「ほら、準ちゃん美佳ちゃん、外を見て見なよ。新緑の時期だからな、山が緑で綺麗だよ」
「本当に綺麗ねぇ。準ちゃん、いい季節に誘ってくれてありがとうね」

 運転席でハンドルを握る直人さんが、私たちに話しかけてきました。
明子(あきこ)おばさんも外を見て、嬉しそうにほほ笑んでいます。
ハンドルを握る直人さんに、助手席に座る晋介(しんすけ)おじさん。
後部座席には両窓側に私と姉さんが座り、その間におばさんが座っています。
直人さんが運転する車での、温泉旅行。
久しぶりの皆さんとのドライブでとても楽しいはずなのに……車内は微妙な空気になっちゃって
います。

「……はぁぁぁ〜」

 窓ガラスにおでこを当て、虚ろな眼差しで外を見ている姉さん。……景色、見えているのか
な?
ため息を吐いた唇には、髪の毛が数本咥えられてて、なんだか色っぽいです!

「……そ、それしにてもいい天気になってよかったな!いやぁ〜、最高のドライブ日和だ!わっ
はっはっは!」
「そ、そうです!天気がよくて最高なんです!いい天気だととても気持ちがいいんです!」

 明るい声を出し、車内の空気を盛り上げようとする直人さん。
私も直人さんに乗っかっちゃって、盛り上げちゃおうと頑張っちゃいます。

「……はぁぁぁぁぁ〜」

 ……でも、失敗しちゃいました。姉さん、とてつもなく落ち込んじゃってます。
朝4時に起きて、張り切ってお弁当を作った姉さん。私もお手伝いをしちゃいました!
お世話になりっぱなしの直人さんに明子おばさん、晋介おじさんに少しでも恩返しをしたい、
その一心で姉さん、今日のドライブを企画したんです。
隠れて取りに行った運転免許。
いつも直人さんに運転させてばかりだから、今日はあたしが運転して、
直人さんに楽をさせてあげると張り切っていました。
……運転免許って、種類があったんですね、知りませんでした。
姉さんが取った免許はオートマ限定というものでした。
その免許証では、なんと!……直人さんの車は運転できないらしいんです。
それを知った姉さん、膝から崩れ落ち、がっくりとうな垂れちゃいました。
姉さんと二人で一生懸命に考えた今日のドライブ。いきなり躓いちゃったんです。
私はそこまでダメージは無かったのですが、結婚を間近に控え、張り切ってた姉さんは、かなり
のダメージを受けちゃってます。
その証拠に……車が走り出してからは、ため息しか吐いていません。
姉さん、落ち込みすぎです



「……こら、準ちゃん!結婚して妻になろうかという者が、ちょっとした失敗で落ち込んでどうす
るんですか!
いつまで落ち込んでいるつもり?シャキっとしなさい!」

 ため息を吐き、窓の外を眺めている姉さんに雷を落とす明子おばさん。
おばさん、怒るととても怖いんです。物凄く説教されちゃうんです!
正座は足が痺れちゃうんです!

「ス、スミマセン!そ、そうですよね、いつまでも落ち込んでちゃダメですよね!」

 おばさんに叱られて、初めて言葉を発した姉さん。
姉さんもよく叱られてましたから、反射的に反応しちゃったのかな?
姉さん、お料理を失敗しては、よく怒られてました。食べ物を粗末にしちゃダメって。
おばさんに鍛えてもらうまで、姉さん、お料理とても下手でしたから。

「そ、そうだぞ、準ちゃん。俺、運転大好きだからさ、気にする事ないって!」
「……おばさん、直人さん、ありがとうございます。こんな馬鹿なあたしを励ましてくれるなんて
……グス」

 ダ、ダメです!姉さん、まだとんでもなく落ち込んじゃってます!
どうすれば元気になってくれるんでしょうか?おばさんも困った顔をしています。

「まったく……つまらんことでいつまでも落ち込んどるんじゃない!」

 落ち込む姉さんに厳しい突込みが入っちゃいました。
晋介おじさん……とても厳しいんです。怒るとおばさんよりもおっかないんです!
私達は叱られた事は無いけど、一度おばさんが叱られちゃってる所を見たことがあります。
あのおばさんが、シュンとして、泣きそうになっちゃってました。
……おじさんを怒らせるといけないんです!姉さん、早く立ち直ってください!

「は、はい!立ち直りました!もう全然大丈夫です!」

 姉さんもおじさんを怒らせると怖いって分かってるから、すぐに立ち直っちゃいました。流石で
す、姉さん! 

「うむ、ならいい。ところで、さっきからいい匂いがしてるんだが、何か作ってきたのかな?」
「あ、そ、そうです!おじさんやおばさんの為に、美佳と二人でお弁当を作ってきたんです!
たくさん作ってきましたので、いっぱい食べてくださいね」

 慌ててかばんから二人で作ったお弁当を取り出す姉さん。
私も慌てて水筒を取り出します。昨日作って用意していた麦茶。
ペットボトルのお茶は、高いんです。お茶は作ると安いんです、お金は大事なんです!

「へぇ?美佳ちゃんも一緒に作ったの?ちゃんと作れてるのかしらね?」
「そ、それはもう安心しちゃってください!私が作ったの、玉子焼きだけですから!」
「……それは胸を張って言う台詞なのかしらね?」

 私の言葉に首を傾げるおばさん。
おじさんも外を見ながら低い声で笑ってるし、直人さんに至っては、大きな声で笑っちゃってま
す。
なぜ皆さん笑っちゃってるのでしょうか?不思議に思い、姉さんを見てみます。
……姉さんも笑っちゃってます。

「あっはっはっは!そうかそうか、美佳ちゃんが玉子焼きを作ったのか!
どれ、俺に毒見……味見させてくれよ。美佳ちゃんの作った料理、初めて食うからメチャクチャ
楽しみだな」

 笑いながらハンドルを握る直人さんが、私が作った玉子焼きを食べたいと言ってくれました。
や、やりました!姉さん、作戦通りです!
手作り料理で直人さんの気を引く……古典的だけど、効果抜群って西原さんが教えてくれまし
た!
……毒見ってどういう意味なんでしょうか?深く考えてはダメなような気がしますので、考えるの
は止めておこうかな?

「美佳、直人さん運転中だから、食べさせてあげなさいな」

 お弁当箱を開けようとしたら、ニコニコほほ笑んでいる姉さんが話しかけてきました。
姉さん、元気が出てきました!運転できないって分かった時の落ち込みようとは全然違いま
す、まるで別人です!
……へ?た、たたたたた食べさせてあげる、んですか?

「俺も腹減ってきたから、早く食わせてくれ〜」

 運転しながらア〜ンと口を開けている直人さん。
こ、これは、この状況は……大チャンスです!直人さんに食べさせてあげられるなんて、夢の
ようです!

「で、ではいきますね?……ど、ど、どうぞ」

 ドキドキしながらちょっと形が不細工な玉子焼きを箸でつまみ、直人さんの口へと運ぶ。
大きな口を開け待っていた直人さんはその玉子焼きにパクリと食いつきました。
や、やりました!ついに、ついに手作り料理を食べてもらっちゃいました!
しかも、しかもですよ?あ〜んって口を開けてる直人さんに食べさせちゃったんですよ?
これはもう、恋人といっても過言ではないのでしょうか?

「……うん、カルシウムが豊富に取れそうな玉子焼きだな。
準ちゃんが初めて作った時と同じだ。はははは、さすがは姉妹だな、こんなところまでそっくり
だ」

 ジャリジャリと音を出し、玉子焼きをほうばる直人さん。
姉さんに似てと言ってもらえて嬉しいです!……え?何でジャリジャリ?カルシウムってなんで
しょうか?

「……うん、本当にそっくりだわ。これは美佳ちゃんも鍛えなきゃいけないわね」
「……やはり卵の殻は美味くないな。砂糖を入れすぎているし、焦げてるのもある。23点だな」
「な、な、ななな……ななななな?」
 
 に、にに、にじゅうさんてん?
晋介おじさんが口に出した言葉……23点。どういう意味でしょうか?
もしかして……もしかしなくても、私が作った玉子焼きの点数なんですね。

「親父、厳しいこと言うなよ。一応は食えるんだしさ、40点ぐらいだろ?」

 直人さんも採点してくれました。……よ、40点ですか。

「直人、それは千点満点でかしら?二人とも甘いわね。こんな玉子焼き、0点よ。
準ちゃんと一緒に教えた事もあるのに、こんな出来だなんて……教育のし甲斐があるわね」

 ……あぁ、新緑の山々が綺麗です。とても綺麗なんです。
私の玉子焼きを食べて、批評を続ける直人さんたちをよそに、景色を楽しむ私。
何故か姉さんまで批評に加わっちゃってます。……姉さん、マイナスはないんじゃないでしょう
か?

 姉さん……さっきまでの姉さんの気持ち、分かっちゃいました。
窓の外の景色、見たくて見ていたんじゃないんですね。
見てなきゃやってられなかったんですね。
……愛情って、味には伝わらないんですね、勉強になっちゃいました。



「ふぅ……いい湯加減ね。温泉に浸かりながら見渡す景色もいいし……二人とも、本当にあり
がとうね」

 直人さんの運転で、姉さんと二人で予約したホテルに到着し、早速温泉に浸かるおばさんと
私たち。
姉さんと二人おばさんの背中を流し、肩揉みまでしちゃいました。おばさん、とっても気持ちよさ
そうでした。

「ホントに綺麗ですね……景色を眺めていると、あっという間に時間がすぎてしまいそうですね」
「ホントです……とっても綺麗な景色なんです」

 おばさんに習い、私たちも景色を堪能する。
行きのドライブでは失敗をしてしまった姉さんと私ですが、ホテルでは失敗できません!
おばさんもとても穏やかな表情で、満足してそうです。……やりました!恩返し作戦成功です!

「ふぅ……あなた達とこんなのんびりとした時間が過ごせるなんて思いもしなかったわ。
直人が初めてあなた達を連れてきた時、父さんもわたしもあなた達の事を、直人を騙してる極
悪人と思ってたからね」
「ふふふ、そうでしたね。初めの頃は、あたし、苛められてましたからね。
怖くて悔しくて、何度もトイレで泣いてましたから。あの頃のおばさん達、とても怖かったですか
らね」
「それは仕方ないでしょ?ぐうたら息子に突然、身寄りのない子達の生活費を支援してるなん
て言われてごらんなさい?この子騙されてるんだ、って思っちゃうわよ」

 昔を懐かしむように話すおばさんと姉さん。
そうでした、今でこそ仲良くさせて貰ってるけど、初めて会った頃のおばさん達は、とても厳しく
て、怖かったんです。
だから姉さん、直人さんの家に招待されるの怖がってました。行きたくないなぁってよく愚痴を
零していました。
私も、怖かった。……でも、父さんとは違う種類の怖さだったから、そこまで気にはなりません
でした。
よく叱られたり、怒鳴られたりしたけど、それは私がドジだったから。
父さんのように意味無く叩いてきたり、蹴飛ばしてきたりはしませんでした。  
人見知りで、恥ずかしがりやな私は、おばさん達の目を見て話せませんでした。
そんな『私を人と話し時に俯いてどうする!このバカもんが!』と怒鳴ってくれたおじさん。
あの時は泣きそうになったけど、叱ってくれたおかげで、少しは人見知りが治った気がします。
姉さんと一緒に『自炊も出来ないのに二人で暮らそうなんて、何を甘い考えをしているの!』っ
て叱ってくれたおばさん。
姉さんは料理を。私は掃除洗濯を叩き込まれちゃいました。
失敗ばかりする私たちを、何度も何度も叱りながら、でも見捨てずに毎週家に来なさいと言っ
てくれたおばさん。
あの時に鍛えてくれたおかげで、姉さんは安田さんの心を射止めることが出来たんです。
おばさん仕込みの手料理、安田さんに好評だったみたいですよ?
……私も料理を仕込んでもらってたら、今日のような失態は無かったのでしょうか?
…………はぁぁぁぁ〜。これは反省です。反省会をしなきゃいけません。



「ふぅ、いつまでも綺麗な景色を眺めてる場合じゃないわね。美佳、そろそろ準備していくわよ。
って、なに湯船に顔を沈めてるの?ぶくぶく泡を立てて、どうしたの?」
「ぷはぁ!はぁはぁはぁ!な、なんでもないです!早く直人さんとおじさんの背中も流しちゃいま
しょう!」

 危ない危ない、つい一人反省会をしちゃいました。
反省会をするのは、部屋に帰ってからです。今は直人さんたちに楽しんでもらう事を考えなきゃ
いけないんです!

「……待ちなさい。あなた達、もしかして父さんと直人のところへ行くつもりなの?」

 姉さんと二人、綺麗な景色の温泉から上がり、直人さん達のところへ背中を流しに行こうとし
た時、声のトーンが低いおばさんに話しかけられちゃいました。
この低い声のトーン……懐かしいです!昔、姉さんと二人で叱られてる時によく聞かされてまし
た!
おばさん、怒っちゃうと声が低くなるんですよね。……ふえええ?お、怒っちゃってるんです
か?

「……二人とも、正座」
「え?い、いや、その、おばさん?なぜ正座なんです……」
「いいから正座しなさい!」
「美佳!今すぐ正座よ!」
「はいです、姉さん!」

 ゴツゴツした湯船の床に、二人そろって裸で正座をする姉さんと私。
こ、これはいけません!足がとても痛いです!正座は足が痛いんです!
でも我慢です!おばさんの怒りが収まるまで我慢なんです!

「若い娘が二人そろって、男の背中を流しに行くですって?
準ちゃん!貴女はもう妻になるのよ?
旦那以外の男に肌を見せていいとでも思っているんですか!」
「い、いやおばさん、水着を着ていくつもり……」
「言い訳はいいです!それと美佳ちゃん!貴女までなんですか!
女の肌は、一生着いていくと決めた男にだけ見せればいいんです!
それなのに、あなた達は……覚悟なさいよ。
二人とも、今日はその水着を着ていればいいという、間違った考えを正してあげますからね!
覚悟しなさい!」

 正座をしながら姉さんと目を合わせる。姉さんも涙目です。きっと私も涙目になっちゃってる
はずです。
あぁ、お背中流して、感謝の気持ちを伝えようと考えただけなのに……作戦失敗です。
 
 それから30分、おばさんのお説教は続きました。
一人の女としての嗜みから、妻としての心得。夫婦生活についてまで、姉さんにはとても有意
義なお説教でした。
姉さん、途中から正座をしている事も忘れて、質問までしちゃってました。
……姉さんに結婚生活について教えたいのなら、あとで教えてほしかったです。
私、足が痺れてそれどころじゃなくなってました。おばさん、話し出すととても長いんです。
おばさんのお話が終わったとき、姉さんと私は、身体が冷えちゃってました。
おばさんには先に上がってもらい、私達はまた湯船に浸かり、冷えたからだと痺れた足を癒し
ました。
……せっかく直人さんと温泉に入るチャンスだったのに、ちょっと残念です。



(う〜ん、明日はどこに行こうか迷うな。準ちゃん達に任せてもいいんだが、今日のような事も
考えられるからな。一応は予備として、明日の行き先を調べておかなきゃな)

 景色のいい温泉に浸かり、仕事で疲れた身体と心を癒した俺は、
窓の外にはいい景色が望む部屋に戻り、念のために持ってきた愛用のノートPCに電源を入れ
て、明日の為の観光先を探す。
いつもは家でチャットに使ってるんだけど、『Oh!モバイル』ってのと契約してるから、持ち運びが
出来るんだ。
ま、画像を見るのには速度が遅くて気に入らないが、ちょっとした調べ物や、チャットをする分
には全く困らない。
そこそこ安いし、持ち運びが出来て、出張先でもチャットが出来るから、俺は気に入って使って
いるんだ。
……ま、安かったってのが一番の理由だけどな。
さて、大丈夫だとは思うけど、念のために明日の観光先を調べておこう。
準ちゃんが隠れて運転免許を取っていて、俺の車を運転するって言ってくれた時は驚いたけ
ど、まさかAT限定だったとはな。
はははは、準ちゃんの落ち込みようったらなかったな。俺の車、MT車だからな。AT限定では運
転できないんだよ。
……二人で色々考えてくれたんだろうな。俺達を喜ばせようと、一生懸命に考えてくれたんだろ
うな。
まぁ美佳ちゃんの玉子焼きは、はっきり言って不味かったけど……嬉しかった。
美佳ちゃんは、大人しいと言うか、口下手と言うか……あまり口を利いてくれないからな。
俺との会話は、簡単な受け答えしかしてくれない。知り合って結構経つが、今だに俺には遠慮
して話している。
そんな美佳ちゃんが、俺達のために慣れない料理を作ってくれたんだ、嬉しくないわけがない。
……まさか玉子焼きでカルシウムを大量に取るとは思いもしなかったけどな。
しかし美佳ちゃんの落ち込み方は、準ちゃんと同じだったな。
はははは、さすがは姉妹だな。落ち込み方までそっくりだ。……準ちゃんが結婚したら、一人で
大丈夫なのか?
新婚生活の邪魔になりたくなさそうだから、一人暮らしを進めたはいいけど、不安だな。
俺達の家に居候しないかと勧めても断ってきたしな。美佳ちゃんにも思うところがあるんだろ
う。
……きっと、準ちゃんに頼らず、一人で頑張りたいんだろうな。
……おし、これからはもっと顔を見せるとするか?美佳ちゃんは嫌がるかもしれないけど、不
安だしな。

「直人、お前さっきからなにを調べているんだ?こんなところまでパソコンを持ってきて、何をし
とる?」

 PCで付近の観光先を調べてた俺に、同じく風呂上りで満足げな表情の親父が話しかけてき
た。
……むさ苦しい親父と同じ部屋ってのが、残念だな。

「んん?念のために明日の行き先を探しているんだよ。ま、大丈夫だとは思うけど、念のため
に、な」
「ふむ、確かに念には念を入れておいたほうがいい。あの二人、まだまだ抜けてるところがあ
る。
準ちゃんはだいぶんマシになってきたが、美佳ちゃんが不安だな。……直人よ、本当に一人暮
らしなどさせて大丈夫なのか?」

 親父も俺と同じ不安を感じているのか、表情を曇らせ話しかけてきた。……だよなぁ?不安
になっちまうよな?でも、

「俺も不安だけど、本人が頑張りたいって言ってるんだ、外野は見守るしか出来ないだろ?
ま、ちょくちょく顔を出すようにはするし、お袋も料理を教えるって口実で、家に呼び出すつもり
だろ?かなり不安だけど、ここは黙って見守ろうぜ」
「あんな不味い料理を作っているようでは、身体を壊さんか心配だな。……料理本でも買って
渡そうか?」

 う〜ん、確かに料理は作れなそうだな。昔みたいにファストフードばかりになっちまうんじゃね
ぇのか?
料理本か……本よりもネットが出来たらすぐに調べられて、便利がいいんだけどな。
二人の部屋にはPCがないんだよな。……俺に買ってあげる金銭的な余裕がなかっただけなん
だけどな。

「ま、そこら辺はお袋に任せるしかないな。なんせあの準ちゃんを料理上手にしたんだ。
料理が下手くそな美佳ちゃんも、きっと上手くなるさ。……何度泣かされるか知らないけどな」

 料理を習い始めた頃の準ちゃんも、ため息ばかりだったからなぁ
最初は二人のとこを、俺を騙してると目の敵にしてた両親も、二人の真面目さと一生懸命さに
惹かれて、仲良くなっていったからな。
ま、仲良くなってもお袋の厳しさは変わらず、親父もおっかないままだった。
二人にとってはそれがよかったんだろう。自分のことを本気でしかってくれる人なんて、そうは
いないぜ?
親父もお袋も、それを分かってわざと厳しく当たってたんだろうな。二人を紹介して正解だった
よ。

「……おし!明日は蕎麦を食いに行って、近くの漁港で買い物ってパターンかな?」

 念のための行き先を調べ、PCの電源を落とす。二人にこんなことをしているところを見られ
ちゃ悪いからな。
せっかく俺達を招待してくれたんだ、二人に任せなきゃな。……ま、念には念をってヤツだ。



「直人さん、おじさん。夕御飯の準備が出来たそうですよ。あれ?それってパソコンですか?」

 PCの電源を落としていたら、準ちゃんと美佳ちゃんが晩飯だと呼びに来た。
湯上りで浴衣姿の準ちゃん。……色っぽくなったよな。メチャクチャいい女に育ったもんだ。
浴衣を着て、髪をアップに纏めている準ちゃん。……正直色っぽい。
こんな色っぽく成長した準ちゃんが、もう嫁に行ってしまうのかと思うと、なんだか悔しいな。
……これはもしかして父親の気持ちってヤツなのか?

「直人さん?険しい顔をして、どうしたんですか?」
「ん?い、いや、なんでもないよ。お?美佳ちゃん、その浴衣、似合ってるじゃないか。メチャク
チャ可愛いよ」

 準ちゃんが着ている浴衣は白色の浴衣に赤い花柄模様の浴衣を着ており、
美佳ちゃんの浴衣はピンク色の浴衣に金魚が描かれている。
なかなか可愛い模様で、美佳ちゃんに似合っているな。
この旅館、風呂上りの浴衣にも結構いい物を使ってるんだな。
……温泉も豪華だったし、宿泊費けっこうしそうだ。一泊いくらするんだ?

「え?カ、カワイイ、ですか?そ、その……あ、ありがとうござい、ます」

 褒められた事が恥ずかしいのか、頬を赤く染め、俯きながらお礼を言ってきた美佳ちゃん。
その態度も可愛いな。こんなに可愛いのになんで彼氏が出来ないんだ?
……よく考えたら俺、美佳ちゃんに彼氏が出来たって紹介されたら、泣いてしまうかもしれん。
いかんなぁ、この年で父親気分満載じゃないか。結婚もしてないのに父親気分か。これはヤバ
イな。

「美佳、よかったわね?直人さん、美佳の事が可愛いって」
「も、もう姉さん!イジワルは止めてください!」

 う〜ん、いいねぇ。じゃれ合う浴衣姿の美人姉妹。もっと見ていたいが、今のうちにPCを隠さ
ねば。
じゃれ合う二人をよそに、鞄にPCを詰め込む。

「さて、そろそろメシに行こうか。お袋待ってるんだろ?」
「はい、行きましょう!……海の幸満載の、豪華な御飯ですよ?」
「ほほぉ、それは楽しみだな。直人はなかなかこういう親孝行をしてくれないからな。二人を見
習わせたいものだ」

 俺と同じく二人がじゃれ合うのを嬉しそうに見ていた親父が口を出す。
うるせぇ!老いぼれ親父を孝行しても、嬉しくないんだよ!っていうか、お金がないのよ。ゴメン
ね、パパ?

「とっても美味しそうなお刺身が、いっぱいありました!なんと、お船の入れ物に入っているんで
すよ?」
「船盛りかぁ……ははは、腹ペコ姉妹にはたまらんだろうな」

 嬉しそうに話す美佳ちゃんの笑顔を見て、今までの二人の食べっぷりを思い出してしまう。
初めて二人に会った夜、大量のケーキを目の色変えて食べきった準ちゃん。
ピザをパクパクと口に運び、『美味しいね美味しいね』と頬をケチャップで汚しながら嬉しそうに
ほほ笑む美佳ちゃん。
香川県への初めてのドライブで、何軒か饂飩屋をはしごしたけど行った店全部で饂飩を食べき
り、
最後はお腹いっぱいになり動けなくなるまで食べ続けた準ちゃん美佳ちゃん。
ふと頭に過ぎった二人との思い出が、俺の心を温めてくれた。

「もう!直人さん、イジワルは言わないでください!」
「はははは、親父、今夜は楽しみにしとけよ?二人の本性が見れるから。きっと呆れるぞ?」
「な・お・と・さ・ん!」
「ほぉ?本性が見れるのか?それは楽しみだな。温泉に来たかいがあるというものだ」
「もう!おじさんまで苛めないでくださいよ!おばさん待たせてるんですから行きますよ!」

 からかわれて恥ずかしいのか、真っ赤な顔で抗議してくる準ちゃんに、首筋まで真っ赤に染
め、俯き恥ずかしがる美佳ちゃん。
温泉に浸かり、身体の芯から暖まった俺は、二人との会話と思い出で、心の芯まで暖まった。
……ありがとな。礼を言うのは俺のほうだ。二人に出会わなければ俺、つまらん人生を送って
たと思うよ。
俺と親父を先導して歩く二人に心の中で頭を下げる。……いかんな。準ちゃんの結婚式では
号泣してしまうかもしれんな。
そういやいつになったら結婚式の日取りは決まるんだ?向こうさんに任せっきりで大丈夫なの
か?



「はぁ?式を挙げない?そりゃどういうことだ?」

 目の前に並べられた豪勢な料理に手をつけようとしたとき、準ちゃんが衝撃の告白をした。
一生に一度の(中には二度三度する人もいるけど)結婚なのに、式を挙げないと言い出したん
だ。
俺も両親を驚き、声を上げてしまう。何でだ?向こうさんが段取りをするって話だったじゃない
か。何で挙げなくなったんだ?

「準ちゃん、何故式を挙げなくなった?もしかして向こうさんとなにかトラブルでもあったのか?」
「……金の事なら心配しなくてもいい。直人と違い、式を挙げるくらいの余裕はある。
一生の思い出になるんだ、式は挙げなさい」
「そうよ、準ちゃん。結婚式は女にとって一生に一度の晴れ舞台。その舞台に上がらなくてどう
するんですか!」

 俺と親父、お袋。三者三様に驚き、問いただす。
俺達準ちゃんの花嫁姿を楽しみにしてたんだ、その楽しみを奪ってくれるなよな。

「直人さん、おじさん、おばさん……ゴメンなさい!けど、慎介さんと相談して決めたの。
式は挙げずに、お金を貯めて頑張ろうって」

 真っ直ぐに俺達を見つめ、何かを決意したような表情で話し出す準ちゃん。
その表情に押され、口を挟めない俺達。

「あたし達、いつになるか分からないですけど、一人前の美容師になったら……二人の店を持
ちたいんです」
「え?み、店を持つ?店を経営するってことか?」

 準ちゃんの言葉に驚き、つい口を出してしまう。
安田君と二人で店を経営するのか……だから式を挙げないんだな?

「慎介さんのご両親にもこの話はしています。ご両親には店を出す時に、資金をお借りするよう
にお願いしています。
結婚式を挙げるお金を、お店の開店資金にするために、式は挙げません。
せっかく楽しみにしてくれてる直人さんやおじさん、おばさんには悪いんですが……二人で相談
して決めたことなんです」

 真剣な眼差しで話す準ちゃん。……そっか、準ちゃん、これからの生きる道を決めたのか。
準ちゃん、大人になったな。もう俺の助けは要らないな。彼女はもう立派な大人だ。

「……そっか。うん、二人で決めたんなら頑張りな。ただし!俺達にもその店に融資させてもら
う。それが式を挙げない条件だ」
「ええ?で、でも、そこまで迷惑は……」
「そうだな、直人の言うとおりだ。せっかく楽しみにしていた式を挙げないと言い出したんだ。
そのくらいさせてもらわねば割に合わん。安心しなさい、貧乏な直人と違い、私達夫婦は金を
溜め込んでいる。
もちろん融資した金は返してもらうよ。借金返済できるよう、二人で力をあわせ、一生懸命頑張
るんだ」
「お、おじさん……ありがとうございます!あたし……あたし達、一生懸命頑張ります!」

 ポロポロと涙を零し、泣きじゃくる準ちゃん。そんな準ちゃんを心配そうに見つめる美佳ちゃ
ん。
美佳ちゃんの目にも涙が溜まっている。準ちゃんが自分の将来を決めてたことが嬉しいんだろ
うな。
美佳ちゃんは将来なにをするのか、何をしたいのか考えてるのかな?今度話を聞いてみるか
な?

「まったく……まだ店を持った訳でも、ましてや一人前になったわけでもないでしょ?
泣くのは自分の、自分達の店を持ってから泣きなさい!さ、美味しい料理があるんだから、早く
食べましょう」

 同じく涙目のお袋がパンパンと手を鳴らし、泣きじゃくる準ちゃんを元気付ける。
はははは、言ってる本人が泣きそうになってるじゃねぇか。お袋も嬉しいんだろうな。



「失礼します。ご注文のビール、お持ちしました」
「あ、ありがとうございます。さ、美佳。直人さんに注いであげてね」
「はいです、姉さん!直人さん、どうぞ」

 仲居のおばさんが持ってきた冷えたビールを受け取る。
ビールを見るのも久しぶりです。ビールだけじゃなく、アルコールが入った飲み物を見るのがと
ても久しぶりなんです。

「え?い、いや、準ちゃん、俺達はほら、酒、飲まないから。二人とも、知らなかったっけ?」

 突然持ってこられた瓶ビールに驚く直人さん。
おじさんもおばさんもビックリした顔をしちゃってます。
直人さんやおじさん、おばさんがお酒を飲まない……嘘です。
直人さん、初めて会ったあの日の夜、美味しそうにビールを飲んでました。
次の日に、ホテルの近くの居酒屋で相談に乗ってもらった時もビールを注文してました。
……その日が最後でした。直人さんが私達の前でお酒を飲んでいるのを見たのは。
おじさんとおばさんもそうでした。初めて直人さんの家に招待された時、冷蔵庫の中にはビー
ルがたくさん入れてありました。
棚には日本酒やウイスキー、いっぱいお酒が飾ってありました。
でも、次に招待された時、全部なくなっちゃってました。……皆さん、とても優しいんです。
私達がお酒に酔った父さんにいっぱい叩かれたりしてた事を知り、私達の目の前でお酒を飲
むのを止めてくれたんです。 

「美佳、ちょっとこっちに来なさい」
「はいです、姉さん」

 直人さん達から少し離れた場所に二人並んで正座をする。
今回のドライブの目的……お世話になりっぱなしの直人さん達に、恩返しをすること。
もう私達は大丈夫です、強くなりましたとお礼を言う事なんです。

「直人さん……見ず知らずのあたし達を助けてくれて、本当にありがとうございました。
直人さんと出会っていなかったら、あたし達、どうなっていたか、わかりません。本当にありがと
うございました」

 直人さんを見つめ、今までの感謝の言葉を述べる姉さん。
ホントにその通りです。あの時直人さんに出会わなければ、姉さんと私、どうなってたか、考え
たくもありません。
姉さんに続き、私も感謝の言葉を口に出します。

「直人さん、おじさん、おばさん……私達に気を使ってくれて、ありがとうございます。
私達、お酒に酔った父さんに、いっぱい叩かれたり蹴られたりしてました。
……だから、ですよね?
私達がお酒にいい思い出がないから、お酒、我慢してくれてたんですよね?
でも、もう大丈夫です!姉さんも私も、もう大丈夫なんです!
だから、今日はたくさん飲んで、酔っ払っちゃってください!
今日はたくさん、たくさん飲ませちゃいますから!」

 驚きの表情を浮かべる直人さん達。
私と姉さんはそんな直人さん達のコップにビールを注ぎます。

「さ、直人さん、おじさんにおばさん。今日はたくさん飲んでくださいね?
お酒に対する嫌な思い出……今日でいい思い出に変えさせてください」

 ニコリとほほ笑んでお酌する姉さんに注がれたビールを、無言で一気に飲み干したおじさん。

「直人さんも飲んでください。私、どんどん注いじゃいますから!」

 直人さんも無言で一気に飲み干しました。二人とも、無言で飲み干し、頷いてます。

「……美味い。こんな美味いビールは初めてだ。二人とも、ありがとうな」

 目に涙を浮かべた直人さん。おじさんとおばさんも涙ぐんじゃってます。

「……おし!今日は飲むか!こんな美味い酒は、滅多に飲めないからな!」

 お酒で少し酔っ払った直人さんはとても明るくて、面白い話ばかりをしてくれました。
おじさんは普段と変わらず黙々とビールを飲むだけでしたが……おばさんがおじさんに甘えだ
したのには驚いちゃいました。
宴会というものを初めて経験しましたが、とても楽しかったです。
料理もとても美味しくて、お腹いっぱい食べちゃいました。
……お刺身、新鮮でコリコリしててビックリしました。スーパーのお刺身とは比べ物になりませ
ん。
とても美味しくて、姉さんと二人で『お刺身コリコリしてるね、美味しいね』と唸っちゃいました。
……直人さん、コリコリ姉妹というのは止めてくれませんか?ちょっと恥ずかしいです。



「……直人さん、とても美味しそうにビール飲んでました」

 楽しい宴会も終わり、直人さん達と別れて部屋に戻り、いつの間にか用意されてた布団に寝
転がります。
凄いです!知らないうちにお布団が敷かれてるなんて、至れり尽くせりです!温泉旅館は凄い
んです!
美味しいお料理でお腹いっぱいになった私と姉さん。
宴会での嬉しそうな顔の直人さん達を思い出し、話します。……少しは恩返し、出来たのでしょ
うか?

「そうね、おじさんも美味しそうに飲んでたし、おばさんも嬉しそうだったわね」
「直人さん、美味しい美味しいと言って、ぐびぐび飲んでました」
「そうね、美味しいばかり言ってたわね」
「美味しいと言えばお刺身!とってもコリコリしてて美味しかったです!……でも直人さんにコリ
コリ姉妹と言われちゃいました」

 そうです、また直人さんにヘンなあだ名を付けられちゃいました。
腹ペコ姉妹の次は、コリコリ姉妹……直人さんはヘンなあだ名ばかりつけるイジワルさんなん
です!

「……クスッ、さっきから美佳、『直人さん直人さん』ばかりね?そんなに好きなら思い切って告
白しちゃえば?」
「な、なにを言ってるんですか!姉さんはイジワルです!姉さんも直人さんもイジワルなんで
す!」
「ほら、また直人さんって言った。ホント、美佳は直人さんが大好きなのね」
「はわわ!……うぅぅ〜、イジワルなんですぅ」

 イジワルされて、真っ赤になった顔を隠すため、ふかふか布団に顔を埋める。姉さんも直人
さんもイジワルです!

「……ねぇ美佳。少しは恩返しできたかな?直人さん、喜んでくれたかな?」
「きっと大喜びです。直人さん、美味しい美味しいって、ビールを飲みすぎて、おばさんに怒られ
てました。きっと嬉しかったから飲みすぎちゃったんです」
「そうよね……きっと喜んでくれたわよね?うん、恩返し第一段、大成功ね!」

 少しは感謝の気持ち、届いたのでしょうか?……私のこの気持ちも、届いてほしいです。
……ええ?恩返し第一段、ですか?ということは第二段も考えちゃってるんですか?姉さん、
流石です!

「姉さん、第二段はなにをするんでしょうか?私、張り切って手伝っちゃいます!」
「ふふふふふ……残念ながら、美佳には手伝い出来ませ〜ん」
「うえええ?ね、姉さん!イジワルしないでください!」

 イジワルな笑顔で、イジワルを言う姉さん。
ヒドイです!仲間はずれはいけないんです!姉さんはイジワルなんです!

「いい美佳?絶対に秘密よ?誰にも話しちゃダメなんだからね?……あたしね、前から決めて
たの。
子供が生まれたら、直人さんから一文字貰おうってね」

 ……はい?こ、子供、ですか?生まれたら?……ふえ?ええええええええ〜〜?

「ね、ねねね、姉さん!子供、出来ちゃってるんですか?おめ、おめでとうございますです!」
「あはははは、コラ、慌てすぎ。まだ出来てないわよ。結婚前に出来ちゃったら、おばさんに叱
られちゃうでしょ?」
「そ、そういえばそうです。物凄く怒られちゃいそうです」
「でしょ?だから美佳も、直人さんとえっちする時はしっかりと避妊するのよ?
……美佳は直人さんといつになったらえっちできるのかなぁ?」 
「ね、姉さん!え、えっちとかそんな……へ、ヘンなことを言うのは止めてください!イヤらしい
こと言うのはダメなんです!」

 姉さんのイジワルな言葉に顔を真っ赤に染めてしまいます。
な、直人さんと、その、え、えっちなんて……は、恥ずかしくて想像も出来ません!

「こら、いつまで赤くなってるのよ?女はいざという時のために、色々用意しなきゃいけないの
よ?美佳もそろそろ考えておきなさいね?
……子供はね、絶対の欲しいんだけど、まだ作る予定はないの。
ほら、あたし達、自分のお店を持つのが夢だから。だからね、子供はまだまだ作れないわね。
でもね、子供には直人さんの名前一文字つけたいの。
直人さんのように、優しくて、素敵な人に育ってほしいの」
「姉さん……」

 とても優しい笑顔で話す姉さん。その表情はまるで死んだ母さんのように優しい笑顔でした。
……いつか私も母さんや姉さんのような優しい笑顔で笑える日が来るのでしょうか?

「でね、大きくなった子供にね、この人から名前をもらったのよって、直人さんを紹介したいの。
この人のように優しい人になりなさいってね」
「グス、ね、姉さん」

 姉さんの笑顔で、最近は思い出すこともなくなった母さんの笑顔を思い出し、涙が溢れ出ちゃ
う私。
グス、やっぱり姉さんはイジワルです。妹を泣かすなんてイジワルなんです!

「美佳、逃がしちゃダメよ?直人さん、絶対に物にしなさいね?姉さん、応援するからね?」
「グス……はい、直人さん、物にしちゃいます。絶対に物にしちゃいます!」

 泣きじゃくる私をギュッと抱きしめて頭を撫でてくれる優しい姉さん。
姉さん……姉さんの胸、とても温かいです。まるで母さんに抱きしめられているようです。

「……あたしが慎介さんを落とした方法、聞きたい?」

 姉さんの言葉にピクリと身体が反応し、涙も止まっちゃいました。

「……聞きたいです!」
「んふふふふふ……まずはね、相手の趣味思考を探るのよ。
でね、それに合わせつつね……」

 さっきまでの涙はどこに消えたのでしょうか?その夜は、姉さんからの直人さん落とし講座で
夜更かししちゃいました。
姉さんとこんなに話したのは久しぶりでした。とても有意義で楽しかったです!

 ……結局その日のドライブが、姉さんと私、直人さん達と一緒に行った最後のドライブになり
ました。
最後のドライブから2ヵ月後。姉さんは結婚し、部屋を出て行ったんです。



「ただいま帰りました〜。今日はお客さんがたくさんで、とても疲れちゃいました」

 電気の点いていない、暗い部屋。ただいまと言っても誰からの返事もない寂しい部屋。
初めてこの部屋を見たときは、狭い部屋だと思っていたのに、今は私一人でも、その広さを持
て余しています。
そんな部屋に帰りついた私は、誰も聞いていないのに、寂しい空間に話しかけてしまう。

「そんな疲れちゃってる私に、ご褒美があります!なんと、なんとですよ?……月見大福で〜
す!」

 帰りにコンビニによって買ってきた、冷たいアイスを袋から取り出す。
モチモチとしたお餅の食感と、中身の冷たいアイスがとても美味しくて、とても美味しいんで
す!
夏になると姉さんと二人で、一個ずつ分けて食べました。二個入りで、私達にはちょうどよかっ
たんです。

「さて、問題です。この月見大福、今すぐ食べちゃうか、お風呂上りに食べちゃうか。どっちがい
いんでしょう?」

 いつもは姉さんと二人、一個ずつ分け合って食べていたこのアイスも、姉さんが出て行ったの
で一人で二個食べちゃえます。
う〜ん、とても贅沢な悩みです。一個だったものが二個食べちゃえるんですよ?二倍です、二
倍なんです!

「……やっぱり一個で十分です。もしかしたら姉さん、安田さんと喧嘩して帰ってくるかもしれま
せん。
うん、お風呂上りに食べちゃいましょう。お風呂で汗をかいて、美味しいアイスで身体を冷やし
ちゃいましょう!」

 もしかしたら姉さんが帰ってくるかも?そう考えて、私はお風呂上りに一個だけ頂くことにしま
した。
冷凍庫に入れて冷え冷えに冷やしておこうとしたんですが……そこには封をあけ、中身が一個
だけの月見大福が入っていました。

「あ……そうでした。一昨日も買ってきてたんでした。一昨日も姉さんのために一個残しておい
て……」

 目の奥が熱くなって来たのが分かります。
いけません!姉さんと約束したんです!寂しくても頑張るって約束したんです!
頑張るんです、私!頑張ってください、私!
頑張ろうとしてる私の脳裏に、この部屋での姉さんとの思い出が蘇ってきました。
その楽しい思い出の一つ一つが頑張ってる私の涙腺を苛めます。
グス、姉さんは思い出でもイジワルです。頑張ろうとしてる妹を苛める姉さんは、ひっく、イジワ
ルなんです!

「ね、ねえさ……ひっぐ、ねえさぁん……グス、寂しいです。一人は寂しいんです!」

 イジワルな姉さんのせいで、涙がポロポロと溢れ出てきます。
……これは思い出の姉さんがイジワルなせいです。泣いちゃった事にカウントはしません!
冷凍庫から残していた月見大福を取り出し、パクパクと口に運びながら涙を零す。
ひっく、冷たくて、グス、美味しいんです。でも、この美味しさを、姉さんと……寂しいです、姉さ
ん!

『ピンポーン!……ピンポピンポピンポーン!』

 突然の呼び鈴に身体がビクリと反応しちゃいました。
え?だ、誰ですか?こんな夜遅くに……と言ってもまだ8時過ぎですけど。
ゴシゴシと涙をふき取り、恐る恐るフライパン片手にのぞき穴からドアの外を覗きます。
ヘンな人だったら、フライパンで叩いちゃいます!姉さんが言ってました。ヘンな人はフライパ
ンで叩いちゃえって!
ビクビクしながら覗いドアの向こうには……スーツを着た男の人が立っていました。
その顔を見た瞬間私はドアの鍵を開け、飛び出しちゃってました。

「グス、直人さん、直人さん〜!ひっく、直人さ〜ん!」

 胸に顔を埋めて泣きじゃくる私に、何も言わずに、私が大好きな大きな手で頭を撫でてくれる
優しい直人さん。
その優しさに甘えて泣きじゃくり、直人さんのスーツ、涙で汚しちゃいました。 


「あ、そ、その……ゴ、ゴメンなさい。スーツ、汚しちゃいました」
「ああ、気にしなくていいよ。美佳ちゃんのような可愛い子の涙で濡れたなんて、男の勲章だ
よ。
ところで料理中だったのかい?フライパン持ってたけど、料理の練習してたのかい?」

 ぐぅ!い、言えません。ヘンな人だったら叩いちゃうつもりでしたなんて言えないんです!
そんなことを言っちゃったら、ヘンな子だと思われちゃいます!

「そ、その……どうぞ」

 話を逸らすために冷蔵庫から冷えた麦茶と、買ってきたばかりの月見大福を取り出す。
そうです、余っちゃう一個は直人さんに食べてもらえばいいんです。
姉さんが帰ってきたら、一緒に買いに行けばいいんです。

「お?気が利くなぁ。ありがとうな、美佳ちゃん」

 冷たい麦茶を一気に飲み干した直人さん。まるで皆で行った温泉の時のようです。
あの時の直人さん、美味しそうにビールを飲んでました。
皆さんとっても楽しそうでした。私も楽しかったし……姉さんも、楽しそうでした。
 
「……今日、俺が来た理由なんだけどね、そろそろ美佳ちゃんが寂しくて泣いちゃってるんじゃ
ないかと思ってさ。
暇つぶしになるかなって、いいものを持ってきたんだよ。これで寂しくもなくなるぞ?」
「な、泣いてなんか……すみません、泣いちゃいました」

 姉さんのことを思い出し、涙ぐんでしまった私をからかうような口調で励ましてくれる優しい直
人さん。
直人さんに心配させちゃってる私はまだまだダメな子です。
早く一人前の女になって、直人さんと……直人さん、それまで待っててくれるのでしょうか?

「はははは、今日来て正解だったな。でもな、今日からは一人でも暇せずにすむよ。
俺が使ってたお古で悪いんだけどな……これ、使ってみな?結構楽しいから」

 ニヤリと笑みを見せた直人さんが鞄から何かを取り出しました。
その何かは、四角くて薄い物でした。あれ?これってどこかで見たことがあるような?……あ!
思い出しました!

「これって、もしかして……パソコン、ですか?」

 そうです、温泉で見ました!直人さんがこのパソコンを触ってるのを確かに見ました!
パソコンって高価な品物で、私達姉妹には手が出なかったんです。ですから学校で触るくらい
しかした事がありません。

「安物のノートPCだけどな、インターネットもすぐに来るようにOh!モバイルの端末もついてるし、
いい暇つぶしになるぞ?」
「え?インターネットも、すぐに出来ちゃうんですか?」
「おお、出来るぞ。これで調べたいものもネットで調べればすぐに分かる。料理のレシピも調べ
たい放題だ。
ネットで勉強して、お袋をギャフンと言わせてやれ!」
「え?ええ?ギャフン、ですか?よ、よく分かりませんけど……が、頑張ります」


 直人さんが持ってきてくれた小さなノートパソコン。
このパソコンのおかげで私の世界が広がり、今まで知らなかった事をたくさん知るようになりま
した。
そして、直人さんが消し忘れた一つのソフト。
何ヶ月も使っていなかったために消し忘れてたチャットソフト。
このチャットソフトのおかげで、私は直人さんを今まで以上に知る事が出来たんです。
姉さんと西原さん達クラスメート以外にも、私の恋を応援してくれる人が出来ちゃったんです。
……応援、なのかなぁ?unaさん達は面白がってるだけじゃないのかな?



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