「今一番欲しいモン言うたら、何?」
もう、昼休みはとうに終わっている。
しかし芥川と忍足は、そんな事をまるで意に介していないかの様にそこから動かない。
幸か不幸か気温も程好い。
快晴の屋上の引力に逆らう気がしないのだ。
「…欲しいモン?…んー…」
仰向けに寝そべる芥川の隣で、手元の雑誌をめくりつつ忍足が呟いた台詞に、
芥川は緩慢に応えを返す。
「…秘密」
「はぁ〜?何やのソレ」
「Eじゃん別に」
芥川の目下の「1番欲しいもの」は隣で口を尖らせている。
日頃大人びて見える忍足が、時折こうしてちらりと覗かせる幼い仕草が堪らなく可愛い。
欲しい、と思う。純な意味も不純な意味も含めて。
けれど反面、今のこの生温い関係が気に入ってもいるのだ。
そんな事を思いつつも、芥川が黙っていると。
「なんやねん、教えてくれてもええやんか」
「教えてどーすんの?」
「自分もうすぐ誕生日やろ」
「あー」
「まさか忘れとった、とか言わへんやろな?」
「んー、わすれてた」
「アホか。自分の誕生日忘れる奴初めて見たわ」
自分でも忘れていた誕生日を、想い人が憶えていてくれたなんて。
ほんの些細な事だけれど嬉しかった。
嬉しかったが、どうせ言った所で貰えもしない「1番欲しいもの」を白状する気にはやっぱりなれず。
「あ、でもオシタリの誕生日は覚えてるよー」
「はぁ?なんでやねん」
怪訝な顔で聞き返されて、芥川はしまったと思った。
自分の誕生日も忘れる芥川が、他人のそれなど憶えている訳がない。
実際、普段つるむ者の中で誕生日がわかるのはほんの数人。
そうした芥川の性質は、忍足もよく知っているのだ。
忍足の誕生日を忘れる訳がないのだが、その理由を答えてしまったら終わり。
「1番欲しいもの」をバラすも同然ではないか。
それを避けたくて話題を逸らしたのが無駄になってしまう。
芥川は慌てて取り繕った。
「…けーごの誕生日近いC」
「跡部の?…あー、そう言えばそうやなぁ」
「デショ?けーごのは幼稚園の時ムリヤリ覚えさせられてから忘れらんねーの」
「はぁ。そんなもんかいな」
咄嗟の言い訳にしては上出来、と芥川は内心胸を撫で下ろす。
しかし、忍足は少々得心のいかない顔。
「幼馴染っちゅうんはええわな」
「え、何か言った?」
「や、別になんも。ほんで、何でお前の欲しいモンは秘密やねん」
忍足は案外しつこかった。
いっそ「じゃあくれよ!」と詰め寄りたくなる気持ちを、芥川はぐっと堪える。
代わりにバーカ、と言ってやろうかと思ったが、
以前そうした時物凄い剣幕で怒られたのを憶えていたのでそれもやめた。
わざわざ好感度を下げる真似はしたくない。
が、何も知らない忍足の態度に、溜め息の1つでもつきたくなってくる。
「やっぱ色々問題がさー…」
「問題ぃ?法に触れるようなもんでも欲しいんかいな」
「違うC」
もし売買となればそうなるが。
「えーじゃあ何やねん。ヒントでええからもうちょい頼むわ」
「おれの意志だけじゃどーにもなんねーもの」
「…もう一声!」
「うーんと。黒くてー、微妙に長くてー…」
忍足の外見の特徴を言い募ってみた。
勿論忍足の鈍さをしっかり把握しているからこそであるが。
「えーと、あと、白くてー、め…」
眼鏡、と言いかけて慌ててやめる。
「め?」
「や、何でもねー」
「ちゅうか黒くて白くて、て意味わからんし」
髪の色と肌の色を言ったのはまずかったか。
一瞬動揺した芥川だが、
「パンダか?」
忍足はすっかり動物だと思い込んでいるらしいので大丈夫そうだ。
「んな訳ねーじゃん」
「黒くて白くて微妙に長い…?あ!わかった、羊やろ!
さっきの『め』は鳴き声言おうとしてやめたとか」
「生きてる羊はいらねーC」
「新鮮な内に食えるやん」
「飼えるわけねーじゃん、ていうか家でさばけねーもん」
「あーしまった、それがあったか…あーもう全然わからんわ。
ほなもうええわ1番は。2番目に欲しいもんは?」
忍足は意外にあっさり諦めた。
ちょっといい流れだったのに、と内心舌打ちの芥川。
ここまで来たらいっそ言ってしまおうかとも思い始めていただけに、
肩透かしを食らったような気持ちになる。
「2番目?」
「それも秘密、とか言うんやないやろな」
「…別にさー、言ってもいんだけど、1番も」
「あーもーどっちやねん!
何でもええから勿体つけんと早よ言え!」
いい加減焦れてきたらしい忍足。
しかし、芥川も別の意味で焦れているのだ。
もう仕方がない、ここまで来たら。
芥川は腹を括って、賭けに出てみる事にする。
「うーんとじゃあね、1番目に欲しいものを『欲しい!』って言える勇気、かな」
「…欲しいて言うのにも勇気いるって自分…それ…何なん…?」
「そんなヤバイもんじゃねーんだけど…」
忍足の寄越した気味悪げな眼差しに、奮い立たせた思いが萎えそうになる。
もし、本当の事を告げた時にもこんな顔をされてしまったら。
いくら自他共に認める能天気の自分でも立ち直れないかも知れない、
芥川はそう思う。
それくらい欲しくて、欲しくて、堪らないのだ。
そしてその分、失うのが怖くて。
「まぁええねんけど…勇気、なぁ」
「うん。だからさオシタリ、勇気くんねー?」
そう言いながら投げ出された忍足の足の、脛辺りに跨った。
このくらいの接触ならば、日頃からしているから怪しまれないだろう。
本当は太腿辺りに跨りたい所だが、それはちょっと流石に憚られた。
「ほな、俺が勇気やったら教えるんか?1番」
忍足が雑誌を閉じて傍らに置く。
真っ直ぐその目を向けられるのが、嬉しいような、恐ろしいような。
もっと距離を詰めたいと思ってしまう。
忍足の足の長さが少しだけ恨めしい。
「…んー…オシタリがそれ、くれるんだったら」
「なんやねん、俺が持っとるもんか?」
「まぁ、ある意味」
ここまで鈍いと逆に笑えてくる。
普段は察しが良い癖に、芥川にとって肝心な所ではどうも抜けている忍足だ。
なんやろなぁなどと小さく首を捻ってから、
「さよか…。まぁやってもええもんならな。そこは交渉次第やわ」
まだ柔らかい春の日差しを背に受けて、見惚れる程に綺麗な笑みと共に忍足は言った。
「せやけど、どないしたらええねん」
「…ぁあ、え?」
見惚れる程…と言うより実際見惚れてしまっていた芥川は、
忍足の言葉の意味がわからず間抜けな声を出してしまう。
「せやから…いきなり「勇気くれ」言われたかて、どないしてええか、」
「それじゃくち、」
口移しで!と思わず口走りそうになって芥川は慌てた。
それはまだ早い!と自身を叱咤する。
「…くち?」
「何でもねー!何でもねーって!
うーんとじゃあ、……おれもよくわかんねーや…忍足の好きなよーにやってみてよ」
「はぁ?俺の好きなようにって…あ」
「思いついた?」
「…思いついたけど…これちょぉ恥ずかしいねんけど」
「…はずかしい?」
「好きなようにて言うたん自分やからな、文句言いなや?」
「わかった」
そう言い置いてから、忍足は深呼吸を1つ。
「恥ずかしい」がどういった部類の恥ずかしさなのかわからない芥川は、心構えのしように戸惑った。
忍足は深呼吸を終えると、先刻より些か鋭い視線で芥川を射る。
頬が薄く上気しているのは気の所為だろうか?
これってもしかして、と期待しかけた瞬間。
「勇気〜出ろ〜…勇気〜出ろ〜……」
妙な動きで腕を振られた。
自分が浅はかだった、と芥川はがっくりくる。
「…あのさー…まさかとは思うけど…おれの事バカにしてねー?」
「してへんし!これやからちよちゃん知らん奴にやんの嫌やってん!
うッわ恥ずい!恥ずいわ!!」
羞恥の余りかじたばたしだす忍足は、心持ち涙目である。
こんな場面でオタクな話題を出す忍足にグッとくればいいのか、
それとも呆れるべきなのか、芥川にはよくわからない。
まぁ可愛いのだけれど、今すぐ押し倒して別の意味での涙を流させてやりたいぐらいには。
「じゃあ別のにすりゃ良かったのに…」
「う、うっさい!文句言うなっちゅうたやろが!
あれしか思いつかんかってんしゃあないやろ!!
ちゅうかな、今思い出したけど、なんや、オズの魔法使いやったっけ?童話であるやんか。
あれで言うてたで?
『勇気は誰の心の中にもある』モンやて。人から貰えるモンとちゃうねん。
…ってそしたら俺、今の恥かき損やん!うわーアホやー」
早口でまくし立てると、忍足は自己完結して頭を抱えた。
「…オシタリ、バ」
「バカはやめろ、てこないだ言わんかったか?」
言い掛けてやめた「バカ」の台詞にも過敏に反応するあたり、相当言われるのが嫌なようだ。
こういう所では察しが良いのに…と思うが、眇めた目で睨まれてはぐうの音も出ない。
「ごめんって、悪気ないC」
「あったら許さんわ」
「だからごめんって。
でも、ありがと。おかげで勇気出たっぽい」
「さよか。そら良かったわ。
…で、そのジローの1番欲しいもんとやらは?」
その事を忘れてくれてはいまいかと思ったのだが、やはりそうはいかなかったらしい。
やはりまだ少しばかり怖くて、窺うように前置きをする。
「聞いたらオシタリ引きそーなんだけど」
「あーもう引かん引かん。自分が妙な事言い出すんは今更やろ」
「えーソレひでーんだけど!それじゃおれが変人みてーじゃん」
「まだそこまで言うてへんやろ」
「まだ?」
「あぁもういちいちうっさいやっちゃなぁ、言葉のアヤやろ?
それこそ悪気ないわ」
意を決して立ち上がり、ころころと笑う忍足の傍らへと移動する。
踏みそうになった雑誌を横へとずらして、肩が触れない程度の距離に腰を降ろす。
たとえ指先であっても、触れたら知られてしまいそうなくらいに鼓動がうるさかったから。
「…じゃー、言うけど。
おれの欲しいのは…」
ぐ、と目に力を込めて。
逸らしたくなる視線をわざと、忍足の目に合わせて固定する。
もう逃げられない…否、逃げない。
己の中にあるとかいう勇気を命綱に、ああ、清水の舞台から飛ぶというのはこういう事かも知れないと、
どうでもいい事が芥川の脳裏をちらと掠めた。
「…かみの毛ちゅーとハンパに長くて、黒くて、ほんで肌が白くて。
眼鏡かけてて、頭いいんだかバカなんだかわかんなくて、
たまに天然っぽくて、でもそーゆートコがスッゲー可愛いやつ」
ひとつ言葉を口にする度、忍足の笑みが薄くなって。
言い終えた頃にはすっかり消えてしまっていた。
怖い。もう、駄目かも知れない。芥川は思う。
でも、ここでやめても結果は同じ。もう引き返せないのだ。
ともすればこの場から走り去ってしまいたくなる衝動を堪える。
不安が面に出ていやしないか。だとしたらみっともない。
そう思いながら、忍足との距離を数cm縮める。
「そいつの名前、知りたい?」
忍足は固い表情のまま、声なく小さく頷いた。
気付かなかった筈はないのに、この時点での拒絶はなし。
それなら少しは望みを持てるか?
芥川の心臓は口から、どころか胸筋を破ってでも飛び出しそうな勢いだ。
秘め事を明かす時のように、忍足の耳へと顔を寄せる。
「…オシタリ、ユーシ。」
声が少し震えてしまった。
芥川の胸中で、千切れそうにぎりぎりと鳴る命綱。
もう少しだけもってくれ!
祈りながら最後の一言を、忍足の耳朶へと吹き込んだ。
「…くれる?オシタリ」
忍足の身体が強張ったのがわかった。
返事はない。
たった今ふつりと切れてしまった命綱はもう役には立たず。
芥川は顔を上げる事も出来ずに忍足の指先を見つめていた。
今にも拒絶の言葉が降ってくるのではないかと、泣き出してしまいそうだった。
「……そんなもんで、ええん?」
忍足の手が動いた。
無意識にそれを追った芥川が目に映ったのは、不思議に穏やかな空気を纏った忍足。
伸べられた手は緩やかに芥川の髪を梳いた。
それに意識を引き戻されて、今度は芥川が黙って頷く番。
すると、忍足の唇がふわりと緩んで。
降りて来たのは嫌悪ではなく、包み込むように柔らかな声。
「…ほな、いくらでもやるわ」
芥川の望んだ、答えだった。
「…でも、なんで“1番欲しいもの”にこだわってたの?」
「…ッ!そ、そんなん純粋に興味やわ」
「ふーん?」
本当は違うんじゃないの?
暗にそう、目だけで問うと。
「………ジローの気ィ、引きたかった、から」
顔を背けて小さな声で、けれどそれは芥川の耳にしっかり届いた。
先刻よりも更に紅く忍足が頬を染める。
理性のヒューズの吹き飛ぶ音が聞こえた気がした。
「…イタダキマス。」
「なッ、ちょ、待てっ!いくらなんでもいきなりすぎっ…!!
ジロ!やめっ、やめぇって !!!」
斯くして、芥川とその15回目の誕生日プレゼントの格闘は、予鈴が鳴るまで続いたのだった。
|