Jeux Interdits

 

 

 纏う色は黒。月の存在しない、夜。
 オパールグリーンの星を二つ瞳にして、猫のように妖しく閃かせるだけ。
 する、する、と足を地にすりながら歩むが、立てられる音は重くない。美酒に酔ってでもいるかのように色気立ち、そこに深刻な理由など無さそうだった。逆に、酷くゆったりした速さ、遊ぶ足取りで心地よく散歩でも愉しんでいるくらいだ。

 この城の中で最も広い部屋の前。彼は幼い声に呼び止められ、足を止めた。
「パーシー」
 彼の名を弾む声に呼ばれ、パーシー――パーシヴァルは闇の空気を瞬く間に消し去る。
「お帰りなさい!」
 たたた、と軽いリズムで駆けてくる少年を振り返り、パーシヴァルは華やかに微笑した。少年の名はランスロットといった。白いシャツの首元で結んだ落ち着いた緑のリボンは、ランスの足に合わせて胡蝶のように揺れ動く。
「ただいま、ランス」
 パーシヴァルは走る勢いのまま腕の中へ飛び込んでくるランスを受け止めた。その腕は男のものと思えないほど細かったが、少年を受け止めても彼の身体は揺らいだりしなかった。
 ランスロットを顔と同じ高さまで抱き上げると、額をこつん、とぶつけ合った。
「おみやげだよー」
 そういって、パーシヴァルはランスのぷっくり膨れた唇に口付ける。ランスは顔を輝かせ、彼のキスを受けた。
「んんぅ……」
 パーシヴァルが舌を差し出すと、少年はちゅる、と音を立てて彼の舌を吸った。途端ランスロットの紅い瞳は蕩け、夢中になってパーシヴァルの口の中を貪った。
「んぁ……っ、ん、ん…っん――……」
 パーシーの熱を辿って喉の方まで幼い舌を伸ばし、彼の口内に残された甘さを求める。もっと、と甘えるように顔を両手で挟まれ、首をランスの好きな角度に動かされる。パーシヴァルは何一つ拒むことなく、ランスロットの好きにさせた。
 ランスが呼吸に限界を迎えてキスを終わらせると、パーシヴァルは少年が苦しげに空気を求める様を微笑って見守る。
「ぷはっ……はぁ、……は、…っ」
「美味しかった?」
 苦しさに高潮した少年の頬に優しいキスを与えて、よしよし、と頭を撫でてやる。愛らしいランスロットを見ていると、愛しさばかりが募る。
 ランスを片手で抱えあげたまま、パーシヴァルが目の前の部屋につま先を向けると、扉は自動的に部屋の主を迎え入れた。扉が開くのと同時、主の帰りを喜んで部屋の全ての照明が自ら灯る。
 パーシヴァルはランスを床におろしたが、甘えたがりの子供はパーシヴァルの細腰に絡みつくように抱きついて離れなかった。
「美味しかったけど、足りない。お腹すいてるんだ」
 幼き少年のおねだり。言葉の端でもっと欲しいのだとランスが言うと、部屋の外からひとつため息が零れた。
「何を仰ってるいるのですか、先ほどまで僕を召し上がっていたのに」
 振り返れば、二人がキスを交わしていた場所に一人の青年の姿。
「ノエルだって、僕の血飲んだでしょ」
 パーシヴァルの腰にしっかりと腕を回したまま、ランスはその青年にへ言い返した。
 ノエル、というのが青年の名。短くしていたのだろう黒髪は少し伸び気味で、伏し目気味の黒い瞳。黒のスーツをまとっていた。スーツの中に着ている白いシャツの襟は大きく、その隙間から太目の革の首輪が見え隠れしている。見たところさして年をとっているようでもなく、齢は精々二十といったところだろう。纏う空気の特殊さから、彼もパーシヴァルやランスロットと同じく人間ではないと分かるのだが、彼は吸血鬼二人ともまた違った。頬には刃を模したような入れ墨が幾筋か走っている。何よりノエルの耳は二人とは違い、アッシュ掛かったブラックの獣の毛に覆われているのだ。
 彼は吸血鬼を主と忠誠を誓った、狼男だった。
「僕が貧血になるまで召し上がられたんです、そのくらいは頂かなければ」
 ノエルは幼いランスロットへも丁寧な口調で返し、そうして居住まいを正すと一つ深く頭を下げた。
「お帰りなさいませ、パーシヴァル様」
 関係性は見た目を裏切らず、主と飼い犬そのもの。
 パーシヴァルはノエルへ微笑を投げかけ、部屋の中へ手招く。ノエルが部屋の中へ足を踏み入れると、扉は音もなく閉じた。
「そんなにたくさん吸われちゃったの、ノエル」
 ノエルは黙って小さく頭を下げると、ランスは頬を片方膨らせて「だってお腹へってたんだもん」と呟く。パーシヴァルが唇を尖らせた少年の頭を掌で撫でてやると、ほんの少しだけノエルの瞳の端が揺れた。其れは普通なら気づかない程度の、本当に微々たる心情の揺れだが、パーシヴァルはそれを見逃したりはしない。
 おいで、と一言告げると、パーシーはランスを抱えてソファまで移動した。ノエルは言われるままに主に従い、後をついていく。
「ノエルもお腹空いたよね」
 ランスロットを抱きしめた状態でソファに仰向けになると、パーシヴァルはシャツの袖のボタンを噛み付いて外した。白く細い手首が晒され、ノエルの耳がぴくりと動く。視界の端にそれを捉えたパーシーは口元を半月の形に歪め、吸血種特有の発達した犬歯を紅い舌でなぞった。
「美味しそうだろう?」
 蠱惑的な笑みを浮かべて白い指先を一本ノエルへ向ける。その指を、くい、と手前に引く。まるでノエルの首輪を繋ぐ目に見えぬ鎖を引っ張るように。すると飼い犬は本当に鎖を引かれた風に床に膝をつけた。パーシヴァルが満足げに目を細めると、長い睫が秀麗な顔立ちに陰を落とす。
「イイ子」
 そう言ってパーシヴァルは自分の手首に牙を突き立てた。ズプリ、皮膚と肉が裂け、骨がずれる。――そして訪れるはずの、激痛。けれどパーシヴァルは微笑を少しも崩さなかった。
 傷から唇を離した。途端漂う芳香。牙の痕からは鮮血が溢れる。ノエルとランスロットはその香りに、瞳を獣めいた色に染めた。
「欲しい?」
 パーシヴァルは慈愛に満ちた声で問い、鮮血の溢れる腕で跪いたノエルの頬に触れた。腕を僅かに持ち上げる状態になり、血液はとろりと肘の方へ流れ、床に滴ってゆく。
 ざわりとノエルの獣の毛が騒いだ。
「パーシー、もったいないよ……」
 パーシヴァルの腹の上から幼い声。奔流をせき止めるように、ランスロットは指先で血の流れをすくい、紅く穢れた指を口に含んでは幸福に表情を蕩けさせた。
「そうだね、飲んでもいいよ」
 クスクスと木々のさざめきに似た笑いをこぼし、パーシヴァルは手首の傷をノエルの唇へ押し当てる。主の許可を聞くなりノエルはパーシヴァルの左手を両手で掴み、細い手首に牙を剥いた。
 もう片方の手はランスロットのペリレンレッドの髪をさかなでるように頭皮を指先で撫で、そのままランスの頭を自分の首筋へと押しつけた。幼い手がパーシーの胸と肩にぺたりと置かれ、頸動脈の深くまで牙に犯される。
 ヴァンパイアには吸血行為の際に餌に快感を与える能力がある。ヴァンパイアよりもその能力の低いライカン(狼男)のノエルと、ヴァンパイアとしてまだ未熟なランスロットに身体を預けるパーシヴァル。オパールグリーンの瞳はゆっくりとに欲に潤みだす。しかし、やはり痛みも少しはあるのだろう、時折苦しげに息を詰めては、堪えきれない喘ぎが零れた。
「……っぁ、……! ほら、そんなにがっつかないでも逃げたりしない、よ……?」
  ジュル、ズルルッ…
 水分を吸い上げる音が派手に立ち、吸血されているのを耳で感じる。眩暈がするほどに溢れ続ける血の匂い、肌は風の流れを感じ取れるほど過敏になっていく。宝石の瞳は、ランスロットを映すことはできないが、パーシヴァルの手首を一心に貪る狼の様はとても愛おしい。
「どう? 美味しい?」
 興奮に掠れた声を零せばランスロットが首を擡げ、顎まで血にまみれた顔でキスを求めてくる。
 噛み付くような、猟奇的な口付け。パーシヴァルの頬も血に濡れてゆく。自分の体液なので美味とは感じないが、興奮剤としては最高だった。
 ノエルはパーシヴァルの腕から一度牙を引き抜くと、溢れ続けている血をネトリと舌で舐めとった。ぬるついた紅い舌が肌を這う感触に、パーシヴァルは吐息の熱を上げた。ノエルは再び首を傾げ、ズプリ、手首に牙を突き立てる。
「あ、はっ……もっと欲しいの?」
 問いかけられて、ノエルは伏しがちな目をパーシヴァルに向けた。あまり表情豊かなほうではないが、今は頬を上気させ、切なげに顔を歪めていた。
「パーシ、ァル、さま……」
 苦しくて仕方ないのだと言わんばかりに声を掠れさせ、呂律も怪しい。パーシーは満足げに微笑み、ノエルへ投げ出していた腕を手放させる。
 少し上体を起こすとランスロットから不満げな声があがり、パーシーは少年の赤い髪に通していた指で、ランスの耳の後ろを優しく撫でた。くすぐったいのか、ランスロットは体を丸めてふるふると震える。
 与えられていたものを失ったノエルは、おとなしくひざまづいて「待て」をしていた。いい子だね、と呟き、パーシヴァルは血に濡れた指でノエルの顔の刺青をなぞる。そのまま指を髪に絡めて額のところまでくると、そこで手を強く握った。絡めとられていた髪を引っ張られることになり、ノエルは小さくうめく。
「つ…ぅっ!」
 痛みに顔を歪め、前のめった。パーシヴァルは痛みを訴えるノエルに構わず、腕を吊り上げ、自分のほうに引き寄せた。
「可愛い子に、ご褒美をあげよう」
 顔をノエルの耳の間近に寄せ、パーシヴァルは獣の耳を軽く食む。びくりと跳ねる体に喜色を示し、パーシヴァルはノエルの首筋に強く、深く噛み付いた。
「っぁ……ア、あ――、あアぁ、っ……」
 部屋中に響く悲鳴。――引き攣った声だが、そこには愉悦しか見出すことはできない。恍惚と、まるで心が壊れてしまったようにも見える表情を浮かべ、ノエルの体は鼓動に合わせてヒクヒクと痙攣した。ずるり、と牙を抜き、ノエルの髪から手を離すと、彼の体はくたりと地に崩れてしまった。
 一連のことを、幼いランスロットは動揺の欠片もなくただ見つめていた。
「――」
 小さくぽってりとした唇が薄く開かれ可愛らしい声が零れる、といったところで部屋のドアが二度、鳴らされた。
   コン、コン
 それに反応したのは、部屋の主であるパーシヴァルではなく、ランスロットだった。
 ほんの少しだけ頬を膨らせて、少年は軽くドアを睨み付けた。パーシヴァルがしどけなく唇を舐め上げて、オパールの瞳をドアに向けると、静かに扉が開かれる。
 扉の向こうにいたのは、薄紫の髪をした長身の男。ヴィンセントだ。扉の風圧で彼のゆるく波打った髪が少し靡く。
「パパがお迎えに来ちゃったねぇ、ランス。残念」
 パーシーがおどけた調子で言い、ランスロットの頭を撫でてやると、ヴィンセントの目が鋭く細められた。
「またそんなになるまで……。ノエルに無茶をさせるなといつも言っているだろう」
 ヴィンセントが咎めたのは、床に伏して起きあがることもできないでいるこの城の執事のこと。けれどパーシヴァルはにやりと口の端を吊り上げて言い返す。
「別にそんな無茶させてないよ。噛んだらイッちゃっただけ――って、ヴィニー、ホントはノエルなんてどうだっていいくせに。ランスが僕に食べられちゃってないか、心配になって来たんでしょう」
 体をしっかりと起こし、ソファに座りなおすとパーシーは自分の腹の上に乗っていたランスロットの脇に手を差し入れ、ヴィンセントの方を向けて立ちあがらせた。
「パーシーにちょっと飲ませて貰ってただけだよ……」
 視線を床に流して、ランスロットは小さく言う。
「……詩の書き写しは終わったのか?」
 ギクリ、とランスは肩を強張らせる。ヴィンセントの長い足が一歩、部屋の中へ進んだ。
「五ページできたら見せに来なさいと言っておいたはずだぞ」
「だって、パーシーがいい匂いさせてたんだもん……」
 もごもごと口先で言い訳をしようとするランスロットを見て、パーシヴァルは笑った。
「僕の前は、ノエルが貧血になるまで吸われてたみたいだよ?」
「パーシー!」
 告げ口をされて慌てふためくランス。ヴィンセントの目がきらりと光る。
「ランスロット」
 冷風を思わせる響きがランスロットの肩を強張らせた。少しの間の後、しぶしぶといった調子で「はい」と小さな声が応える。
「選ぶ権利は与えよう。ラテン語の暗誦一冊追加と、二十四時間の吸血禁止。好きなほうを選ぶといい」
「えぇえ! 酷いよ! どっちも無理だよ」
「反省しなさい。罰だ」
「えー……」
 ランスは肩を下げて落ち込んだ気分を全身で表しながら、とぼとぼとヴィンセントの方へ足を向けた。
「じゃあ……ラテン語。でも一人でやるのは寂しいから、ヴィニー、終わるまで一緒にいてくれる?」
 うな垂れて顔はみせず、ランスは小さな手でヴィンセントのシャツの裾をつまむ。
 ソファで踏ん反り返ってみていたパーシーには、その瞬間、ヴィンセントの背後でキューピッドが矢を射るのが見えた。
(……おもしろーい)
 其れはパーシヴァルだけでなく、ランスロットの心の声でもある。


 二人が手を繋いで部屋から去っていくところまでを見届けると、パーシヴァルは一人「さてと」と呟いた。
「ねぇ……そろそろ起きてよ」
 しなやかな足をそろり、伸ばし、床に崩れたままの飼い犬を突く。
「ランスとヴィニー行っちゃったからさ、ノエル」
 艶を含んだ声音で呼ぶと、くたりと倒れたままだったノエルの身体が起き上がろうと動き出す。しかし思い通りにならないのだろう、腕で身体を支えようとしても力が入らず再び崩れてしまう。けれど、そんなことはパーシヴァルには関係ない。
「そんなになるくらい気持ち良かったの? でも、駄目、そんなの許さないよ。まだまだ遊び足りないんだ」
 足先でノエルの顎をついと持ち上げ、血に濡れた唇をいやらしく嘗めあげた。ノエルの闇色の瞳は長い睫に縁取られ、一層暗い色に見える。
「ご主人様(ぼく)の血をあんなに飲んどいて、動けないはずないよね」
 ノエルの唇は、小さく動いて主人の名を呼ぶ。それはほとんど音にならないほどの声で、パーシヴァルに届いたのかは知れない。

「さ、一緒に遊ぼう、ノエル? 命令してあげる」
 
 しかし、優美に微笑む吸血鬼に、飼い犬は尾を振る意外にできることなどあるはずも無いのだ。

 

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