月曜日の朝。いつもの通学路が、何故か色あせて見える。
普段ならガヤガヤとにぎやかな、通学途中の生徒達の話し声も、どこか遠くから聞こえるよう
に感じる。
いつものように下駄箱を開け、上履きに履き替える。
いつものようにしているのに、どこか夢の中をさ迷っているかのような、ふわふわとした感じが
する。
そう、まるで夢の中にいるように思えてくる。……夢、だったのだろうか?
実はまだ金曜日の夜で、明日のデートに備え早めに寝てしまった私が見ている夢なのだろう
か?
そうか、これは夢なんだ。きっと土曜日にあった出来事も夢なんだ。
そうだ、そうに決まっている。でなければ、あんな酷いことが起こる筈はない!
そう、結城が車に……

「し、島津っち……おはよう」

 フラフラとふらつく足取りで教室に入ると、友人達が恐々といった様子で話しかけてくる。
あぁ……夢の中にも皆は出てくるのだな。結城はまだ出てこないのかな?
夢とはいえ、大事な彼女を心配させたんだ。早く会いに来てくれてもいいと思うのだが?

「あの、なんて言ったらいいか分かんないけど……大丈夫だよ!きっと元気になるって!」
「そうそう!結城はバカだけど、島津っちを悲しませるような大バカじゃないって!」
「そうそうそう!あいつはああ見えて、なかなか男らしいところがあるから、きっと大丈夫だ
よ!」

 やはり元気がないように見えるのだろうか?……見えてしまうのも当たり前か。
あれからまる2日間、私は一睡もしていないのだから。
2日間寝ていない?そうか、2日間も続いている夢を見ているのか。
どうやら私は長い夢を見ているようだ。……夢ならどんなによかったことか。
夢でないことは分かっている。今も残っている、結城に触れた手の感触。
結城の変わり果てた顔。色々な管が通っている身体。
痙攣の為か、時折開く瞼。その瞼から覗いた光のない瞳。
……あの全て夢だったら、どれほど嬉しいことか。
けど今も聞こえるように耳にこびり付いている。おばさんの鳴き声が。
加害者の、涙声での謝罪の言葉が。
その人に対するおじさんの怒りの罵声。そして……私の泣きじゃくる声。
その全てが私の頭の中に記憶として残っている。
……何故私はこんな覚えたくもないことまで覚えてしまうのだろうか?
私はこれからの一生を、この記憶を抱えたまま生きていかなければいけないのだろうか?

「……おはよう」
「……元気になるかな?」
「……あまりバカなどと言わないでほしい」
「……男らしい?そう、結城はとても男らしいんだ」

 そう、結城は男らしい。家の手伝いで鍛えられたたくましい腕。
いつも私を抱いてくれた後にしてくれる腕枕が、ここ最近の一番の楽しみなんだ。
でも……その腕も今は力なく、ベッドの上で横たわっている。

「し、島津っち……こんなこと聞いていいのか分からないけど、結城は大丈夫なの?」
「……お医者様の言うには、今の結城は息をして心臓が動いているだけの状態らしい。
常人なら即死だったと。鍛えていたから、車に跳ねられた後も心臓が動いているんだ、と」

 幸せな時間を過ごすはずだった、結城とのデートの約束。
遅刻ばかりしている結城にあげた、誕生日プレゼントの腕時計。
遅刻をしないようにと、タイマーを待ち合わせ時間の朝9時にセットしてあげたんだ。
まさかその約束の時間を守ろうとして……こんなことになるなんて。

「し、島津っち……だ、大丈夫だよ!こんな綺麗な彼女を残して死ぬなんてことないよ!」
「バ、バカ!死ぬとか言っちゃダメだって!」
「……死ぬ、のだろうか?やはり結城は死んでしまうのだろうか?
私を一人にして……ひっく、死んでしまうのだろうか?」

 考えないようにしていた最悪な現実。どう考えても変えようのない、耐えられない現実。
デートの待ち合わせ時間に間に合おうと、急いで駅へと向かっていた結城。
駅前の歩道橋を渡ろうとしたとき、信号無視の車が突っ込んできた。
……お医者様が言うには、本人は車に跳ねられたことも気づいていないだろう、ということだっ
た。
あれからまる2日。結城は息をして、心臓も動いている。しかし、ただそれだけだ。
私が好きだった、あのたくましい腕に力が入ることもなく、横たわったままだ。
何度も見詰め合ったあの顔も、寝ているのは結城だと、教えられなければ分からないくらい
に、腫れ上がっている。
そう、結城は交通事故に遭い、生死の境をさまよっている。
……お医者様曰く、覚悟をしておいてください、と。
結城が死ぬ……死んでいなくなってしまう!
そう考えただけで、私の目からは涙があふれ出し、止まらなくなってしまう。

「ゴ、ゴメンね?でも事故から2日経ってるんだよね?それでも頑張ってるんだよね?だったら
結城を信じようよ!
きっと結城は頑張って生きてくれるって!」
「そうそう!結城は打たれ強いんだから、すぐに元気になるって!」
「そうだよ!結城が元気になったとき、島津っちが泣いてたら悲しむよ?だからさ島津っち、泣
かないでよ」

 友人達の優しい言葉にますます涙が溢れてくる。
声を上げ、泣きじゃくる私をギュッと抱きしめて慰めてくれる友人達。
皆の温かさが私を励まし、もう結城は死ぬしかないんじゃないのかと、絶望に打ちひしがれて
いた私を勇気付ける。

「ひっぐ、ぐす……皆、ありがとう。……そうだな。結城は私の泣き顔は嫌いだった。
私が泣いていれば、結城は安心して治療に専念できない。そうだ、私は泣いていてはいけない
んだ」

 そうだ、結城は私の泣き顔は嫌いだと言っていた。
私が泣いて、結城を心配させてはいけない。うん、結城も頑張っているんだ、私も泣かないよう
に頑張らないといけない。

「……皆、ありがとう。私は決して泣かない。
以前結城は、私の泣き顔を見るのが嫌だと言っていた。
そうだ、私が泣いてしまったら、結城は安心して治療に専念できないではないか」
「そうだよ!島津っち、結城を心配させちゃダメだよ!」
「そうそう、それにね、アタシ達も島津っちの悲しい泣き顔なんて見たくないしね」
「うん、友達が悲しむところなんて見たくないよ」

 皆は私をギュッと抱きしめてくれて、励ましてくれる。
皆が落ち込んでいる私を励まそうとしてくれている。
こんな私なんかを友達と言ってくれて、一生懸命に励ましてくれる。皆……ありがとう。
つい今しがた泣かないと誓ったはずなのに、もう泣きそうになってしまった。
けど、ここで泣いてはいけない。次に泣く時は、結城の退院の時だ。
思いっきり泣いて、結城を困らせてやろう。ふふふふ、結城は困った顔をしてくれるかな?



 結城が事故が遭ってから、毎日のお見舞いが私の日課となった。
事故から一週間。おじさんやおばさんにも疲れの色が見えてきた。
ただベッドで横になり、息をしているだけの結城。このような状態で、本当に治るのだろうか?
集中治療室で力なく横たわっている結城。
私は結城の側に付き添い、いつものように心の中で話しかける。


 まだ起きないのかい?君はほんとに寝ぼすけさんだな。
いい加減に早起きにならないと、ダメだぞ?早く起きて、また私を抱きしめて欲しい。
こんなに心配をさせているんだ、抱きしめてもらってもいいだろう?
私が君を起こせるようになればいいのだが……将来的には起こしてあげたいな。
その時はたたき起こしてあげよう。……優しく起こして欲しいだと?
ふふふふ、残念ながら我が島津家では、寝ぼすけはたたき起こされると決まっている。
……結城家はどうなのだろうか?
結城家では優しく起こすと決まっているのであれば、私もそうしなければいけないかな?
……君はまた、私をギュッと抱きしめてくれるのだろうか?……抱きしめてくれなくてもいい。
ただ、生きてさえくれたら、それでいい。だから……早く意識を取り戻して欲しい。
でないと、おじさんやおばさんが疲れきって倒れてしまう。
結城、早く目を覚ましてほしい。君がいないと、結城米穀店が立ち行かなくなってしまう。
体に障害が残ってしまったとしても、私がお店を手伝おう。
いや、私が君と一緒に跡取りとして働いてもいい。
だから……早く目を覚ますんだ。私の友達も、学校の皆も結城が目覚めることを待っている。
……ふふふふ、君はいつも待たしてばかりだな。けど、君は遅刻はしても必ず来てくれた。
今回も……大丈夫だよね?皆を待たしてるんだ、またカレーをご馳走しなければ文句を言わ
れてしまうぞ?
ふふふ、けど安心してほしい。今回は君1人にお勘定を払わせるつもりはない。
私は君の彼女だ。今回だけは、君と一緒に払ってあげよう。
……君は文句を言うのだろうか?『事故に遭ってまでお金を払わされるってなんなんだよ!』
と。
けど、払うのが君と私の義務だと思う。今皆は、君の為に千羽鶴を折ってくれている。
君が早く退院するようにと鶴を折ってくれているんだ。
ふふふふ、皆の気持ちに答えるためにも、早く退院してカレーをご馳走しなければいけないな。
私も君が退院するまではカレーを食べないつもりだ。君と一緒に食べたいからな。
私のここまでさせているんだ、退院したら、感謝の言葉を囁いて欲しいな。
ギュッと抱きしめて、愛してると囁いて欲しい。……お礼に私も囁いてあげるから。
だから、一日でも早く、怪我を治して退院してほしい。
結城……また明日、君に会いに来るよ。明日こそは直接話し合えると願っているよ。


 短い時間だったが、結城との会話を終えて、集中治療室を出る。
ダメだ、結城の姿を見たら、涙がこぼれそうになってしまう。
私が泣いてしまったら、結城が安心して治療に専念できないではないか!
我慢だ!我慢するんだ、私!
唇をかみ締め、涙を堪える私。そんな私におじさんが話しかけてきた。



「島津さん、ちょっと時間いいかな?」
「おじさん、少しなら大丈夫ですが、いったいなんの用でしょうか?」

 おじさんから話しかけてくるとは珍しい。
結城の事故以来、おじさんとおばさんが話しかけてくることは減った。
多分、悲しみに打ちひしがれていた私に気を使ってくれていたのだろう。
一番辛いのはおじさん達なのに……そんな事も分からなかったバカな私に腹が立つ。
そうだ、一番悲しいのはおじさん達なんだ。実の息子が事故に遭ったんだ、私なんかよりもず
っと悲しいはずだ。
そうだ!励まさなければいけない!私は友人達に励ましてもらい、どうにか元気になった。
今度は私が励まさなければ!
おじさん達に元気がないと、結城も安心して治療に専念できないだろう。
うん、色々な話をして励まそう。
誰かを励ます経験はほとんどないのだが、私がしなければいけないんだ。

「用事とかじゃないんだけどね、その……修太のことを教えて欲しいんだ」
「結城のこと、ですか?」
「そう、修太が学校でどういうことをしてたのか、いつもはどんなことを話してたのかとか。
おじさん達、あまり学校での修太の事を知らないんだ。……おじさん達に教えてくれかな?」

 悲しそうな顔をしたおじさん。心労からか、憔悴した顔のおばさん。
私が話すことで、少しでも元気になってもらえるのならば、いくらでも話そう。
今ではおじさん達は、私の大事な人達だ。
結城と出会ってから、私には大事な人たちがたくさん出来た。
いつも話しかけてくれ、私が困ったり落ち込んでいたりすると、いつも助けてくれる優しいクラス
メートの皆。
慣れないバイトで戸惑っていた私をフォローしてくれて、いろいろなことを教えてくれた優しいお
ばさん。
いつも豪快に笑い、私を本当の娘のように優しくしてくれるおじさん。
それに、家族以外で生まれて初めて出来た……いや、家族以上に大事な人。
ふふふふ、そう、君のことだよ、結城。
君の事を話すことで、おじさん達が少しでも元気になれば、君も喜んでくれるかな?
……学校での君の事を話すと、あとで君は拳骨をもらうかも知れないな。
けど私に文句は言わないで欲しい。いつもバカなことをしている君が悪いんだ。

 それから少しの時間、私は思いつくままに結城の事を2人に話した。
初めての出会いが『長宗我部元親』から始まった事。
何度も失礼なことを言われ、その度に蹴飛ばしてしまったこと。
教室の真ん中で気絶した結城を膝枕した話には、おじさん達も声を出して笑ってくれた。
学校の帰り道、私から腕を組み、キスをした話をしたときは、真っ赤な顔で驚いてくれた。

『島津さんはやっぱり変わり者なんだね。修太にお似合いだったよ』と。

 どこが変わり者なのか分からないが、2人にお似合いといわれて嬉しかった。
2人が楽しそうに笑ってくれたことで、私も胸が軽くなった気がした。
結城の話しを終え、帰ろうとした私におじさんが話しかけてきた。

『おじさん達は、もう十分だ。あとは島津さんだけだ』と。

 私はこの言葉の意味が分からずに、ただ、『ハイ』と頷いただけだった。
病院を出てから考えてみた。先ほど言われた言葉の意味を。
いったいおじさんは何を言いたかったのだろう?もう十分とはいったい何のことなのか?
……分からないな。おじさんがいったい何を言おうとしたのか、よく分からない。
家に帰ってからママに相談をしてみよう。ママなら何か分かるかもしれない。
そう考えて家路を急いだ。今日は少し帰るのが遅くなってしまった。
拓や直樹がお腹をすかして待っているだろう。
早く帰って美味しいご飯を作ってあげねばいけない。
そうだ!今日は2人が大好きな餃子にしてあげよう。
パパも発泡酒と一緒に食べるのが大好きだし、ママも大好きだ。
皆、餃子をおかずにすれば、喜んでくれるだろうか?喜んでくれたら、嬉しいな。



「ママ、ちょっと聞きたいことがあるのだが、少し時間をもらってもいいだろうか?」

 美味しい夕食を終え、食器を洗い、手の空いたところでママに話しかける。
病院でおじさんが言った言葉に対してママの意見を聞くために。

『おじさん達は、もう十分だ。あとは島津さんだけだ』

 この言葉の意味はいったい何なんだろう?
何が十分なのだろう?あとは私だけとはいったいどういうことなのだろう?
おじさんが神妙な表情で言ったこの言葉。意味を考えれば考えるほど、何か嫌な予感がした。
……何故嫌な予感がするのだろう?

「ん?話って何?……結城くんのこと?」
「うん、結城についてなんだが、今日、おじさんに変なことを言われたんだ」

 私の家族は、もちろん結城の事故のことを知っている。
パパは、落ち込み、泣きじゃくっていた私を優しく抱きしめてくれ、慰めてくれた。
拓と直樹は、私の大好物のタイヤキや、たこ焼き。屋台の焼きそばを買ってきてくれた。
落ち込んでいる私を、食べ物で慰めようなんてちょっと違うのではないか?
……おなかいっぱいになった後は、何故か落ち着いたとこは秘密にしておこう。
そして、ママは……一緒に寝てくれて、一晩中私の話を聞いてくれた。
優しく頭を撫でてくれ、きっと大丈夫。結城は必ず大丈夫と励ましてくれた。
家族みんなが私を励ましてくれたおかげで、私はどうにか踏ん張ることが出来た。
家族に励まされ、友人達に励まされ……私は立ち直ることが出来たんだ。
……本当に私は恵まれている。
私の些細な相談にも乗ってくれ、落ち込んだ時はいつも励ましてくれる、とても優しい友人達。
私のことをとても大事に思ってくれているパパ。
……お小遣いを減らされても、文句一つ言ってこないとても優しいパパ。
いつも騒がしく、手がかかる二人だが、どんなに叱っても私を慕ってくれる自慢の弟達。
怒ると怖いけど、いつも私たち家族のことを考えてくれていて、色々な相談にも乗ってくれる、と
ても優しいママ。
それに……少しバカだけど、私のことをとても大切に思ってくれていて、とても大事にしてくれ
る。
バカな私を愛してると言ってくれた、私のとても大事な人。
初めて『愛』という感情を教えてくれた、私の大事な恋人……結城。
本当に……私は本当に恵まれている。
こんなにも優しい人たちに囲まれ、素敵な人に愛してもらえ、
大好きな人を愛することが出来る人間なんて、この世にそうはいないのではないか?
私は幸せだと断言できる。結城が退院してくれれば、もっと幸せになれる。
だから、結城……早く退院して、私を幸せにしてほしい。



「……彩?なにニヤけた顔をしてるの?どうせ結城君のこと、考えてたんでしょ?」
「……え?い、いや、結城のことは考えてはいたが、その……マ、ママ!からかわないでほし
い」
「あはははは!ゴメンゴメン、あまりにも彩が可愛かったからね。その様子だと、結城君、回復
してきたの?」

 ママの何気ない言葉に表情を曇らせてしまう。
私は、何をのん気にはしゃいでいたのだ?結城は……私の大切な結城は、まだ意識はなく、
苦しんでいるというのに。
私は……バカだ。大バカだ!大好きな人が苦しんでるというのに、何をはしゃいでいるんだ!

「あ、彩?ゴメンネ?ママ、考えなしに言っちゃって……」
「マ、ママは、わるぐない。わだじが、はじゃいだわだじがわるいんだ」
「あ、彩?唇かみ締めてどうしたの?」
「わだじが泣くと、結城があんじんじて治療でぎない。だからわだじはながない」

 唇をかみ締め、涙を堪える。私はいつからこんなに泣き虫になったのだろうか?

「そう……本当にゴメンね?貴女の気持ち、よく考えずにいたママを許してね」

 唇をかみ締め、涙を堪えている私を、優しくギュッと抱きしめてくれるママ。
ママ、抱きしめてくれるのは嬉しいのだが、そんなに優しくされるとますます涙が……

「彩、貴女、凄い顔してるわよ?そんな顔じゃ結城君にも笑われちゃうわね。
シャワーでも浴びて、スッキリしてきなさい。話はそれからね。
頭からシャワーを浴びれば顔中濡れちゃって、泣いているかどうかなんて分かんないわよ」
「頭がら浴びるど分がらない?」
「そう、分かんないわ。だから、ね?シャワーを浴びて、スッキリしてきなさい」
「で、でも……」
「溜めておくのは体によくないわ。シャワーが全てを流してくれるわよ。さ、すっきりして来なさ
い」

 優しくほほ笑みながら、そっと背中を押してくれるママ。
ママはいつもそうだ。私が困っている時は、優しくほほ笑みながら、励ましてくれる。
ママの言葉に甘えることにした私。
シャワーが私の涙を流してくれ、シャワーの音が、私の声を掻き消してくれた。
……強くならなければいけない。結城が私のことを心配せずにすむように、もっと強くならなけ
ればいけない!
熱いシャワーで涙を流し、心に誓った私。
熱いシャワーは涙を流すだけでなく、私の弱気になった心も温めてくれたようだった。 



「で、彩。ママに聞きたいことって何?」

 シャワーで涙を流し、スッキリとしてお風呂を出てみれば……ママが冷たいアイスを用意して
くれていた。
こ、これは!……モチモチとした触感が、まるで本物のお餅のような、お饅頭をモチーフにした
アイス。
2個入りのこのアイスを、拓と直樹の3人でどう分けるかを、いつも争っていた、とても冷たくて美
味しいアイス。
アイスの形が月に似ているからその名がついた、『月見満月アイス』ではないか!
しかもママは、驚くことに一人で2個食べてもいいと言ってくれた!
あぁ……モチモチとしたこの触感。口に広がるバニラアイスの冷たくて美味しい芸術的な味。
あぁ……至福のひと時だ。このように美味しいアイスが、コンビニで買えてしまってもいいのだ
ろうか?

「……彩、美味しくて夢中になるのは分かるけど、ママに話があるんでしょ?」
「はぐ!ふぉうふぁった!ふぁふぁ、おひひゃんはわわふぃにふぉういっふぁんふぁ」
「……はぁぁ〜。話は全部食べてからでいいわよ。食べながら話すのは、お行儀がよくないわ」

 何故かため息を吐いたママを尻目に美味しいアイスを味わうことにする。
あぁ……お風呂上りの冷たいアイス。これほどの贅沢がほかにあるのだろうか?
はむはむとアイスを食べ終わり、ママに本題の話をする。
……何故少しあきれているような顔をしているのだろうか?

「彩、満足した?で、ママに聞きたいことってなにかしら?」
「ものすごく美味しかった。私だけがこのように美味しい物を食べて、いいのだろうか?」
「もう!話がないならママ、お風呂に入るわよ!」
「ゴ、ゴメンママ!そ、その聞いてほしいことというのは……おじさんに言われた言葉の意味を
教えてほしい」

 そう、おじさんは何故あんなことを言ったのだろう?
何が十分なのだろう?あとは私だけとはどういう意味なのだろう?

「おじさん?……あぁ、結城君のお父様のこと?」
「そう、結城米穀店の店主であり、結城の父親であるおじさんが、私に不思議なことを言ったん
だ。
『おじさん達は、もう十分だ。あとは島津さんだけだ』と。
これはいったいどういう意味なのだろう?
考えても考えてもどういう意味なのかよく分からないんだ」

 そう、おじさんに謎の言葉を言われてから私は考えた。
この言葉にはどういった意味があるのか、を。
けど考えれば考えるほど、何故か胸の奥がザワつくというか……嫌な気分になる。
これはいったいどういうことなのだろう?

「……そっか。そこまで結城君、容態が悪かったのね。結城さん達は覚悟を決めたのね」
「容態が悪い?た、確かに結城はまだ意識を取り戻してはいない。
しかしだな!結城は頑張っているんだ!
だからあまり容態が悪いとかは言わないでほし……覚悟を決めた?」

 ママの口から出た言葉、『覚悟を決めた』。この言葉を聞いて、何故か体が震えてきた。
な、何故だ?何故震えてしまう?アイスを食べたからか?2個も食べてしまったからなのか?

「彩……取り乱さずに聞いてほしいの。
部外者のアタシにはよく分からないことなんだけどね、多分、結城君……回復はしないと思う
の」
「……え?か、回復しない?そ、それはどういう意味なのだろうか?」
「……言葉どおりの意味よ。このまま意識を取り戻すことなく生き続けるのか、それとも……死
んでしまうのか」

 ママの言った言葉を理解できずにキョトンとしてしまう。
え?意識が戻ることがない?ええ?し、死んでしまう?
……嘘だ!結城が私を残して死ぬはずがない!
何故ママはそんな酷いことを言うんだ!

「マ、ママ……何故そんな酷いことを言うんだ」

 ガクガクと全身が震え、背中を冷たい汗が伝う。
今までなるべく考えないようにしていた。友人達に励まされてからは、まったく考えなかった。
今、目の前まで迫っている悲しい現実……結城の死。
ママの口から発せられた言葉に、私は身動き一つ取れなくなってしまった。

「彩……落ち着いて聞きなさいね?結城君のご両親はね、覚悟を決めたのよ。
可愛い我が子がいなくなってしまうことを」
「そ、そんなはずはない……あの優しいおじさんやおばさんが、結城を見捨てるなんてする訳
がない!」

 ガクガクと震えながらママの言葉に反論する。おじさん達が結城を見捨てるなんてありえな
い!

「そんなの当たり前でしょ!誰が好き好んで愛する我が子を見捨てるもんですか!
親というものはね、たとえ我が子が犯罪者になっても見捨てないものよ」
「なら何故結城が死んでもいいと思うんだ!」
「彩……結城君のご両親はね、死んでもいいなんて思ってなんかないわよ。
むしろ結城君と変わってあげたいって思ってるわよ。……ベッドの上で苦しんでる結城君とね」
「当たり前だ!おじさんやおばさんはとても優しいんだ!ママのような薄情なことは決して言わ
ない!」

 ママは私の味方だと思っていたのに、何故酷いことを言うんだ!
ママを見損なった!ママなんかに相談した私がバカだった!明日にでも友人達に相談しよう。
皆ならキチンと答えてくれるはず。ママなんかと違い、しっかりと答えてくれるはず。

「彩……なぜ結城君が頑張ってると思う?意識がないのに、事故から一週間。
普通なら即死の状態で、何故一週間も頑張ってくれてると思う?」
「何故結城が頑張っているかだって?そんなものは決まっている!結城は頑張って怪我を治し
たいと思っているんだ!」

 そう、怪我を治し、また皆と学校で騒ぎたいと思っているんだ!
おじさんやおばさんの手伝いをし、結城米穀店を支えたいと思っているに違いない!
私と……デートをのやり直しをしたいと頑張ってくれているんだ!

「ううん、それは違うと思うわ」
「ママ、酷い!何故酷いことばかりを言って私を苛めるんだ!ママは……私が嫌いなのか?」
「彩……アタシはね、彩が大好きよ。彩にパパ、拓に直樹が大好きなの。
例えママが死んじゃっても、守りたいほどに好きなの」
「なら、何故酷いことばかりを……」
「きっとね、結城君も、彩やご両親のことが大好きだから頑張ってると思うの。
頑張って生き続けて……少しでも長く生き続けようと頑張ってるのよ。あなた達が、頑張れるよ
うにってね」

 私たちが頑張れるように?ママは何を言っているのだろう?
結城が私たちを応援してくれているとでも言うのだろうか?
でも、今応援されなければいけないのは結城のほうだ。
何故その結城が私たちが頑張れるようにと頑張っているのだ?

「……どういう意味なのだろう?何故私たちが結城に応援されなければいけないのだろう?」
「きっとママが結城君と同じ立場になっても、そうしようと思っちゃうんじゃないかな?
多分だけどね……結城君は皆の為に時間を稼いでいるのよ」
「時間を稼ぐ?それはいったいどういう意味なのだろう?」
「それはね、長く生きることで、結城君が死ぬという覚悟を決める時間を作ってくれてると思う
の。
だからね、結城君のご両親は覚悟が出来たのよ。
彩にもう十分だって言ったのは、結城君が死ぬことに、覚悟を決めることが出来たってことだと
思うの」
「な……お、おじさん達が、結城が死ぬと思っているということなのか?」

 おじさん達がそんな酷いことを思うわけがな……そういえば思い当たる節がある。 
今日になって急に結城の話をしてほしいと言ってきた。
あれはもしかして結城のことを諦めるためではないのか?
もしかして、結城のことを思い出にするために聞いてきたのではないのか?
酷い……ママもおじさん達も酷い!結城はまだ頑張って生きているんだ!
それなのに、結城が死ぬとか考えているなんて……最低じゃないか!

「彩……そんな顔、しないでよ。そんな悲しい顔はしないで」

 ママの話を聞いて、涙がポロポロと溢れてくる。
もう泣かないと誓ったのに溢れてくる。ママやおじさん達が酷いことを考えているからだ。
何故そんな酷いことを考えるのだろう?何故頑張っている結城を応援しようとしないのだろう?

「……ママが酷いことを言うからだ。おじさん達も酷い。何故皆酷いことを平気で考える?
結城は頑張って生きている。今、こうしてママと話している時も。それなのに、何故酷いことを…
…」
「……彩はね、結城君が苦しんでいるところを見ていたいの?」
「そんなの見たくない!見たいわけがないじゃないか!」

 大好きな人が苦しんでいるところを見たいかだって?そんなものは見たくないに決まってい
る!
そんなものが見たい人は変態しかいない!

「うん、見たくないわよね?結城君のご両親もね、きっとそうなのよ。
結城君、苦しんで生きてると思うの。だって酷い事故に遭っちゃったんだからね。
痛くて痛くてとっても辛いと思うの。普通なら痛くて苦しいから、すぐに死んじゃうと思うの。
でもね……結城君は皆のために痛いのも苦しいのも我慢して、辛いのも我慢して生きていると
思うの」
「ゆ、結城が我慢して生きている?それはいったいどういう意味なのだろうか?」
「それはね、みんなの為。ご両親や彩のために苦しんで生きているの。
みんなが覚悟を決める時間を作ってくれてるのよ。
結城君が死んでも大丈夫なように、自分がいなくなってもみんなが頑張って生きていけるように
って。
みんなに自分が死んでいなくなることを、覚悟してもらうために頑張って生きて、時間を作って
ると思うの」

 マ、ママは何を言っているんだ?結城が私たちのために時間を作っている?
結城がいなくなることを覚悟してもらうために、頑張って生きて時間を作っている?

「ご両親はね、もう無理して頑張っている結城君をみたくないと思ってるんじゃないかな?
苦しんでいる我が子を見たい親なんていないからね。だから彩に言ったと思うの。
『おじさん達は、もう十分だ。あとは島津さんだけだ』ってね。
ご両親は覚悟を決めたのよ。あとは……貴女が覚悟を決める番。
結城君がいなくなるという現実に、覚悟を決めるの。これはね、他の誰でもない、彩がしなきゃ
いけないことなの。
じゃないと、頑張っている結城君が可哀想よ」

 ママの残酷な言葉に涙が止まらなくなる。
な、何故そんな覚悟を決めなければいけない!私は嫌だ!結城がいなくなるなんて絶対に嫌
だ!

「わ、だじはぁ、ひぐ、やだぁ!いなぐなるなんで、ぜっだいにイヤダァ!」
「彩……うん、気持ちはよく分かるわ。でもね、覚悟を決めなきゃいけないの」
「イヤダァ!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!絶対にいやだぁ〜!結城は私と生きるんだ!死ぬなんて…
…ひっぐ、やだぁぁ」
「彩……泣かないで、彩。あなたが泣いてたら、結城君、安心して天国にいけないわよ」

 泣きじゃくる私をギュッと抱きしめ頭を撫でてくれるママ。けど私の涙は止まらない。
ママが酷いことを言ったから?おじさん達が酷いことを考えていたと知ってしまったから?
……多分、違う。きっとママの言うことが正しいと分かってしまったから。
そう、結城はきっと助からない。きっと近いうちに死んでしまう。
私も分かっていた。結城は助からないだろうと。お医者様も言っていた、覚悟を決めておいてく
ださいと。
だけど……結城が頑張ってくれていたから、私は結城が生きてくれるんじゃないかと思ってしま
った。
結城は生き続けてくれる……そう思い込むようにしていたんだ。
……そうか。結城はそんな私に時間をくれたんだ。
結城がいなくなっても大丈夫なように、生きていけるようにと、覚悟を決める時間を私に作って
くれたんだ。
……バカ。本当に君はバカだな。痛くて苦しいのなら、私のことなど無視して楽になればよかっ
たのに。
本当に君は大バカだ!私なんかのために、痛くて苦しくて辛いのに……意識もないのに頑張っ
てくれるなんて。
……ありがとう。君が時間をくれたおかげで、どうにか覚悟が出来そうだ。
……うん。明日、君に別れを言いに行くよ。私の覚悟を見せるために。君に安心してもらうため
に。

「ママ……色々酷いことを言ってゴメンなさい。私も、おじさんたちのように頑張ってみる」
「彩……うん、頑張んなさいね。ママも酷いことを言ってごめんなさいね」
「ママ、今夜は一緒に寝てもらえるだろうか?……今夜は一人では寝る勇気がないんだ」
「うん、ママがギュッと抱きしめて寝てあげるわ。いっぱい泣いてもいいからね?
彩の涙、ママが胸で全部吸い取ってあげるわ」

 結局その日はそのままママの胸に抱かれて眠りについた。
ママの胸に顔を埋めながら結城との別れを考えた。……絶対に嫌だ。結城と分かれるなどと
考えたくもない!
けど、苦しんでいる結城もこれ以上は見たくない。きっとおじさん達も同じ気持ちだったのだろ
う。
苦しんでいる結城を見たくないから覚悟を決めたのだと思う。
だったら、私も覚悟を決めて、結城に会いに行こう。
……君は私が泣いているところを見たくないと言っていた。
だから私は泣かない。これからは一生、君のために泣いたりはしない。
君は冷たいって怒るかな?でも、私を残して死んでしまう君が悪い。
悔しければ意識を取り戻せばいい。そうすればいくらでも泣いてあげるよ。
私も……君の胸で泣きたいんだ。明日、意識を取り戻した君の胸で、泣ければ、いい……な。

 ママの温もりに包まれて、眠りにつく。
眠りについた私に結城が会いに来てくれた。
心配そうな顔をして、『俺がいなくても大丈夫か?』と。
だから私は言ってやった。
『君がいなくて大丈夫な訳がない。でも、もう大丈夫だ。君のおかげで覚悟を決めることが出来
た』と。
私の言葉に頷いた結城は、ほほ笑みながら消えていった。
バカ……だから君はバカなんだ。抱きしめるとか、キスをするとかしてから消えるべきじゃない
のかい?



 日曜日の午後、結城が入院している病院へと来た私は、おじさん達にお願いし、2人きりにさ
せてもらった。
私の無理なお願いにお医者様は反対したが、おじさんが頭を下げてお願いをしてくれた。
『息子の為なんです、どうか我が侭を聞いてください』と。
おじさんの必死の願いでお医者様も折れてくれ、二人だけにしてくれた。
おじさんに頭を下げ、集中治療室へと入る。ベッドに寝たまま動かない結城の側に近づき、そ
っと頭を撫でる。

「結城……外はいい天気だ。どうだい?少し起きてみようとは思わないのかい?」

 二人だけになって、改めて結城をよく見てみる。
腫れあがって、誰だか分からない顔。時折痙攣する身体。瞼が痙攣して開き、時折光のない
瞳を覗かせる。

「今日ここに来る途中、たい焼きを売っているお店を見つけたんだ。
いい匂いがして、とても美味しそうだったよ。……君と、一緒に食べたいな」

 ……君は本当にバカだな。どうしようもない、大バカだ!
何故こんなにまでなって、頑張って生きていてくれるんだ!
痛いだろうに……辛いだろうに、何故生きていてくれた!

「君と……結城と、食べたかった」
 
 ……きっと君のことだ、私が泣くのを見たくないから、とか言ってくれるのだろう。
……バカ。君は本当に大バカだ。君のようなバカは、見たことがない。

「結城と……修太と一緒に色々なお店に行き、美味しい物を食べたかった」

 ベッドに横たわったまま動かない結城の手を握る。
……やはり握り返してはくれないのだな。もう、この手に力が戻ることはないのだな。

「お喋りをしながら腕を組み、色々な場所へ行きたかった」

 ……ありがとう。私は君に会えて本当によかった。
短い……本当に短い間だったけど、私は君にたくさんの思い出をもらえた。
もう、十分だ。これ以上私に優しくしてくれなくてもいいよ。

「私は……君と、一緒に生きていきたかったんだ。ずっと一緒の時を過ごしたかった」

 もうこれ以上頑張らなくてもいいよ。
君はもう、十分頑張ってくれた。私達に色々なものを残してくれた。

「……君のことは絶対に忘れない、決して忘れたりはしない。
安心して欲しい。私は一度覚えたものは決して忘れる事はないから。
だから、君から貰った素敵な思い出も忘れない。君と過ごした時間を忘れたりはしない。
君が残してくれた優しさを忘れることは決してない!……だから、安心、して……」

 涙が溢れそうになる。ギュッと唇をかみ締め、涙を堪える。

「だ、から……わた、じは、だいじょ、ぶ、だから……」

 唇をかみ締め、今、私に出来る精一杯の笑顔を作る。

「あんし、んじて、天国へ……いっでほしい」

 今、私に出来る、精一杯の笑顔。
唇をかみながら、顔を引きつらせ、無理やりに作った笑顔。
今、私に出来る……精一杯の、不器用な笑顔。  

「……さようなら、修太。……愛しているよ」

 
 私が別れを告げた次の日……結城修太は、死んだ。



『ピピピピピッ!ピピピピピッ!』

 朝九時、愛する人からもらった腕時計のタイマーが鳴る。
約束の時間。君とのデートの待ち合わせの時間。いい天気になってよかったよ。
……ふふふ、なにがペアルック、だ。大学でも男物の時計をしてる私は目立ってしまって仕方
がなかったよ。
けど、君が残してくれた大切な時計だ。丈夫で頑丈で……まるで君のようだ。
少し乱暴者の私には似合っている。……あれからずっと、肌身離さず使用させてもらっている
よ。
あれから4年……月日が流れるのは早いものだ。今や私は22歳だ。君よりもだいぶお姉さん
になってしまったよ。
霊園にある休憩所から、水の入ったバケツと、蝋燭や線香、スポンジの入った鞄、お供え用の
花束を持ち、結城の元へと向かう。
今日も時間通りに会いに来たよ。ふふふ、私は君と違って遅刻はしないよ。
たまには遅刻して、待ちぼうけをさせてあげようかとも思うのだが……君に文句を言われたくな
いからね。

「ちょうど九時だ。……おはよう、結城。急に会いに来てすまない。驚かせてしまったかな?」

 霊園にある、結城家と書かれた墓石。私の愛する人はこの下で眠っている。
私は彼の寝床を綺麗にするため、バケツから柄杓で水をくみ上げ、お墓にかける。

「今日は君に報告があるんだ。大学を卒業した後の、就職先が決まったんだ」

 水をかけた後、持参したスポンジで汚れを落とす。

「ついに決まったよ。臨時教員とはいえ、春からは私も教師だ。学校の先生だよ」

 汚れを落とした後、墓石の周りに生えてきている雑草を丁寧に抜く。

「まだママにも教えていないんだ。前から一番先に教えるのは、君にと考えていたからね」 

 雑草を抜き終わった後、持ってきたお供え用の花束を花立てに供え、綺麗な水を注ぐ。

「ふふふ、驚いたかい?この私が教師だよ?学校の先生だ」

 花を供えた後、蝋燭に火をつけ蝋燭立てに入れる。

「高校を出た後は、すぐに就職するつもりだったのに……これも君のせいだ。君が死んでしまう
からだよ」

 その蝋燭で、線香に火をつけ香炉に供える。あたりには線香のいい香りが漂いはじめた。

「君が死んでから私は考えたんだ。『これからどうやって生きていけばいいのかな』ってね」

 そう、私は考えたんだ。修太が死に、私は何をして生きていけばいいのか、と。
たくさん考えた。バカな頭をフル回転させ考えたんだ。そして……思いついた。教師になろう、
と。

「……教えたいんだ。私は色々なことを教わった。ママにパパ、弟達に教わった。
おじさんにおばさん、友人達にも教わったんだ。もちろん……君にも教えてもらった」

 君に会うことがなければこんなことは考えもしなかったと思う。
君が死にさえしなければ、思いつきもしなかったと思う。

「私は高校生活で、色々な事を学んだ。教科書では分からない様な事。1人では知りえなかっ
た事。
みんなと知り合っていなければ、決して学ぶことが出来なかった事。私はそれを教えたい。
多分、それは……とても大切なことだと思うから。人生において、とても大切なことだと思うか
ら」

 修太……私は教師になり、君との思い出を生徒達に話そうと思う。
君や友人達と過ごした大切な時間を話し、生徒達を導いていこうと思う。
もちろん思い出をそのまま話す訳じゃない。君達からもらった思い出を元に、生徒達を導きた
いんだ。
私は君達と出会って、たくさんの経験をした。笑ったり怒ったり、喜んだり……悲しんだり。
人を愛するという素敵な気持ちも教わったし……絶望という、とても辛い感情も教わった。
これらを教えたいんだ。きっとこういう感情は、生きていくのにとても大切なことだと思うから。
私がこんな考えを持ってしまったのも、君のせいだな。君が急に死んだりするからだ。
急に死んだりするからこう考えるようになってしまった。
……死んでまで私に影響を与えるとは、君ははた迷惑なヤツだ。

「どうだい?驚いたかい?ふふふ、驚いてくれたら嬉しいな」

 君を驚かすために頑張ってきたんだ、盛大に驚いてほしいな。

「さて、私はそろそろ帰るとするよ。ママや友人達、おじさん達にも教えなければいけないから
ね」

 もって来た荷物を手に取り、帰り支度を始める。寂しいけど、これ以上ここにいると……辛く
なってしまう。

「私と話したければ、君が会いに来てくれればいい。最近は夢でも会いに来てくれないじゃない
か」
 
 そう、最近は夢の中でさえ、修太は会いにきてくれない。修太……恋人に寂しい思いをさせる
なんて彼氏失格だぞ?

「たまには君から会いに来い。夢でもいい、お化けでもいい。生き返ってもかまわない。君な
ら、ゾンビでも構わないぞ?」

 ……会いに来てほしい。たとえ夢の中のひと時でもいいんだ。
生き返るなんて、無茶なことをしなくてもいいんだ。……私は君と会いたいんだ。君と話したい
んだ!
だから……会いに来て。しゅうたぁ、君に私を好きだと言ってほしいんだ!
今まで堪えていた修太への思いがあふれ出て、涙が溢れそうになる。
涙を堪えるために、唇をグッとかみ締める。私は泣かない。君のためなんかに泣かないと決め
たんだ!
修太のお墓の前で、唇をかみ締め、涙を堪える私。
せっかく今まで泣かずに頑張ってきたんだ。泣いてなんか堪るか……え?
堪えていた涙が溢れようとしたその瞬間……優しい風が吹き私を包み、蝋燭の炎が激しく燃え
上がった。
その激しく燃え上がる蝋燭の炎は、まるで私を励ましているかのようだ。
……そう、か。今の風は君の仕業か。君は私に頑張れと言ってくれているのだな?
……ありがとう。君は死んでからも私を守ろうと努力してくれているのだな。

「……バカ。君はやはり大バカだ。私に気をかけてばかりだと、安らかに眠れないだろうに……
バカ」

 私は墓石にそっとキスをし、話しかける。

「君は本当にバカだな。死んでもバカは治らないいうのは、本当らしいな。
ということは、私も死ぬまでバカのままなのか?ふふふ、そうか、私もバカなままか。
いつかはこんなバカな私にも、彼氏になってくれる君以外のバカな男は、現れるのかな?」

 抗議のためか、一段と激しく燃え上がる炎。修太は天国で嫉妬してくれているのだろうか?

「ふふふ、文句を言いたいのなら、会いに来い。夢でいいから、必ず会いにくるように!
……では私は帰るから。今度はおじさんたちと一緒に、君の命日にでも会いにくるよ」

 今の私に出来る、最高の笑顔を見せて修太の前から去る。
悲しみからではない、修太が側にいてくれているという嬉しさから、溢れそうになる涙を堪えて
の、精一杯の笑顔。
……今の私の出来る、精一杯の不器用な笑顔。
いつかはこの不器用な笑顔も、自然な笑顔になる日が来るのだろうか?その時に君は、喜ん
でくれるのだろうか?
いつかは自然な笑顔で、君と話し合える日が来るのだろうか?
私は不器用な笑顔を残して、結城修太との逢瀬を終える。夢で会いに来てくれることを祈って。

  修太……愛しているよ。君が死んでも、やはり私は君が好きなんだ。
あれから4年が経ったが、この気持ちは変わりそうにないよ。お嫁さんにいけなくなったらどうし
てくれるんだい?
私は結城修太への想いを再確認して霊園を去る。
これから始まる新しい生活も、結城修太との思い出があればなんてことはない。
修太はいつも側にいてくれているんだ。今日、それが改めて分かった。
ありがとう、修太。君に守られていると考えるだけで、勇気が沸いてくるよ。
春からの新しい生活も頑張れそうだよ。……君が側にいてくれているのだから。


 私は、春から始まる新しい生活に思いを寄せつつ、愛する人の顔を思い浮かべ、家路へとつ
いた。
 

             
                  不器用な彼女 終わり





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