視覚系統の接続が悪いらしいのだ。
こんなにも晴れた日に突然それが起こると、暗転する世界に着いて行けずに面食らってしまう。
「ああ またや」
しかし驚きはするものの慣れているので、慌てる事もなく辺りをそろそろと手探る。
危険のないのを確かめてから、そのままそこへ腰を降ろす。
廃墟と化したこの街では、通行の妨げになる等という懸念はさほど必要ない。
ここ最近、視神経代わりのケーブルの腐食がいよいよ酷いとみえる。
頻繁に一時的な“失明”の発作が起こるのだ。
こんな時はじっとしているに限る。
下手に動き回ってこれ以上破損するのもつまらないからだ。
大抵はものの数分で見えるようにはなる。
だから、それまではじっと待ってみる。
視力の回復を。
或いは導いてくれる、手を。
【第44次産業革命の憂鬱。】
待ち人はさして待たぬ内に現れた。
聞き慣れた足音でそれを察すると、幾許か和らいだ気持ちになる。
耳に届くリズムは決して早まりはしないが急いたりはしない。
さくさくと砂利を踏む音が、1歩1歩と近付くのがわかるから。
「ユウちゃん。また、見えなくなっちゃったの?」
頭上から降る声に顔を上げる。まだ視力は戻らない。
目を開けているのは感覚でわかるのに目の前は黒一色。
黙ったままで頷いてみる。
その振動で接触不良が直る事を期待したが、どうやらそうもいかなかったようだ。
手を引かれる。
立ち上がる。
手を繋いだまま歩き出す。
行き先を尋ねる事は疾うに忘れた。
そんなものは初めからないのだ。
「ねぇ、見てもらいに行ったら?」
「い や や」
「どうして?」
「…バラされ る さかい 嫌 や」
「そんなコトないかもよ?」
「ジ ロー も知っと る やろ」
街の外れには“修理屋”と呼ばれる場所がある。
しかしそこへ行くのは気が進まない。
何故なら今まで、そこへ行って戻って来た者は1人もないからだ。
「ガク ト も タキ も シシド も チョ タ も ヒ ヨシ も
帰っ て来ぃひ ん やん」
そう、誰1人、帰って来なかった。
皆が皆“修理屋”へ行ったとは限らないのだが。
「解体(バラ)されたとは限んないよ。
どっか売り飛ばされたのかも知んないし。
でなきゃ、“巡回”に回収されちゃったのかも。」
それはわかっている。
消えた仲間の末路など知りたくない。
どうせ明日は我が身なのだ。
「・・・バ ラさ れる んは 嫌 や」
会話はそこで途切れた。
あるのはただ砂利を踏みしめる音。
遠く離れて尚届く、スクラップ工場の轟音。
溶鉱炉の煙突から垂れ流される、金属を溶かす異臭。
触れ合う手と手はまるきり同じ温度を保ち続ける。
ここには有機物が1つもない。
「…でもそれじゃあ、おれがいなくなったら、ユウちゃん困っちゃうよ。」
「・・・ い なく なっ た ら?」
「うん。…多分おれね、もうすぐ声が出なくなる。」
この界隈には“巡回”がいる。
これに出会った場合。
己の製造ナンバー、認証コード、IDパスワードを自力で、音声によって告げなければならない。
それが出来ない者は故障品と見なされ、即座に回収される。
行き着く先は溶鉱炉か、スクラップか。
いずれにせよそれは死を意味する。
「つれてかれたら、もうユウちゃん迎えに来れなくなっちゃう。」
変わらない声のトーンが、悲しい、と思う。
仲間を失うのはもう嫌だった。
1番大切と思える相手ならそれは尚更。
かける言葉が見つからない。
「あ、もしかして。」
先を行く足音と繋いだ手から伝わる振動が同時に止んだ。立ち止まったのだ。
危うくつんのめりそうになりつつ、辛うじて態勢を立て直す。
「ユウちゃんが“修理屋”に行かないのって、おれがこわれるまで待ってくれてんの?」
冗談めかした声音であっても、真剣な問いだとすぐにわかった。
理解は出来た。
しかし、思考がそれに追いつかない。
実の所、腐れているのは視神経ケーブルだけではなかった。
その奥の中身も相当に危ないのだ。
日に日に鈍くなる思考にも気付いている。
向こうの声が出なくなるのが先か、
こちらの中枢が完全にいかれるのが先か、可能性としては五分なのだった。
先刻の問いを反芻してみる。
待っているのか、そうでないのか。
どちらなのかよくわからない。
否とも応とも判断がつかない。
困ってしまった。
だからとりあえず、少し笑ってみた。
それから、1つだけ、確かな事を口にしてみる。
「・・・・・・ 俺 ジロ ー 好き や 」
ふ、と小さく笑い声が聞こえた。
今視力が戻ったなら、やっぱり困った顔で笑っているのが見えたろう。
「おれも、ユウちゃん好きだよ。
そーやって、たまに会話がセーリツしなくなるトコも全部。」
「・・・ご めん な」
「あやまんないでよ。そーいうトコも好き、って言ってんじゃん。」
ぎゅ、と繋がれた手に力が篭もる。
また手を引かれる。
歩き出す、当てもなく。
「・・・・・・ ジロー おらん くなっ た ら 寂し な る」
どうせ考える事が出来ないのなら、せめて感じた事くらいは伝えたかった。
「…だいじょぶだよ。」
「・・・ な んで 」
「……きっと、ユウちゃんも、すぐだから。」
声が、明らかに沈んだ。
手を引く力が強まる。
歩の進みも速まった。
“巡回”でも見つけたのだろうか。
お互いに、わかりすぎる程わかっているのだ。
不要とされてこの打ち捨てられた街へ連れてこられた。
あるのは廃墟と寒々しい空気ばかり。
“巡回”と言う名の警吏の蠢く、ここはモラトリアムの場所なのだ。
スクラップ場と、溶鉱炉と、如何わしい“修理屋”に囲まれて。
そのどれもが結局は処刑場。
抜け道はどこにもない、どう足掻いても無駄だと言う事。
お互いに、そう遠くない最後の日を待つばかりの身なのだという事。
「・・・お ん なし が ええ 」
「…おんなじ?」
「 おんな し や なくて えっ と・・・」
また1つ、思い出せない単語が増えた。
いよいよ時間がないのだろう。
体温のない手をきつくきつく握った。
「ジ ロー と おんなし が え え。
連れ て かれる ん やっ たら ジロー と おん なじ 日に 」
「一緒に、ってこと?」
機械に過ぎないこの身を“命”の1つとして数える事が許されるならば、
“死ぬ”時はせめて同じが良いと思った。
頷くと、右手が軋む程強く握り返される。
みし、という音に慌てたのか、その力が些か弱まった。
代わりに、もう1つの手が添えられる。
触覚が生きていて本当に良かった、と思う。
微笑んで顔を上げると、頭の奥でカチリ、と小さな音がした。
「・・・あ」
「どしたの?ユウちゃん。」
視線を合わせると、了解したのか安堵の笑みが返ってくる。
「あぁ、もどったんだ。」
「・・・ん」
「よかった。」
目の前に、人工繊維製の金色の髪をした少年。
人と見紛うその顔はしかし一部が剥げ、人にはない金属組織が少しのぞいている。
「ユウちゃん。」
「なに?」
「ありがと。」
腕を引かれる。
身を任せるとそのまま、ぎゅう、と抱き締められた。
決して温かくなどない筈なのに、そこに確かに温もりを感じた気がした。
「ユウちゃん。」
「ん」
「ずっと一緒だよ。」
「・・・ ん 」
離れる身体が酷く惜しかった。
手を伸ばすと、そっと指を絡められる。
「行こっか。」
「ん。」
行き先は聞かない。
そんなものありはしないから。
それでも胸の内は温かかった。だからそれでいいと思った。
ひとでなしの恋と笑わば笑え。
2人ならば何もかも、死ぬ事すらも怖くはないのだから。
打ち捨てられたものに心があった事など、人に知る由はない。
|
|