話。なんか懐かしく感じるな。そんな時、健一の携帯が鳴った。
「それとこれとは別っすよ。…スンマセン、シーリスから電話が来ちゃいました。
ちょっと席外しますね」
おお、そりゃいかん。オレがこっちに来てるなんてバレたら全部台無しだからな。
「おお、シーリスは結構カンが鋭いからバレんなよ?先に食っとくぞ」
「ははは、大丈夫です、絶対にばれませんよ。おれのも残しといてくださいね」
電話片手に慌しく部屋の外に出て行く健一。
シーリスか…元気なのかな?まだ俊にベッタリなのか?
俊も相変わらずのほほんとしてんのか?
マヤちゃんはどうなんだろうな。正吾とうまくいってるのか?
ま、あの二人はお似合いだからうまくいってるだろ?
…桃子は元気なんだろうか。
オレが連絡しなくなってから元気が無くなったって健一が言っていたな。
すまんな、オレもお前とずっと話をしたかったんだが、
自分を追い込むために連絡を絶ったんだ。
おかげで結果も出たし、やっとお前の元に行けるよ。ビックリさせてやるから待っとけよ?
ふと時計を見てみる。もう7時か、健一のヤロウ長電話だな。もう10分は経ってるぞ?
まさか…シーリスからの電話じゃなくて他の女からだったのか?
オレより先に女が出来たのか?
怒りに震えるオレ。その時部屋の扉が開いた。
「遅かったな、お前まさか女が出来たんじゃないだろうな?オレより先に生意気だぞ!」
健一に視線を向けずに鍋をつつきながら文句を言う。くそ、この鍋全部食ってやる!
「……え…ぐちさん?江口さん…なの?」
…え?…この声は、忘れもしない。
オレがこの一年、必死になって勉強した原因…桃子だ。なんでここに?
マ、マズイ!マズイぞ!計画が台無しになる!何とかしなくては!
「…江口さん?誰ですかな、そのジェントルマンは?
私はヴァラキア育ちのイシュトヴァーンで…おわ!」

メチャクチャな言い訳をしてるオレに抱きついてきた桃子。なんで桃子がここにいるんだ?


「…ってことで、今夜は相川の奢りでパァーっといくわよ!
分かった桃子?もちろんマヤも来るわよね?」
いつもの喫茶店でシーリスが桃子を御飯に誘ってる。
私も正吾から聞いていて賛成なんだけど…
「…わたしは行かない。部屋で本を読んで待ってるわ。
…江口さんから連絡が来るかもしれないから」
…やっぱり。桃子は江口さんからの連絡が来なくなってからあまり外に出なくなった。
元々そんなに外出する方じゃなかったけど、あれ以来私達ともあまり外に出なくなったの。
「…ダメよ。アンタも来るの!せっかく相川がアンタを元気付けようと企画したんだから、
絶対に来るの!」
「…行かなきゃダメ?」
小さく首をかしげながら言う桃子。く、相変わらず可愛いわね。けど…どこか寂しげな表情。
そう、表情が少し暗くなったの。これも全部江口さんのせい。
なんでこんな桃子をほっとけるの?
「絶対に行かなきゃダメ!アンタが主役なんだから今日は相川を破産させるぐらい思いっきり
食べなさい!それにね、最近アタシ達、全然一緒に遊んでないじゃないの。…少し寂しいのよ。
だから、ね。桃子も今日は思いっきり羽目を外して楽しもうよ!ね、マヤもそう思うわよね?」
シーリスの言葉に頷く私。そうよ、たまには羽目を外して楽しまなきゃね!
「そうよ、シーリスの言う通りよ!けどシーリス、あなたっていつも羽目を外してない?」
「ぬぅわんですってぇ〜!いくらマヤでもそれは言いすぎよ!
いつもじゃないわ!2,3日に一度ぐらいよ!」
「それをいつもって言うのよ。ふふふ、桃子もそう思うわよね?」
「…そうね。シーリスは昔から羽目を外しすぎ。いつも最後は必ずマヤにお説教されてるわ」
クスリと微笑みながら話す桃子。桃子が笑うのって久しぶりに見たわ。
それを見たシーリスも嬉しそうな顔をしている。
「ぐ…アンタ等組んでアタシを苛めて楽しいの?今夜覚えときなさいよ〜。
めっちゃくちゃ飲ませるからね!」
嬉しそうに文句を言うシーリス。あなたってホント友達思いなのね。
「…シーリスはお酒をざるのように飲む。けど山薙君の前ではコップ1杯で酔ったフリをしてる
…何故?」
シーリスに答えにくい質問をして困らせている。
桃子の質問って悪気がないから余計に答えにくいのよね。
シーリスはどう言えばいいのか悩んでるわ。ふふふ、やっぱり桃子はこうでないとね!
「はいはい桃子、もういいでしょ?ほら、シーリスが困ってるじゃないの。
それより待ち合わせ時間の6時半まで時間があるんだから、
久しぶりに3人で買い物でも行かない?たまには桃子も綺麗な服を買わないとね。
でも桃子ってばどんな服でも似合うからいいわよね。
私なんて胸のせいで着れる服が限定されて困ってる…シーリス?なんでそんな顔してるの?」
私を物凄い形相で睨んできたシーリス。ええ?私なにかヘンなことした?
「…自分は胸が大きくて着れる服がないと威張ってるのね?
アタシ達は胸が小さくて着れる服が多くてよかったわねとバカにしてんのね!
桃子!アタシ達バカにされてるわよ!」
えええ?わ、私そんなつもりで言ったんじゃないわよ!シーリス、誤解よ!
「…マヤの胸はEカップ。シーリスがいくらバストアップ体操をしてもかなわないわ」
「桃子、ヘンなこと言ってんじゃないわよ!
マヤ、アタシ達をバカにした報い、受けてもらうわよ?
そうねぇ…ここの支払いよろしくね?」
そう言って喫茶店から出て行くシーリス。顔はしてやったりとニヤついているわ。
「…そう、わたしもとても傷ついたの。…ごちそうさま」
そう言って伝票を押し付けてきた桃子。あなたって確かケーキを3つ食べたわよね?
コーヒーしか頼んでいない私に押し付けるなんて…あなた達それでも親友なの?
身勝手な親友二人にため息を吐きながらも会計を済ませる。
もう!なんであなた達はこういう連携が完璧なのよ!

結局相川君達との待ち合わせの6時半まで買い物を楽しんだ私達。
結構な量を買っちゃったな。
少し遅れて待ち合わせ場所に行くと、すでに正吾と山薙君が。
あれ?幹事の相川君はまだ来ていないのね。
相川君がいないことを知ったシーリスが、すぐに電話をかけて相川君を呼び出す。
待ち合わせ時間から遅れること20分、相川君が走ってきたわ。
「アタシ達を誘っておいて遅刻とはいい度胸してんじゃないの。
…罰として今日はアンタの奢りね。文句ある!」
「はぁはぁはぁ、それは大丈夫だ、金なら当てがあるから任せてくれ!」
走ってきたため、息を切らしながら胸を叩く相川君。やた!今日は相川君の奢りね!
「おお〜!健一、いったいどうしたんだ?財布でも拾ったのか?」
ちょっと正吾!拾ったものは交番に届けないとダメよ!
「ははは、バイト代でも入ったの?あ、それかパチンコで大勝ちでもしたんだ?」
山薙君、ギャンブルはあまりよくないわ。止めた方がいいわよ。
「ま、おいおい説明するよ。それより早く行こうぜ!
今日は神楽のために趣向を凝らしたからな。
絶対に満足させてやるよ!神楽、楽しみにしとけよ?」
自信満々で腕を組みながら頷いている相川君。趣向を凝らしてるって…なんなのかな?
正吾を見てみると首を振っている。正吾達も知らないんだ。
シーリスも首をかしげているし…ま、いっか。あとで分かる事だしね。
「さ、みんな行こうか。すぐそこの鍋料理屋に部屋を取ってるんだ」
そう言って私達を先導し歩きだす相川君。
大きなリュックを背負っているのね、何が入っているんだろ?
きっとリュックの中身が桃子を楽しませる物なのね。
集合場所から少し歩いたところにその店はあった。
ふ〜ん、ここの2階に部屋を取っているのね。
「神楽、扉を開けてみろよ。お前が驚くもんがあるから。絶対に驚くぜ?」
小さく首をかしげて扉に手をかける桃子。
(ねぇマヤ。相川なにを企んでんの?くっだらないことだったら殲滅するわ!)
(う〜ん…相川君のことだからあまり期待できないわね。
けどいいじゃない、桃子に元気になってもらおうって動いてくれたんだし。
それにつまらない事でも、どうせいつもの事だしね)
(…マヤって相変わらず厳しいのね)
小声で話す私達。あれ?この部屋って誰かいるの?靴が置いてあるわ。
結構大きな男性用の靴。いったい誰がいるんだろ?
不思議に思い相川君に聞こうとしたその時、桃子が部屋の扉を開けた。

「遅かったな、お前まさか女が出来たんじゃないだろうな?オレより先に生意気だぞ!」

部屋の中からはどこかで聞いたような男性の声が。
何故なの?その声は何故かとても懐かしく感じた。
部屋の中から聞こえてきたその声に、桃子が反応する。
「……え…ぐちさん?江口さん…なの?」
…え?ええ!ウソ?江口さんがここにいるの?
思わず相川君を見る。親指を立てて嬉しそうに頷いている。
やっぱりそうなんだ!江口さんが会いに来てくれたんだ!
ついに桃子が江口さんと…やったわ!
事態を把握したシーリスと抱き合う私。正吾と山薙君も抱き合っている。

「…江口さん?誰ですかな、そのジェントルマンは?
私はヴァラキア育ちのイシュトヴァーンで…おわ!」

部屋の中からは江口さんらしいヘンな言い訳が聞こえてきた。やっぱり本物なんだ!
桃子が部屋に飛び込み、江口さんに抱きついたみたい。
よかった…ホントによかったわ!ありがとう相川君!あなたのお陰で…何、その格好は?
リュックから黄色いヘルメットを取り出して、『ドッキリ大成功』と書かれた大きな画用紙を広げ
てる。
気持ちは分かるわ。驚かすのすっごく上手くいったんでしょうね。でもね…二人の邪魔よ!
シーリスに視線で合図を送る。…ゴメンね、しばらく寝ててね。
無残にも階段から叩き落された相川君。
ヘルメット被ってて良かったわね、生きていたらあとで謝るわね。


「おい桃子、もう離れろよ!いい加減にしないと顔をグリグリだぞ」
くっそ〜、見事にやられたぜ。健一のヤロウ、オレをはめやがったな!
「…嫌よ。江口さんと離れるのはもうイヤ。絶対に離さないわ」
オレに抱きつき泣きじゃくっていた桃子は、今は落ち着いてオレの腕に抱きついている。
腕をしっかりと抱いたまま、鍋をつついてる。桃子って結構器用なんだな。
「アンタねぇ、なんで今さらここに来たのよ!
どれだけ桃子がアンタを待っていたのか知ってるの?
今まで桃子をほったらかしにしといて…くだらない理由だったらアンタ死ぬわよ」
刺すような視線でオレを睨むシーリス。なんか懐かしいな、相変わらずなんだな。
「そんな睨むなって。おい、健一。こいつ等に説明してあげなさい」
オレは何故かボロボロになり、半泣き状態の健一に指示を出す。
…何があったんだ?そのヘルメットはなんだ?
「え?おれが言うんすか?…分かりました、説明しますね」
グラスを持ち立ち上がる健一。
「では、コホン。……控えおろう!ここにおわす御方をどなたと心得る!
新しい職が決まらずに『やっぱ高卒って厳しいなぁ』って、
泣き言を言ってきてかなり鬱陶しかったから、
『大変っすね。高卒だからダメなんじゃないんすか?いっそのこと大学受験でもしてみたらどう
すか?』と、おれが適当に言った冗談を真に受けて受験をし、
見事この春におれ達と同じ大学に合格!賢いのかバカなのかよく分からない、
いい年をして大学生という江口翔馬様であらせられ…おごはぁ!」
かなり失礼な事を言った健一の腹を殴る。このヤロウ…冗談で言いやがったのか!
健一の説明にみんなポカンと口を開け驚いている。
桃子は目をぱちくりとさせながらオレの腕をギュッと持ち、離そうとしない。
ぐぅ…か、かわいいじゃねぇか。抱き締めてぇ〜!
「…はぁ?江口が大学生?アンタ、それ本気で言ってんの?」
驚きから立ち直ったシーリスが口を開く。おいおい、呼び捨てかよ!
「おいシーリス、呼び捨てはやめろ。一応年上なんだからさ。ま、健一の言う通りだ。
オレ、今年からお前等の後輩になる。よろしく頼むな」
「後輩になるって…本当なんですか?かなり無理のある話だと思うんですけど?」
マヤちゃんがつっこんできた。ま、自分でも普通ありえないだろ?って思うもんな。
「ま、普通は江口さんの年で受験なんて考えっこないと思うよ。
けど江口さんには就職先が見つからない他にも、
大学に行かなきゃいけない別の理由があった…がはあ!」
こ、このヤロウ!それは秘密だと言ったじゃねえか!恥ずかしいだろうが!
オレに殴られた腹を押さえて悶え苦しんでいる健一にトドメの蹴りを入れる。
動かなくなったのを確認し、部屋の隅に捨てておく。
「本当は入学してからお前等を驚かしてやろうと考えてたんだが、健一にはめられちまったな。
ま、お前等、これからよろしく頼むよ、仲良くしてくれよな」
「…別の理由って何よ?アンタ、なんか企んでんの?
アタシは桃子をほったらかしにしたこと、許してないんだからね!
何で連絡しなかったのよ!桃子ね、毎日泣いてたのよ?
アンタからの連絡がないって、毎日毎日…携帯を見つめながら泣いてたのよ!」
ぐ、ぐぅ…耳が痛いな。確かに桃子に連絡しなかったオレは悪い。けどな…
「…黙れシーリス。オレがどんな気持ちで連絡をせず、勉強に打ち込んだか分かるのか?
オレなぁ、受験で失敗したら諦めるつもりで必死になって勉強したんだぞ?
何度電話して声を聞こうと考えたか!何度会いに行こうと考えたか!
オレの苦しみがお前に分かるか?分かるのかよ!」

シーリスの言葉に思わず腹の中に溜め込んでいた想いを吐き出してしまった。
…これってまずくないか?


「…江口さん、それってどういう意味ですか?江口さんの苦しみって何なんですか?
誰の声を聞こうとして、誰に会いに行こうとしたんですか?…答えてください。
江口さん!桃子に教えてあげてください!」
マヤちゃんの必死の問い詰めに天を仰ぐ。
アイタタタ…こりゃ万事休すだな。つい口が滑っちまった。
けど仕方ないよな?惚れた女がすぐ隣にいるんだからな。
「はぁ…分かったよ、話すよ。
まずオレが受験をした理由は、就職のために学歴が欲しかったってのもあるが、
一番の理由は大学生に…お前等と同じ学生になることだったんだ」
オレの言葉にみんなは口を閉ざして聞き入っている。
いつのまにか復活した健一はニヤついてやがる。コイツ…いつか絶対殺したる!
「覚えてるか?お前等と最後に寿司食った時、オレが桃子になんて言ったのか。
『オレがお前と同じ学生だったら絶対にほっとかないのにな』って言ったんだよ。
実はな、あの時大阪に帰らなくてこっちで職を探してもよかったんだ。
けどな、あれ以上一緒にいたら我慢できそうになかったんだ。
無職で30過ぎのおっさんより、同年代の学生のほうが似合ってると思って大阪に帰った
…逃げたんだ」
桃子はオレの言葉に腕をさらにギュッと強く抱き締めてきた。
「けどな…ダメだった。電話で話すたびに会いたくなる。
抱き締めたくなったんだ。まったく…お前は魔性の女だな」
桃子の頭をくしゃくしゃと撫でる。
ははは、桃子の髪は相変わらずサラサラしてて気持ちいいな。
「けどな、オレはお前を諦めることにしたんだ。だってそうだろ?
かたや美人女子大生、かたや30過ぎの高卒で無職の男。どう考えたって釣り合わない。
だから徐々に連絡するのを減らしていったんだ。…お前を忘れるためにな」
忘れるためという言葉にオレの腕を抱き締めたまま、ふるふると首を振る桃子。
ははは、諦めてたらここにいないっての、安心しろ。
「けどな、そんな簡単には忘れられなかった。
辛かったよ…お前を忘れようと考えるだけで辛かった。
毎日毎日苦しんでいた。ホントにこれでいいのか?
諦められるのかってな。…そんな時に健一に言われたんだ。
『高卒でなかなか再就職先が見つからないんだったら大学に行ったらどうっすか?
それに同じ学生だったら神楽をほっとかないんでしょ?あいつ、江口さんを待ってますよ。
多分…これからもずっと待ち続けると思いますよ』ってな。
それを聞いてオレは決めたんだ。
今年受験をして、大学に落ちたらお前に二度と連絡をせずに忘れよう、と。
そして、もし合格できたら…桃子、お前を口説くってな」
オレの顔を見つめ、ぽろぽろと涙をこぼす桃子。
オレはその涙を親指で拭き取り、微笑みかける。

「桃子…だいぶ遠回りしたけど、やっとお前の前に立つことが出来た。
…オレの女になれ。好きだ、愛してるぞ」





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