秋。
広大なる敷地面積を誇る氷帝学園のテニスコートは、例年に比べ、静かだった。
ほんの数ヶ月前までは、気温も上げよと言わんばかりの熱い練習風景が繰り広げられていたというのに―――。

都大会、敗退。
地区レベルの大会で躓くなど、ここ数年なかった事だ。
皆、死力を尽くして闘った。やれるだけの事はやった。
悔いはない。
悔いはないけれど―――。
悔しくないと言えば…それは勿論、嘘になる。
いつも通りのコートさえ、心なしか広く感じる。
気のせいではないのかも知れないけれど。

この学園の運動部では一応、3年生は1学期で引退という事になっている。
勿論、全国へ進出――となれば話は別なのだが。
今年は全国大会へ行けなかった。
他部の例に漏れず、男子テニス部の3年生も引退となった。
騒ぎの元凶とも言える人物が、軒並み退部してしまったのだ。

コート内外を問わず跳ね回っていた、ちょっとした事ですぐ大騒ぎの子供の様な向日。
眠っている事の方が多い癖に、ひとたび覚醒すれば誰も手がつけられない芥川。
氷帝の天才と謳われた…1人ではもの静かだけれど、誰かが騒げばそれに拍車をかける忍足。
それを諌める役であった部長の跡部さえ、ある意味騒ぎの元となる人物であった。
そんな彼らも、ここ暫くコートに訪れていない。
持ち上がりで進学するとは言え、皆それなりに忙しいのだろう。
静かなのはいい事だけれど、少し寂しい気もする。
日吉若は、1人小さく溜め息を吐いた。



『ひ・よ・し―――!!!』

らしくもなくしんみりとした思考を打ち砕くかの様なフェンス越しの大声に、日吉は思わず顔を上げた。
目を遣ればそこには、先の回想に現れた騒ぎの元の内2人。

「どうしたんですかお二人とも。と言うか、そんな所から絶叫しないで下さいよ」

「日吉、やったなぁ自分。とうとう"赤紙"来たんやてー?」

眉を顰める日吉の台詞が聞こえているのか、聞こえているのに無視しているのか、忍足は自分の話を続ける。
ローファーの為コートに入れないのだと察した日吉は、渋々フェンスに歩み寄る。
隣に立つ向日はともかく、実は忍足が苦手だったりする。

「赤紙?何の事ですか」

訝しげに問い返す日吉に、向日はきょとんとする。

「あれ?日吉に"赤紙"のコト話してなかったっけ?」

「初耳ですよ。それに赤紙って確か、召集令状じゃありませんでしたっけ?」

確か日本史の授業で習った記憶がある。
何故そんなものが自分の元へ届かねばならないのか、日吉には不思議だ。

「まぁまぁ、そら例えや例え。
 ウチの部には代々言い伝えがあってな。次期部長に決まった奴には必ず、太郎から"お手紙"が来んねん。来たやろ?」

確かに、それらしいプリントは今日の朝連の後渡された。
それを見ていた鳳が何故か青褪めていたのを覚えている。
恐らくこの話は鳳から漏れたのであろう。
相変わらずお喋りな奴だと、日吉は少し歯噛みしたい気持ちになる。

「来ましたが」

「そやろ?それが"赤紙"やねん」

無愛想に返す日吉を意に介さず、忍足は腕組みで満足気に頷く。

「そうなんですか…で、何で赤紙なんです?」

例えなのは解ったが、どうにも内容が穏やかでないのが気になる。
召集令状に匹敵する”何か”があるのだろうか。

「聞いて驚け!その手紙の内容がなんとッ」

向日は無駄にふんぞり返り、もったいぶって一度言葉を切る。
それから忍足と顔を見合わせ、意味深な笑みを浮かべた。

「太郎とマンツーマンミーティングのお知らせなんや!」
「太郎とマンツーマンミーティングのお知らせなんだぜ!」

語尾こそ違えど、2人の台詞はぴったり同じ。
練習してきたのではないかと思える程だ。
…が、驚くべきはそこではない事に日吉は一瞬遅れて気付く。

「…マ、マンツーマン、ですか…」

確かに、先のプリントには「ミーティング」と書かれていた。
だが、2人きりでとは聞いていない。

「そう!」
「そやねん!」

またしても見事な息の合い様。
ダブルスペアの絆は健在らしい。

「まーこれは通過儀礼やからなぁ。きばりぃやー日吉」

どう贔屓目に見ても面白がっているとしか思えない笑顔で、忍足は嘘くさい励ましを贈る。

「…で、貴方がたはそれを俺に伝えて面白がりに来たんですか?」

『もちろん!』

人の不幸を面白がる姿勢を悪びれもせず隠しもしない、その様子はいっそ小気味良いものがあったが。
ツッコミの言葉もなく日吉はコメカミを抑えた。
今は何を言っても面白がられるだけだと悟ったからだ。

しかし"あの"監督とのマンツーマンミーティングとは、日吉でなくとも少々ぞっとするものがある。
噂に過ぎない(と思いたい by氷帝学園男子テニス部員一同)が、「生徒を食っている」等というのは当たり前。
「100人斬りを達成した」だの「歴代のテニス部部長は全員餌食になっている」だのと物騒な話が幾つも、
まことしやかに囁かれる様な”あの”監督、榊太郎(43)と2人きり。
日吉は噂を大して気にする性質ではないが、それでもやや腰が引ける状況ではある。
「火のない所に煙は立たぬ」という言葉もある。
正直、出来る事なら御免被りたい。

「あの跡部も通って来た道やしな。負けてられへんやろ?」

が、さりげなく闘志をくすぐられ、日吉の目の色が変わる。

「…跡部部長も」

「…俺様がどうしたって?」

背後から尊大な声に不意打ちされ一同は飛び上がった。
特に向日の驚き様ときたら素晴らしく、初回の勢いでぴょんぴょんと飛び跳ねながら声の主から2m程距離を取った。

「うっわ跡部!びっくりさせんじゃねーよ!気配消して近付くな!」

「誰が気配消したって?漫画の読みすぎだバーカ」

「何だと!ムカつく!くそくそ跡部!!」

遠くからぎゃんぎゃん喚く向日を尻目に、跡部は悠然とコートに向き直った。

「樺地!やってるか?」

「ウス」

数メートル離れた所でシューズの紐を結び直していた樺地は、相も変らぬ従順さでフェンスに歩み寄った。
かの帝王もまた、ローファー履きである為中に入れないのだ。
尤も彼の場合規則云々よりも、本来身に染み付いた作法の良さがそうさせるのだけれども。

「…跡部はそろそろ樺地離れが必要やと思うで?」

「うるせぇ。後輩目にかけて何が悪いんだよ」

度を越している様に見えるのは自分の気の所為なのだろうか、と忍足は内心自問した。

「あー!樺地じゃん!!元気かよー?」

「ウス」

「見りゃわかんだろうが。相手にしなくていいぞ、樺地」

「何だよ!跡部に言ってねぇだろ!」

尚も言い募る向日を負け犬の遠吠えとばかりに無視すると、跡部は再びこちらを向いた。

「それにしてもお前ら暇だな」

「跡部と違うてな」

生徒会の引継ぎやらアルバム委員の集まり等に忙殺されている跡部に比べ、そうした役職に就いていなかった忍足はまだ気楽な方ではあった。
2人の会話を聞いた日吉は、毎日顔を出している跡部への「あんたのが暇だよ」というツッコミを押し殺していた。

「で、あいつらは進級できそうなのかよ?」

背後の向日を親指で示すと、途端に忍足は遠い目をしてみせた。

「…俺は出来るだけの事はやったったつもりやで…あとはあいつら次第や…。
 進級できんくても俺の所為やない…そや、俺の所為なんかやないで…」

暗い目をして低く笑う忍足の負のオーラに日吉は引いた。

「あ、あいつらって…」

「そこの馬鹿とジローだ」

「バカって言うなぁ!!」

最早誰にも相手にされていないにも関わらず、向日の罵倒は止む事がない。
実は引っ込みがつかなくなっているのだが、それをフォローすべき忍足はそれどころではない。
依然負のオーラを放ちながらブツブツと小声で何事か呟いている。

「でもさっき暇だって…」

「暇な事あるかボケェ!!ある意味跡部より重労働や!!!
 ええか俺はな、担任に『あいつらこのままじゃ進級できないから』って散々頼まれて毎日毎日放課後残って勉強見たってんのや!
 そやのにジローは寝るし岳人は飽きて飛ぶし!!
 留年したら可哀相やって俺の親心なんぞこれっぽっちもわかってへんのや!!!」

「わ、わかりましたから落ち着いて下さい」

迸る熱いパトスに恐れをなして日吉は忍足を制止した。

「で、ジローはどうした?」

「起きんから置いてきた」

もうそこまで面倒みきれん、と忍足は肩を落とした。
先程の様子からしても、相当ストレスが溜まっているのは明らかだ。

「ごめん侑士…俺もう飛ばないよ…」

フェンスに両手をついている忍足に、いつの間にか向日が歩み寄っていた。
放置されているのが寂しくなったのだ。

「俺ももう寝ねー!」

「岳人…ジローも…っちゅうかよぉここがわかったな」

「だってこれ」

芥川が手にしているのは小さな紙切れ。
どうやら置手紙らしい。

『(見捨てて来た割にやる事が細かい…!)』

他の3人には同じ思いが去来していた。

「ていうか、何してんの?」

「あー、ジロはさっき寝とったから聞いてへんかったんやな?
 日吉が赤紙貰うたから激励しに来たんよ」

「えー!マジマジ?おめでとー!」

無邪気に祝いの言葉を放つ芥川が「赤紙」の真の意味を理解しているのか日吉には判じ兼ねた。

「そうだったのかよ、それならそうと早く言え」

「跡部も聞いてねーの?」

「休み時間教室におらへんもんなぁ、跡部は」

話の矛先が自分に向いてきた事に日吉は内心焦っていた。
既に騒がしいこの面子にこれ以上いじられるのは真っ平である。
どさくさに紛れて逃げようとしたその矢先。

「そんな訳やから跡部、きたるべき太郎とのマンツーマンミーティングにおける心構えを伝授したってくれ」

「(余計な事を…!)」

そのまま自分達だけで盛り上がっていればいいものを、と日吉は内心舌打ちをする。
が、よくよく考えれば経験者の弁には大いに興味があった。
何もない事などよくわかっている、が、何がしかの対策は立てておいた方がいいだろう。
立ち去りかけた足をとめ、前部長の言葉に耳を傾ける事にした。

「…そうだな…」

全員が固唾を飲んで見守る中、跡部は勿体をつけて話し出す。





「……下着だけは新しいのにしとけ」





充分すぎる間の後、日吉から目を逸らしたまま、跡部が漏らしたその言葉に全員が凍りつく。

「(…な、何や跡部!自分何されてん!!)」

「(やべー!やっぱ監督ってそうだったんだ!!)」

「(なんで?)」

「(ウス)」

ショックの余り一瞬放心した日吉以外の者がそれぞれの思いを抱く中、跡部は駄目押しの一言を放つ。

「…俺に言えるのはそれだけだ」

「………わかりました……」

辛うじて返事はしたものの、立ち直れないらしい日吉はそのままフラリとその場を後にした。
遠ざかる日吉の背に、同情の眼差しが送られる。

「…跡部、そうやったんか…」

目に涙まで浮かべ、忍足は跡部の肩に手を置いた。

「知らなかったぜ…」

向日も顔を背けて跡部の背を軽く叩く。

「なぁ、なんで新しいパンツはくの?」

芥川は意味がわからなかったらしい。

「ウス」

樺地の場合はわかっているのかいないのかがわからない。
それぞれの慰め(?)を受け、跡部は怪訝な顔を見せる。

「あぁん?てめぇらまで真に受けてんじゃねぇよ」

『え?』



「ああやってビビらせんのも"伝統"の内なんだよ」



「…何やねん…早よ言えや…」

「マジビビッた…」

「新しいパンツだとなんかEことあんの?」





後日。
来年の次期部長に絶対伝えろ、とハッパをかけに行った忍足と向日は、日吉から壮絶な八つ当たりを受けたと言う。










ありがち。 こんな氷帝メイツが好みです。 トリシシが出てこないのは、私の力量では書けないからです。 ごめんなさい。 03.11.21

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