硝子色の刹那
「よう! マイク。珍しいなあ、こんなところにお前が来るなんてよ。」
陽気な声と共に バンと肩を乱暴に叩く。その声にビックリして振り返ったマイクの後ろに、背の高いすらりとした男が一人立っていた。ホークだ。
空軍きっての操縦テクニックを誇り、自らエースパイロットを自負している男で、皆、彼には一目置いている。
マイクは彼が声をかけてきたことに驚きを隠せなかった。ホークはいつも、彼の部下であるウェルナーとシーマを連れている。マイクはウェルナーの乗る戦闘機の後部座席に乗り込んでいる為、彼の部下達と話す機会は多かったが、ホーク本人とはほとんど会話したことなど無かった。
「一人か?」
そう言いながらカウンターの席の隣にひらりと座るホーク。身のこなしが鮮やかだ。
マイクがにっこり笑って頷いた。
彼はごくたまに一人でこの酒場に来る。ビーハイブの居住区に設置してある遊興施設の一つであるこの酒場は、兵達が集う一時の憩いの場だ。普段は見られない男達の素顔が垣間見える貴重なスペースだった。
マイクは…口をきくことが出来ないので、誰かと会話することが目的では無く、この場の雰囲気を楽しみに訪れていた。楽しそうに繰り広げられる男達の他愛もない会話にほんの少し耳を傾けたり、一時任務から解放された彼らの清々しい表情を見ては、自分も楽しくなるような気がしてほんの少しグラスを傾ける。そんな小さな時間。
「たまにゃあ誰かと飲みたかったんだ! いつもあいつらとじゃあ、流石に俺も飽きちまうよな。」
笑いながらホークはスコッチをオーダーし、美味そうに一口煽った。
マイクはこの男に憧れを抱いている。パイロットはNSFにも数多くいるが、ホークほどの腕を持つ者はそうざらにはいない。彼の背中には羽根が生えているのではないかと疑いたくなるほど、自由に大空を駆け巡る。
そう、彼こそは天性のパイロットと言えよう。
そんな自由な戦士は、彼を長機(リーダー)として慕うウェルナーと共に空を飛ぶマイクにとっても、誰よりも間近で見ているせいか自然と憧れる存在になっていたのだった。
二人は他愛もない会話をしていた。大抵はホークが語りかけ、マイクがそれに答える。とは言ってもマイクに声を出すことは出来ないので、もっぱら文字を綴って言葉を伝えた。胸元から手帳を取り出して、さらさらと簡単な返事を書いて見せる。そんなことを繰り返した。
そんな風景が、この酒場で時折見られるようになっていた。
ホークは時折自ら誘い出して、カウンターでグラスを傾ける。時には彼の忠実な部下達も一緒だったが、人数が増えるとマイクが言葉を発しにくくなることに気付いたホークが、それ以後やんわりと二人を排除したこともあった。
マイクにとってみれば、ホークがそんなに気を使ってくれなくても別にそんな状況は慣れっこだったので、驚く気持ちと共に後ろめたさもあったのだが、ホークはそんな気持ちになど一向にお構いなしで、彼をとても大事に扱ってくれていた。勿論ウェルナー達もとても大切にしている。
いわば、一旦身内のようになってしまえば、彼はどんなことがあっても全力で守る……そんな人間だったのだ。
マイクの中で、ホークという人間の存在は日増しに大きくなっていた。憧れていたパイロットから、身近にいて安心することの出来る存在に。一見豪放磊落な性格に見えて、その実とても繊細な彼。自信過剰なまでの高いプライドを持つこの男は、それでも人を惹き付ける何かを備えていた。
そしてホークの中でも大きな変化が起こりつつあった。
当初、ホークにとってのマイクは、彼の可愛い部下ウェルナーの機体に同乗している空軍の「目」としてしか認識していなかった。その特殊な視力で、敵軍を即座に見つける事の出来る、攻撃隊に欠かせない重要な歯車の一部。ただそれだけだったに過ぎない。
マイクの功績により攻撃隊は常に敗走という言葉など知らず、その戦績によって隊長であるルチェノフ中尉はNSF総帥、リチャードの目に留まっていると言う事実には腹立たしささえ感じてもいた。
だがあの時、広い酒場の片隅にひっそりと一人で座っていたマイクに何かを感じて、つい声をかけた自分が居た。そして、何となく放っておけなくなってしまっていた。
それが何を意味しているのか、その時点では何も気付かずにいたのだが……。
カウンターの隅に、いつものようにマイクが座っていた。目の端で、遠くにホークの姿を捉えた彼はにっこり笑って右手をひらひらと振った。
「相変わらずよく見えるな、お前は。」
笑いながらそう言って隣に座り、いつものスコッチをオーダーする。
『目立つから特に良く見えるよ、ホーク少尉は。』
そう、すらすらと綴って悪戯っぽい笑みを向けたマイクに、こつんとこぶしで額を殴る。
「一体どんな目ぇしてやがんだー? ん〜?」
ふざけてマイクの目を覗き込み、慌てて体を元に戻した。マイクの綺麗な茶色い瞳に思わず吸い込まれそうな気がして。
『少尉が大空を自由に飛べるように、俺にはこの目がある。』
マイクは珍しく長文を綴り続けた。
『誰も死なせたくない。だから俺の目は重要……そして、これが俺のプライド。言葉は無くしても、この能力は無くせない。』
そこまで書いて、真っ直ぐに見つめてくる二つの瞳がホークを真芯から捉えていた。
「流石、我が空軍が誇るマイク准尉。まったく頼もしいぜお前は!」
マイクの前髪を大きな手でくしゃっと掻き上げた。と同時に、何かが自分の中ではっきりと形を為してきたことに、驚きと不安を隠せない。
――――もっと、彼に触れたい。マイクを知りたい――――
そんな気持ちが止め処もなく溢れてきていた。
一旦その感情に支配されたら最後、抗うことは出来ない。ホークはそんな人間だ。良くも悪くも自分自身に忠実なのだ。
スコッチを煽りながら、彼の心は此処にあらずといった感じだった。
『具合が悪い?』
様子がいつもと違うことに心配してそう訊ねてきたマイクに、彼は慌てて笑顔を見せた。だが、その心は既にある方向で固まっていた。
「なあマイク、たまにゃ場所変えようぜ!」
そう言って半ば強引にマイクの手を掴むと酒場を後にした。何がなんだか判らずに引きずられるまま、マイクはついて行く。
着いた場所はホークの個室。そこはマイクに与えられた個室よりも広くて落ち着いた雰囲気だ。やはり空軍きってのエースパイロットの部屋だなぁと、感心しながら周囲を見回す。
「その辺に適当に座れよ。今、何か飲み物でも…」
言われて、近くにあった椅子に腰掛ける。何となく落ち着かずにきょろきょろとしていたマイクの目に、机の上に立て掛けてある写真立てが飛び込んできた。
そこには綺麗な、しかも何処かで見たことのある女性の姿。
マイクの目が咄嗟にそれがイギリスの大女優であることを確認し、何となく心の何処かに何かが引っかかっていたその時、ホークが声をかける。
「お前はあんまり酒強くないから、軽めのカクテルな。」
渡されたタンブラーの中には赤い液体。見たところブラディーメアリーらしい。ちらっと奥を見ると、英国人らしくロンドン・ジンの代表“ビーフィーター”が置いてある。
成る程、メアリーではなくサムの方なんだなと思いつつ、一口。思いの外飲みやすくてもう一口。
ふと気付いて顔を上げると、子供のようににこにこしたホークの姿があった。
「美味いだろー? 俺はカクテルを作らせても天才だな!」
その言葉に思わず吹き出しそうになる。
なんて可愛らしいんだろう…この男は。
何杯かグラスを重ねたホークが、意を決して行動に出たのは夜も少し更けた頃だった。マイクも少し酔いが回ったせいか、ほんのりピンク色の頬をしてほわんとしている。
「…マイク…」
言葉をかけると、少し上気した顔を向けて微笑んだマイクが愛しくて、思わず指で唇に触れていた。そっと指先でなぞった後、自分の唇を押しつけた。
びっくりしたマイクが慌てて体を引いて、口元を手で押さえていた。
「逃げてくれるなよ。」
そう言うが早いか、身をかわして仰け反っていたマイクを軽々と椅子から抱きかかえ、すたすた歩き出した。
「やっぱり軽いんだなあ、マイクは。」
どさりとベッドの上に降ろして座らせる。後ずさりするマイクの肩を掴み、再び唇を重ねた。今度は深い口付け…。するりと舌が顎を割り、中へ進入してしばらくの間蹂躙し続けていた。マイクが苦しげに体を捩るまで。
糸を引いて舌が引き出されると、茫然としているマイクの姿。その様が更にホークの本能を引き出していく。そっとマイクを包むように抱きしめて耳元で好きだと囁き、身を捩ったマイクを両腕で押さえ込むようにして、再び唇を重ねた。
「お前……俺のこと、嫌いか?」
どうしていいか判らぬまま振り回されっぱなしのマイクは、更にそう囁かれて困惑している。
ホークは口元に笑みを浮かべて見つめている。困って目を伏せ、少しだけ首を横に振ったマイクの顔を覗き込んで、両手で頬を挟む。吸い込まれそうな優しい色の瞳を見ようと。
伏せられていた瞳がホークを捉えた。ほんの少し潤んで、弱々しく輝くそれは、捕らえられた獲物のようにどこかおどおどしていて、彼の狩猟本能にも似た衝動を無性に掻き立てる。
「…なあ、マイク…?」
そっと囁いてみる。マイクはホークを見つめたまま、首を横に振った。
『…そんなんじゃないよ…』
口元がそう呟いたようだった。だが、明らかに困惑しているマイクをもう一度しっかりと抱きしめて、腕の中にすっぽりと納めたホークも、ややしばらくして呟く。
「俺だって訳が判んねえさ……どうして、こんなにお前が欲しいのかよ。」
言葉の後、半ば強引に指先が首筋をなぞった。ぴくりと反応して体を硬くしたのを見て、顔を近付けそっと舌を這わせていた。
『……!……』
無言の悲鳴が聞こえるようだ。だがホークは首筋への愛撫を続けた。それどころかシャツのボタンを一つ外して、胸元に指を滑り込ませている。
そっと片方の突起に触れてみた。小さなそれは、じわりと固さを帯び始めていた。優しく指先で感覚を煽ってやると、腕の中で逃げようとして、ホークの腕を掴んでいた指先から力がすうっと抜けるのが判った。ここぞとばかりにボタンを一つ一つ外しにかかるが、それさえもどかしい。
全て外してしまうと、前をはだけさせられたマイクのもう片方、手付かずの突起を狙って顔が移動し、そっと口に含んだ。そして舌で舐め上げると、マイクは信じられないと言った驚愕の表情をしながら、反射で体を仰け反らせていた。
ホークはわざと音をさせて突起を舐めながら、その様子を嬉しそうに見上げる。しばらく弄んでから、ちゅっと唇を押し当てる。再度びくりとした反応の良さに機嫌を良くしながら、顔を離してもう一度抱きしめた。
「もう認めちまえよ。俺の事……好きだろ?」
優しく髪の中に手を差し入れて撫でた。小さくふるふると横に振られる頭をやんわりと押さえるようにも見える。
「俺はお前を抱くぞ………マイク。」
そう言って両手で肩を掴んでゆっくりベッドの上に押し倒した。目を大きく見開いておののいているマイクの上に覆い被さって、手首を押さえ込んでいた。
―――どうして、こんな状況になっているのか判らない―――
マイクの頭の中はぐちゃぐちゃで、何をどうして良いのかすら判断つかない。
『ミトメチマエ…』その言葉が心に突き刺さっていた。
……確かに…ホークの事が好きなのかもしれない。それは判っていた。耳元で熱く囁かれるたび、体の奥底から痺れにも似た感覚が沸き上がってきて、熱くて切ない想いに形を変えてゆくのを感じていたのだから。だがこの想いは恋愛感情などではないのだと、必死に否定しているのに、ホークは『認めろ』と甘く誘う。今まで味わったことの無い、甘美な快楽を携えて……。
ホークはゆっくり何度も愛撫を繰り返した。感覚を最大限高められるように、口付けをしては舌を這わせる。逃げられないようにやんわりと押さえている手首を、愛しくてたまらないと言った表情で時折様子を見ながら、無意識に力を入れて握っていた。どうしても逃したくなかったのだろう。時折マイクの唇が綴る自分の名を、その聞こえない声で呼ばれる事、それすら愛しく想う。
名を呼ばれるたびに小さく返事を返した。たとえそれが『止めてくれ』と言うマイクの意思表示であっても、今のホークにはそんな事までが媚薬にすり替わる。びくっと体を震わせて快感に耐えるマイクを、めちゃくちゃに狂わせてしまい衝動に突き動かされるまま。
ジッパーに手を伸ばしてするりと手を忍び込ませた途端、マイクの体が跳ねた。お目当てのものにそっと指を絡ませたからだった。硬直してしまったマイクをお構いなしに指先で刺激してやる。
ほんの少しの間をおいて、逃げようとマイクが必死に体を捩りだしたが、上から押さえこんで耳たぶを甘噛みして、再び動きを封じた。
「可愛いぜ、お前。」
その言葉にぱっと顔を赤くさせ、ホークを見上げた。綺麗な睫毛が細かく震えている様は余計にそそられる。
「何だよ。止めて…欲しいのか?」
微かに頷く。それが最後の願いであり、必死の抵抗。
「駄目だな。そんな顔されちまったらやっぱ止められねぇ…。」
くすくすと笑いながら体を下にずらした。その隙をついて何とか逃げようと上体を起こしたマイクの膝をがっちりと両手で掴み、両膝を立てさせた。それでも逃げようと後ずさるのを無視して、脚の付け根部分に顔を押し当てる。開かれたジッパーの中に舌をするりと滑り込ませた。
びくんと腰が浮き、上半身が仰け反った。
丹念に舌で愛撫を繰り返す。たったそれだけの事なのに、敏感なその部分はマイクに耐え難い混乱と甘い陶酔をもたらしていた。両手で何とか引き剥がそうと、ホークの癖の強い髪を掴み足掻くが、勿論びくともしない。当然のことだ、最早指先にも力など入らないのだから。
ベッドの上に綺麗なしなりを見せて、仰け反ったマイクが震えていた。瞳は潤み、その端から光る水滴が僅かに滴り落ちる。それは与えられる刺激に耐えていたマイクが一瞬理性を失い、快楽の波に飲み込まれた瞬間だった。そのままふっと全身から力が抜けて、仰向けにゆっくりと落ちていった。その様子を下から見上げていたホークが、指先に付いた白い液体をぺろりと舐め取りながら満足げな笑みを浮かべている。
「……かっわいいのな、お前。」
茫然と天井を見つめているマイクに口付けた。
「少しだけ…じっとしていな。」
一番敏感な部分に指を這わせて様子を探ると、ぐったりしていた体が身じろぎをした後、慌てて藻掻きだした。身を捩り、相当な抵抗をみせる。
「大人しくしてろって………まったく。」
苦笑しながら逃れようとしたマイクの体をいとも簡単にひっくり返して、俯せにした。往生際悪く前方に逃げようと四つん這いになったところを、後ろから抱きかかえた。ジッパーを下げられたズボンを膝下まで下げると、結果的にマイクの脚を拘束する形になる。それでもまだ両腕の力だけで前に進もうと足掻くのに業を煮やしたホークが、さっきまで愛撫を与えていた部分をやんわりと握った。がくりと力が抜けて、上半身がベッドの上に崩れ落ちていった。
………水音がする。唾液と舌が作り出す独特の淫らな音。それがあろう事か自分の下半身から聞こえてくる事に、マイクは恥ずかしさを感じてぎゅっと目を閉じていた。ベッドの上で、虚しくシーツを掴んで耐えるだけの自分が口惜しかった。まるで猫の伸びのようなポーズで舌の蹂躙を許しているのは、紛れもなく自分なのだと言う、現実。
時折差し入れられる指の痛みが、背筋を伝わって脳髄まで麻痺させる。体が引き裂かれそうなくらい辛い痛みだった。それでも受け入れているのは―――ホークにそうされているから。その事実がマイクを更に陶酔と恥辱の底に引きずり堕とした。逃げたいのに…逃げることも出来ず、魔法がかかったようにどんどんと従順になってゆく。
ベッドの横に置かれたサイドテーブルには小さな引き出しが付いていた。そこからホークは何かを取り出して、指先にたっぷり塗りつけてからそれをマイクの中に戻した。苦しそうに体を引きつらせるマイクの背中に唇を押し当てながら、注意深く指を動かした。
時間をかけて用意を調え終えると、俯せに喘いでいた体を優しく抱き起こして、唇を重ねた。マイクは痛みと異物感に乱されて既にぐったりとしていたが、ホークにとってはこれからが正念場。抱えた体を出来るだけそっとベッドの上に寝かせると、邪魔な軍服を素早く剥ぎ取ってしまい、息遣いも荒く上にのしかかった。マイクを見つめると、その瞳は最後の哀願なのか潤んだまま微かに揺れている。それすら愛しくて、瞼にそっと口付けた。
片脚を自分の肩に掛けさせて、ゆっくりとホークはマイクの中に侵入する。
その瞬間に、マイクは反射的に逃げようとしたが、がっちりと足腰を抱えられているのでそれもままならなかった。そして、押し当てられた異物が少しずつ侵入してくる痛みに、ホークが自分の中に入ってきているのだと言うことを、実感させられていた。
意図的にではなく自然と自分の手が動き、覆い被さっているホークの肩を掴んでいた。そのまま突き上げられる動きに合わせるようにして、痛みを堪える。徐々に手がホークの首の後ろに回されて、ホークにしっかりと抱きついている事に驚きながら、どこかでふっと肩の荷がおりたような気がしていた。
……そうだ。受け入れることに、何の不思議がある? だって、俺はホークのことが好きになっていたんだから……。
そんな想いが体中から溢れてくるような気がして、マイクは改めてホークのがっちりとした体に縋り付いていた。
小さな小さな息遣いの音が、マイクの喘ぎ声なのだと感じていた。出せない声の代わりにマイクが精一杯紡ぎ出す、この世で最上の淫らな調べ。
うっすら滲んだ汗と涙がマイクの綺麗な顔を彩っているのを見て、あっけなく達しそうになるのをホークは慌てて堪えた。
―――今更、性に目覚めたばかりの頃でもあるまいに――――
今まで沢山の女を抱いてきた。男だって気に入ったヤツは抱いたこともある。だが、こんなにも気持ちが高ぶるのは初めてだった。これほどまでに自分を狂わせていくマイク……今まで出逢ったどんな人間とも違う、力強い瞳とそれでいて軍人でありながら、どこか華奢で儚い何かを持つこの男を、求めて止まない自分に可笑しささえ感じながら、ホークは出来るだけ冷静にマイクを抱こうとした。出来れば自分だけでなく、マイクにも全てを感じて欲しかったのだ……身も心も乱すような、悦楽を。
繋がったまま、片手でマイク自身を愛撫する。
苦しげな息の下に快楽の兆しを見つけて、更に高めようとより感覚を煽るような触り方をしてやる。慎重に慎重を重ねてマイクを導き、お互い一緒に達することに専念した。それが半ば無理矢理に抱いてしまった自分に出来る、精一杯の事なのだと………だがホークは何よりも、全てにおいての一体感を享受したかったのだ。マイクと一緒に………。
ギリ…と肩口を掴んでいたマイクの指先に力が入った後、すうっと脱力した。
二人は強烈な浮遊感に捉えられ、力無くシーツの海に崩れ落ちていくのだった―――。
荒い呼吸を整えて、ホークは自分の体の下でぐったりしているマイクをしげしげと見つめた。彼は未だ半ば意識を失っている。汗で張り付いた淡い色の髪の毛を掻き上げてやると、うっすら瞼を開いた。
「…辛かったか…?」
流石に罪悪感に苛まれて。思わず言葉が口からついて出た。マイクは未だぼうっとしていたが、少し間をおいてからはにかんで微笑んだ。
「そっか……悪かったな。でもお前…凄く……綺麗で、艶っぽかったぜ。」
そう言ってにっと笑うと、マイクは耳まで赤くしてホークを睨んだ。ホークはお構いなしに、唇を合わせてからぎゅっと抱きしめていた。
あれからというもの、マイクの目は常にホークを追ってしまう。
表向き二人は依然と何ら変わらぬ態度をとっている。いや、以前のように二人で行動するようなことは極力避けるようになっていたので、以前より余所余所しく見えていたかもしれない。誰かが何かに気付かぬとも知れない為だった。何せ規律に厳しいNSFの事。下手な事で処罰を喰らうのは二人ともご免だった。
ホークは暇をみつけては足繁くマイクの個室に忍んでいった。恥ずかしがりやのマイクがわざわざ自分から進んで訪れるわけもなく、結果いそいそとホークが訊ねる羽目になった。
ホークは最初、准尉であるマイクの個室があまりにも狭い事に驚いていた。が、それは単に自分等が特別扱いだったのだと言うことに気付くのに、さほど時間はかからなかった。NSFはホークという逸材のパイロットを迎え入れるため、丁重な扱いをしていたのだった。
だがそんなホークにも大いに不満はあった。彼はどんなに優れていても、攻撃隊の隊長にはなれなかったのだから。
マイクはいつもそのことに関して憤るホークを黙って受け入れた。こればかりは、リチャード総帥の決めている事、誰も逆らうことなど出来はしない。だからマイクに出来ることは、ホークの熱い気持ちを発散させる事。一旦自分の気持ちに気付いてしまったマイクは、全身全霊でホークに恋をしていたのだった。
特に出撃から無事に戻って来た時のホークは、飢えた獣か何かのようにマイクを無性に欲しがる。任務を終えても未だ気が高ぶっている。隊長であるルチェノフ中尉と対立した日などは余計にだ。
その日も戦略諸処についてひとしきり揉めていた。ホークはあからさまな怒りを露わにし、ルチェノフ隊長に罵声を浴びせた。ここ最近の隊長の弱腰な戦略に辟易していた彼は、ウェルナー達を連れてその場を去っていった。
マイクは多分この後訪れるであろう孤高の恋人のために、少しばかり酒の用意をした。おそらくは今頃、部下達に当たり散らしている事だろう。容易に想像が出来る。そろそろかなと時計を見やったところで入り口をノックする合図。案の定やって来た彼は、既に何杯も重ねているのかふわりと酒の香りがする。いつものように無言で素早く中に入る。顔にはほとんど酔いの欠片も出ていなかったが、マイクには目つきで判る。彼が相当飲んでいると言うことを。
これは酒じゃなく水でも出した方が無難と思い、水差しからグラスに注いで渡した。ホークは一言もものを言わずにそれを受け取って、ぐいっと一息で飲み干した。あまりの勢いに思わず見とれてしまう。
マイクは何か言葉をかけてみたかった。『まだ飲むかい?』とか『座れば?』とか『飲み過ぎたんだろ?』等々の本当に他愛のない言葉を。だが自分には声が無い。だから、にっこりと笑った。それでホークに何かが伝わるのはもう判っている。
…それで、十分なのだ。
見ればホークは出撃した時の重装備のままだった。簡易軍服に着替えることもせず、酒を煽っていたと思われる。多分シャワーも浴びず仕舞いなのだろう。マイクは仕方がないなぁと言った顔で微笑んでから、浴室に向かいシャワーのコックを捻った。適温になったのを確認してホークを促す。
だがその場から動こうとはしない。仕方が無く腕を取って無理にシャワールームへ引っ張って行く。広いとは言えないその場所に引っ張り込んだところで突然、ホークはマイクに抱きついてきた。背の高いホークの腕の中にすっぽりと入ってしまったマイクが息苦しくて身を捩るが、力を入れたまま抱きしめ続ける。
「……マイク……」
火のように熱い口付けがマイクを襲った。勢いで壁に背中を押しつけられて、はずみでシャワーが吹き出し上から降り注ぐ。だがホークは構わず濡れるに任せながらも舌を絡ませてくる。温かい湯の雨に打たれながら、性急にマイクの衣服を剥ぎ取って愛撫を始めた。
――為すがまま、マイクは身を任せていた。こんな無茶をされても、彼を決して嫌いになることなど無かった。いや、かえって愛しくさえ思う。そして荒々しく求められることに興奮を覚えている自分もまた、ホークと同じく気が高ぶっているのかもしれないと、頭の隅で思いながら愛撫の感触に体を震わせていた。
湯水を吸って重たくなった衣服が一つ一つ辺りに投げられていく。マイクは自分が脱がされる中、ホークの軍服に手を伸ばし、彼を脱がせ始めた。バランスの取れたしなやかな肉体が露わになると、匂うような男の色香がマイクを魅了する。
するりと腕を伸ばして首に手を回し、思うがまま彼の愛を受け入れた。肌の上を伝い落ちる温かな水の流れが、よりいっそう感覚を煽っていた。
ホークがマイクを壁に押し当てたまま、その場に跪く。マイクはぼんやりと下を見ていた。片脚を持ち上げられ下腹部に執拗な愛撫を受ける淫らな己の姿を、不思議な陶酔感の中で見続けていた…。
煽られるまま波が押し寄せてきて達した後、崩れんばかりに脱力したマイクがその状態のままホークを受け入れていた。荒々しい息遣いのホークがマイクを貫いている。
突き上げてくる雄の動きに連動して、慣らされてしまった自分の奥底から沸き上がる甘美な痺れが、マイクをも獣に変えていた。
これ程までに相手を求める激しい恋――求めても尽きぬ欲望の真っ只中に、二人はいた。…だが、その恋にもいつかは終わりが訪れることを心の片隅に置きながら、お互い気付かぬふりをする。
戦いという現実は、明日にでも二人の命を奪ってしまうのだから……。
だが現実に二人を引き裂いたのは、死という別離ではなかった。
―――ホークの妻の、妊娠―――
マイクにとって勿論、寝耳に水の事実であり、出来事。そもそも結婚していたことすら、聞いたことのない話でどんどん頭が混乱を来して行く。
……妻……妊娠……
何一つ、信じたくなどない。
手紙を受け取ったホークは、自分の子供が産まれるという事実に当初、子供のように喜びを露わにした。数ヶ月前、ほんの数日とれた休暇中にイギリスに戻った彼を、いつもと変わらぬ笑顔で迎え入れた妻マリリン。多忙を極める女優業の中彼女が無理をしてオフを取り、久しぶりに夫婦がゆっくりと過ごす事が出来たのだった。…そしておそらくはその時彼女に子供が宿ったのであろう事は明白だった。
彼は妻を愛している。それはマイクに対する激しい感情とはまた別の愛情。そして今、彼女の中に自分の血を受け継ぐ子供が命を与えられ育ち始めている―――。
たが…喜びもつかの間、ホークはその事実が持つ重大な意味と決断に気付き、顔を青ざめさせていた。妻子を守らなければならないと言うことは、取りも直さずこの場所を出て行くこと―――そして、マイクとも別れるという、ことを。
話を切りだした直後、マイクの顔からすーっと血の気が失せる。だがそれでも続けた。彼に話していなかった事実、即ち彼の妻のこと。そして、新たに生まれてくる彼の子供のことを…。
彼女を一人にすることなど出来はしない。ましてや子供が父親の顔も知らずに育つなど、彼の中では許されることのない罪だった。ホークに出来ること――それはこの軍隊を抜け、簡単に生命の危機に晒される事のない生活を送ることだった。
そう伝えるが、マイクの瞳の中には最早何も映り込んではこない。
彼女と子供のためにNSFを抜ける決心をしたことを静かに伝えた。イギリスに戻り、普通の生活をして妻子を守るという決心は、裏を返せばそれはホークが大空を捨てると言うことに他ならない。
そこまで聞いていて、マイクの口元が微かに動いた。だがその唇はちゃんとした言葉を紡いではいないようだ。慣れたホークにすら読みとることが出来ない。
「……すまない……。」
その一言を絞り出すように言った。そして言葉を続けた。
「お前を好きな気持ちに今も変わりはない……けど、俺にゃあいつを守る義務があるんだ! ――判って…くれ………」
そこまで言って顔を横に背ける。ホークの肩が小刻みに震えていた。
マイクの脳裏にはその時、以前ホークの個室で見かけた女性のスナップがまざまざと浮かび上がっていた。確か…あれは有名なイギリスの大女優。どう考えても親密な仲でしか撮れそうにない、気さくで親しみを込めたラフな彼女の姿………。
そこまで気付くと、自分が可笑しくて仕方がなかった。あそこで気付いても良さそうなものだったのに―――そうすればこんな辛い、哀しい、惨めな思いに苛まれる事など一切無かったはずなのだから。
ややしばらく考えてから、マイクは精一杯微笑みを浮かべた。にっこりと、静かに。
そして右手を目の前に差し出した。差し出されたホークが、真っ赤になった大きな目を真っ直ぐマイクに向ける。目の前の愛しくも哀しい笑顔が突き刺さる。
握手のため差し出された右手を彼は怖ず怖ずと取ると、予想に反してぐいっと思いっきり自分の方に引っ張って、マイクを強く抱きしめた。
ホークの腕の中に引きずり込まれたマイクは、ようやく自分の目頭が熱くなっていることに気付いた。
この腕の中は、いつもと変わらず心地が良い。だがこれ以上この場所にいてはいけないのだ。ここは、彼が全力で守るべき家族の居場所……。
無理矢理腕を振り解いて、力無くホークを押しのけた。
「マイク! 俺………俺は…………」
マイクは努めて笑顔を作る。視界が潤んで目の前がぼやけようとも、必死で悟られまいとして。
「こんな事言える義理じゃないのは…判ってる。けど、俺はもう一度だけ……最後にお前を………。」
ホークは泣き腫らした目をして訴えている。もう一度だけ、マイクを腕の中に抱きしめたくて…最後の温もりをその身の全てに焼き付けておきたくて。
だがマイクは首を横に振った。その顔には毅然とした拒否の笑顔を浮かべていた。
『…NO…』
唇がはっきりと動いたことにホークはショックを隠しきれない。何より、笑顔の拒絶が辛かった。
「―――判った。本当にこれでサヨナラなんだな……俺達…。」
自分に言い聞かせるように、一言一言はっきりとそう言って、きゅっと唇を噛み締めていた。
言葉はマイクにも突き刺さる。別れが、徐々に実感を伴って迫ってくる事に胸を痛めながらも、彼の首はゆっくりと縦に動いていた。
ホークがそっとその場をあとにした後、ずっと堪えていた熱いものが一筋、彼の頬を伝って落ちていた。
今、マイクは夢と現の狭間で藻掻いていた。
ぼんやりとする頭の中で、何が夢で何が現実の出来事なのか区別がつかず何も判らなくなることがある。
ふと気付けば、両腕を後ろ手に縛られ、暗い檻の中で苦しみ足掻く自分が居るかと思えば…NSFに無事に戻って、皆と笑顔を交わし合う自分が居る。
―――だが現実は、前者だった。捕虜として囚われの身。
謎の軍隊NSFの情報を少しでも引き出そうと、ありったけの自白剤を投与され、気も狂わんばかりの状態に置かれている。どんなに薬物を使われたところで、彼の口から声が漏れることが無いなど、敵軍の人間は知る由もない。
時折正気に返るマイクのぼんやりとした脳裏にはいつも、戦闘機を離脱させられた時の光景が色鮮やかに焼き付いていた。
ウェルナーが最初だった。
敬愛しているホークを守るため…先に敵軍に突っ込んでいったのだ。
何とかマイクにだけは生きて貰おうと、必死で脱出させた後、マイクの目の前で彼の機体は大破した。
そしてホークは…………家族を守ると誓って、断腸の思いで別れを告げた愛しいホークもまた、彼の目の前の大空で…散っていった。自ら敵空軍に体当たりをして――。
―――皆………先に逝ってしまった。
叫べるものなら、あの時絶叫したかった。声を出して、泣き叫びたかった。だが…現実には、声もあげることも出来ず、一滴の涙もその目から溢れはしなくて……ただ茫然と、ホークの命が空に吸い込まれて行くのを見ていただけだった。
ただ、茫然と――――。
……ハイド。ああ、優しいハイド。ご免な…こんな俺で。やっぱり俺は未だ――ホークのことを忘れられないみたいだ。
お前は一生懸命俺を抱いてくれたね。
俺もハイドのことが好きだったよ…きっと、もっと時間があったら……お前のことが、一番好きでいられたと思う。
でも俺の中には未だあの男が住んでいて――消せなくて。こんなに、頭がおかしくなりそうな今でも、張り裂けそうな想いが止められない。
………ハイド、ご免な………。
途切れ途切れに、徒然なことを思い出していた。どこまでが現実なのか、狂気の境が見えないまま。
肉体の痛みからくる辛さは、もう無かった。傷つけられてぼろぼろになった体は、もうあと少しも保たないだろう事だけが判る。
だが心は―――――狂いそうな狭間で揺れながら、未だ懸命に何かを求め続けている。
思い出すのは…楽しかったこと。仲間達の笑顔。他愛もない会話。暇があるとハイドと一緒に眺めた星空。淡い色合いの思い出は、懐かしくて哀しい。
そしてやっぱり……あの男の事。
傲慢で我が侭で誰よりも自由だった、刹那の恋人。本当に大切だった、あの時間のすべて。
――マイクは泣いていたのかも知れない。もう戻ることの出来ない瞬間の一つ一つを心に焼き付けて、壊れて行く自分を少しでも繋ぎ止めようと…足掻きながら………。
ゆっくりと重たい瞼を開ける。これも夢の続きなのかも知れない…。
俺の周囲には、見慣れた顔や見たことのある顔があった。そして、もう二度と会えることも無いだろうと思っていた顔―――ああ、ハイド―――。
俺はうっすらと笑ったのだと思う。懐かしい彼の顔は、悲壮な面持ちで…俺の前から逃げ出していた。
俺がきっとそれだけ、無様で哀しい姿をしているんだろうね……。でも、せめて最後はお前に見取って欲しいよ。ハイド……。
バカだなぁ、泣きそうな顔して。約束通り無事には戻れなかったけど、最後に会えたんだから…辛い顔するなよ……。
――これが戦争なんだよ、ハイド。お前も俺も、そしてホークも…みんなこの中で生きてきた。自分たちに誇りを持って…戦って。そして誰かが散ってゆく。これも俺達の生き方だよ。
ああ………。もう目の前が暗くなってきて、ぼんやりとしか見えない。
さよなら――――お前の一途な気持ち、本当に嬉しかった………そして、好きだった。
本当に、有り難う……ハイド。
…………もう一度…逢いたいなあ………………ホーク………………。
駆け寄ったハイドがマイクを抱きかかえた。
その名をどんなに呼んでも、二度とその目は開くことはなく、大好きだった笑顔も還ってはこない。
辺りにはいつまでも泣き叫ぶ、彼の声がこだましていた………。
Fin...